#4 寿司と間宵とアネモネと(敦彦)
「会いたかったわ! まよちゃん!」
どこか殺伐としている僕ら二人がいる一方で、斉藤京子さんはとても浮き浮きしていた。職場から家に帰ってくるや否や、間宵に駆けよって抱きよせた。
「きょ、京子さん。苦しいです。わたし、子供じゃないんですから」
京子さんの腕の中で間宵がもがく。
「あー、愛しのまよちゃん! ホントに立派になって!」
「そうですかね。えっへへ」
「よく帰って来たわー! すっごく心配してたんだからー!」
声をうわずらせながら頬をすりよせた。その無邪気さは彼女が三〇後半であることを連想させない。
「今日はお祝いしなきゃね。贅沢にお寿司でもとっちゃおうかしら♪」
さらに彼女は鼻歌を奏でながら、携帯電話をいじり始めた。まず見た目が若々しいので、ソファーに腰かけ携帯などいじられてしまえば、ますます年齢が不詳になる。
「ええ、そんなお構いなく」間宵が遠慮した。
「そうだよ、京子さん、構わなくたっていいよ」
といったのは僕だった。らしくなく京子さんに向け、ぶっきら棒にそういっていた。
「は?」
そんな態度が癪に障ったのか、間宵が僕を睨みつける。
「お兄ちゃんにそういわれると、わたし、なんだかとっても腹立たしいんだけど?」
「だって勝手に出てって勝手に帰ってきただけだろ。祝福する必要なんてないじゃないか」
どうしても間宵に対してつんけんしてしまう。
それは、多少なりともアネモネの影響があるのだが、彼はわれ関せずといった具合に、間宵の後ろでそっぽを向いていた。僕の憑きもの沙夜は僕らの喧嘩の仲裁に入ることもできず、ただただ、その場でおたおたしている。
「可愛い妹が無事に帰ってきたのよ、少しぐらい祝ってくれたっていいじゃない!」
「お前は投げたブーメランが返ってくるたびに『やった! 返ってきたぞ!』っていちいち祝福するのかよ」
「ブ、ブーメランって……、むぅ~! なによ、この変態ロリコンバカ男!」
「なんだと、この発情マセガキ女!」
互いが互いに罵声を浴びせながら睨みあった。
「なに? 早速兄弟げんか? 仲いいわね~」
そんな僕らを見て、京子さんはうっとりとしたようすで頬に手を当てた。ふたりが活力たっぷりに並んでいる姿を確認して、安心しているようだった。そのようすは、どこか誇らしげでもあった。
京子さんは昔から僕らが喧嘩している時、仲裁に入ろうとしない。いや、仲裁しないだけにはとどまらず、ふたりを喧嘩の渦中へと扇動し、状況を悪化させる事態さえもあった。レフェリーであるべき人が『ストップ』をさせぬまま『ゴー!』というのだ。
だけど、このように彼女が悠長に構えていられるのにも、きちんとした理由がある。
京子さんはわかっているのだ。僕と間宵はたったひとりの肉親であり、周りにいる人がなにもせずとも、自ずと元の鞘に収まるであろうということを――。
「ともかく、まよちゃんが帰ってきたんだし。奮発して極上のやつ頼むわね」
「いえいえ、そんな……。大丈夫ですって」
「そうですよ、京子さん。こんなやつに気を遣わなくたっていいですって」
「な、なによっ! この変態ロリコン、およびペド男っ!」
「なんだよっ! この発情マセガキ、すなわちニンフォマニア女っ!」
「ふふふ、仲がいいわね~」
などというやりとりをこの後、二三度繰り返す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
僕ら四人――憑きものを含めれば六人――はリビングに置かれた食卓を囲むようにして腰を下ろした。僕がキッチンから一番近い位置に座り、右隣に間宵、対面に武史さん、斜めに京子さんといった配置で座っている。僕の左隣に沙夜、間宵の右隣にアネモネ、とそれぞれの憑きものが地べたに腰を下ろしていた。
また、食卓の中央には大きな円型の寿司桶が堂々と君臨しており、四人で食べても食べきれないのではないか、と思しきほどの寿司が詰め込まれている。それだけ、京子さんは間宵を歓迎してくれているのだろう。
今までお目にかかったことのないほどの豪勢な寿司だった。見るからにネタは新鮮で、シャリが光っている。
『ご主人さま、これはなんでしょうか?』
僕が寿司に見惚れている時、沙夜が隣りからささやきかけてきた。僕らは“思い”で会話をする。
『あー。これは寿司っていってな、日本の伝統的な食べ物の一種だ。うまいんだぞ』
この “思い”は、京子さん、武史さんだけではなく、間宵やアネモネにまで伝わることはない。影で繋がっている僕だけに限り、この“思い”が聞こえるのだ。
『は~、寿司ですか。聞いたことあります』
『今は無理だけど、後でこっそり食べさせてやるよ』
『わー、楽しみに待ってますね、はい』
ご飯を与えられるのをしゃがんで待っている沙夜の姿は、さながらエサを待ち焦がれる犬のようだ。小さく首を振りそのイメージをかき消す。沙夜は決してペットではない。
「それにしても本当によく無事に帰ってきた」といったのは武史さんだ。
彼は京子さんの夫であり、僕らの父親代わりにあたる。
あごに髭をたくわえ、鋭い眼光で間宵を見据えている。古きよき父親を想像させるような厳然とした見た目だ。京子さんと同い年であるはずなのだが、彼は年齢よりもずっと老けて見える。
彼の職業は、幾度とない修羅場を潜りぬけてきた敏腕刑事だとか、泣く子も黙る極道の人間だとかを連想してしまうような見た目をしているが、実際はそのような発想は的外れで、某有名ゲームメーカーに勤めている。
「お父さん。ずっと心配してたのよ。わざわざアメリカの雑誌を購読するぐらいに」
「む、まあ、な」
「夜、寝言でまよちゃんの名前を呻いていた時もあったかしらね」
「あはは、ほんとですかー」
「そ、そんなことはどうでもいい。とにかく食べよう」
武史さんの一声を皮切りとして晩餐は始まった。
カンパイを終えると間宵が箸に手を付けた。そこに京子さんが忠言を加える。
「まよちゃん、ちゃんと『いただきます』っていわなきゃダメよ」
京子さんは基本的に寛容な人だが、礼儀、マナーに関してはえらく厳しい。
「あ、すみません。そうですよね。いただきます」
間宵はそのように慌てていった後、箸で寿司を掴む。
「きっとアメリカ行ってたから、感覚が鈍ってるんですよ」
と僕はいった。さり気ない発言のつもりだったのだが、妹が噛みついてきた。
「お兄ちゃん。それってどういう意味?」
間宵は刺々しくそういいながら斉藤家の方々の目を盗んで、箸でつまんでいた寿司を宙に放り投げた。ネタは脂の乗ったマグロだ。それをアネモネが上手く口でキャッチし、嚥下した。
まるでうちの憑きものは優秀でそんなことまでできるのだ、と見せつけているようだった。少々むっとなった。
「どういうこともなにも、言葉通りだ。アメリカには食物に感謝する、そういう風習がないんだろ」
こちらも負けじと沙夜の口に寿司をねじ込んだ。
「利いた風な口をきかないでよ。そういうの、偏見なんだけど……?」
アネモネの口に放り込む。
「偏見もなにも、事実そのままだろう」
沙夜の口にねじ込んだ。
「あのね、文化が違うだけなのよ。確かにアメリカでは食物に感謝をすることはしないわ。でもね、向こうの人たちは食物を与えてくださった神様に感謝するの。無知なお兄ちゃんは知らないかもしれないけどさ。向こうには向こうの文化があるのよ」
「ふぅん、そりゃご立派なことだな」
「なにその含みのある口調は。なんか文句でもあるわけ?」
この間、京子さんはずっと微笑ましそうだった。
ちなみにこの時一番そわそわしていたのは、厳然な面構えで手をこまねいている武史さんだ。彼の厳しそうな表情は見た目だけである。実際は呆れるほどに温和な人であり、今まで彼に叱られた経験は一度たりともない。それが父親として正しいあり方であるのかは知りかねるが、この人の優しさに答えようと頑張れる。僕ら兄妹はすべからくそう思っている。
「どうでもいいけど、あんたたちよく食べるわね~」
京子さんにいわれて気が付いた。多すぎると思っていた寿司桶の中身がほとんど空いていたのだ。四人で食事しているように見えて、実際は六人が食卓を囲っているのだから当たり前といえば当たり前だ。
「これはまた美味しいですね~。頬が落っこちてしまいそうです、はい」
などと恍惚とした顔でレポートしている沙夜。アネモネは、『ああ、うん』とうなっているだけだった。美味いのか不味いのかはっきりしない反応だ。感情表現が乏しいのか?
なんにせよ僕と間宵はむっと顔を見合わせた後、この時ばかりは、
「「育ち盛りですので」」
口をそろえていった。