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12 虚ろな独り言

 電車の車窓。青紫色の空が覗けた。屈託を憶えたような色合いを滲ませている。雲は出鱈目な曲線を描いおり、複雑な表情を見せていた。怪奇な空にその雲らは連なっている。雲が横長に広がっていく。その雲の足跡をなぞるように電車は線路を駆けていた。高木はバックの中にあるメモ用紙を取り出した。そのメモ用紙に記されているのは、ひかりが一人で住むマンションの位置だった。ひかりが姿を晦ませる前に渡してきたものだ。しばらく顔も合わしていなかった俺に、なぜそのことを教えてくれたのかはわからない。けれど高木はそのことに素直にありがたく思った。ひかりは自分の自宅にいるかもしれない。ひかりは意図的にこの地図を渡してくれたのかもしれない。この大雑把な地図を。私、一人暮らしをはじめたのよ。そう言って彼女はおもむろにこの紙切れを渡してきたのだった。彼女は俺たちとの復縁を願っているのではないだろうか? 再度、高木はそう思う。だから自宅の地図なんてものを渡してきた。そうかもしれない。その推測に肯定する。そうしようと努める。電車が揺れる。その揺れに高木の心中が踊る。揺れの中心で舞踏する。希望が覗けた気がした。彷徨い続けていた洞窟の先から、外の光が差し込むように。車窓の外部で走る空。それと雲。その雲は未だに延び続けいる。空の隙間を縫合するかのように。空に隔たりを作っていく。出鱈目な曲線を描いて。

 ひかりのマンションは堀澤のマンションと比べると、いささか小振りに思えた。一般的な学生マンションのようだ。エレベーターは設備されていない。階段を上る。メモ用紙に書かれた部屋の番号を探す。2○2号室だった。すぐに発見する。玄関と外を隔てる扉。無機質で感情を宿さないそれに高木はいささか畏怖を憶える。インターホンにへと人差し指を差し出す。その指は頼りない風格にへと退化していた。インターホンを押すことに恐縮しているように思えた。高木は逡巡に襲われる。それを薙ぎ払おうと苦悩する。辛うじてチャイムを押す行為に達せる。ドアの奥でチャイム音がした。刹那の隙間に潜る閃光のような鋭い音響。その音は余白を散らしながら消える。そこに残るのは強みを増した沈黙だけとなる。その沈静にへと身が沈んでいく。高木の隣に強調した静謐がたたずむ。ドアは無機質な虚空をそこに宿したままでいる。やれやれ、デジャヴだな、と高木は脳裏で呟く。誰もかもが俺を置き去りにしていくような気がした。ひかりだけでなく。堀澤までもが俺から離隔していく。高木の奥底に孤独心が芽生えはじめる。日陰で静かに咲く花のように。湖で仲間に放置された鴎のように。なあ、ひかり。高木は無愛想な趣きのドアを見つめながら呟いた。それは自然と口元からこぼれていた。ドアは高木に対して無慈悲な瞳を向けたままだ。ようやく覗けた気がした希望。それを潔く捨てることはできなかった。高木はドアを見つめたまま声を洩らす。「……どうしてお前は俺に話しかけたんだ? 思春期の男子が異性に優しくされただけで抱くような、淡い希望を俺にも持たせたかったのか? それなら永遠に抱かせてくれよ。鬼かよ、お前。ひかり、どこいったんだよ。堀澤を迎えに行ったのか? それなら帰ってきてくれよ。それが嫌なら俺も連れてってくれよ。俺はお前を高校のときに置き去りにしてしまった。堀澤とひかりの間に生まれた「あの事件」に、俺は口を出すことはできなかった。そして俺は堀澤のほうへと行ってしまったんだ。本当なら、「お前らを元に戻さなければならない」役目だったんだ。それが俺の立場だったはずなんだ。それなのに俺は逃げた。しばらく空白の期間が流れて、必然的に訪れる後悔に俺は当然苦悩した。その後悔は未だに引きずっているさ。俺はどうすればいい? お前は堀澤が好きだった。俺も何度か相談にのったことはあった。相談にのるだけで、解決はしなかったけどよ。俯瞰して考えてみると、お前らの間に俺は必要だったのかな、て思うな……」高木は口ごもる。いささか世界が歪みを佩びた気がした。ひとしきり沈黙が流れる。「…………なんか、わかんねえな」そう呟く。それから自然と続く言葉に身を委ねた。「人間いつでもそうだ。正解が見つからないまま終わるんだ。正解がある物なんて学校のテストと、堀澤が好きでよくよんでたミステリー小説だけだぜ。それでも俺としては、お前らといつまでもいたい。俺たちの関係は崩れるわけにはいかないんだ。ドラえもんのメンバーと一緒さ。ジャイアンやすね夫がいるように、俺がいて、しずかちゃんがいるようにひかりがいるんだ。そんな完成した友人メンバーは学校でも俺たちくらいだったよな? なあ、ひかり。ひかりに俺や堀澤は深い傷を負わせてしまった。罪悪感は常に俺の傍にある。影と一緒にな。わがままかもしれない。でも、俺やっぱりあの三人でまた集まりたいんだ。くだらない雑談とか、していたいんだ。元に戻るまで、修正の期間は長いかもしれない。でも、またああやって日々を過ごしたい。あの関係が続くのなら、俺はこの世界じゃなくても構わない。だから、置いていくなよ。ひかり……」

 歪みがさらに極まっていく。車に踏まれた直後の蜃気楼のように。気がつくと高木は涙を溢れさせていた。涙を流したのは久しぶりに思えた。自分の滑稽に震える声。それと同時に、ドアの奥ですすり泣く声がした。高木とは違う。それがひかりだという事ははすぐに理解できた。高木はもう一度インターホンを鳴らそうと思った。手を伸ばす。頼りない風格の人差し指。涙が頬をなぞる。高木はインターホンを――。

 「……高木」インターホンを鳴らす前にドアが開いた。そこにはひかりがいた。涙を流していた。大粒の涙だった。彼女が涙を流す理由。それは考えなくとも理解できた。彼女も自分と同じなのだ。俺たちとの復縁を求めていたのだ。高木は手の甲で涙を拭う。いるんなら、はやく出てこいよ。高木はようやく安堵を得る。その安堵は自身の顔に笑みをもたらす。その安堵の息は尽きずに溢れ続けた。穴の開いたタイヤに空気を注入するように。ひかりは瞼を腫らしていた。涙は彼女の瞳を大儀的なものへとたたえている。僅かに灯る白夜の光のように。ひかりは涙を拭う。「あなたの独り言の癖。まだ治っていないのね」と彼女は言った。

 これは無意識の独り言じゃない。と高木は言う。意図的な独り言さ。それを聴いて彼女は微笑む。知ってるわ。あなたとの付き合いは長いもの。そう数ヶ月で忘れるようなものではないわ。そう言って鼻をすする。とりあえず、入れば? と彼女が高木を部屋へと招く。ああ。高木はひかりの部屋にへと足を踏み入れる。室内からは明りの存在が窺えなかった。一切の光すら、その部屋には与えられていなかった。カーテンは徹底して光を遮断している。その室内は一足早く夜を迎えていた。とりあえず明りつけなよ、と高木は言った。ええ、と彼女は言った。そして室内は人工的な灯りを受け入れた。ひかりの顔が鮮明に高木の視界に映る。それまで覆っていた影は、光によって浄化される。栗色の髪。夕暮れの破片を散りばめ、それらを再び凝縮したような瞳。柔らかく結んだ口。それらが明晰さを取り戻す。

 高木は安易な場所に腰をおろす。ベッドは遠慮した。彼女はコーヒーを淹れている。淡白とした沈黙がその場を満たしている。高木は虚ろにひかりに目をやる。ひかりはマグカップにコーヒーを注いでいた。それから片方にミルクと砂糖を注入した。おそらく高木のだろう。やがてひかりは両手にマグカップを持って来る。太ももよりも短いパンツを履いていた。「勝手にミルクとか入れちゃったけれど、いいわよね?」ああ、と高木は言った。ありがとう。どういたしまして、とひかりは微笑む。その微笑みに高木はもう一度安堵を感受する。そしてひかりは坐る。しばし沈黙を間に挿む。隙間があると埋めたくなりますよね、と沈黙が言っているような気がした。高木はコーヒーを一口吞む。コーヒーを啜る音が沈黙に重なる。しばらくして彼女は神妙な顔つきで口を開く。高木はマグカップを置く。耳を澄ませた。もう本題に入るのか、と思った。ひかりは「ねえ、高木」と言った。なんだい? と高木は返す。いささか身構える。「高木から堀澤の居場所を聴いたとき、私、正直信じれなかったの」と彼女は言った。まるで手紙の最初に時候の挨拶を記すように。これから話す内容のプロローグのように。

 それは俺もさ、と高木は言った。それからコーヒーを啜る。熱い。湯気が空気を白く染める。

ひかりは言う。「高木言ったわよね? 「堀澤が今いる世界は、堀澤が求めるものすべてがある」って」高木は肯く。ひかりは高木の瞳を見据える。「その「堀澤が求めるもの」って、大概は私にあるんじゃないかしら? そうでしょ?」

 高木は何も言えなかった。否定ができなかった。高木は無言で話の続きを待った。それをひかりは察する。ひかりは一度小さく肯く。了解、と肯きで言った気がした。

「「あの事件」が起きて私は堀澤たちを避けるようになった。その期間は結構長いものよ。私は正直苦しかった。また仲を戻したいと思っていたわ。それは今もね。それでも行動で示せなかった。堀澤のほうから私に声をかけてくれる事を、ずっと待っていた。でも堀澤もそれは同じだったのよね。今考えれば堀澤がそんな人じゃないってわかってたのに。長い間一緒にいれば、堀澤の性格がどんなんかなんてすぐわかるはずなのよ。堀澤も私から声をかけてくるのを待っていたはずだわ。絶対」

「そんな堀澤とひかりを繋ぎ合わせる役目が俺だったんだ」と高木は口を挿んだ。「それなのに俺すらも逃げてしまった」

 ううん。ひかりは静かにかぶりを振る。あなたは悪くないわ、と言った。しかしその表情にその意思は含まれていなかった。そうよ、あなたが私と堀澤を助けなければいけなかったのよ。そうひかりの顔は語っていた。そんな気がした。ひかりの顔から染み出ている悲しみは拭えていないままだった。放置された状態で淀んでいた。「そして時間が積まれていった。私が堀澤たちと離れた空白の時間が。その時間は本当に拷問のようだったわ。傷口はさらに開いていった。でもそれって堀澤もなのよね。堀澤も傷は強まっていくばかりだったのよね。そして「パラレルワールド」へと逃げこんだ。「求めるものがなんでもある世界」に……。「失くしてしまったものがある世界」に……」彼女はそこで黙り込む。そして俯く。再び涙が声を慄かせはじめた。ひかりの声を。

「そしてひかりは、堀澤を迎えにいこうとした」と高木は言った。

 そう、とひかりは肯く。そして涙を拭う仕草をとる。落ち込むなよ、と高木は一言声をかけたかった。けれど言えなかった。高木も。堀澤も。ひかりも。全員落ち込まなければならないのだ。そうしないと始まらない。「なにもお前だけが悪いだけじゃない。俺にも原因はあるんだ」高木は言う。しかしひかりの顔は俯いたままだった。両手で包むように持ったコーヒーカップをただ見つめていた。ぼんやりと。

 高木はコーヒーを口に含む。喉に流す。喉の内側から熱が染みていく。連想されて蘇っていく幾つかの記憶みたいに。じんわりと熱を佩びる。「それに――」、高木は口ごもる。ひかりの顔を見る。ひかりの顔から目を離さずに、高木は言った。「堀澤は帰ってくる。絶対」

 ひかりが僅かに顔を覗かせる。鼻水を啜る。高木の顔を見た。そして嗚咽混じりの声で小さく訊ねる。「……絶対?」なんでそんな断言ができるの? とひかりの瞳が高木に訊ねているようだった。それと同時に、なんであなたはそんなことを簡単に言えるの? と呆れているようにも思えた。

「お前言っただろ? 堀澤との付き合いは長いし、堀澤がどんな奴かしっているはずって。ならわかるだろ? あいつは帰ってくる。絶対にだ。あいつは人を置いていかない」最後の一言は自分の猜疑心を誤魔化すためだかもしれない。と思った。

 ひかりは堀澤を連れ戻そうと決意した。そして堀澤のいる世界にへと行こうとした。しかし、それはできなかった。当然だった。ひかりは「その世界」に行く方法を知らないのだ。それは高木もだった。俺たちは待つことしかできないのか? と高木は自身に問う。そんなわけねえだろ。高木の脳裏に堀澤の顔が浮かぶ。そして、「迷子の案内人」の堀澤の顔が過ぎった。彼しかいない。


最近「調子いいとき」と「軽くスランプ」のときの差が激しいです。バブルと現在の日本くらい違います。こんなわけのわからないこと言ってるときは「調子がいいとき」です。

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