Phase1.ヒーローな俺が残念過ぎる
二月十四日が『愛の日』という国民の祝日になってから、はや十年。
国を挙げての少子化対策だかなんだか知らないが、皆お菓子メーカーの戦略に乗せられ過ぎだと思う。
そもそもチョコレートなんて物は魔性の食い物だ。やたら甘いくせにちょっとほろ苦くて、舌の上でとろりと蕩けて、気付けば一箱くらいあっという間に無くなってしまう。
それをくれたのが好きな女の子だったりしたらなおさら……。
……。
……。
チョコレートなんて嫌いだ。
俺は、チョコレートが食べられない体質だった。
―― Chocolate × Syndrome! ――
Phase1.
二月十三日、金曜日。
俺が学校帰りに必ず立ち寄る、世界最大級のショッピングセンター『108《マルハチ》』は、その名の通り煩悩に溢れた若者たちで賑わっていた。
「チョコレートのご試食いかがですかー?」
「新作のキャラメルフランボワーズ味でーす」
「こちらは某社が開発した“惚れ薬”入りですよ……フフフ」
揃いのエプロンをつけた可愛らしい売り子さんたちが声を張り上げる中、俺はなるべく気配を消し、試食させようと迫る魔手をかわしながら本館一階特設コーナーを突っ切った。人気の無いエレベーターホールに到着し、ホッと一息つく。
目指すは最上階にあるゲームセンターだ。そこで格ゲーの腕を磨くことだけが俺の目的。バレンタインなんて一切興味ない。
……そう思っていたはずが。
エレベーター脇の掲示板に、何やら気になるポスターが貼られていた。
『バレンタインフラワーが盗まれました! 有力情報提供者には百万円を差し上げます』
――百万円。
ということは格ゲーが一万回、もしくは牛丼が三千杯……。
あっさり煩悩に支配された俺は、エレベーターのドアが閉まるのも構わず、そのポスターに見入った。
事件のあらましは、こうだ。
世界最大級のチョコレートの祭典と銘打った、今年のバレンタインイベント。その目玉として展示される予定だったのが、幻の花――バレンタインフラワー。
幻の花と言われる理由は、誰もその花が咲くのを見たことがないからだ。
バレンタインフラワーが生まれたのは、今から十年前のこと。とある研究者が、チョコレートの土壌で花を育ててみたところ、たった一房だけが奇跡的に生き延びたのだという。それから十年の時を経て、バレンタインフラワーはようやく最初の蕾をつけた。はたしてどんな花が咲くのだろうか……?
と、ここまでが新聞記事の引用。
バレンタインフラワーの存在は、ほのぼの系ニュースとして世界中に発信された。それほど珍しい花ならば一目見てみたいと思うのが人情。そこに目をつけたのが108だ。
本来ならバレンタインフラワーは、一階特設会場の中心に華々しく飾られていたはずだった。しかし展示直前、何者かによって盗まれてしまった。店側はバレンタイン当日までに見つけ出そうとやっきになっているらしい。
「……まあ、俺には関係ないし。っていうか、むしろ盗んだ奴グッジョブだな」
チョコレートなんて、嫌いだ。
チョコレートの花なんて、この世から消えてしまえばいい。
気付けば左腕がジンジンと疼きだしていた。右目は僅かに色を変えていることだろう。チョコレートのことを考えるだけでこんな風になる。もううんざりだ。
俺は気持ちを切り替えるべく、再びエレベーターのボタンを押した。そのとき。
「あーれー……!」
どこからか、悲鳴っぽい声が聴こえた。
とはいえ、悲鳴にしては微妙なイントネーションだったのでひとまずスルー。
「あーれー!」
今度はさっきよりクッキリと聴こえた。女の子の声と辛うじて分かる、やけにくぐもった怪しい声だ。
さすがにスルーし切れなかった俺は、嫌な予感にさいなまれつつも声のする方へ。薄暗い通路を抜け、北口駐車場に繋がるドアを開くと。
「……あんたら、何してんだ?」
トラックが一台あるだけのガランとした駐車場に、二人の“不審人物”がいた。
一人は、どう見ても本物のメイドさんだ。
黒地のミニワンピースに純白のエプロンドレス。サラサラの長い黒髪に、頭飾り《ホワイトブレム》が良く映える。何より目を引くのは、はちきれんばかりの胸と締まったウエスト。
ぼんやりと見惚れる俺に、彼女は「あらあらうふふ」といった微笑を向けてくる。ぽってりとした唇に、大人の色香を感じさせる泣き黒子。うん、美人だ……。
と、のんびり目の保養をしている余裕は無かった。
メイドさんの腕の中で、白衣を着たちんまい女の子がジタバタと暴れている。背格好からするに小学生くらいだろうか。さっきのくぐもったような悲鳴は、その少女が発したものと判明。
……少女はなぜか“ガスマスク”を着用していた。
「あーれー。このおいしいチョコレートをあげますから誰かお助けをー」
棒読みだった。
俺は速やかに帰宅するべく、くるりと踵を返した。
高校に入学してから一年弱、格ゲーの連勝記録をストップさせるのは残念だが、今はそれどころじゃない。左手と右目がズキズキと疼き、俺に警告してくる。「アレに関わっちゃいけない」と。
すると背中越しに、またもやスルーできない台詞が。
「……くッ、『いたいけな乙女が誘拐されそうになるのを助ける名目で“徳田新之助”にチョコを食べさせちゃえ作戦』は、どうやら失敗のようね」
「――ちょっと待て、どうして俺の名前を知ってるんだ?」
「名前だけじゃなく全部知ってるわ。だって……だってあたしはアンタの幼馴染だもの」
「幼馴染……だと……?」
「そうよ。この十年、雨の日も風の日も、常に超小型カメラ越しにアンタを見つめてきたこのあたしを、幼馴染以外の何と呼べばいいわけ?」
「それはストーカーだ!」
「ということで、このチョコを食べてみてくれない?」
「人の話を聞けッ!」
「うん、聞いてる聞いてる。だからこのチョコを食べ」
「――断る!」
「クッ……どうしてもチョコを食べてくれないようね。こうなったら最後の手段――出でよ、無差別殺戮超合金ロボ『ハカイダー』! 起動ボタンぽちっとな」
「何だその昭和センスは! ていうかアレは一体……!?」
一瞬、これは悪い夢じゃないかと思った。
二人の背後に停まっていた一台の大型トラックが、ゴガガガガガと不気味な音を立てて組み上がっていく……みるみるうちに、二足歩行のロボットへと。子どもの頃に憧れていた戦隊モノのセオリー通りに。
太い足が生え頭がくっついて、組み上がったロボは二十メートルもの高さだ。そんな異形の破壊者が、ズシンズシンと地響きのごとき足音を立てながら向かってくる。
「さあハカイダー、思いっきり暴れちゃいなさい!」
『ゴガアアアアア――!』
小さなコントローラーでロボを操る少女は「フフフフフ」という不気味な笑い声を立てた。ガスマスクの奥には邪悪な笑みが浮かんでいることだろう。その隣では、誘拐犯ごっこを終えたメイドさんが、少女の奇行をにこやかに見守っている。焦って周囲を見渡すものの、他の客や従業員が来る気配はない。
「――ちょ、お前、そのロボ止めろって!」
「新之助、観念してチョコを食べなさーい!」
「バカ、後ろッ!」
「このハカイダーを止めるには、アンタが“変身”するしかなペブッ!」
ぴゅーん。
少女は自ら操るロボットに蹴飛ばされ、俺の方に飛んできた。まさにサッカーボール。そして俺はゴールキーパー。
さっきからズクズク疼きまくっていた“左腕”の力により、辛うじてキャッチしたものの、コンクリの床にもんどりうって倒れてしまう。そんな俺の腹にちょこんと収まったサッカーボールは、なぜか「はうっ」という情けない声をあげた。
「どどどうしよう……コントローラー壊れちゃったかも」
マウントポジションを取ったまま、ぷるぷる震える少女。ガスマスクの奥では、きっと泣きそうな顔をしているに違いない。衝撃の針が振り切れてしまった俺は、ひとまず冷静に尋ねた。
「それが壊れると、どうなるんだ?」
「ハカイダーが世界を滅ぼしますわ」
応えてくれたのは、美貌のメイドさんだ。
彼女は、保育士さんのように手慣れた感じで少女を抱き上げた。そして白衣についた砂埃を払ってやりながら。
「怪我はありませんか、お嬢様?」
「……お、お嬢様って言うな。あたしは“博士”よ!」
「申し訳ありません。でも今の博士は、博士らしからぬ態度だったもので」
笑顔のまましれっと告げると、メイドさんはチラリと後方を見やり「さて、どうしましょう」とため息をついた。
こうしている間にも迫りくる凶悪なロボット。コントローラーが壊れたせいか動きはスローだが、着実に距離を縮めてきている。
このままじゃ世界が滅ん……いや、さすがにありえないだろう。アイツは所詮トラックだ。地球vsトラック。勝率ゼロパーセント。
そう結論づけて立ち上がる俺に、メイドさんはにっこりと微笑みかけた。
「新之助さま、こう見えて博士は世界一のマッドサイエンティストですの。だから星を一つ滅ぼす程度の兵器など、簡単に製造してしまうのですわ」
「メイの言う通りよ。ハカイダーは宇宙人の侵略から地球を守るために開発したの。あのボディの中には、どんな物でも斬れる剣と、どんな物でも斬れない盾が入ってるのよ!」
フン、と鼻息を荒げて、成長の兆しが見えない胸を張る少女。
なんというか……ツッコミどころ満載だった。
なのに、不思議と説得力があった。あのトラックの変化をリアルに目撃した直後だし、何よりアレがヤバイ代物だってことは右目の疼きで分かる。
「無駄話をしてる場合じゃないわ。お願い新之助、このチョコを食べて。ハカイダーを止められるのはあなたしかいないの」
少女は壊れたコントローラを白衣のポケットにしまい、代わりに小さな正方形の包みを取り出した。
雰囲気に呑まれた俺は、素直にそれを受け取った。そして少女に促されるまま包みを解いていく。あたかも美女の服を脱がせているかのように気分が高揚し、ドクドクと心臓が高鳴る。
「コレを俺が食べたらどうなるか……分かってんだろうな」
甘く芳しいチョコレートの香りが、俺の全てを変えていく。目つきも、口調も、身体だけじゃなく脳みその中身も。
そんな俺を真っ直ぐに見つめて、少女は力強く頷いた。
俺は震える指先でチョコを摘まみ――口の中へ放り込む!
刹那、眩い光がその空間を包み込んだ。
チョコレートの力を得た左腕が黄金色に煌めく。右目はきっと深紅に染まっているはず。
「ウオォォォォォォォォォ――ッ!!」
喉から迸る、猛々しい咆哮。最強の『ヒーロー』になった俺は、目の前の巨大な玩具に対して不敵な笑みを浮かべながら、軽く地を蹴った。
弾丸のごとく空を駆け、コンマ一秒で間合いを詰める。抵抗する隙など与えない。チョコレートの魔力に操られた肉体は鋼と化し、目の前の化け物を完膚なきまでに叩き潰していく。
何物をも斬るという剣も、何物にも斬られないという盾も、俺の拳の前にあえなく屈した。「ゴガガガ……」と力無い呻き声をあげ、ロボットは倒れた。
静寂を取り戻した駐車場。俺は仁王立ちのまま、傷一つない自分の左手を見つめた。
これはたぶん、神の手なのだ。
そして化け物の末路を冷たく見下ろす右目は、神の目。
……どうしてこんな風になったのかは分からない。昔の俺はごく普通の子どもで、チョコレートは大好物だった。
しかし十年前、俺を変えてしまう決定的な“事件”が起きた。
自分自身を恐れた俺は、二度とチョコレートを食べないと誓った。
「……新之助」
「俺に近づくな、怪我するぜ」
未だに輝きを失わない左手を少女へと突き出す。敵は倒したけれど、俺の中の“神”はまだ消えていない。荒ぶる神は、華奢な少女など指先ひとつで粉々に砕いてしまうだろう。
「大丈夫、あなたはそんなことしない」
以心伝心。俺の感情を読み取った少女は、ためらいもせず歩み寄り、俺の左腕にそっと触れた。一瞬ビクンと震えたものの、左腕が少女を払いのけるようなことは無かった。
「ありがとう、新之助」
少女はその可憐な身体で俺の左腕をキュッと抱きしめた。妙なマスクはつけているが、なかなか可愛い女だ。
すると今度は、空いている右腕の方にぽわんと柔らかな感触が。
「――好きです新之助さま! 一万二千年前から愛してます!」
「お前……」
「メイと呼んでください。新之助さまは、年上の女はお嫌いですか?」
「媚びる女は嫌いだ」
「でしたら、わたしのことはただのメイドと思っていただいて構いません。何でも言うことをききますから、どうかお傍に置いてください、ご主人様!」
俺を見上げる熱っぽく潤んだ瞳と、甘い吐息。右腕にしがみつく華奢な手が「一時も離れたくない」と訴えてくる。それでも俺は軽く腕を振るい、柔らかな身体を手のひらで遠くへ押しやった。
「ご主人様……?」
「いいから離れてろ。これは“ご主人様”の命令だ」
「どうして」
「まだ奴は死んでねぇからな」
微かな駆動音を俺は聞き逃さなかった。壊れたはずの玩具が再び動き出したのだ。タフな相手だろうことは予見していたものの、その生命力には驚きを禁じ得ない。
「そういや、アイツはどこ行った?」
気付けば左腕に絡みついていた少女が忽然と消えていた。
まさか、この俺が“人間ごとき”の気配を見失うなんて……。
怪訝に思った刹那、右目がズキンと疼き、十秒先の未来を映し出した。
そこにいた俺は――夕暮れに染まりつつある空を見上げていた。四肢をコンクリの床にだらしなく投げ出して。
全身の毛孔から一気に汗が噴き出す。と同時に、体内を駆け巡るチョコレートの香りがぶわりと立ち上る。
俺が負ける……だと……?
否、まだ時間はある。奴の息の根を止めるなど一撃で充分。
「おい女、今すぐ離れろ!」
「いやですッ」
「我が侭を言うな!」
濃厚な俺のチョコレート臭を嗅ぎ、恍惚とした女が全力でしがみついてくる。それを力づくでひき剥がすことはできない。今の俺には加減が分からないのだ。
そのやりとりが命運を分けた。
何か凄まじい攻撃が来る……異様な“気配”を感じた俺は、女を庇う形で敵の方へ身体を割り込ませた。
「行っけー! ハカイダースペシャルビリビリビーーーーム!!」
閃光の刃が、俺の身体を貫いた。
まさに稲妻が落ちたような衝撃だった。堪え切れずぐらりと崩れ落ちながら、俺は全てを悟った。
真の敵はロボットなんかじゃなく、あの少女だったのだと。
「フフフフッ。これが無敵ヒーローモードの新之助を倒すべく天才なあたしが考えた『美女に迫られてデレデレしてるダーリンなんてビリビリでお仕置きだっちゃ作戦』よ!」
……別にデレデレなんてしてねーし。
と、文句の一つも言ってやりたいところだが、高圧電流を浴びせられた身体は全く言うことをきかない。俺は大の字に寝転んだまま、心の中で深いため息を吐いた。
壊れたはずのコントローラーを手にした少女が、パタパタと駆け寄ってくる。ガスマスクの奥には歓喜の笑みが浮かんでいることだろう。
唯一の救いは、メイドの女がグルじゃなかったこと。彼女は俺の身体にすがりつき「一緒に死にます!」と泣きじゃくっている。つーか俺はまだ死んでねーし。
「メイ、正気に戻って。今ホワイトチョコエッセンスでマスキングしてあげる。あと新之助にも、今のうちに異能無効化装置をセットして……っと」
頭に何やら被せモノをされた途端、漲っていた異能の力がスウッと消えた。死ぬ死ぬと大号泣していた女の涙もピタリと止まった。
「……あら? わたしは一体なぜこんなに泣いていたんでしょう」
「これが新之助の病気――『チョコレート・シンドローム』なのよ。ほんとハタ迷惑な症状よね。こんなの放っておいたら世界中の女の子が大変な目に合うわ」
本当に、その通りだった。
俺の持病は、チョコを食べると一定時間右目と左手が疼いて変色して輝いて異能に目覚めて、人格が唯我独尊な俺様キャラになって、女の子を虜にする『甘い香り』を放つようになる……という非常に残念なものだった。