#39 憑きもの殺しの領分(敦彦)
どうやら悪夢を見てうなされていたらしい。起床した時、春先だというのに寝汗をびっしょりとかいていた。それに、いつもよりも毛布が乱れている。僕は上半身を起こして背筋を伸ばした。基本的に夢などは大抵すぐに忘れてしまうものだが、今度の夢は起きた今でもはっきりと記憶している。それほどに鮮烈な夢だった。
――『間宵は一度死んでいる』
昨日のアネモネとの会話がそのまま再現された、そんな面白みのない内容の夢。「嫌な夢」とはいつだって、「嫌な現実をなぞる夢」のことをいう。考えないようにすればするほど、認めたくのない現実を何度でもつきつけられる。ただ単純に怖い夢ならば起きた時、夢だったのかと安心できるが、現実をなぞる夢の場合は起きたあとも継続するのだ。ようやく飲み込めたはずの苦汁を、もう一度飲むような残虐な処置。だからこそ、この手の夢を見るたびに嫌気がさす。
僕は寝ぼけた頭を無理やりに起動させ、立ち上がって部屋のカーテンを開けた。窓を通して室内に朝日の光が流れ込み、多少、冴え冴えとした気分になったが、明晰とした頭脳と呼ぶにはほど遠い。僕の初動能率は天文学的に低いのだ。
ベッド上には布団にくるまった沙夜が横になっている。その姿を確認することにより安心している自分がいるのが、どうにも悔しかった。音一つ立てないものだから眠っているとばかり思っていたが、僕が起きるのを待っていたかのように、突然もぞもぞと動き始めた。「おはよ……ございます……」すでに起きていたらしい。
「驚いたな。いやに早起きじゃないか」僕が呼びかけると、布団からひょっこりと顔を出して、沙夜は少しだけ微笑んだ。
「それはご主人様にもいえることです」
「まあな、おはよう。沙夜。妖力を供給してやるから僕の影に入ってくれ」
朝起きた時、沙夜に妖力を供給すること。それが朝の日課となっている。僕が近くに来るよう手招くと、どういうわけか沙夜は首を横にふった。
「いえ、私は結構です。昨日、たくさんの妖力をアネモネさんに供給したことで、ご主人様は相当にお疲れなはずです」
「そういうわけにもいかないだろ。ぐっすり眠ったから平気だよ。無理するな、ほら」
「ですが……」
「うじうじいってても仕方がないだろ。それに、僕にはこういうことしかできないんだから」
昨日、アネモネに妖力を供給したからだろうか、たしかに沙夜のいう通り体調が芳しくなかった。とはいえ、もともと朝が得意ではなかったので、こんなものかもしれないとも思った。
どこまでが普段通りで、どこからが異常なのか判じかねるような、アンバランスな体調だ。肉体はだるいのに、気持ちだけが落ち着きを失った子どものようにやけに活発で、常に血気に逸っている。それでも間宵の身になにが起こっているのか、その真相がわかったことで精神面は落ち着きを取り戻し始めていた。
今回の件で、第一に片付けなくてはならない問題は、道を使い続けることによるアネモネの妖力不足だった。もはやお互いが限界に近かったらしく、アネモネは体力と妖力が消耗しきっていた。だからアネモネの妖力不足分を、間宵の代わりに僕がカバーするという対策を講じることにより、間宵の負担だけは減ったはずだ。アネモネが道を使い続けていられる時間にも限界があるらしかったため、まだ安心するわけにもいかないが。
僕とアネモネは結託して間宵を救う道を選んだわけだけれど、そのことについて間宵にはなにも告げないようにしていた。先ほどの夢の話と同じで、一時的に希望を持たせると、いずれ待ち受ける絶望感や罪悪感が膨れ上がる恐れがあるからだ。そんな酷な思いを間宵にさせたくはない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今日は土曜日。学校は休みだ。簡易な朝食をとったのち、僕らは家を出た。最寄り駅のプラットホームで電車を待ち、僕は右手にはめた腕時計で時刻を確認した。針は九時ちょうどをさし示していた。次の電車がくるのにまだ十分近くもあった。ベンチに腰を掛け身体を脱力させた。力を抜いているうちに眠気を覚え始め、うつらうつらとしだしたところで、沙夜に肩を揺すられた。見れば電車がホームに到着していた。僕らは迷わずそれに乗る。
それから目的の駅で下車して、三十分ほどの時間を費やし、もらったメモ通りに歩いた。道をどこかで間違えていなければ、もう彼女の家の近くにいるはずだった。
僕と沙夜とアネモネの三人だけでは死神憑きに歯が立たない。そう判断した僕らは、憑きものという分野において、具眼の士、協力者を求めにこの地まで赴いたわけである。その協力者の名は大榎悠子。憑きもの落としの家柄でありながら、憑きもの殺しを生業としている、僕の担任教師だ。
「うーん。この辺のはずなんだけど……」
ここは都心から外れた土地。アミューズメントな施設は少ない。真新しい建物は一切ない。とはいえ閑散としているわけではなく、三々五々と通行人が道を行き交い、町の景色を賑々しいものにしている。低い住宅が軒を連ねている下町だ。
混み込みとしている商店街を遠くから観察しつつ、もう一度、メモに視線を落とした。僕は住所を読むのを苦手としている。電柱にかかれた暗号文から場所を特定するなんて芸当、探偵でもあるまいしできるわけがない。これだけの住宅が並ぶ町中で、たった一軒の家を探し出すことがはたしてできるのだろうか――。
「どんな見た目をしているのか、特徴だけでも訊いておくべきだったな」
「まぁまぁ、後悔先に立たずってやつですよ。とにかく探してみましょう」
「ポジティブでうらやましいよ」
「ご主人様、もしや、あれではないでしょうか?」突然、沙夜が声をあげる。
「え、あんなにでかいのかッ!」
沙夜が指さした先には、大きな家屋敷があった。あれが――大榎邸なのか? 広大なスペースを有した日本家屋。外観からは詳しくわからないが、面積は百坪を優に超えるほどある。敷地はバカにでかいけれど、それは貴族御用達の豪邸と呼べるものではなく、寂れた神社というようなイメージを抱かせる建築物だった。偏見かも知れないけれど、たしかに、憑きもの殺しである彼女が住んでいるに相応しい家である気がした。
それっぽい建物を見つけた僕らは、さっそく大通りを横断して門前に立つ。見れば見るほどに立派な建物であることがうかがい知れる。住宅地に並ぶ周りの家屋とは、比較にならないほど精悍な門構えをしていた。外壁を超えるほど高く茂った立派な銀杏の木が、敷地外からでも覗けている。
門にインターホンがなかったので、仕方がなくそのまま屋敷に足を踏み入れることにした。錠前はかかっていなかった。多少忍びない気持ちに駆られながら、砂利道に整然と並べられた敷石の上を歩んでいく。どこかに見張りがいるのではないかと勘ぐってしまうほどのしっかりした建物だったが、廃墟と思しきほどに人の気配がない。
おどおどとしている僕がいる一方で、沙夜は堂々と歩いていった。中は異質な空間だった。ぼうぼうと茂った庭は手入れされていないのではなく、自生した植物が野趣たっぷりにそのまま残っている、そんな印象を抱かせるものだった。庭先には池まであり、それを沙夜が物珍しそうに鑑賞していた。時おり鹿威しが音を立てるだけで、池に魚は一匹もいなかった。
この庭園のなによりも異形な点は、木から木へ、柱から柱へというように、ところどころ注連縄が張り巡らされていたことだ。その注連縄には黄土色した紙垂が巻きつけてあり、つらつらと文言が書き連ねられている。僕と沙夜は顔を見合わせ、同時にごくりと唾を飲み込む。ここが大榎悠子の家であることに間違いはないらしい。ぼろぼろの注連縄は指の先が触れただけでも千切れてしまいそうだったので、無闇に触れないよう慎重に注連縄を潜っていった。
「どうして、こんなにたくさんの注連縄が張り巡らされてるんだろ」
「これは呪縛系統の道を練られて作られた縄ですね、はい」沙夜が注連縄の一端をしげしげと見つめながらいった。「しばらく使われていないのか、効力は激減しているようですが……」
「こういうのって、やっぱり、それなりに効力はあるのか?」
「ええ、もちろん絶大な力を発揮しますよ。とはいえ、見た目はさして問題ではなく、呪術系統の道が練りこまれている縄自体に意味があります。その紙垂はあくまで形作りのためであって、書かれている文言には一切の効力がありません」
「へえ、そういうものなのか。にしても、こんなたくさんの注連縄が張り巡らされている光景は圧巻だな」
「おそらくは、この土地で憑きもの落としを行うのでしょう。見た限りの想像にすぎませんが、この注連縄は外部に被害を及ばさないようにすべく、道をリフレクトする役割をになっています」
「そっか。彼女の家系は代々憑きもの落としだったんだっけ」
そのまま庭園を抜けて、屋敷の前までたどり着いたところで、濡れ縁に座る人影が見えた。人影はこちらへ顔を向ける。
「なんか嫌な気配がすると思ったら……。どうしたの? わざわざ家に尋ねてくるなんて……」
「おはようございます、マリアさん……」
無表情な大榎悠子は、黒い襦袢に黒袴といった出で立ちだった。巫女さんが着るような服装をしているが、コスプレに用いられるような白小袖に緋袴といった鮮やかなものではなく、全体的に見て黒い。草履の鼻緒までもが黒い。アクセントカラーとして色をつけているのか、長い艶やかなプラチナブロンドの髪だけが真紅の紐で結ばれている。彼女の髪色を除いては、色があるのは本当にそこだけだった。普段晴れやかなピンクのスーツを着こなしている彼女に、質素な服装がここまで似合うものかと驚いた。また、大榎の和服姿は場違いであるようでいて、この屋敷になじんでいるようでもあった。
「男子生徒がアポもなしに女教師の家に押しかけるなんて、ちょっと不健全なんじゃない? 生徒と教師が密会しているのなんて知られたら問題よ」
「なにいってるんですか、住所教えてくれたのマリアさんじゃないですか」
「わざわざ家に押しかけてこなくとも、午後には学校にいたのに、っていいたいのよ」しごく煩わしそうに眉をひそめた。「で、なんの用?」
「マリアさんにお願いしたいことがあるんです」
僕が言葉をかけると、大榎は厄介そうにこちらに冷ややかな視線をやった。そののち、「生徒の悩みを聞くのが教師の仕事よ。いいわ、屋敷の中にあがんなさい」渋々といった声色でそういった。
僕と沙夜は玄関から母屋と思しき建物に入り、大榎に続いて細長い廊下を進んでいく。生まれてからずっと洋室で育ってきた。斉藤家は武史さんの部屋だけが和室だが、あがる機会は滅多にない。そのせいか、和式の内装は物珍しく、僕にとって落ち着ける環境ではなかった。歩くたびに板敷きが軋みぎいぎいと音を立てる。風通りがいいのだろう、室内が外よりも涼しく感じられた。日本らしいつくりの家であるのにもかかわらず、まるで異国の世界に足を踏み入れたような気分になっていた。
「あの、ここにはマリアさんの他に人は住んでいないんですか?」
「ええ、今はあたししかいないわ。連中は三年前に追い出した」
「追い出した? なんの話です?」
「あたしの家族のことよ」
「え? そんな、まさか……」
「あたしがまだ高校生だったころ、自分のしていることは正しいことだと信じて疑わなかった。当時、憧れている人がいて、その人があたしの家族連中にいったの。君たちがしていることは本当に正しいのかって。あたしはハタチを迎えたばかりの時分に、その人の言葉を思い出して自己を見直した。そして三年前、あたしは大嫌いな家族と大喧嘩をした。心底嫌いだったのよ、お互いがお互いのことをね。結果、勘当させられる代わりに戦利品として、この家が与えられたということ」
「家族を……、本当の家族を追い出したんですか?」幼い頃に両親を亡くしている僕には信じ難いことだった。第一、どんな規模の喧嘩をしたら、家が開け渡されることになるのだろう、想像が及ばない。
「プライベートなことにずけずけ土足で踏みいるものじゃないわよ。教師と生徒の間柄なら尚更ね」
「はあ……。すみません」
会話はそこで途切れた。大榎は着物をはためかせながら、一歩一歩、薄暗い闇の中へ向かっていく。僕は彼女についていって大丈夫なのかと疑いながらも、遅れないようにとしっかりついていった。この冷気漂う廊下に置いていかれる方が、もっと大丈夫でない気がしたからだ。
廊下の端までくると大榎はそこで襖を開き、座敷に上がった。指示はなかったけれど、僕らも彼女に続いて入室する。そこは三十畳ほどの大きな広間だった。調度品はほとんどなく、空き家同然の空疎な印象がある。その部屋の中心部に犬が寝そべっていた。大榎の憑きもの、犬神憑きのあずきだ。主が帰ってきたのを確認すると、あずきはのっそのっそと動きだし、濡れ縁で腹ばいになった。
座敷に腰を下ろすように促されたので、僕らはちょこんと畳に座る。もちろん、彼女の天敵と成りうる僕らが歓迎されているはずもなく、座布団たぐいのものは用意されない。
「それで……お願いってなによ?」大榎が口を開いた。
「マリアさん……、死神憑きをご存知ですか?」
僕は単刀直入に訊きたいことを訊ねてみた。すると大榎は、数秒の間もかけずに事情を了解した。
「死神憑きか……。なるほど、あなたの妹に憑いていた禍々しい気配の正体はそれだったわけね。大方、莫大な妖力を所持していることが災いして、目をつけられたってところかしら?」
一言『死神憑き』と聞いただけで、『妹のこと』と関連づけてくるあたり流石だといえる。
「そうなんです。間宵は――」
僕がそこまでいうと、言動の機先を制するように、大榎がつぶやいた。
「そう……、彼女、一度死んでいたのね」
僕の鼓動が大きく鳴った。間宵は一度――死んでいる。たとえそれが事実だとしても、何度聞いたところで慣れるものではない。人の口から宣告されるたび、思考が拒絶反応を起こしているのだろう。
「なんだ……」そこで大榎は少女のように眸をくりくりと動かし、思い切り溜めた息をついた。和服姿で脱力している姿はやけに艶っぽく、僕は目のやり場に困ってしまう。長い付き合いでないから、というだけの理由かもしれないが、どうにも彼女の人格が読めない。「目星が外れちゃったわ」
「め、目星? なんのことですか?」
「そう目星。あたしはある人の復讐のために、とある憑きものを探していたの」
「ある人?」
「あなたもよく知っている人よ」
「え?」
「マリア・フランクリンという名の憑きもの殺し」
「そ、それって……!」
「そう。あたしの高校教師としての仮の名前。前にいったでしょう、藤堂間宵にも監視がつけられているって。あなたの妹はマリアという人間が監視をしていたの。マリアが殺されたのは二月の頭。そしてあたしは憑きもの殺しの組織を脱退した。彼女の復讐を遂げるために……」
そうか。そういった裏の事情があって――僕の物語につながる。沙夜を殺そうとしていた時、憑きものに対しての尋常ではなかった怒気。
――『割り切りなさい。憑きものは、人に危害を与えるためならなんでもするの。人だって殺せるのよ』
――『どれだけの人が死んだと思ってるのよッ!』
「知らないかしら? サンフランシスコ怪奇事件と呼ばれている、憑きものが起こした不可解な事件のこと」
「サンフランシスコって……。間宵が過ごしていた地域だ」
そういえば――と、武史さんがいっていた話を思い出した。
――『向こうの週刊誌で読んだんだが、今から三ヶ月ほど前にお前が過ごしていたサンフランシスコで大きな事件があったらしいな。あれは平気だったのか』
「そうよ。だからこそ、あたしはあなたの妹と関連づけて考えていた。でもね、上層部からあたしの元に届いた報告によると、マリア・フランクリンを殺したのは、つまりはあの事件を起こしたのは、鎌鼬憑きの仕業であるとなっている。だから、目星が外れたってわけ」
「……そのこととは関係なかったとしても、協力してください。僕は間宵を救いたいんです」
「あなたの妹の話は別件だったのよ。藤堂間宵の話を聞いた時は、まさかとは思ったけれど、どうやらあたしと何等、関係がなかったみたい」
「マリアさん。お願いします」
「それは憑きもの殺しであるあたしへの正規の依頼? それとも個人的なお願い? どちらにしてもあたしはみすみす命を落としたくないし、死神憑きと闘うなんて嫌よ。諦めることね。敵いやしないわ。死神憑きって憑きものはね、世にいる憑きものの中でも飛び抜けて凶悪、強烈、狂気、何十人もの憑きもの殺しが集まってやっと討伐できるくらいの、最強レベルの憑きものなのよ。あなたの力では相手にならないわ」
「それでも……!」
「や。だって関係ないもの」取りつく島もないといった感じだ。なので僕は路線を変更することにした。
「なら、せめて、憑きもの殺しの方を紹介していただけませんか?」
「やめときなさい」大榎が断定口調でいった。「彼らは悪魔憑きや死神憑き、そういった“生きていてはならない憑きもの”に執拗に怯えているわ。あなただってわかっているでしょう? 彼らは憑きものを殺すためならば人倫など無視。間違いなく、“藤堂間宵ごと”殺すわよ。だから、放っておくことが無難よ。素直に妹の命を渡しなさい」
「見捨てるつもりですかッ!」あまりの素っ気なさに、僕はだんだん苛立ちを隠せなくなっていた。
「見捨てる? なにをいっているの? いいかしら? 藤堂敦彦。触らぬ神に祟りなし、っていうでしょう。死神憑きは基本的に理にかなった行動しかしない。そうでもしてなければ、目立ってしまうからね。連中は憑きもののルールに従って生きているに過ぎない。でもね、あなたたちが契約を反故にしたとなれば話は別よ。悪魔憑きに動きを封じられて、ただえさえ気が立っているでしょうに。その上でこちらが戦闘の意志なんてのを見せたら、なにをしでかすかわかったものではないわ。死神憑きの神経を逆撫でしてしまえば、無関係な人まで犠牲になるかもしれないの」
「人が犠牲に……?」
「そうよ。あなたの妹一人を救うためだけに、この国に住む何百人もの人が危険な目にさらされるのよ。考えたことはあるかしら? 罪もないのに憑きものに殺された人たちのこと」
「……あります」
小さな身体に大きな罪を背負った沙夜と一緒に過ごすうちに、その罪業を一緒に背負う覚悟を決めた時に、様々なことを考えた。憑きものによって失われていくたくさんの命。見えるからこそ知った残酷な世界。しかし、だからといって、憑きものの存在自体を否定してはいけない。誰かが悪いのではない、誰もが正しいからこそ残酷なのだ。憑きものが人のために悪事を尽くすこと、それは憑きものが生きていくための理においては正統なことだ。
「薄いわ。よく想像をしてみなさい、憑きものらしく生活している憑きもののせいで、たくさんの人が死ぬ。過去にあなたいったわよね? 悪い憑きものを殺すこと、それは人間の傲慢であると。今さら忘れたとはいわせないわ」
「ええ、それは……今でも、思っています」
「だったら、妹の命を救うことために死神憑きを殺すことは、あなたの我儘ではないの? 尚且つ、あなたの我儘のせいでたくさんの人間が危険にさらされるのよ……。人間と憑きものが共存できる世界を本当に望んでいるのなら、超えてはならない境界線をまたぐべきではないでしょうに」
「でも……」
「でももだってもないわ。考えなさい。じっくりと考えなさい。自分だけじゃない。他人を巻き込んで死ぬ。そのイメージをしなさい」
僕はもう一度イメージしなおす。僕の我儘のせいでたくさん人間が死ぬ。それはとても想像しにくいことだった。だから、もっと漠然と思考を働かせた。一切の主観性を捨てて、上空から見下ろすように客観視する。すると、不思議な感情がわいてきた。
このこみ上げてくる感情は言葉に表せられるものではない。罪悪感でも悲愴感でもなかった。ただ、胸が痛い。そして、自分が憎らしい。
「どう。ちょっとは感情移入できたかしら?」
「憎いです……。自分が……とても……」
「……そう。それでも、そこまでしてあなたは妹を救いたいの?」
今度は目を瞑り、深く考える。そのまま想像をめぐらせた。街を歩く人々の安心しきった笑顔、それがぼろぼろになって砕けていくイメージを――。
それでも、救いたいのか?
決まっているじゃないか。
「はい……。だってあいつは、藤堂間宵は僕の――」
ウサギのような妹は兄の尊厳など気にもせず、どんどん先へ進んでいく。いくら伸ばしても手が届かない、遥か遠くまで駆けていく彼女に、僕は嫉妬心ばかりを抱いていた。正直な話、そんな優秀な妹のことを憎たらしいと思ったことさえあった。
それでも間宵は――。強情で、強気で強がりな、人一倍自尊心の強い、あの少女は――。
「――たった一人の家族なんです」
かけがえのない唯一の繋がり。失うわけにはいかない。失いたくない。大切だ。大切なんだ。一体、どこまで僕は不器用だったんだ。端から知れていたことじゃないか。兄だから――妹を護る。そんな義務感じみたことではない。ただ単純に、僕は間宵のことが大切なんだ。大切に思うから――護りたい。ただ、それだけの話だったんだ。
恥も外聞も捨てて、僕は畳に額をこすりつけた。
「マリアさん……お願いします。あいつを救ってください……。僕らには、マリアさんしか頼める人がいないんです」
大榎は眉間にしわをよせながら一息ついた。
「マリアさん……。私からも……どうかお願いします!」隣にいた沙夜も間宵のために頭を下げてくれた。
そんな時、平伏している僕の足を、舌を打ちながら大榎が力強く踏みつけてきた。突然の攻撃に僕はひるみつつも、頭の中で状況把握を執り行った。なにごとかと視線を上げる。彼女は大層煩わしそうに僕を見下ろしていた。
「な、なにを……!」
僕がまくし立てようとする前に、大榎の人差し指が唇に押しつけられた。柔らかい人差し指がこすりつけられ、僕は抵抗することもできず、あやされた寝子のように黙り込んでしまった。彼女は顔をぐっとよせる。そして、にやりと笑った。
「言葉に気をつけなさい、藤堂敦彦。そして小生意気な小娘憑き。あなたたちは一つ“間違えて”いるわ――」
そういった後、きゅっと表情を引き締めて、
英語教師の顔が変わった。そう、それはまるで――。
「――マリア・フランクリンではなく、大榎悠子よ。この場合はね」
――憑きもの殺しの顔。
一瞬、どういう意味合いなのかわからなかった。しかし、そこまで僕は鈍いわけではない。彼女は、協力してくれる、といっているのだ。
「あり……、ありがとうございます……!」
僕はもう一度頭を深く下げた。畳に額をなすりつける。人間同士の伝達方法では、思いが伝えられないかもしれないが、それでも頭を思いきり下げた。言葉だけでは表せられない感謝の気持ちはたしかにある。
どうして協力してくれる気になったのか、それは聞かないことにした。きっと彼女に理由なんてない。前に当人がいっていたように彼女は“気まぐれ”なのだ。それだけなのだろう。
「どうなっても責任はとれないわよ」確認をとるように僕と沙夜を見やった。「……覚悟はできているようね。わかったわ。それじゃ、本題に移るわよ。具体的にどうすればいいのか、落ちこぼれの生徒のために述べていくわ」
「は、はあ……。お願いします」
「あずきの呪縛系統の道を用いて、彼女の身体から死神憑きを強制的に引っ張り出す。そして討伐するのよ、死神憑きを」
「そういうことして、間宵は平気なんですか?」
僕の問いかけに沙夜が小さな声で応えた。
「ご主人様。死神憑きというのは、単に人間の命を長引かせているわけではありません。死んだ人間を一度完全に蘇らせるのです」
「どういうことだ?」
「文献で読んだことがあります。そこに死神憑きの道についての概要が記述されていました。たとえば……そうですね、少々幻想的なたとえ話になってしまいますが、人の寿命を具現化した蝋燭があるとします。どんどん短くなっていく蝋燭です。間宵さんの蝋燭の火は一度消えてしまいました。これが“突発的に死ぬ”ということです。もう一つの別の死に方があります。それは寿命を全うし、蝋が燃え尽きることです。死神憑きは前者の人間だけ生き返らせることができます。つまり、消耗した蝋の分だけ伸ばしているわけではないんです。この世界にはそんな非科学的なことありえません。死ぬのを先延ばしにする、それは違います。もう一度、蝋燭に火を灯してやる。一度“完全に生かす”のです。それこそが死神憑きにとっての“生かすこと”なのですよ」沙夜が小さく咳払いをした。「なので、結局のところ、死神憑きのやることは、妖力を持った人間の弱った身体に囁きかけ、契約を結ぶ。契約の内容は生を与えられる代わりに死神憑きには抵抗できないというもの。そうしておき、無防備な状態になった人間を殺す。要するに、“生かして殺すだけ”なんです。だから死神憑きを討伐したところで、間宵さんの命が失われることはありません」
「でも、なんのために、命を与えるんだ?」
「もちろん、“殺すため”です、はい」
「死神憑きの性質は死にそうな憑きもの筋につけ入り、無理矢理に契約を結ぶ。誰であっても生への願望は捨てきれないもの。そうして抵抗できなくなった憑きもの筋を自らの鎌でもって“殺す”の」大榎が庭園を覗き見るような姿勢で横から補足した。彼女の声に呼応したように鹿威しがからんと音を立てる。
「どうしてそんな回りくどい方法を取るかといいますと、間宵さんの身体が快復した時に、その生命力と妖力を一気に吸い取るためです。完全に妖力を取り戻した時、生命力とともに奪い取る。非常に合理的な手口だといえるでしょう、ええ」
「獲物を肥やしてから食べる狼の噺みたいにね」大榎は他人事のように笑った。いや彼女にとってみれば、所詮他人事だ。
「じゃあ、やろうと思えば、いつでも、間宵を殺せるってことか」
「ご主人様も知っての通り、一日も経てば妖力は回復いたします。本来ならば、その時点で殺されるはずでした。しかし――」
「それをアネモネが封じているってことか。呪縛系統の道を使って……」僕は納得した。
「その通りです。ご主人様、ここまで事態が切迫してしまった今となっては、もうできることは一つしかありません。やはり死神つきを討伐する以外に方法は――」
でもそれは――。死神憑きを殺すとアネモネに宣言されてから、ずっと頭をもたげていた膨大な葛藤。死神憑きというのはたしかに凶悪な憑きものであるらしい。けれど、憑きものにとっては関係のないことだ。僕らがそれを阻止することは、死神憑きの存在を否定するということになる。すなわちそれは、憑きものが安心して暮れせる世界など初めからなかったと、認めてしまうようなものだ。
「でも、なんにせよ藤堂間宵は契約したわけでしょう。そして、死神憑きはきちんと寿命を延ばしてくれた。だったら謝礼をしっかり払わないと……。そんなの契約違反だわ」
にべもない大榎悠子の言葉に、僕の背筋がぞくりとした。
そうだ、彼女がいうことは間違いない。僕は求めてはいけないものに手を伸ばそうとしているのだろう。触れてはならない光に手を伸ばした者は断罪に処される。古来から求めてはならないものだってあるはずなのだ。死人を蘇らせるためなら、なにをしたっていい。そんな道理は通らない。
もし、あの人が生き返ってくれたら――。もう一度、この世に蘇ってくれたら――。そんなこと、誰しもが考えることだ。絶対に動くことのない万丈の摂理。だからこそ、出会いは美徳なものであり、別れは残酷なものとして成り立つのだ。その当然の理から逃れる方法は、決して求めてはいけない。それに――もし失敗すれば、たくさんの犠牲を払うことになる。そんな多くの命を賭ける権利なんて僕にはない。でも――。
「でも……」大榎が僕の襟首を掴み、ぐいっと顔を接近させてきた。「あなたはそういった常識を壊すのが得意じゃなかったかしら?」大榎悠子が皮肉めかして笑う。「あたしはあなたのことが嫌いよ」
「な、なんですか……急に」
「けれど、そういうところは嫌いじゃないわ。いいじゃない、くだらないルールなんて、めちゃくちゃにしてやりましょうよ」
そういうと掴んでいた手をばっと放す。その所作だけで、僕の身体は不恰好な姿勢で転がってしまった。
「ただね、難点が一つだけあるわ。たしかにあたしは藤堂間宵の身体から死神憑きを落とすことができる。でも、どうやって落とした死神憑きを討伐するつもり?」
「どうやって、といわれても……」
「今回のあたしにできることは、“落とす”ことまで、つまり、死神憑きを藤堂間宵の身体から、強制的に引っぺがすところまでよ。その出てきた死神憑きをどのようにして倒すつもりよ?」
「そうか、沙夜は守護系統の道しか使えない。それにアネモネだって、呪縛系統、道を封じる力しかない。けど、アネモネの身体能力なら……」
「無理無理」大榎が鼻で笑う。「あの程度の力では太刀打ちできないわ。死神憑きの力はあんなのを遥かに凌駕する。そのことを知っていたから、悪魔憑きが今までどうしようもできなかったんじゃない」
「攻撃系統の道を使えるのは、あずき以外にいない……」
ならば、大榎とあずきのコンビに期待するしかない。濡れ縁にいるあずきに期待の視線を投じる。指名を受けたあずきは、知らんぷりの態度を決め込んだまま、さぞ気持ち良さそうにのんびり寝転がっていた。おそらくこちらとあずきの周りとでは、十度以上は温度差があるに違いない。
「だから、そこが一番の問題なのよ」再び、大榎の方へ顔を向ける。「あとになって文句をいわれるのは不服だから、先にいっておくけれど、あたしたちの活躍をあまり期待しないことね。今回の件に関しては、あたしは“無力に等しい”から」
と吐き捨てるようにいった。一度相対したことがあるので、彼女の戦闘能力はしっかりと知っている。大榎悠子の力はまがい物ではなく本物だ。彼女が謙遜しているようには見えなかった。そもそも、謙遜するようなタイプの人間ではない。なにかわけがあるのかと、僕は勘ぐった。――が、深く考えなかった。どの道やるしかないことだし、やるしかないことならば、彼女を頼るほかに手立てがない。
「きっと、奴はあたしみたいに生ぬるくないわよ……。少なくとも説得に応じるような憑きものではない」
「わかっているつもりです」
「さて、それじゃ、時間は……あたしの方も準備が必要だから、今日中にというわけにはいかないわ。そうね……、明日の十二時くらいがいいかしら」
「明日の十二時ですね。わかりました」
「条件は二つ。一つは藤堂間宵に気付かれないようにすること。憑きもの落としは対象者が興奮した状態ではやりづらい、出るものも出ないわ。そしてもう一つは、時間を厳守すること。一応、憑きもの落としには、日の向きによって効果が変わるなんてまどろっこしい作法があるの。けっして、オカルトじみた法則に従うわけではないけれど、あたしは幼い頃からそれらの作法が神聖な儀式には大事なことだと叩き込まれてきた。要するにあたしのモチベーションにかかわる決めごとなの。いいわね?」
僕は合意した。本当は今すぐにでもとりおこなって欲しかった。間宵の身を案じて焦る気持ちもあるし、きっと一日の猶予なんて与えられてしまえば、今夜は眠ることができないだろう。それでも、ここは彼女の指示に従うべきだと判断した。素人の僕に口出しできることはない。とにかく大榎が協力してくれるといってくれた以上、彼女の言葉を全面的に信頼し、盲目的に従うだけでいい。
「あと、場所はここでいいわね。藤堂間宵をここへ連れてきなさい。あのボロ縄は今夜中に大事に備えて新調しておく。特殊な道が練りこまれたこの注連縄が張られた所では、一般人の視覚と聴覚をごまかせる。それ加え、新たに跳ね返しの道を含ませておくわ」
「跳ね返しの道?」
「死神憑きが町中に逃げれないようにする道のことよ。だからここで死神憑きと対峙することになる。異論はないわね。電車賃をけちってる場合ではないわよ」
「ええ、もちろんです。よろしくお願いします」
僕が頭を下げると、気持ち悪いものを見たといわんばかりに顔を歪め、「今日はもう帰りなさい」そう述べ、蝿を払うようなジェスチャーをした。僕らはおとなしく大榎邸をあとにして、駅までの帰路を歩き出した。明日にすべてがかかっている。そんな重たい気持ちを胸に潜めながら――。
次回 ▷ 早め、出来れば日曜日。




