#48 ちょっとだけずるい(敦彦)
『おめでと〜ございま〜す。今日の一位は獅子座のあなた。なにか良いことが起こるかもしれません。巡り合いを大切にしましょう。ラッキーアイテムは「かいうんのほん」です』
「開運の本って元も子もないな……」白い眼をテレビ画面に向けながら、僕はひとり言をこぼしていた。
普段は占いが始まるタイミングで家を出ている。なぜ占い嫌いの僕が、こんな平日の朝っぱらから占いを見ているのかといえば、昨日の疲れがたまっていたせいか、寝坊してしまったからだ。今日は月曜日。学校があるというのに、だ。
僕は占いが嫌いだ。なかでも血液型占いには並々ならない嫌悪感を抱いている。その考えは変わらないのだが、褒められて悪い気は起こさないものだ。獅子座の僕は良い結果を見て、少しだけ頬を緩ませてしまった。
手嶋が言っていたことは本当だった。結果がどうであれ、信じたいものだけを信じていればいい。その気持ちはなんとなくわかる。そうか、占いというのはそういうものなのだな――などとぼんやり考えながらズボンをはいた。すぐそばに沙夜がいるのにもかかわらず、パンツ一枚でいるのに抵抗をなくしているところは、おそらく危機感を覚えなければならない部類の変化なのだろう。
『では今日もこの辺で~♪ 今日も一日、学校やお仕事、頑張ってくださいね~♪』
ニュース番組のキャラクターが微笑ましい顔で送り出そうとしているが、僕の支度はまだ終わっていなかった。洗面台まで行き、無作為に散らばった寝癖をくしで梳かしながら、急いで歯を磨く。
「ご主人様。早く家を出ないと遅刻してしまいますよ!」リビングのドアが開いて、そこから沙夜が顔を覗かせた。
「ああ……」朝に弱い僕はロートーンで答えた。「お前、身体は大丈夫か?」
「ふふふん。おかげさまで」わけあって沙夜は上機嫌だった。洗顔を終えたばかりの僕よりもつやつやの顔をしている。
「ああ……そう。ならよかった」
リビングにいる京子さんに声をかけてから僕らは家を出た。「間宵のことよろしくお願いします」と告げると、「はいはーい、いってらっしゃい」と返ってきた。京子さんの笑顔は、いつも通りだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おっそいッ!!」
家を出ると、しかめ面の奈緒がいた。長い時間、待たせてしまったのだから彼女が怒っていても当然だ。月曜は待たせてばかりな気がする。
僕の顔を見て、しかめ面だったはずの奈緒の表情が瞬く間のうちに青ざめていく。
「あーちゃん。なんか顔色が優れてないよ! 大丈夫?」
間宵の騒動は先日のことだ。顔色が悪くなるほど疲れていて当たり前だった。京子さんや武史さんたちの前では、心配をかけないようにずっと強がっていた。それが幼馴染みを前にした途端、急激にたるんでしまったわけである。身体が脱力していく感覚を捉えながらも、背筋にぐっと力を入れなおし、しっかりと立つようにする。身体の節々が痛む。
奈緒が事情を説明しろというような眼差しを向けていたけれど、僕と間宵は生死の狭間を彷徨っていた、そんなこと告白する気にもなれなかったので、僕は嘘をいった。
「ああ……、間宵の風邪が移ったのかもしれない。お前も気をつけてくれ」
「え、まよちゃん風邪引いてるの?」
「うん。だから、しばらく学校休むことになるかもしれないって」
本当は大事をとって僕がむりに休ませたわけだけれど、表の世界では風邪を引いたことになっている。学校にもそう連絡し、京子さんと武史さんにもそう告げてある。ことの真相を知っているのは数人しかいない。きっと、それでいい。
「じゃあ、お見舞い行かなくちゃね」よーしと、奈緒は張り切っている。
「そうしてやってくれるか? あいつきっと喜ぶぞ」
こうなると僕の幼馴染みは本当に頼もしい。どれだけ元気をなくしていても、途端に元気づけてしまうのだから――。
「とにかく早く行こう。まずい……このままだと遅刻する!」
「もう、誰のせいでこんな時間だと思ってんの!」
『あの……』学校までの道程を歩む途中、沙夜に“思い”をかけられた。最近は奈緒と対話しながらでも、沙夜とのコミュニケーションを取れるようになってきた。
『ご主人様。アネモネさんは無事でしょうか?』
『あいつのことだ。きっと、大丈夫に違いない』
『間宵さんとアネモネさん。もう、一緒に暮らさないのでしょうか?』
『さあ、それは間宵が決めることだ。僕がとやかくいうことじゃない』
『えへへ……』
『なんだよ?』
『ご主人様、なんだかずいぶん寛容になりましたね。アネモネさんの顔を見るたびに目くじらを立ててたのに』
『寛容になったというか、どうだろう……気がついたんだ。兄ってのは妹を見守るのが役目なんじゃないかって』
……そうか。何気なく発した言葉が自分を納得させていた。
ずっと僕は悩み続けてきた。数歩先に進む間宵に嫉妬して、兄の威厳を保つために自分自身を偽ってきた。だが、よくよく考えれば、そんなことしなくともよかったのだ。兄であるこの僕は、大事な妹の行く末を見守っていればいいのか――。いつでも助けてやれるように、支えてやれるように、無理に追い越したりせず見守っているのも――一つの手だろう。
また一つ、決着がついた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
学校に着いた僕は、奈緒と別れてから校舎に入った。
「ねえねえ、ご主人様。学校の多目的室がこんなにたくさんある目的はなんですか?」
「はあ、なんだよ、急に」
「ねえねえ、ご主人様。なぜに数ある部活動の中で、野球部ばかりが脚光を浴びるのでしょう?」
「え、知らないよ」
「ねえねえ、ご主人様」
「なんだよ、さっきから!」
「ふふふ、えへへへ。呼んでみただけです、はい」やけに元気な沙夜が大変やかましい。
彼女がうざったいほど元気なのにも理由がある。白状すると昨日の夜、僕らはもう一度口づけを交わしている。なにを血迷ったのか、昨夜の僕は沙夜の要求を拒むことなく受け入れた。そこら辺のエピソードを割愛させていただいたのは、話していて気持ちのいいものではないからだ。少なくとも頑張ってくれたご褒美に、などという色魔じみた考えからの口づけではないということはいっておこう。
口やかましい沙夜をうまいこと無視しながら教室に入る。すると、「おーっす。あっちゃん」元気を満面に塗りたくったような顔をした坂土泰誠が僕に話しかけてきた。みんなどうしてこんなにも元気なのだろう。
「おはよ……」自分のことながら、返答に元気がなかったように思う。
席についてすぐに、僕は机に身を任せて脱力した。
「ああ……月曜日だ……」
「なにをそんなげんなりしてるんだよ?」不思議そうな顔をして泰誠が訊く。
「げんなりするのは当たり前だろ……」僕は泰誠の顔を正面から捉えながら、低い声でいった。「……今日は七限授業だ」
僕らの高校では、月曜の授業は七限まであるのだった。くたくたの身体に追い打ちをかけるように億劫なオプションが付属した。早く家に帰って休みたい。月曜日がなくなってしまえばいいのにと何度も思うのだが、月曜日が本当に消滅したとしても、どうせ今度は火曜が嫌いになることは目に見えている。安直な発想だということに、僕は気づいている。けれど、悩める高校生ならば誰だって一度は考えを巡らせたことのあるテーマなはずだ。
「そろそろ彼女が来るぜ。俺は女神様の顔を拝めるならば、授業大歓迎だぜ。七限授業なんてなんのそのだっての!」
「……え、女神?」
「ばか、なにいってんだ! 我らの担任教師様のことだよ!」
――ああ、マリア・フランクリンのことか。
マリア・フランクリンの裏の顔を知らない者たちは皆々一同が女神だ、天女だ、などと崇め讃える。しかし彼女は――。
外国人でもなんでもなく、大榎悠子という名の日本人であり、とても女神や天女とはいえない性格の持ち主だ。憑きもの殺しの彼女はどちらかといえば悪魔じみている。それにマリア・フランクリンという女性は別にいたのだ。――なんてことは、ここにいる人たちは一生涯知ることはないのだろう。それもまた、きっとこのままでいい。
「おはよ〜。あっちゃんくん。調子悪いの?」手嶋美代子が僕らの会話に入ってきた。いつも通り、長すぎもせず短すぎもしない、ぴったり膝丈で切りそろえられたスカートを着用している。
「おはよ……。朝と月曜日に弱いだけだから、気にしないでくれ」
「『序盤に弱い人間は、終盤で予期せぬ力を発揮するものなのだ』」
「えと……。それは誰の言葉?」
「私の言葉だよ。ばーい、手嶋美代子」
このクラスでの手嶋の人気はやはり高く、僕らが話している間どこからともなく、刺々しい視線がまんべんなく僕の身体に突き刺さる。そういうことで優越感に浸れるような性質を持ち合わせていないので、周りの視線がただひたすらに気味が悪かった。
「まあ、たしかにね。月曜日からいきなり七限授業はさすがにつらいよね」
「かの品行方正の権化である手嶋美代子でもつらいのか?」
「当たり前だよ。これをつらく感じない人はちょっと異常だね」
予鈴が鳴ると同時に、がらりとドアが開いた。教室に女神がご光臨されなさったのだ。
「はーい、みなさーん席についてくださいネー!」
たいへん演技臭い片言の号令によって、生徒たちは散り散りにそれぞれの自席についた。新学年を迎えてから、まだ席替えをしていないので、席の配列は五十音順のままだ。僕の前席には手島美代子が座った。
ピンク色のスーツを身にまとった表の世界の彼女は、いつも通り元気溌剌といった顔色をしている。昨日あれだけのことがあったというのに、一切の疲労感を表情に出さない。プライベートを仕事場に持ち込まない、元々、教師というのはそういう職業か。ほとほと不遇であると思う。そして、毎度のことながら彼女が入ってくるとどうしてだか、「おはようございます!」ではなく拍手喝采と共に、「おぉぉおおおおお!」といった凄まじい歓声が巻き上がる。
僕は周りのクラスメイトの驚喜具合にやや呆れながら、教卓まで歩いていく大榎悠子の姿を目で追った。彼女の後ろには平常通り、犬神憑きのあずきがいて、後ろに続くもう一人分の影が――。
僕は思わず、前のめりになっていた。
もう一人? 誰だ? 転校生か?
机に腹ばいになって、よく見やる。
「グッモーニーン! 今日からまた一週間が始まるけど元気よっく、学校生活を満喫しましょウ!」
いや、転校生ではない。
もっといえば、人間ですらない。
人をよせつけない慧眼にシトロンイエローの逆立った髪。外国かぶれの服装に褐色の肌。その男に見覚えがあった。彼の容姿を確認すると、僕の身体に弾け出んばかりの衝撃が走った。その喜びのあまり、高らかに拳を振り上げそうになったが、クラスメイトに不審に思われてしまわないよう、ここは我慢しておくことにした。気を抜けば笑みがこぼれそうになる。必死に堪えて堪えて、ひたすらに胸の中だけで喝采を上げた。隣にいる沙夜だけが喜びを露わにした顔で叫ぶ。
「アネモネさんッ!」
――憑きものはこういう時、ちょっとだけずるい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一限から四限まで、つまりは前半戦を終えて、ようやく昼休みを迎えた。僕は昼食に買ったクリームパンをかじりながら、屋上へ続く階段を歩いていく。普段、屋上は週末のランチタイムだとか、文化祭や体育祭だとかいった特別な日にしか開放されることはないが、今日は開いていた。というよりも南京錠が取りつけてあるはずのドアが蹴り破られていた。きっと、あいつがやったのだろうと呆れながら、僕は歩みを進める。
外の空気は温かかった。陽気な太陽に容赦なく照りつけられ暑いくらいだ。もうそろそろ、学ランをクリーニングに出し、合服に衣替えするべきかもしれない。
前方には陽光に照らされる憑きものの姿があった。風が吹き抜けるとシトロンイエローの髪が形を崩したが、すぐに元の形状に戻る。
「やっぱりここにいたか」その男の後ろ姿に語りかける。「だからいったろ? ここからの眺めは悪くないって」
僕の存在にすでに気づいていたといわんばかりに、徐に振り返った彼は、鉄柵を背中においてから太々しくほくそ笑んだ。
「ああ、あの家よりも高い。嫌いではない景色だ」
素直じゃないやつ。相も変わらず嫌なやつだ。僕はアネモネの隣に立つ。
「あの憑きものはどうした?」
アネモネに問いかけられた僕は、“思い”で会話するのが面倒だったので、周りの目を気にしてから返答する。「あいつは僕のクラスメイトたちのポーカーを観戦するのに夢中になってる。だから置いてきた」
「あの憑きものは相変わらず能天気なんだな」
「まあな」僕は鉄柵に背を預けた。「それよりも……間宵のことはもういいのか?」
「いいもなにも、あいつに憑いていた死神憑きはすでに落ちた。俺はお役御免だ」
堅物な憑きものであるアネモネは鹿爪らしくそう答えた。どうにも会話が要領を得ない。
「いや、そういうんじゃなくてさ」と断ってから、二三度頭を掻き、迷った挙句、「お前、うちの妹に恋してんだろ?」単刀直入に訊ねてみた。
あまり話題にあげたくのない内容だったのだが、聞かずにはいられなかった。
「……莫迦なことをいうな。そんなわけが……」
彼の表情を見て、僕は大声で笑ってしまった。
「……なにがおかしい?」
「はは、いや、お前もそんな顔するんだなって」
僕が妹のことを口にした瞬間、アネモネは唇を尖らせて、まるで拗ねた子どものような顔をしていたのだ。
「心外だな……」
冷めた口調のままぷいとそっぽを向いて、アネモネはグラウンドに目を向ける。グラウンドでは短い昼休みを利用して、部活動が練習している。それぞれ大会が近いのだろう。テニス部やチアガール部がチラリズムをしているわけではない。ラグビー部や野球部などのむさくるしい男子生徒がえっさこっさと練習している風景でしかない。見ていてなにが楽しいのか、僕にはさっぱりわからない。こんな情景から楽しさを見出せるほど、それほどまでに人間を観察するのが好きだということか――。
「……今度さ、うちに遊びにこいよ」僕はなんとなくそんなことを口にしていた。発言した後に我ながらナイスなアイデアだと思った。しかし、アネモネは沈んだ顔をしている。
「……今さら、行けると思うか? 俺はこの事件の発端だ。あいつに合わせる顔なんてない」
「そんなことないさ」
鉄柵に両肘を載せて僕は空を仰いだ。台風が通り過ぎたばかりの天気のような、清らかな青に澄みきった空だった。
「あいつもきっとお前に感謝しているんだと思う。その気持ちをうまく伝えられないのは、あいつが不器用なだけだ」続けて、「間宵はな、僕と似て偏屈な性格をしてるんだよ」といい、笑ってやった。
アネモネは、「考えておく」とだけ言葉を残してこの場を立ち去った。その語調はどこか朗らかだったように思えた。
一人残された僕はそのまま、屋上から校庭の景観を見渡した。すると花壇の手入れを施す公務員のおじさんが、こちらに目を向けてきたような気がしたので、臆病な僕は慌てて校舎に戻ることにした。階段をおりている間、いろいろな想像が頭を巡り、なんだか嬉しくて仕方がなかった。
僕と間宵。落ち着いて観察すれば、共通点はいっぱいあった。
似ている似ていないに、成績の良し悪しや身体能力などは関係ない。そんなものは表面上にあとから作りあげたものでしかない。もちろん、それらの努力や実力は認められることであり、嫉妬してしまうこともあるだろうけれど、今は大分割り切れるようになった。
藤堂間宵はどうしようもなく不器用だ。ばかばかしいほど強がりで、問題ごとを一人で背負い込もうとする意地っ張りな性格の持ち主だ。そして、憑きものを大事に思える憑きもの筋なのである。
僕らは本質が似ている。型は違えど、きちんと同じ血が流れている。それほど快いことは他にない。僕ら兄妹は本当に似ていると思う。
ただ、そのことに気がつかないくらいに、どうしようもなく、僕が不器用だっただけだ。
つまるところ――それだけのことに過ぎない。
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