#44 槍の包囲(敦彦)
「俺が奴を引きつける! そのすきにお前らは奥へ逃げろ!」
アネモネが死神憑きに向かっていった。しかし、彼の力は死神憑きの戦闘能力の足元にも及ばないはずだ。アネモネのことが気にかかる。
「わかった……ただ、無茶はするな……。お前が死んだら……」
「わかっているッ! さっさと行け!」真剣な表情、意識は死神憑きに注がれている。見ているだけで緊張が感染しそうだ。
彼の指示に従って、間宵を抱きかかえて僕は屋敷へ駆け出す。「こっちへきなさい!」大榎に手を引かれて、屋敷の奥へ奥へと逃げていく。薄暗い一室で一度落ち着いた。それからしばらくして、傷を負ったアネモネが僕らのもとに戻ってきた。彼の腹部から血が滴っている。
「おい、その傷。大丈夫か?」
「問題ない……」険しい顔のままだ。「なんとか死神憑きを巻いてきた。その間に体勢を立て直すぞ」アネモネは僕のとなりに腰をおろした。
身を伏せ、息を殺す。時おり、屋敷全体を揺らす震動がびりびりと肌に伝う。痺れを切らした死神憑きの攻撃が、闇雲に投じられているのだろう。
「ふふ、好き勝手に道をぶっ放してくれてありがたいわね。バカみたいに屋敷が壊れていくわ。……どうせ、もとはうざったい連中の持ち物だったわけだし、この屋敷が壊れたところでせいせいするだけだけれど」
「お、大榎さん。なんかやさぐれてません?」
大榎は勢いよくこちらへ振り向き、目を細めて笑った。「ピンチね。あらあら、さてさて、どうしましょうか? 万策は尽きたわ。あとはあれの燃料切れを狙うしかなさそう……」
「あいつの妖力が切れることなんてあるんですか」
「もとは藤堂間宵の妖力なんだもの。どれだけ吸い取って出てきたのか知らないけれど、そりゃまあ限界があるわ。そんなに長くは持たないはずよ」
「だから、このまま少しずつ消費させていって――」沙夜が口を開く。
「そう。あとは――いつまで、うまく立ち回れるか……ね」小さな希望をちらつかせたのちに、意味ありげなことを大榎はいった。「それに時間が立てば、いいこともあるわよ」
「いいこと?」僕は訊ねた。
「あたしの怒りのボルテージがますます上がる」彼女は目に憎しみを溜め込んだまま、口元を小さく歪ませた。先ほど攻撃をしたせいか、顔の色調が薄い。さすがの大榎も疲れているらしい。
「アネモネ。たしかに間宵はあいつに殺されたんだな」
「ああ……」アネモネは短く返答した。
「そうか……くそ、あいつ。間宵の命を奪っておいて、よく生きる権利がないなんていえたな……」
「ちょっと、静かになさい……」大榎が人差し指を突き立て、無声音を鳴らす。
しんと沈黙が流れる。じっと息を止めた。不気味なほど静かだ。死神憑きが攻撃してくる気配はない。まだしばらくはここにいても大丈夫そうだ。
……いや、そうじゃない。先ほどまで鳴り続けていた屋敷を破壊する震動が“やんでいる”のだ。代わりに小さく聞こえてくるのは、どこか遠くの障子が開かれる音だけだった。障子がすーと開かれ、しゃんと閉じられる音が僕の鼓膜に連続して届いた。
「あいつ、順々に僕らを探しているのか……?」潜めた声で僕はつぶやいた。
「このまま攻撃し続けていても、埒が明かないと思ったのでしょう。あいつの力を持ってすれば、この屋敷を一気に焼き払うこともできるけれど、手違いで藤堂間宵を殺したら元も子もないでしょうからね。あの鎌で切らなくちゃ妖力は吸い取れないもの……」
「なんとかして、逃げ切らなく……」僕は腰をあげたが、その動作を大榎が静止させた。
「それじゃ、だめよ。今は逃げているけれど、いずれは向かい立たなくちゃ。逃げ切るんじゃないの。なんとしてもここで処理しないと、あとで大変なことになる。あの注連縄なんて大した役に立たないわ」
そうだった。僕らが逃げ延びたところで、万事解決とはならない。死神憑きをこの屋敷から外に出すわけにはいかない。
「そう……か」僕は腰をおろして、息を吐き出した。
「だからいったじゃない。死神憑きはへたに挑発しちゃいけない代物だったのよ」僕の顔を見やると、ふうと溜息を吐いた。「なに今さら泣きそうな顔してるの。とにもかくにも、あたしたちがどうにかするしかない……」
「ご主人様……。ここはもう……真っ向から……向かい立つしか……」沙夜が言葉をいい切らないうちに――。
「ねえ……小娘憑き、真っ向から、なんだって?……」
ぞくりと身体が反応した。どこからか――あいつの声が聞こえた。
その声は部屋中に響いたために、音源が特定できなかった。僕はあたりを見渡す。死神憑きの姿は見つからない。どこにもいない。少なくともこの部屋の中にはいない。ならば、どこに……。
「ここですよ……」
隣の部屋をつなぐ障子が破られ、そこから飛び出してきたのは黒い鎌だった。障子を粉みじんに切り裂きつつ、「ひ、ぁあああああ!」鎌は――沙夜の身体を貫いた。
「沙夜……?」
血が飛び散って、畳を赤く染める。彼女の血が……。
なのに、それでも、恐怖で足が竦んでしまって動けなかった。
「……お……おい! 沙夜ッ!」
ひるんだ僕を見据えながら、死神憑きは物々しくいう。
「まずは、一匹……」
鎌の先端にはぐったりと力をなくした沙夜の姿があった。服の一部が引っ掛けられているのだ。彼女の胸元から指先へ滴る血液が、恐怖を鮮明なものへ変えていく。「う、うわぁああああああああッ!」僕は恐ろしさのあまりに絶叫を上げてしまった。
沙夜が死ぬ……。死ぬ。死ぬ。殺される。沙夜だけではなく、自分だけではなく、この場にいる全員が……、この町に住む全員が……、みんな死ぬ。
取り乱した僕の頬を大榎が二度ぶった。
「落ち着きなさい、藤堂敦彦……。“あれ”があるんだから。小娘憑きのことなら大丈夫でしょ」
「でも……このままじゃ!」たしかに僕らには“あれ”がある。しかし沙夜の身体は今、死神憑きの鎌にぶら下がっている。早く沙夜のもとへいかなくては、沙夜が生き絶えてしまう。もし、そうなった場合でも、道が効力を発揮するとは僕にはとても思えなかった。
「あの小娘憑きの身体を取り戻せばいいんだなッ!」アネモネが勢いよく飛び出した。「俺がなんとかする!」すでに満身創痍だというのに彼は機敏な動きを見せる。
「ち、またあなたですか!」死神憑きは片手で対応しようとするが、鎌に沙夜を引っかけたままでは高速で動くアネモネの攻撃を捉えきれていなかった。アネモネの攻撃によって、鎌から沙夜の身体が外れ、そのまま宙に浮く。「やむ終えねえです! その死に損ないは返してあげましょう!」
「い、あ……」沙夜の身体が死神憑きの足元に転がった。僕は勇を鼓して、彼女の間近まで迫った。沙夜の身体を両腕で支える。
「ごしゅ……じんさま……」
「沙夜……。大丈夫だ。じっとしていろ」
沙夜の身体を抱きながら、彼女の首を持ち上げて顔を近づける。躊躇っている時間はない。恥じらってなんかいられない。僕は沙夜の身体を抱きかかえて、そのまま口づけを交わした。
すると彼女の身体が神々しく輝き始め、負った傷が見る見るうちにふさがっていく。これが僕らが扱える、もう一つの道。口移しで妖力を供給してやる回復系統の道だ。
「へえ……。口づけで回復ですか。あなたたち、面白い道を使いますねえ」
感服したというように手を叩いているが、驚いている風には見えない。それくらいの展開など物ともしないといいたげだ。
「……いけるか、沙夜?」僕は沙夜を見やる。
「はぁ……まだ、いけます」とはいっても沙夜は明らかに疲労していた。あまり、無理をさせるわけにはいかない。一度、どこかで休ませるべきか――。しかし無駄だった。
「もうあなた方に、隠れる場所は与えませんよ!」
そのように死神憑きが宣言すると、言葉通り背後が爆発し、先ほどまでの僕らが隠れていた部屋が吹き飛んだ。沙夜を抱きかかえたまま僕は爆風に飛ばされ、庭園の地面に転がった。アネモネが間宵を支えながら飛び出てきた。大榎とあずきもあとに続いて庭園に向けて走る。
そうして――僕らはそろい踏みで屋敷から出てきてしまった。僕はあたりを見渡す。半壊した庭園には攻撃を妨げられるような障害物はなにもない。これでは恰好の的だ。アネモネも疲弊している。もう逃げることはできない。ここで向かい立つしかない。
「もう……。あなた方がこそこそと逃げやがるから、ボクは面倒になってしまいました。少々、リスクを被りますが、大技で蹴りをつけてしまいましょうか……」
死神憑きの口元が卑しくゆがんでいる。僕は悍ましい道の気配を察知した。ひしひしと伝わる殺気に全身の肌が粟立つ。それほどの迫力がある雰囲気が小さな身体から漂っている。
「やばいのがくる……ッ」言葉が口から漏れた。死神憑きが強力な道を発揮しようとしている――そんな予感がした。それは気のせいではなかった。大榎も同等の感覚を抱いていたようで、こちらへ振り向く。
「攻撃に構えなさいッ!」
「アネモネ! 間宵を背負って逃げろッ!」僕はアネモネに指示を出す。
死神憑きの持つ鎌が肥大していく。背丈よりも高く伸び続けた鎌を彼女は天高く振りかざした。そのまま大きく空気を裂く。その瞬間、庭園にもの凄まじい旋風が吹き荒れた。
「な、なんだよ、これ……」
死神憑きが発動した道は、これまで見たこともないくらいに異質なものだった。僕らの周り、四方八方に槍のようなものが生成されたのだ。それら全ての矛先は僕らに向けられていた。
槍の包囲だ。雪の結晶のような神々しい瞬きを放って、明滅を繰り返す六本の槍。異常なまでの静けさが一帯を支配した。町の喧騒も虫の声も聞こえない。まるで夜のような静けさだ。まだ空は明るいのにそんな印象があった。この攻撃を沙夜の道で防げるか――。
囲われた槍の包囲からアネモネと間宵だけが弾け出た。すべての槍が形成し終わる寸前のところで逃げ道を見つけ出し、二人はなんとか窮地を脱したようだった。僕は横目でそれを確認して、間宵だけでも逃がせたことにひとまず安堵した。
――いや……違う。すぐに死神憑きの思惑に気がつく。そうではなかった。彼らの逃げ道だけ“塞がれていなかった”のだ。死神憑きは二人のために、わざと逃げ道を残した。目的は間宵だ。外に逃がしたのは、あとでじっくり妖力を奪い取るためだろう。早いうちに脅威となり得る、つまりは妖力源である僕と大榎を潰そうという算段に違いない。
まばゆい光に目を細めながら、大榎が小さくつぶやいた。
「……どうやら、……ここまでみたいね」
それを聞いてから、今置かれている状況の深刻さを認識した。
そうだ。僕らは、僕らの道では、
――前方の道しか防げない。
次回 ▷ #45 断末魔の余韻(敦彦)
日時 ▷ 今日か明日




