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コメットさん放浪記  作者: サトノハ
プロローグ
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プロローグ

 どこにでもある長閑な村のどこにでもある木造の一軒家。朝食の準備中なのだろう。煙突からは立ち上る煙が空へ溶けていく。静かな、それでいて活気ある日常の朝の光景だ。

 いつも通りに起き出し、いつも通りに居間に顔を出した、いつもとは少し様子の違うコメットは言った。

「みなさん、おはようございます。ぼくはこれから旅に出ます」

コメットの母、テレザは驚いた。

「突然どうしたと言うの?」

「いえ、突然でもありません。前々から考え、準備していたのです」

コメットはそう言うと、ちらりと自分の背中を向け、両肩に背負った袋を見せた。旅の荷物でパンパンに膨れ上がった大きな背負い袋。それはコメットの心その物。これからの旅を思い描き希望で膨らんだ心を映す。両の瞳はかつて見ないほど輝いている。

「準備していたって言ったってコメット。私たちに一言の相談もなしに…」

「ダメよ、お母さん。お兄ちゃんがこういう時は何を言ってもダメ。もう決めてしまったことだもの」

息子の言に呆れながらも、尚も事情を問い質そうとするテレザにコメットの妹、エルザは言った。

「お母さん、そんなことより、お鍋、吹いてる」

いつでもどこでも、どこまでも冷静な少女、エルザ。

「え?あら、まあ!」

見ればなるほど。竈に置かれた鍋の中身が吹き零れていた。テレザは急いで火を小さくし、熱い鍋を竈から下ろす。

「これまで育てていただき、ありがとうございました。それではみなさん、さようなら」

いつでもどこでも、どこまでも我が道を行く若者、コメット。


 テレザが鍋に気を取られて目を離した瞬間に一礼し、さっさと出て行こうとする。そんな息子の気配を察したテレザが大声を上げる。

「ちょっと!ちょっと待ちなさい!あなたもさっきから黙ってないで何とか言って下さいな!」

妻のいつにない大声にその夫にしてコメットの父、コレットは器用に片方の眉だけを上げる。腕を組み、目を瞑り何事かを思案していた様子のコレットは静かに目を開くと息子を見た。コメットもまた、父の瞳を見詰める。普段から寡黙な父だが、その瞳は雄弁だ。これは逃れられないと悟り、コメットは黙って父の前の椅子を引き肩の荷物を横に置いて座った。

 二人の間を支配する長い沈黙。父が寡黙だという事は知ってはいたが、それにしても沈黙が長い。しかし、言いたい事は既に全部言ってある。これ以上こちらから何か言葉を掛けるのは違う気がして、コメットも沈黙を守る。そうこうする内に朝食が調ってしまった。

 祈りを捧げ食事を摂る。母が作る料理を食べるのもこれで最後だと思われる。そう思えば、いつにも増して美味さが沁みる。厳選された素材や丁寧な調理をゆっくりと感謝し噛み締める。


 コメットとて、家族に不満があるわけではない。寡黙ながらも一家の大黒柱として質素な我が家の屋台骨を支える無骨な父。口煩くはあるが深い愛情を以て家族に接し見守る母。どこか冷めた目で、しかししっかりと家族を見詰め、マイペースな兄の一番の理解者である妹。お互いがお互いを支え合い、調和の保たれた家族と言えた。

 だが、己の生きる道はここでは無い。この村では在り得ないのだと、いつからか感じるようになっていた。本や先人たちから得た知識ではあるが、世界は広く、果てしない。そのどこにも人はいて、生活がある。自分はそんな彼らの生活を見、それらを内包する自然を感じる旅に出よう。人が生きられる場所に己が行けない理由(わけ)が見当たらない。であれば、行く。行って、己の糧とする。夢はいつしか決意となって今日を迎えた。

 迎えた今日の目覚めは清々しかった。住み慣れた家を離れる寂寥感より、未だ見ぬ地に息衝く生活に触れられる期待の方が遙かに大きい。自分の人生に於ける重大な決断は間違っていなかったと確信した。

 ではなぜ、コメットは家族に一言も相談せずに旅に出ることを決めたのか?

 それは、相談すれば反対の意見にも耳を傾ける必要が生じるためだ。父の意見は読めなかったが、妹は彼女の性格上、否定もしなければ肯定もしないだろう。ただ静かに成り行きを見守るだけだろう。そして母は先ず間違いなく反対するだろうと容易に想像できてしまった。それは少し前に彼女が示した反応の通りである。コメットにとって旅に出ることは幾度となく自問自答した結果であり、漸く達した結論である。例え家族だろうと、他人に反対されたからと言って簡単に曲げられる決意(ゆめ)ではない。が、反対され理解を得られぬまま物別れのように家を飛び出すのも何だか哀しい。なので、全ての準備が整ってから決意を告げるに留めようと今朝に至った。

 母の手料理はそのどれもがやはり美味く、ゆっくり、しっかりと最後の一口を嚥下した。この一口を最後に二度と食べられなくなるかも知れない。そう思うと、喉元を過ぎるスープを含ませ柔らかくしたパンが胃に落ちるのをかつてないほど、とても強く意識した。何の変哲もないパンの一欠片やスープの一匙に至るまで見られる創意工夫、慈愛に満ちた母の手料理があればこそ、これまで健やかに育ってこられたし、これからの一歩を踏み出す活力が生まれる。

 コメットはそれらのことを今まで以上に肝に銘じ、祈りを捧げた。


 食後の祈りを済ませ、温かいお茶を一服飲んで一息吐いた時、それまでずっと黙ったままだったコレットが重い口を漸く開く。

「自分で、決めたのだな」

「はい」

静かで、それでいて決意に満ちた瞳で、コメットが応える。

「我ら種族は群れなければ弱い。その群れから外へ単身出ることの意味を…?」

「承知しています」

コレットは息子の決意を目の当たりにし、静かに一つ頷くと、

「では、縁を切る」

続くコレットの言葉は重たかった。テレザは片手で口を覆い、その衝撃を呑み込め切れず瞳を濡らし、エルザはやれやれと首を左右に振っている。そんな女どもを尻目に男どもは本の微かに、小さく笑った。何やら男同士で相通ずる物があったようだ。

「行って来い」

 コレットは己に言える精一杯の(はなむけ)を息子に贈った。対するコメットはただ深々と頭を垂れることでそれに応えた。

 コメットは椅子を引いて立ち上がると背負い袋を肩に掛け、最後に家の隅々にまで視線を巡らすと、もう一度、礼をし玄関を開けた。


 出て行くコメットを見送ろうと後に続くテレザとエルザ。コレットは見送りには出ず、しかし、満足気に日々の仕事に取り掛かる。

「今まで温かく育てて頂き、誠にありがとうございました」

コメットは改めて二人にお礼の言葉を掛ける。自分の我が侭で家族から飛び出す不孝に対する詫びの言葉は呑み込んで。

「いつでも帰っておいで。ここはいつまでもあなたの家ですからね」

母の言葉は、最後まで、全く以って母らしい。

「死んだら、駄目だよ」

妹の言葉も、最後まで、全く以って妹らしい。

「エルザ…」

最後の挨拶にそれはないんじゃない? 縁起でもない…。母の抗議めいた呟きも、

「何よ」

当のエルザにはどこ吹く風。そっぽを向いて鳴らぬ口笛を鳴らす。

「では、行って来ます」

「はい。行ってらっしゃい」

そのお陰かどうか、まるで、そこらにお遣いに行くかのような気軽さで、二度と会えないかもしれない別れの挨拶が交わされた。


 コメットは行く。広い世界を、己の足で。自然に抗い自然を享受する人々の生活を求め。

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