#45 断末魔の余韻(敦彦)
ついに――。
――恐れていた事態が起こった。起きてしまった。
僕らのタオの弱点を悪魔憑きに看破されてしまったのか、それは定かではないが、結果的に死神憑きが四方八方からの総攻撃をしかけてきたのだ。
死神憑きの思惑通り、逃げ場も防げる手段もない僕らには、それぞれが後ずさるようにして一点に集まることしかできなかった。完全に包囲されている。視線を走らせ逃げ道を探したが、先ほどアネモネが逃げた隙間はとっくに塞がれていた。
「沙夜……防げないのか……」僕はすがるような声で問いかける。
「む、無理です! 妖力には問題はありません! で、ですが、私の道では前方からの攻撃しか防ぐことができません!」
「万事休すね……」大榎がそっと呟いた。プロの憑きもの殺しであれど、この事態には諦めを悟ったようだった。
「やけに冷静ですね……。過去にお亡くなりになられた経験はあるのですか?」我ながらつまらないと思いながらも、皮肉をいってみる。
「まさか、死ぬのは初めてのことよ、ちょっとだけ面白そうね」
これだけの窮地に追い込まれても、遊園地のアトラクションに乗る子どものように、本当に面白そうにしているので驚いた。どんどん眩しさが増していく。
「そんな……。諦めないでください。この世に未練はないんですか……?」
「ばかいわないで。あるに決まってるじゃない」大榎は眉間にしわを寄せた。「唯一の未練はあなたたちと一緒に死ぬことかしら?」
「はは、ご冗談を……」
思わず失笑が漏れていた。自暴自棄に陥っているのかもしれなかった。残された希望は、包囲の外にいるアネモネが死神憑きの道を中断させてくれることのみだ。しかし、包囲から逃れたアネモネに視線を投じると、先ほどの傷が重症なのか、彼はうずくまった姿勢で動きを止めていた。死神憑きに向かっていく体力はなさそうだった。
「三秒間だけ時間を差しあげましょう」と死神憑きが宣告した。彼女は勝ち誇った顔をしている。
残された時間はたったの三秒……。もはや未練を断ち切る時間すら残されていない。
死ぬ。みんな死ぬ。
焦りが頭を駆け巡る。
三秒。かきみだす。
……もう……終わりだ。
これで、僕らの努力は――。
積み重ねてきた日常は――。
経験は――、経緯は――、希望は――。
全部が泡となって消え失せる。
「3……」
……わかっていた。沙夜と出会ってから色々なことを学び、挑戦するようになった。けれどそれは結局、ことが起こるまでの自己満足、一時的な充足に過ぎなかったのだろう。そしてなにかが始まれば、無力な僕にはただ傍観していることしかできない。なにもできずに手を拱いているだけ。僕には妹は救えない。それどころか沙夜も護れない。だけど――。
「ご主人……さま……」こちらを向いた沙夜は、青白い顔をして涙ぐんでいる。
嫌だ! 諦められるわけがないじゃないか!
考えろ。考えろ。考えろ……。
どうすればいい……。どうすればいいんだ……。
「2……」
カウントが減った。焦りのあまり、ずたずたに心が引き裂かれそうだ。死神憑きはそんな僕らを見て、喜んでいるのだろうか。気を抜けば、頭の中が怒りや諦めの色に染まってしまう。必死な思いで冷静な思考を繋ぎとめて、僕は考えを巡らせた。
もう、あの日の夜のように奇跡を待つしかないのか――。
なにもできずに――。無力さを痛感させられながら――。
ふざけるな! そんなのは嫌だ!
思考を停止させるな! 考えろ!
くそ! なにか策があるはずだ!
――『横幅は両手いっぱい伸ばせたところまで、なので、大体二メートルほどです。縦は妖力を注げば、いくらでもいけると思います、はい』
やはりここは沙夜の道。彼女の力に頼るしかない。それ以外に方法はないだろう。しかし、以前彼女がいっていたように守護の結界を円型に形成することはできない。同時に複数個形成して一斉に防ぐことも考えたが、一度に一つしか形成できない。それでも、ポテンシャルの高い沙夜だったら、他の手段でなにかできることがあるかもしれない。
――『壁というよりも、そうですね……、毛布を広げている感覚に近いです』
なにかできること? 漠然と思いを巡らせた。考えろ。考えろ。僕は目を瞑り、とりとめのない記憶から、役に立ちそうな記憶を峻別していく。
――『あ、そーだ! ご主人様、今度私に料理教えてくださいよ』
――『はは、お前が料理?』
――『いいじゃないですか。自炊というやつです、はい』
「1……」
頭の中でくだらない映像がぐるぐる巡る。なにごともない日常の記憶ばかりが――。
――『あの奇態な動きからこのような味が出せるとは、ある意味、天才的だな……』
――『私としてはもっと綺麗なものを作りたいんですが……』
今の沙夜にできて、昔の沙夜にできなかったこと。
なにかが僕の頭をかすめた。
そうだ……。そうか……。ある発想がよぎり、僕の頬に一筋の汗が滴った。こんなことが……成功するとは限らない。いや、“失敗してもらわないと”困る。やらないよりはましだ。唾を呑み込む。どの道、このままでは助からない。ならば、賭けに出るしかないのかもしれない。後悔だけはしたくない。伝えなくては、沙夜に僕の考えを……。「沙……夜……」なのに……、それなのに……、焦りのあまりに身体中に緊張が張り詰め、思うように声が出てこない。まずい……。まずい……。
「ぜーろ……」
……もう、時間が。落ち着け。落ち着けよ。僕は沙夜の腕をつかんで引き、彼女の身体を強引に抱きよせた。死ぬか生きるかという瀬戸際ではまともな思考が働かない。腕が、足が、喉が、全身が、震える。
「残念です。ここまでボクが本気になったのは久しぶりでしたのに……がっかりです」
僕の焦りはついに頂点に達した。鼓動の音が騒がしい。
もう――僕の着想を沙夜に事細かく伝えている時間はない。だから――。
沙夜の耳もと――たった一言だけ――ささやいた。
「……たまご焼きだ」
沙夜の身体がぴくりと動いた。
僕は沙夜の首回りに腕を回して、沙夜とさらに身体を密着させる。
緊張だとか色々あるけれど、恥じらっている場合ではない。
そんなくだらない感情なんて――今は全て後回しだ。
「……死んじゃえ」冷淡な死神憑きの声が小さく聞こえた。
六本の槍がまばゆく輝いた。
一斉に攻撃が発射される。
寸前のところで――
――沙夜にありったけの妖力を注ぐ。
「うう……ああああッ!」堪えきれないほどの激しい頭痛がする。
「ああああああああッ!」
痛みにふらつきながら、それでも――沙夜の身体をしっかりと掴んだ。沙夜が光の壁を地面に向けて作りだした。それはフライパンに収まったたまごのように、平たく撫でらかに形成された。そして、沙夜が身体を大きく仰け反らせる。
――ちゃんと“失敗”した。
できあがった光の壁が空中で一回転し、僕らの頭上を泳ぐ。僕は急いで身をかがませた。その動作ついでに大榎の頭をつかんで身を低くさせる。もとから背丈の低いあずきは屈む必要はないだろう。毛布のように柔らかい守護の光は屈折し、かまくらのようなドーム型となり、僕らの姿を包み込んだ。
その瞬間――爆裂音が鳴り響き、激しく揺れ動きながら地面が割れた。僕らの周り、円を描くようにして地面が抉れていく。その規模は尋常ならぬものであり、身体を動かすことが一切できなかった。足元に熱気が通り過ぎる。燃えるように熱い。地面が鳴動する。あまりの熱気に視界がぼやける。腕に切り傷がつく。駄目か……。僕は目を瞑る。
振動がやむ。僕はゆっくりと目を開いた。腕に負った僅かな裂傷、足首の軽い火傷、それを除けば――
僕ら三人と一匹の身体に――
――外傷はなかった。
「なッ!」そして――死神憑きがたじろいだのが見えた。「……や……やるじゃないですか。下級の憑きものと人間のくせに……」こめかみを抑えて、困惑した表情を浮かべる。この時になって初めて、死神憑きの顔に疲労の色が浮かんだ。「いつまでも、いつまでも……いつまでも、死なないなんて……」
今の一撃でとどめを仕掛けにきたのだろう。僕らが生きていたことが、よほど予想外だったようだ。それほどの攻撃だったことはたしかだ。だけど、それが勝敗をわかつ鍵になった。結果――致命的なすきが生まれた。
「よくやった。藤堂敦彦!」そのタイミングを逃ずまいとするようにして、「やっと焦りを見せたわね……!」真っ黒な影が軽やかに蠢く。それは目にもとまらぬスピードで駆け抜け――。
犬神憑きが――喰った。
後退った――死神憑きを。
「あぎゃぁああああああああああああああッ!!!!」
あずきに噛まれた死神憑きは苦しそうにもがき、蠢き、身じろいで、悲痛な叫び声を上げる。少女の胴体に牙が食い込み、肉を引き裂く。小さな身体のどこに詰まっていたのかも想像がつかない量の血の雨が降りしきる。その数滴が僕の頬にかかった。生ぬるい液体だった。
あずきが放つ攻撃はやまない。死神憑きの口から発された、この世のものとは思えない絶叫が大榎邸に響き渡る。
「ふ、ふ、ぬぐぅ……ぐぁ……ぎゃぁあああああああああッッ!!」
あずきが至近距離で道を放つ。
何度も――。何度も――。
連続して――。連続して――。
打つ。打つ。放つ――。
これだけの攻撃を浴びれば、死神憑きであっても、もう立ち上がれないだろう。僕らは死神憑きに勝てる。勝てるのに――。
「……なんだ?」
なんだろう、この感情は――。
湧きあがってくる内なる感情に激しく戸惑った。
「なんだ……よ。なんなんだよ……くそ!」
なぜだろう、物凄く――痛い。
「お、大榎さんッ! もういいッ!」気がつけば、僕は思いきり叫んでいた。喉が張り裂けんばかりの声量で叫ぶ。「もうやめてくださいッ!」一日中慣れない大声を出し続けていたせいか、喉に痛みが走る。それでも、声がしわがれるほど何度も叫んだ。
「ご主人……様……?」沙夜が心配そうな顔をして、こちらに向く。それすらも気にも止めずに、僕は叫び声を上げ続けた。
「……もう……そいつは……間宵に危害を加えたりしないッ! だから……だから殺さなくたっていいはずだッ!」
しかし、大榎の目から憎悪が消えない。憎しみを孕んだ眸のまま、死神憑きを攻撃し続ける。
何度も――、何度も――、何度も――。
「もう……やめてください……ッ!」
僕はどうしていいのかわからなくなった。知らず知らずに手を祈るような形で握っていた。奥歯を食いしばっていても、内面からこみ上げてくる不安に身体の震えはとまらない。もちろん、大榎の攻撃を止める筋合いなんてないのだ。油断をすれば死神憑きに寝首を掻かれてしまう可能性だってある。先ほどの事例のように、これほどの攻撃を食らってもけろりとしている可能性だってある。ここで、こいつを仕留め切らなければ、たくさんの人を巻き込む恐れだってある。
だけど――ここで死神憑きを殺してしまうのは――違う。僕の中の大切ななにかが壊れてしまう。やっぱりだめだ。死神憑きが攻撃から逃れようともがく。死んでいく。死んで――……。
「やめ……」
僕の発した小さな声をかき消すように、大榎が怒鳴った。
「消えろッ!」
あずきの牙によって、死神憑きの身体が二つに引きちぎれた。
「こんなの……契約、違反じゃねえですか……」
二つに分裂した死神憑きが悲鳴のような声を上げる。僕は目を背けたかった。けれど、しっかり見届けることにする。死神憑きが送る末路を――。彼女がまき散らす人間のそれと変わらない血液を見る。括目する。死神憑きは、苦しみ、悶え、泡だらけになった口元で必死に叫んだ。
「ひぐぁ……。んぐ、んがぁああ。そんなの……ずるい、じゃねえですか……。人の命を奪って、なにがいけねえんです。ボク、……ボクにだって生きる権利はあるはずです……。それを無視していいと思っているんですか! 憑きもの殺しッ!」
これは彼女の命乞いではなく、心の叫びだ。
「があ……。ボクは……生ぎだいわけじゃない! 生ぎる以外に目的がない。この世の中に生まれた以上、生きるじかねえッ! ボクの方が生に近がった! なのに、どうしてだッ! どうして赦されない! 自惚れるな! 自惚れるなよ、人間どもッ!」
憑きものは死人の魂でもなんでもない。“生きるもの”だ。“生きるものが生きる権利を主張している”。
“生きているもの”を殺すから、こんな気持ちがわきあがるのではない。
人の形をした“生きもの”を殺すから、罪悪感がわくのではない。
この激情はもっと深く、そして残酷なものだ。
そういえば――僕が妹の生きる権利を訴えた時、死神憑きはいった。
――『誰にだってある。……本当にそうでしょうか?』
それは彼女が発した彼女自身への問いかけだったのかもしれない。
――『悪魔憑きだから悪魔らしくというように』
死神憑きは、あくまで死神らしく生きていただけだ。呪われていたのは間宵だけではなく、生き方を定められて生きてきた死神憑きも同様に呪われていたのかもしれない。ずっと死神憑きとして生きてきた彼女は、突然の優しさに怯え、状況に適応するために殻を破った。
――『憑きものの性質なんてのは人間が勝手に決めたものでしょう。ボクはそれに従うつもりはありません』
つまり、“アネモネとは違う形で”死神憑きとしての殻を破ったのではないだろうか。だから――死神憑きでありながら、大勢の人間を殺した。
――『あの人がいなかったら、ボクは今頃、此処にはいません。“だからこそ”……邪魔だったんですよ』
嫉妬していたのだろうか、敬愛するマリア・フランクリンという女性に――。
だけど、結局――。死神憑きの殻を破ったことによって、死の歯車に巻き込まれたかのように――僕らに殺される。
なら、彼女たちにとって、“生きる”とはどういうことなんだろう――。
そのすべてが、命運が、“生まれ”で決まってしまうのか――。
生まれながらにして殺される運命を背負うのか――。
もしも、本当にそうだというのなら――。
――それは、酷く空しい。
消えていく死神憑きに向けて、大榎悠子がつぶやいた。
「残念ね……。あなたが死神憑きである限り、生きる権利は永遠にない……」
そのセリフは拡散して、僕の心に波紋を残した。消えゆく死神憑きの姿は、空しさを振りまきながら曇っていく空のようだった。
「そんなのっ……てない……よ……」
そして、死神憑きは――。
儚い断末魔の余韻を残して、霧消した。
頬に伝う冷たい感触を捉えながら、僕は空を仰いでいることしかできないでいた。
次回 ▷ #46 とっておきの道(敦彦)
日時 ▷ 明日か明後日の夜
残り五話あります。バトル系の小説ではないので。
10幕 死闘の噺 終了
終幕 決別の噺 続




