部室棟の一室にて
それから、初めての寮生活、初めての大学の授業に静音が苦労しているうちにあっという間に時間は経っていき……。
静音が入学してからおよそ2ヶ月後。中々止まぬ梅雨空に憂鬱を覚える6月も中頃のことである。
瑞原大学部室棟の一室に3人の人間が集まっていた。入り口の看板には『瑞原文化研究会』と書かれている。
「うう、マズい、何とかしないとこのままじゃマズいわ。なんで誰も何もしてないのよ!」
3人のうちの1人――琴平椿姫が、肩口まで伸ばした自慢の栗色の髪をかき乱して唸っていた。
総合魔法学科3年生の彼女は、よく言えば明朗快活、悪く言えばお転婆。そんな空気が仕草の節々からにじみ出ているヒトの少女である。
けれどよく見てみると、かなり仕立てのいい着物を着ており、裕福な家庭の生まれであることが見て取れる。
「そんなことを言われましても、『新歓活動なんて必要ない!』って言って何もしないように言ったのは椿姫ちゃんではありませんか」
そんな椿姫をたしなめるように、もう一人のヒトの少女がそれに答えた。彼女の名は千条院水琴。博物学を学んでいて同じく3年生。
こちらは椿姫とは対照的に、いつも穏やかな笑顔を浮かべている。淡い藍色の花柄の着物と、腰まで長く伸びた黒髪と合わせて、深窓の令嬢という言葉がピッタリといったところだ。
「だってあんまり人が増えちゃっても困るし。それに1人ぐらいなら勝手に来てくれると思ってたのよ!」
「一人じゃ足りませんよ?」
「むむむ」
「何がむむむですか」
「うー。レイジは何かいい案ないー?」
と、先ほどからずっと会話に参加せずに何かの本を読んでいた最後の1人、狼族のケモウドの青年に話を振る椿姫。
「んー?今いいとこだから後にしてくれ」
彼はそう答えるとすぐにまた、本に集中する。
レイジ。芸術科に籍を置いている2年生である。だが芸術科と言うには、バランスよく鍛えられた肉体に鮮やかな銀髪と狼の耳、野性的な眼差しと口の端から覗かせている鋭い牙、そして胸元を大きく開けたシャツに、瑞原では珍しい革製のジャケットと、かなり荒々しい出で立ちである。
しかし粗暴さの中にもどこか気品を併せ持ち、異性であれば思わず振り向いてしまうような魅力を備えた青年である。
他国からの留学生という事らしいが、実のところ詳しい素性を椿姫は知らない。水琴の知り合いらしいのだが……。
その彼の視線は全て手にした本に注がれていた。
あくまで無関心を貫こうとするレイジに、椿姫が本を奪い取り実力行使にでる。
「ちょっと!一応部員なんだからそんなの読んでないで何か考えなさいよ!!」
「あ、こら!返せよ!」
「きちんと会議に参加したら返すわよ。うわぁ、今日のはまた一段と過激な……」
椿姫がレイジから取り上げた本、その中身はいわゆる艶本であった。
それも椿姫が過激と評したように、縄で緊縛された女性のあられもない姿ばかり描かれている。
だが、レイジがそういった本を読んでいるのはいつものことのようで、それ自体は2人とも特に気にしていないようだった。
「んなこと言われたって強引に入部させたのはそっちだろ?俺としては、むしろ無くなってくれた方がせいせいするんだがね」
レイジは面倒臭そうにそう言って、強引に本を奪い返した。
「あらあら。レイジ君ったらそんな事言っちゃっていいのかしら?」
水琴のその言葉にビクっと体を震わせるレイジ。彼女の表情はあくまでにこやかな笑顔なのだが、妙な凄みがある。
「ぐっ、わかったよ!考ればいいんだろ考れば!」
「……ホント、一体どんな弱みを握られてるのよ。あと、別にうちのサークル自体が無くなるわけじゃないからね?」
レイジの態度の変わりように呆れる椿姫。
水琴がレイジを連れてきた時も同じような遣り取りが行われたのである。いったいどんな弱みを握られているのだろうか。
「そればかりは椿姫ちゃんにも教えられませんわ――けれでもレイジ君が言ってもいいというのでしたら……」
「絶対ダメだ!!」
「男のくせにケチねー。まあいいわ、それも気になるけど今はそんな事よりもこれからどうするか決めないと」
そう、彼女たちは現在とある危機に直面していた。一人はいつも通りの落ち着き払った笑顔のままで、もう一人は相変わらず興味が無さそうな仏頂面であるが。
その危機とは簡単に言ってしまえば、今集まっている部室が取り上げられてしまうかどうかの瀬戸際なのである。
瑞原大学では規定さえ満たしていれば、あらゆるクラブ、サークル活動が認められているのは前述の通りなのだが、
部室を借りるためには更にいくつかの条件が必要になる。
その1つが、所属している部員の数である。
現在、彼女たちの人数は3人。欠席者等がいるわけでもなく、これで全員だ。
対して、部室を借りるための条件は最低5人以上の部員が必要なのである。
当然条件を満たさなくなってしまうと部室は取り上げられてしまう。もちろん、条件から外れると即取り上げられるというわけではなく、猶予期間があって、その猶予期間が終わるのが今月、すなわち6月末となっているのである。
椿姫としては、今の部室は先代の部長から受け継いだ思い出の場所であり、丁度よいサボリ場所――もとい居心地のいい場所であるため、何とか維持したいと思っているのだ。
……なのだが。
「つっても新歓の時期は過ぎちまったしなぁ」
「うっ」
「そうですわねぇ。もうこの時期ですと、大体の新入生はどこかに入ってしまったか、そもそも興味が無いかのどちらかですし」
「ううっ」
「そもそも宣伝したところで人が来るとは思えんな、ロクに活動してねえし」
「何かの活動をする部、というわけではありませんからね」
「うー!」
この有様である。
そもそも彼女達のサークル――瑞原文化研究会とは、その名の如く交易都市故に様々な文化が流入し、多様な変化を現在進行形で遂げている瑞原の文化を研究し世界の文化発展に貢献する。
――というお題目のもと、何か色々好きなことやって遊ぶだけのとても怠惰なサークルである。
対外的な活動といえば、年1回、瑞原祭の時に申し訳程度の研究発表をする程度で、在学生であってもその存在を知る者は稀である。
ただ意外と言うべきか、歴史は古く、100年近く昔から存在する無駄に伝統のある部でもある。
過去にも幾度となく今回のような危機があったようだが、全てギリギリで乗り越えて来たそうだ。
怠惰にかける人の情熱の為せる業ということなのだろう。どう考えても力の使いどころを間違えているが。
そのため、生徒には知名度がない一方、大学教務課の職員には、部室棟の一室に居座り続けるサボりサークルとして悪名を轟かせている。
余談だが、規則に煩いことで有名な教務課の筧氏は『今年こそ部室を取り上げてやる!』と息巻いているとかなんとか。
「そんな非建設的な意見は聞きたくないわ!もっとこう、プランBとか一発逆転満塁ホームランなアイデアとかないの!?」
「あ?ねえよ、んなもん。まあ現実的な意見を言えば、知り合いとか引っ張ってこれないのか?顔は広いだろ。俺はこっちに知り合いいないけど」
「無理ね。私の知り合いは殆ど年上ばっかりだし、心当たりはもう売約済」
「私の方も似たようなものですわねぇ。学外でしたらそれなりにいるのですが」
「いや、そっちは遠慮しておくわ……」
『水琴の知り合い』に該当する人々を思い浮かべてげんなりする椿姫。
そして、今更新しく入部する上級生もいないだろうし、新入生にしても既にどこかに入るか、部活動をする気が無いかのどちらかだろう。
新歓活動をまったくしなかった事を悔やんだところで、後の祭りである。
それからも会議は続いたが、決め手となるような案が出ることはなく、最終的に『とにかく引っ張り込めそうな人がいたら積極的に勧誘する』という無難な結論に落ち着いた。
一人は見るからにやる気が無さそうで、もう一人はいつも通りの笑顔で真剣なのかどうか分かりづらいのだが。
そんな2人を見てため息をつく椿姫であった。