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10 虚ろな独り言 

 高木は夢をみる。それはとても奇妙な夢だった。その光景には、どこか致命的に現実感が欠けている気がした。夜がさすらい続ける世界。夜の暗黒が手招きするその混沌に、高木は歩みを進んでいく。いつまでも夜の呪縛はとけない。それから目を覚ます。その夢の余白にたたずむ感触を高木はしらばく覚えていた。

 高木はまるで龍のように延びた階段を下っていた。石の階段だった。どこまでもその階段は続いていた。終着地は深く寡黙な闇に包み隠されていた。見えない。夜の匂いを含んだ空気。その空気はどこか白く濁っていた。まるで硝煙のように。俺はどこを歩いているのだろう? 高木にもわからない。ただ歩みを進めることしかできない。それしか選択肢はなかった。実に怪奇な景色だった。夜に溶け込んだ空気は毅然と冷えている。清濁が出鱈目な硝煙を漂わしている。高木の視界を惑わせる。無数に並んだ提灯。その灯りは夜の闇に抗う。どこまでも続く階段は足元が把握できない。視界が白く霞んでいる。硝煙が充ちている。高木は虚ろに辺りを見渡す。高木のほかにも人間はいた。しかしその人間たちはどれも歪んでみえた。輪郭が曖昧にぼやけている。明確に定められていない。人たちは歩みをやめない。その歩みはゆっくりと動作する。その静かな動きは淀んでいた。残像のようにも思えた。その残像を硝煙は覆い消す。川が流れる音がする。どこで流れている? 岩石と岩石の隙間を駆け抜ける音。水が跳ねる音。その音すらも輪郭を失っていた。高木の耳に余白を残す。高木を中心に、世界は全てのものが余韻を残しているような気がした。

 提灯の灯りが軌跡を描く。一つの提灯から次の提灯までの間隔をその軌跡は埋める。光を佩びた蛇のように。柔らかく特異な動きだった。彷徨うように泳いでいる。自分はいま何処をさすらっているのだろう? ここはどこだ? 目的地を定めて駆ける水の音。存在する意義を忘れた世界の輪郭。それを慈悲する空気の硝煙。漂い続ける。細い灯りの道を描いて流れる提灯たち。それらの景色が高木の脳に強いられる。その不思議な夜に染まる。闇に覆われた足場。たどたどしい足取りで階段を下りていく。危うく転がりそうになる。疲れ果てた夜。それは闇を喰らう。深淵の奥底にへと自分は歩いているのかもしれないな。そんな気がした。死と生の境目を彷徨っているような感覚だった。

 もうすこしよ。女性の声がした。その声だけが唯一明晰な意思を携えていた。聞き覚えのない声だった。女性の主だということはわかる。もうすこしよ。彼女の声が静謐な空白を作っていた高木の脳にへと沈む。とても深く。海底に沈んでいく小石のように。高木は振り向く。提灯の足跡。それと共に七色の色彩を高木は視野に得ることができた。その虹色の正体を探る。それは傘の柄だった。その色の集いは毅然としていた。硝煙の漂いの中で、己の存在を主張していた。夜の隙間に定まる朝のように。水溜りに浮かぶ月のように。この傘は誰のものだ? 見知らぬ女性。もうすこしよ、もうすこしで到着するわ。あなたは帰るのよ。目が覚めるとき、この世界での経験はあなたの意思の中で夢と化するわ――。



 高木は水を一杯喉に流し込む。渇きを覚えていた管に潤いが宿る。飲み干したグラスを流し台に置く。ステンレスと物質が触れあう音が鳴る。トン、という音。その音は夢の世界でのような余韻は残さない。それから掛け時計に目をやる。秒針が一秒をきざむ音。軽く鈍い音。高木の肌は妙に音というものに敏感になっていた。夢から覚めたというのに。時刻を確認すると午前四時を過ぎてすぐだった。外はまだ完全な色彩を見つけていない。どこかで鳥が鳴く声がした。夜と朝を繋げるための暫定的な時間帯。空白の間。高木はベッドにへと踵を返す。眠りに戻ろうと思った。布団の中に足を及ばす。身体の八割を布団に侵食される。目を瞑る。再び世界は暗闇をあやかる。しかし、高木は眠ることができなかった。それは必然的なことのように思えた。脳からは眠ろうという意思が忘却されていたのだった。仕方ない。高木は身を起こす。枕元の前にある窓。薄い茶色のカーテンを開ける。レースカーテン越しに視界をまず独占したのは藍色の空だった。暗闇からようやく抜け出せたような色合いだった。まだ十分な明りを覚えていない。雲も確認はできるが、まだ暗く染まっていた。まだ誰も目を覚ましていない時間帯。高木の前で世界はまだ眠っている。その静寂に高木はいささか優越感を覚えた。空をひとしきり観察する。空に飽きると高木はひかりの行方について推測してみた。

 昨日ひかりは大学を途中で抜け出した。ひかりなら午後の講義サボって帰っちゃったわ。身体の具合が悪いんですって、とひかりの友人は言った。体調の具合が悪いのは嘘だろう。それはすぐ理解した。じゃあなぜ途中で帰った? 俺が堀澤の事情をすべて話したからだろう。それを聞いて、彼女は堀澤のことを不安に思ったのだ。仲違いをしたあとも、彼女はやはり未練があったのだ。俺と堀澤が未練を覚えるように。やはり彼女も同様だったのだ。俺たちの関係はやはり「崩れてはならない」のだ。

 ひかりは堀澤を迎えにいった。その可能性が高いだろう。高木はそうだと暫定的に決め付ける。それからさらに思考を巡らせた。ひかりは堀澤の失踪を知った。それから堀澤の望むものがすべて揃う世界――パラレルワールド――に行ってしまったということを知った。それを聞いたひかりは堀澤の元へと迎えに行くことを決意した。それからどうした? 決意は決まったかもしれない。しかし、どうやってその世界にいく? パラレルワールドに侵入する方法をひかりは知っているのか? そんなはずは無いだろう。じゃあひかりは――。

 もうすこしよ。先ほど見た夢の光景が脳裏に過ぎる。虹色の傘。見知らぬ女性。あれはもしかして、ひかりだったのではないか? 堀澤が言っていた「迷子の案内人」という言葉を高木は思い出す。迷子の、案内人。それは堀澤のほかにもいる。その中にはひかりも――。

 そこで高木は推測することを中断した。わからない。脳はもつれを増していた。すべては不明の状態が保たれている。高木個人で、それらを解決することはできない。ひかりはどこに行ったのだろうか。もしかすると今日になると何事も無かったかのように大学に来るかもしれない。実は本当に体調が悪くなっただけかもしれない。そうであることを高木は願う。祈った。



 高木はそのことを願って大学へ向かう。しかし――いや、やはり、ひかりは大学には来ていなかった


虚ろな独り言も半分を過ぎました。残りもう半分! 頑張ります。

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