#43 無力、憤懣、怒涛(敦彦)
真っ暗な空間に浮かぶ蝋燭の灯り、死神憑きはその心もとない光に照らされ、悠然と待ち構えていた。どんな攻撃がきても平気だと確信しているような、余裕びた表情を浮かべている。
「ふうん、犬神憑き……ですか。攻撃系統の最大の道を扱うという憑きもの。世界的に有名な種ですね。特に日本に多く生息していると聞いている」死神憑きは目を細めて、とうとうと言葉を並べ立てる。
「あずき! 全力でいってちょうだい!」屋内だというのに構わず標的を吹き飛ばすつもりだろうか、大榎が腕を大きく振りあげ、おろす。すると、あずきこと犬神憑きが黒い身体を大きく揺らしながら、禍禍しい色の煙を吐き出した。けれど――
「……え?」
――吐き出されたその道は、ふわふわと間抜けな軌道を描きながら死神憑きの方へ向かっていったが、風に押し負けるようにして拡散した。穴の空いた風船がしぼんでいく光景さながらだった。
「あ、あれ? ……え?」
なにが起きたのかすぐにはわからずに、闘いのさなか僕は呆然としてしまう。大榎の威勢とは裏腹に道がなぜか消えてしまったのだ。
呆然としているのは僕だけではなく、沙夜、アネモネ、あずきまでもが当惑の色を隠しきれていなかった。前方を見れば、口元をひくひく痙攣させて、腕を振りおろした姿勢のまま、大榎は硬直していた。
「……なんですか、その攻撃はッ! やる気ないんですかッ!」「そうですよ! 私たちを襲ってきた時の攻撃とまるで違いますッ! はいッ!」僕と沙夜が口やかましく一斉に詰ると、大榎はらしくもなく狼狽えた。
「う、うるさいッ! こら、あずき全力でいきなさいってッ!」幾度も道を放つのだが、どの攻撃も死神憑きに届くことなく消え失せてしまう。
「ち、あずき! なにをやってるの!」とはいうが、あずきが一番不服そうだった。不当な怒りを主からぶつけられ、しょんぼりと首を落としている。一応、口から紫の煙が漏れているのだが、液体が出なくなったスプレーのノズルを彷彿とさせる程度のものだった。
「ふざけてやがんですか?」死神憑きが怪訝な顔をし、鎌で敷板をえぐった。なにか嫌な予感がした。「その程度の道でボクを殺そうとしているのならば、名誉が汚れます」
「おいッ! ここはまずい、いったん退くぞッ!」アネモネが檄を飛ばす。
死神憑きの攻撃をいち早く察知したアネモネは、即座に間宵の身体を抱えて廊下に通じる障子を蹴り破る。閉じられた空間に日の光が流れ込んできた。そのまま大榎が先導して僕らは走り、屋敷の一室にある身を潜めた。
後ろで轟音が鳴り響き、立っていられなくなるほどの震動が全身に伝う。障子の隙間から背後を見やれば、アネモネの判断が効果を奏じたようで、先ほどまでいた板間が焼き払われていた。パチパチと音を立てて燃えて、黒い煙が高々と伸びている。爆風によって弾けた煤がこちらに届くほどに飛散した。
ここで自分の対立している相手を僕は再確認させられた。これが、最強の憑きもの――死神憑き。僕と沙夜は顔を見合わせたが、お互いの口から言葉は出てこなかった。本当に勝機はあるのかという失意の言葉は――。
それよりも先ほどの攻撃はどういうつもりなのだろうと、大榎へ視線をやる。死神憑きの恐ろしさは大榎が一番把握しているはずだ。なにごとにも徹底的にやる大榎のことだ、手加減したとは思えない。それに加え、隣で腰をかがめる大榎が沈痛な面持ちで、「ぐう」と呻いたものだから、なにごとかと驚いた。
「なんか、あずきの攻撃が随分と弱々しくなってませんか……ッ! だって僕らを襲ってきた時は。ほらもっと、こう、ゴゴゴって!」
「し、仕方ないでしょう! あずきの道の性質のこと、あなた忘れたの?」大榎は聞き取りやすいほどの舌打ちを鳴らした。彼女の憎々しげな表情の迫力にぞくりとする。「だからあらかじめ、いっておいたじゃない。今日のあたしは“無力に等しい”って。前回の一件は敵意むき出しであなたたちを襲うことができたけれど、今回は別なの。死神憑きのやっていることに納得してる一面もあるのよ」
そうだった。犬神憑きの道は攻撃系統最強といわれているが、それは大榎が危害を加える相手に対して強い怒りがある場合に限るのだ。憑きもの筋が攻撃する相手に対しての憎悪によって道による攻撃力が増減する。どこまでだって強大な力を放つことができる反面、怒りがなければ攻撃にならないということだ。死神憑きに対しての恨みつらみがないから、それに比例して攻撃力がほとんどといっていいほどない。
「そんなこと……」
「あたしはね、死神憑きとか、悪魔憑きを殺すのを不得手としているの。だって、殺される理由なんてないと思わない?」
「妹を苦しめていた憑きものですよ!」
「ええ、そうね。それでも、あたしにはなにも関係ないわ」大榎の言葉にいつもの語気がない。本気で落ち込んでいるようだった。「……とはいえ、ここまで攻撃力が出ないとは、我ながら情けない……」
だとすれば、あの日、僕らにはどれほどの憎悪があったのだろう。とんでもないほどの攻撃だったはずだ――などと想像が及んだが、今はそんなこと考えている場合ではない。命の危機に瀕しているのだ。大榎を励ましてなんとか気力を持ち直してもらう必要がある。
「あーあ、こんなの無様すぎよ。死にたい……」体操座りの大榎は立てた膝に顔を埋めた。
「こんな時に、らしくなくへこまないでください! いつもよりも小さく見えます! ほ、ほら、自信を持って! ファイトですよ!」
「はあ! あなたに励まされる筋合いはないわ!」
「こんな時に、いい争ってる場合ではありません!」見るに見かねた沙夜が金切り声を上げた。
あずきの攻撃が期待できないというならば、僕らに一体なにができる。ほんのり灯っていた希望の火がついにかき消えてしまったような気分だった。遠方から死神憑きの声がする。
「なんですか? 凄いのは気勢だけではないですか。やる気がねえのならば、こちらからいきますよ!」
僕らの居場所はすでに特定されているようで、死神憑きが左手に持った鎌で壁を破壊し、輝きを放ちながらまっすぐ向かってきた。右手には黒く禍々しい球が握られている。それを振りかぶって、僕らのいる方角へ目掛けて投げつけてきた。高校球児が投げるような剛速球というわけではない。空気中の妖力を吸い取って、だんだんと肥大していく。猛威をふるいながら加速し、僕らの三メートル近くまで接近した時には、人間の頭と同じくらいのサイズまで膨らんでいた。
『ご主人様! 攻撃がッ! 構えてくださいッ!』沙夜が“思い”で伝達してきた。僕は後ずさるが、部屋の後方が大きな衝立に阻まれているため、空を飛ぶでもしない限り逃げられない。もう真っ向から向かい立つしかなさそうだった。
『よけることはできそうにないな。沙夜ッ! 行けるかッ!』
『大丈夫です! 演算は終了しておりますッ!』意思の疎通は瞬発的に行われる。これら“思い”は言葉よりも早く伝わるからだ。沙夜の計算能力も並のものではない。間に合うか。
僕は沙夜の両肩に触れる。沙夜が目前に光の壁を創りだす。頭に激痛が走るのを痩せ我慢して表情に出さなかった。禍々しい球体が光の壁に衝突したかと思えば、消火された炭のようにぽとりと転がり、やがて消滅した。僕らの道が死神つきの道をかき消したのだ。
「ふん、相変わらず、やるわね……」大榎が不服そうにいった。
――よかった。きちんと攻撃を防げたことに対して、僕はかすかに安心していた。死神憑き相手にもちゃんと通用する。もし僕らの道が通用しなかったら、勝ち目はますます希薄なものになっていたことだろう。
しかも今回の場合は、憑きもの殺しの一派に襲われた時とは違って、多人数戦ではないために沙夜の能力を有効的に活用できる。あとは多数の方向から攻撃されないことを願うのみだ。沙夜の道の弱点をいつまで見破られずにいられるか――。多方向から攻撃が放たれた場合、防ぐことは不可能だ。その弱点を勘ぐられる前に倒すしかない。
「あら……、あなた、守護系統の憑きものでしたか。ボクを前にしても冷静な計算ができるなんて、凄いじゃねえですか。ならば、こんな攻撃はいかがです!」
死神憑きが逆手で鎌を持ち、地面を抉りながら突撃してきた。気配がすぐ間近まで迫ってきた。落ち着け。僕が動揺しててはいけない。気を引き締め、沙夜を見やる。
大丈夫だ。こういう時は――。
「ご主人様、私の肩に手を添えてください!」
「ああ、わかってる!」
生成された光の塊が沙夜の両腕にまとわりつく。死神憑きが振り下ろした鎌を白刃取りするように食い止めた。正確にいえば白刃取りではなく、沙夜の手に触れただけだ。その衝撃だけで振り下ろされた鎌が屈折してゆがむ。瞬間的に死神憑きのもつ鎌は粉々になって霧散した。鎌に実態があるわけではなく、鎌自体が道によって生成されたものだからだ。
僕と沙夜の間隙を縫うようにして、黒い風が吹き抜けた。
「なにをしている! 相手の攻撃を防いでいたところで埒が明かんぞ! 攻撃しなければ、勝てない!」
僕の両腕にそっと間宵の身体が手渡される。――アネモネだ。ここが勝負どころと判断したのか、彼は超人的な身体能力を発揮し、死神憑きの元に向かっていく。そのスピードはやはり早い。徒手空拳な状態になった死神憑きの首根っこを掴み、庭園まで引っ張り出して、力強く地面に叩きつけた。しかし、長らく道を使用し続けてきたせいで衰弱しているのか、あの日より速度が衰えているように僕の目には見えた。
「小賢しいッ!」庭園に飛び出た死神憑きが、アネモネの手を振りほどき、攻撃を仕掛けようとするが、彼女の手に鎌はなかった。沙夜に破壊されたままだからだ。もう一度生成させようとしているのか、黒い妖力の流れが体内から彼女の手元に集まっていく。
「させんッ!」鎌が実像を結ぶか結ばないかの際どいところで、それは霧となって消え失せた。おそらく、アネモネが死神憑きの道を封じたのだろう。
「ふうん。なるほどねえ……」アネモネが一度殴ったのだが、彼女にダメージはなさそうだ。「ならば、緻密な分析している暇を与えねえだけですッ!」右手に布のような薄い光がまとわれた。封じられる間を与えないよう瞬時に道を生成し、アネモネを殴りつける。
「ふんッ!」アネモネは半身をのけぞらせ攻撃をかわし、後方に傾斜した姿勢で流れるような蹴りを入れた。背後に吹き飛ばされる死神憑きは、寸前のところで一撃の打撃をやり返した。両者は真逆の方向へ弾ける。
宙返りするようにしてアネモネが体勢を立て直し、僕らの元へ駆け寄ってきた。「一度引くぞッ!」僕らは死神憑きが倒れているうちに屋敷の中へ逃げ込み、細長い廊下を走った。一室に入り、間宵の身体を寝かせた。そこは大きな白い箱の置かれた不気味な部屋だった。
僕は柱の隙間から庭園を覗き込む。起き上がった死神憑きをそっと見やれば、彼女はつまらなさそうに石ころを蹴飛ばしていた。僕らはじっと息を殺して、相手の出方をうかがった。死神憑きはきょろきょろと周囲に視線を巡らせ、まだ僕らのことを探している様子だった。幸い、死神憑きに僕らの居場所は悟られていない。
「今なら――」死神憑きが顔を虚空に向け、小さく口を開いた。「――あなたたちには危害を加えねえでいてあげましょう。だから、さぁ、早く小娘をボクによこしやがってください」遠くから呼びかけられた。取引に応じるわけにはいかない。僕ら四人と一匹は沈静した。イエスかノーか伝える気さえ憚られる。わざわざ居場所を教えることもないだろう。「ふうん、いいんですか? あなた方が差し出してくれないと、ボクはまた平気で町の人たちを殺して回ります」
町の人を殺すという言葉を聞き取って唾を呑み込んだ。脅迫だ。わかっている。けれど、関係のない人たちを巻き込むなんてこと、するわけにはいかない。そろそろ、出るべきか、それとももう少し様子を見るべきか。大榎に判断を仰ごうと、彼女が方をうかがう。
彼女は――。大榎悠子は――ゆっくりと起きあがり、堂々とした態度で表に出ていった。
「は!? はあ!? ちょっとッ!? お、大榎さんッ!」
あからさまに無防備だ。普段からとても無茶な人だとは思っていたが、ここまで途轍もなく破天荒な人間だとは思ってもみなかった。彼女は僕の言葉など届いていないといった様子で、ずんずん庭園の方へ進んでいく。なんのつもりだ。死神憑きと対立したところで、今の彼女にできることはない。みすみす殺されに行くようなものだ。どこか大榎の様子がおかしい。彼女のことが心配になった僕も、庭園に向けて歩き出す。
「あなた、今、また平気で人を殺すっていったわよね? “また”ってどういうこと? それは気が立っているから? それとも個体の性質?」死神憑きと対峙した大榎の声は興奮していた。「おかしいのよ。死神憑きは目立った行動を控えるはずなのに、あなた、平気で人を殺せるの?」
「ボクは気分によって人を殺すことがあります。死神憑きにしてはちょっと異常だと判断されますね、それがなにか?」
呼吸を落ち着かせて、冷静ぶった声色で問いかけた。「あなた、マリア・フランクリンという女性について、なにか知っていることはないかしら?」
「当然、知ってますよ」死神憑きは過去の情景を頭に描くように、胡乱な目になった。「ふん……。マリア・フランクリンはボクのことをかくまってくれていた、頭の悪い人間のことです。あまりにうざったいものだから、藤堂間宵という新しい器を見つけた時に、殺しちまいました。あの人がいなかったら、ボクは今頃、此処にはいません。だからこそ……邪魔だったんですよ」
大榎の身体が大きく揺れた。こめかみを抑えるようにしながら大榎はふらつく。しかし視線だけは死神憑きから離れていない。やや釣りあがった目がぎょろりと開かれていた。
「なるほど……。あなただったのね。彼女を殺したのは……」俯いたまま、ぶつぶつといっている。きっと死神憑きにはその声は届いていないだろう。それほど、彼女にしては細々とした声だった。「そうね、そうよね……。順当に関連付けていけば、簡単なことだったわ……。憑きもの殺しの組織が、死神憑きを取り逃がしたなんて醜態を公開するはずないものね……」死神憑きに顔を向ける。「でもわからない……。どうして、そんな大きな騒動を起こしたわけ? 死神憑きが一般人に攻撃することなんて……ないと思っていた。目立つことをしない。それが死神憑きの性質であるはずよ」
「憑きものの性質なんてのは人間が勝手に決めたものでしょう。ボクはそれに従うつもりはありません。それにあの日は気分が乗っていましてね。妖力とか関係なく、たくさんの人間を殺したい気分だったんですよ。ちなみに藤堂間宵を殺したのも……ボクです」
――え?
僕は混乱した。そんな内容はアネモネの口から聞かされていなかったからだ。
「事実だ」アネモネがぽつりとつぶやいた。
「おい、アネモネ……。どうして黙っていた!」
「いえば怒りが煮えたぎり、戦闘どころではなくなる。そんなモチベーションではすぐに死ぬ。そう判断したからだ」
たしかにその通りかもしれなかった。実際に今の僕は平常心を失っている。
「ああ……。こんなことになるくらいなら、彼女が相談ごとがあるっていった日……、きちんと聞き出してあげればよかった……」大榎にしては本当に静かに、すっと右手を持ち上げた。「力になるって決めてたのに……。自分が情けなくて嫌気がさすわ……」彼女の顔色はよくなかった。自責心に押しつぶされそうなほど、悲痛な面持ちを浮かべている。
「ふふ、ふへへ、ご友人だったのですか! それではよもやま話をもう一つ。面白かったですよ。彼女との命の駆け引き。どの憑きもの殺しよりも殺しがいがありました。ずっと狙っていたのに隙をなかなか見せなくて……」
「全く、ばかな人……。監視相手である藤堂間宵に愛着を持って接したり、よりにもよって、こんなくだらない憑きものなんかに……」
二人の応酬は聞いていてとても気味が悪いものだった。それぞれが発する言葉が全くかみ合っていない。死神憑きはひたすら愉悦に浸っているようで、大榎は一方的に独言しているようだった。死神憑きが油の乗った舌で話を進める。
「だから油断した瞬間を狙ってやったんです。そしたら、いとも簡単に死んでしまったのでがっかりしましたね。もう少し骨のある人間だとボクは……」
その瞬間、世界が振盪した。
轟音が鳴り、地盤が陥没する。
「……え?」僕は揺動する地盤に立っていられなくなった。「うわあああ!」爆風に流されるままに転がってしまう。いっときにして方向感覚を失った。天を焦がすほどの勢いで火柱がどこからか飛び出し、遅れて熱気の帯びた紫煙が地面を這うように広がっていく。
「あがぁぁあああああああッ!!」
なにが起きたのかと前方に視線を投じれば、死神憑きが吹き飛んでいく光景が視界に映った。離れの柱に衝突して、激しい音が鳴る。光を放った注連縄が効力を発揮し、死神憑きの身体は弾性のあるゴムに跳ね返されたように地面に叩きつけられた。そこへ目掛け火柱が生き物のように蠢動し、死神憑きに追い打ちをかけた。死神憑きは火柱に巻き込まれて吹き飛んでいく。紅蓮に染まった少女は激しい悲鳴をあげ続けた。
「ぎゃぁあああああああああッ!」
目で追えないほどの一瞬の出来事だった。
そら恐ろしさを肌に感じながら、僕は振り返る。
攻撃はすぐ近くから飛び出た。
今の道を仕掛けたのは、あずきだ。
どうして――?
先ほどまで、微弱な攻撃しかできなかったのに――。
風で拡散してしまうような攻撃しかできなかったのに――。
「喜びなさい、藤堂敦彦。事情が変わったわ。どうやらあたしも――」
僕はその声に誘導されるように、大榎悠子に視線を向けた。
彼女の表情を見て、総毛が逆立った。
眸に、凶暴性が帯び始めたのだ。
その表情は、その眸は、その姿は――。
まるで獰猛な獣のような――。
「――リミッターいっぱいで闘えそう」
犬神憑きは主の大榎悠子が憎悪を持った相手に強力な道を発揮する。つまり、怒りが増せば増すほど力が上昇する。死神憑きが大榎悠子の怒りを買った。素人の僕が見てもわかる。彼女は間違いなく――。
「やりなさい、あずき。簡単に殺しちゃ駄目よ。できるだけ苦しめてやりなさい。といっても――」
――攻撃系統最強の道の使い手。
「――あたしが制御できるかわからないけれどッ!」
何度も腕を振りあげては――振りおろす。その度に犬神憑きの口元で閃光が瞬き、激しい爆裂音がなる。光が先行して輝き、音が遅れて聞こえてくる。焦げた臭いが鼻をつんざき、僕は頭を伏せながらも、その威力のほどを実感した。何度も凄まじい攻撃を受けて、遂に死神憑きは悲鳴すら上げなくなった。
そこで大榎の攻撃がやんだ。地面に走る振動がなくなったので、僕はゆっくりと立ち上がる。丸焦げになった死神憑きが庭園の中央にぽつりと転がっていた。その身体からはおぞましい気配が消えていた。
それは――あまりにも、あっさりとした幕引きだった。
「大榎さん。これで……間宵は……」
「まだよ」大榎の視線は転がった死神憑きから逸れていない。
「……え?」慌てて振り返り、僕は言葉を失った。
そんな――。
「いったた……。随分と舐めたマネをしてくれますね……」
黒く焦げた少女は何事もなかったかのように起きあがっていた。トレンチコートがばりばりと剥がれ落ちる。少女の気味が悪いほど真っ白な身体が空気にさらされた。日の光が透きとおるほど白い肌だった。よく見れば、あずきの道によって焼かれたのは服だけだったらしく、死神憑きの身体からは火傷の痕が一つも見つからない。
まとっていた衣服が炭と化し裸になったというのに、恥じらうことのない少女の姿はやはり異形だった。片手を腰に手を当て、堂々としている死神憑きは口元を吊り上げ笑っている。おぞましさは余計に増幅した。幼い子どもの裸を見てしまった恥じらいとか、罪悪感とかそういった感情は全く湧いてこない。死神憑きの姿を目視しただけで眩暈を覚え、腹部から強い吐き気が込み上げてくる。僕は口を塞いでうずくまった。これはアネモネの比ではない。トレンチコートで覆われていた死神憑きの全貌が明らかになって、僕の身体がより強く拒絶しているのだろう。
「そうね、この程度でくたばってもらっちゃ、こちらとしてもやり足りないわ」
だが、大榎も負けていない。死神憑きへ向けられる恐怖、それを打破するほどの怒気が彼女の胸にはあるのだろうか。彼女が腕を振りあげおろすと、また世界が振動した。あずきの口から放射された火柱が死神憑きを捉える――寸前のところで――死神憑きが、叫び声を発した。
「ギィァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
その声は衝撃として伝わった。耳が割れる。頭が痛い。「ううぁああ! なんだよ……。これ……」身体がぎしぎしと痛んだ。凄まじい大音声に意識が持っていかれそうだ。細く目を開き前方を見れば、あずきの放った道は、その声とも呼べない音波によりかき消されていた。
「いッ! ぁぁああ、うぅ、ご、ご主人様……、これも死神憑きが扱う強力な道の一つです」沙夜は苦しそうに頭を抑えてうずくまっていた。この道は人間だけでなく憑きものにも効果があるらしい。
「大丈夫か、沙夜……」
「はぁ……、はぁ……、大丈夫です。妖力を注いでください。私が防ぎます」
なんとか身体を起こして、僕は沙夜の肩に手を載せる。光の壁ができあがり、僕と沙夜、アネモネの三人は攻撃を遮断することに成功した。後方に寝かせてある間宵にも影響はなさそうだ。
顔をしかめた大榎は一度舌打ちをしたあと、「やかましいッ!」と怒鳴りながら指を鳴らす。それを合図にして、どす黒い妖力をまとったあずきが突撃していった。うめき声をあげながら、死神憑き目掛けまっすぐ向かっていく。
しかし、死神憑きは――。
――避ける素振りを、微塵も見せなかった。
どこか様子がおかしい。対処しなければあずきの攻撃が命中してしまう。強がるにしても身体くらいは反射作用を起こしてもいいはずだ。それなのに、全く動こうとしないのだ。
そこで僕は空気の流れが奇妙であることに気がついた。僕を包む空気が死神憑きにじりじりと吸い寄せられている。途端、吹き荒れた凄まじい強風に僕の身体は引きよせられた。
「待ちなさい! あずき!」大榎があずきに歯止めをかける。
僕もこのままではまずいと考え、とっさの判断で屋敷の柱に捕まった。「沙夜ッ! 僕の手に掴まれッ!」吸い込まれてしまわないように沙夜の腕を掴む。前方を見やれば、死神憑きの身体が殺気を帯びて発光していた。僕は慌てて間宵を探す。間宵は――。彼女の身体が少しずつ引きずられていた。このままでは、得体のしれない道に巻き込まれてしまう。
「間宵ッ!」右手で沙夜を繋ぎとめながら、左手を伸ばすが届かない。
「俺がなんとかするッ! お前はそこで小娘憑きを抱えていろッ!」アネモネが間宵の身体を持ち上げる。彼は間宵を抱えながら強風に吸い寄せられないよう腰を低くした。
閃光が瞬いた。死神憑きが爆発した。周りの半径五メートルほどを吹き飛ばすほどの衝撃が全身に伝わる。その衝撃によって、庭園の池が弾け飛び鹿威しが吹き飛んだ。おびただしいほどの水量の水しぶきが舞う。もの凄まじい砂塵が巻き上がり、僕らの視界を遮る。隅に設えてあった古倉庫が壊れ、木々のなぎ倒される音が鳴った。そのまま爆発に呑み込まれ、大きな庭の半分が崩落した。
大榎の指示に従って、あずきは素早く引き返した。まさしく間一髪だった。大榎の指示があと少しでも遅ければ、犬神憑きは爆発に呑まれ、生命を持たずに横たわっていたことだろう。
「……危なかったです。思わず、藤堂間宵まで殺してしまいそうになりました。……うっかりしていました」死神憑きの声が半壊した庭園に静かに響く。「それにしても……今の攻撃で一人も死なないなんて、やるじゃないですか」
――なんだこれ、桁が違う。口内でそんな言葉を呑み込む。
「奪い取った妖力にも限りがあるので、あまり使いたくなかったのですが、やむ終えません。思いのほか健闘なされるあなたがたに敬意を払い、ボクも全力で闘いたいと思います」
次回 ▷ #44 槍の包囲(敦彦)
日時 ▷ 明日か明後日




