#6 占いなんて信じない(敦彦)
僕にはテレビの占いが始まるタイミングで家を出るという習慣がある。
だがそれは、占いを見て、「よし、今日は一位だ。いいことあるに違いない」とか、「芳しくのない順位だったので今日は行動を自粛します」とか楽観や悲観を得てから家を出る、わけではなく、占いという文化が嫌いなので逃げるようにして家を出るのだ。
なぜ嫌いか――理由は簡単だ。そういった根拠のない情報に踊らされるのが苦手だからだ。その上、僕は意志薄弱である。絶対に信じまいと思っていても心のどこかで占いを信じてしまうといった軟弱な精神を持っている。だから占いが始まる前に家を出るのが得策なのだ。流されて行動の指針を定められるなんてたまったものではない。
未来などという見えもしないものにうつつを抜かして、行動の指針を定められるのはバカげている気がする。信じる信じない以前に嫌なのである。
占いを嫌うリアリストは女性に好かれない、というようなことを聞いたことがあるが、この場でならいくら申し立てたってかまわないだろう。
僕は占いが嫌いだ。
その中でも、血液型占いが特に嫌いだ。
A、B、O、AB、と始めから分類されている血液型で性格が決定されているという。A型は几帳面、B型はマイペース、O型は大雑把、AB型は天才気質というように――。
あれは、政府が国民をわかりやすく分類するためにとった政策なのではないか、と無粋な想像を膨らませてしまう。なんといったって、実際に血液型によって性格が決定しているとするならばつまらない。まるで世の中には四種類の人間しか存在していないと断定しているようなものだ。根拠がないにもほどがある。
ただひとつ、例外というか可能性はある。
それは生まれた瞬間に血液型通りの性格が決まっているのではなく、“血液型によって後天的に性格が決定される”という可能性だ。たとえば、まだ性格が未発達な段階で、A型の人はこうであるべきだといい聞かされ育ち、その通りの性格になってしまうというような場合だ。
女だから女の子らしく、男だから男の子らしくというように、まるでレシピ通りに人間が育成されていく。
そんなものは占いと呼ばない。
まるで暗示や催眠の類いじゃないか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなことを自室に置かれた大型テレビに目をやりながら考えていた。朝日の光が反射し、やや見づらくなった画面を何気なく見つめる。
『ごめんなさい~。今日の最下位は獅子座のあなた。大事なものが手元から零れ落ちていくかも。ラッキーアイテムはくじけぬこころ。では今日もこの辺で~♪ 今日も一日、学校やお仕事、頑張ってくださいね~♪』
占いの結果を映しだした画面の端っこで、ニュース番組のキャラクターがぶんぶんと手を振って視聴者を送り出していた。なにやら獅子座は最下位らしい。僕は獅子座だ。
「くじけぬこころってなんだよ……。あったら苦労しないっての」
心にもやもやとしたわだかまりを抱いて今日一日を過ごさなければならない。やはり占いが嫌いだ。
占いに嫌悪感を抱いている僕がどうして今現在占いを見ているのかといえば、今日は寝坊してしまったがために、家を出る時間が遅れているからだ。
外で奈緒が待っているのではないかと想像して、焦りながら支度を進めていった。
「ご主人様―。早く行かないと学校、遅刻しちゃいますよ!」
「わかってるって! というか誰のせいだと思ってるんだ!」
要領の悪い僕の自業自得ではある。だが、元をたどれば原因は沙夜にある。先刻まで昨夜の口づけについて、沙夜と喧嘩をしていたのだった。
「そんなことをいっている前にさっさと準備を……ひゃうッ!」
沙夜が言葉を全ていい切らないうちに勢いよくドアが開かれた。その拍子に沙夜は背中をノブに、後頭部をドアに打ちつけてしまう。勢いのまま前方へ倒れ、べちゃりとにぶい音を立てて壁に顔面を強打した。
空いたドアの隙間からひょこりと顔を覗かせたのは間宵だった。
「ちょっと、お兄ちゃん! 奈緒さんが待っているのにいつまで準備してんの!」
彼女はすでに制服に着替えていて、首回りには大きなヘッドフォンが垂れ下がっている。眠たそうな素振りを微塵も見せない晴れやかな顔色をしている。コンディション共々準備万端といった調子だ。兄とは違い、妹は朝に強い。
彼女は明日から入学ということになっているのだが、今日は説明会が催されるためにわざわざ学校まで行かなければならなかった。そして、奈緒の方も説明会に立ち会う必要があるらしかった。
だから本日は僕と間宵と奈緒の三人で一緒に登校することとなっていた。僕らがまだ、三人とも同じ中学校に通っていた時はそれが習慣づけられていたので久し振りではあるけれど、特別新鮮なことではない。
「勝手に部屋に入ってくるなよ」
「うわー。昔っから変わらない質素な部屋だねー」
間宵はきょろきょろともの珍しそうに僕の部屋を見渡していた。彼女がこの部屋に入ってくるのは何年ぶりのことだろうか。
「聞いてんのか。ノックぐらいしろって」
「いいじゃん。やましいものないんだし」
「お、お前が決めるなよ」
本当のところベッドの下にやましい書物があるのだが、口が裂けてもいえるはずがない。
襲いかかるドアの圧力に負けた沙夜は、夏の日に見かけるような干からびたミミズみたいになっていた――というのは誇張表現だが、僕にはそう見えた。
沙夜はしばらくの間、苦痛に呻いていた。突然、バッと起きあがり間宵をキッと睨みつける。
「ま、間宵さん! なにするんですか!」
「あはは、ごっめんごっめん。ちっこすぎて気が付かなかったのよ」
「む、むー、バカにしてますよね!」
しばらく生活を共にしてきた僕にはわかる。沙夜は今強がっている。
どうやら間宵への苦手意識が沙夜の心に芽生えつつあるようだった。間宵に怯えつつも舐められないように表情を引き締めて、必死に反論しているのだ。
沙夜は強がりだ。子どもは遊ぶのが仕事というように、沙夜は強がるのが仕事なのである。
「んー……。してるよ」
間宵があまりにもばっさりいい切ったので、沙夜が大きくひるんだ。
「はぅ!? してるんですか!」
「おい、うちの憑きものを脅かすのはやめろよ」
「冗談だって、冗談。ほら、学校行こう」
間宵に急かされて、僕らは家を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「まよちゃん、久しぶり!!」
僕らが家を出ると門前で待ち構えていた僕の幼馴染みである小早川奈緒が、間宵にもの凄まじい勢いで接近し、抱きついた。
「ほんと、無事に帰ってきたようで安心した!」
奈緒は間宵を抱きながら髪を撫でる。京子さん然り、ずいぶんとスキンシップが激しい。男の子と違って女の子は縄張り意識が低く、すぐくっつき合ったりするイメージがある。それとも、思わず抱きつきたくなる衝動に駆られるほどの愛くるしさが間宵にあるのだろうか。
やらしい気持ちを抜きにしても、女の子同士が抱き合ったりしている光景には、見ていて微笑ましいものがある。逆に男が男に抱きついたり、抱き合ったりするさまは見ていて忍びない気になるし、自分自身がしたいとも思わない。いや、これは偏見か?
「いいですよね~。お二人は仲良さげで~」
視線を落とせば、沙夜が門前でしゃがみこんでいた。
『なんだよ、お前。嫉妬してんのか?』
「い、いいえ、そういうわけではないのですけど~」
あからさまに拗ねている。一般人である奈緒の関心が憑きものに向けられることなどあるわけがないのだが、プライドの高い沙夜は間宵だけが特別扱いされているように感じるのだろう。
「ぶっぶー……。私に対して誰一人として関心を示してくれないのですよねー、はい。まぁ、どーせ私はしがない憑きものですから、当たり前なのですが、ちょっと寂しい気持ちもあるわけで……ぶつくさぶつくさ…………」
女性陣が集結する中、ひとりだけカヤの外である沙夜がかわいそうに思えてきた。まるで、クラスに溶け込めない我が子を見ている父親にでもなった気分だった。といっても、どうしてやることもできないのだが。
「な、奈緒さん。お久しぶりです。兄がお世話になってました」
間宵が奈緒の腕を振りほどいてぺこりと頭を下げた。
「全く、大変だったよ。あーちゃんが風邪引いた時なんて、お見舞いまでしてあげたんだからねー」
恩着せがましくいわれたことにむっとなったが、事実ではある。それにあの時彼女が家に来てくれなかったら、僕と沙夜との関係は取り返しのつかないことになっていたかもしれない。なにも抗弁が思いつかなかったので、「おい」とだけ返した。
間宵が意外そうに顔をしかめる。
「え? お兄ちゃん、風邪引いたことなんてほとんどなかったじゃん。学校休んだのも初めてなんじゃない? エンドオブ皆勤賞ってやつ?」
「うん。まぁ、色々あってだな」
「でもあれは仮病だったんじゃなかったっけ?」
奈緒が余計なことをいった。
「ま、まだ疑ってるのかよ」
「仮病……ねぇ」
と間宵は呟きながら、いぶかしげに僕と沙夜を交互に見回した。事情のことを知っている間宵は、おおよそのことを見抜いているのだろう。
「あはは、あーちゃんは演技が下手すぎるんだよ」
奈緒が笑うたびに髪が揺れ、柔らかなシャンプーの香りがただよった。
奈緒は昔、ベリーショートな髪型が特徴的な女の子だった。それゆえに男の子と見間違われることが多々あった。そんな彼女も陸上をやめたことをきっかけに髪を伸ばし始め、なおかつ、成長期を迎え身体の発育が進んだことにより、今やすっかり美人の仲間入りを果たしていた。
二か月前よりまた一段と伸びたショートヘアーが宙を泳ぐその光景には可憐さがあふれていて、思わず『僕の自慢の幼馴染みだ!』と大声で主張したくなる。
「それよりもまよちゃん。そっちの暮らしはどうだった?」
「暮らし始めのうちは結構大変でした。でも慣れればなんてことはないですよ。毎日が楽しくて仕方なかったです」
「そんなに楽しかったのかー。いいなー」
「そりゃ快適そのものでしたよ。なんせ、口やかましい兄がいなかったんで」
その点に関しても否定しようがない。なので、「おい」とだけいっておいた。
「アメリカかぁ……。私も行ってみたいなぁ……」
そういいながら奈緒は東の空を仰いだ。彼女の頭の中では広大なアメリカの地のイメージが繰り広げられているようで、長いまつげが乗っかった眸をキラキラと輝かせている。
「今度行ってみたらどうですか?」
「あー、むりむり。私、英語からっきしダメだからさ」
「いやー、意外とどうにかなるものですよ。わたしだって英語は苦手な方でしたけど、なんとかなりましたもん」
「うーん、そういうものなのかなー。じゃ、その時は案内よろしくね、まよちゃん」
「え……、あー、はい。もちろんです」
この時――。
なぜか間宵が言葉をいいよどんだように見えた。
ささいな戸惑いだったので、この時の僕は気にも留めなかった。
戸惑いの意味を知ったのは――ずっと先の話だ。
「ほら、そろそろ行こう」
再会の挨拶をその辺にして、僕らは駅までの道程を歩きだした。
普段奈緒の登校時間に合わせて学校に向かっている。なので、多少家を出るのが遅れたが、登校時間には大分余裕がある。いつもは駅に寄らず学校へ直接向かうのだが、今日ぐらいは二人を駅まで見送ってもいいだろう。
とはいうものの、中学時代を思いだし、懐かしさに身を任せたくなったというのが正直な気持ちである。
「ご主人様、この道通るのも久しぶりですね」と沙夜が懐かしげにあたりを見渡した。
『あー、そういえば、そうだな』と僕は“思い”で返す。
「なにこそこそとしてんのよ」と僕にだけ聞こえるような声量でぼそりとつぶやく間宵。
「日本の学校は初めてだ」と誰に向けてかアネモネ。
今現在、一般道に面した道を五人が横一列になって歩いている。奈緒を真ん中にはさんで僕ら兄妹が、そしてそれぞれの憑きものが僕らの両サイドにいる、という配列で並んでいた。
もちろん、五人のうち四人はその事実を視覚で認識している。事実をただひとりだけ知らない人物がいる。それは小早川奈緒だ。
まるで隠しごとをしているような気を起こし、彼女に申し訳なさを覚えたが、僕らだけに見えているこの事実を口で説明するのは容易なことではない。“見えている”僕ですら沙夜の言葉を疑ったのだから。
精神に異常を来たした人のように思われる危険性もあるので、明言しないようにしていた。
これまでだって、ずっと嘘をつき続けてきた。
斉藤家の二人にも、学校のクラスメイトにも、そして間宵にも――。
たった一度を除いて――。
――『僕には幽霊が見える』
あれは、黒い黒い歴史だ。