#34 どいつもこいつも……(敦彦)
「グッドアフターヌーン……。ミスタートウドウ」
指示された通り生徒指導室に向かうと、やはり彼女がそこにいた。
日本人離れした顔立ち。全てを見透かしたような青眼。プラチナブロンドの長い髪。ピンク色のスーツに身を包んだ女教師。整然と片づけられた一室の中央に置かれたデスクに、長く艶めかしい脚をほっぽりだして座っている。
二か月前と同様、生徒指導室に呼び出された僕は、マリア・フランクリン、もとい大榎悠子に詰め寄った。
「ちょっと、マリアさん……。また悪ふざけを! どういうことですかッ!」
などと威勢よくいいながらも身構える。彼女にはまったく同じ手口で殺されかけたことがあるからだ。一瞬たりとも彼女から警戒を解くことをしてはならない。
「善意でやってあげたことよ。快く思いなさい」そんなつっけんどんなことを飄々と口にした。
「善意?」
「そう。あなたに一つだけ伝えておきたいことがあるのよ」
あんな手段で人を呼び出しておいて、善意などとはよくいえたものだ。
それはさて置き、伝えておきたかったこととはなんだろうか。当たり前だが、こうして隠密裏に呼び出している以上、生徒指導の話ではないだろう。と考えれば、
「それはこの間、僕の元に現れた、憑きもの殺しについてですか?」
この間襲ってきた憑きもの殺しについて、知っていることを教えてくれるとでもいうのだろうか。いや、僕らはそこまで親しい関係ではないはずだ。対立関係、もしくは教師と生徒という間柄でしかない。
「いいえ、そいつらのことは、知らぬ存ぜぬの話よ」そういい肩をすくめる。
「だったら……」
「あたしが伝えておきたいことは、ほかでもない、アネモネという憑きものについて――」
「なにか知っているんですかっ!」
僕は前のめりになってデスクに身を乗り出した。まさか彼女からアネモネの名前が出てくるなんて想定外のことだった。大体、アネモネと彼女はなんら繋がりのないはずなのだ。
「まあ、いいわ。とにかく座りなさい」
うながされるままに、僕と沙夜は生徒指導室に設えられたパイプ椅子に腰を掛けた。それを確認してから大榎は立ち上がり、給湯器の前まで歩いてゆく。どうしたのだろうと見ていれば、コーヒーが並々に注がれたカップをデスクの上に差し出してきた。なんのつもりか、沙夜の分まである。
「毒とか、入ってませんよね……?」
「試してみたら?」
手に取ったのはいいが、臆病者な僕などはどうしても口につける度胸がわいてこなかった。ためらっていると、隣にいた人を疑うことを知らない沙夜が先に口につけていた。
沙夜は一口飲んで――すぐに「ゴフッ」と噴き出した。
無論、僕は驚嘆の念を禁じ得ない。
「ひゃッ! ご主人様! これ、毒入ってます!」射的の景品のように、椅子からひっくり返った。
「なッ! 今すぐ吐き出せッ!」
背中をばしばしと叩くと、沙夜は含んだコーヒーをでろりと吐き出した。僕は大榎を睨みつける。
「や、やっぱり……!」
「まさか。毒殺なんてしたら証拠が残るじゃない。あなたたちを殺すとしたら、あずきを使うわ。死体を残さないように粉々に始末する」
大榎の声を合図に、腹ばいになっていたあずきが、スタンバイオッケーといわんばかりにぴっと立ち上がった。彼女の声色は脅迫じみていたが、毒を服用させるためにコーヒーをふるまったわけではなさそうだった。
「バカな憑きものね。ブラックのまま飲んだら、大抵のコーヒーはそういう味がするのよ」
「沙夜……。ほんとうに……毒入ってたのか?」
とんでもないものを口に含んでしまったというように、眉間にしわをよせてせき込んでいる。
「ごっほ、ごっほ……おえ……、そういえば、私、コーヒーとやらを飲んだの初めてでした、はい」
「な、なぁあ……、ひ……人騒がせな奴だな」
「本題に入っていいかしら」といいながら、銀色の包装紙に包まれた角砂糖を沙夜の眼前にとんと置いた。
沙夜はそれをつんつんと細い指先でついた後、つまんでぺろりと舐めた。先ほどまでの苦悩に満ちた表情を一変させ、幸せそうな顔をして角砂糖を口の中で転がす沙夜から視線を外して、僕は深く頷いてみせる。
「ええ、お願いします」
「あたしたちはね、しばらくの間あなたの妹、藤堂間宵を監視していたの」
思いもしなかった前口上を聞かされて、僕はぎょっとした。
「僕のように、……ですか? 間宵にまで監視を……!」
「いっておくけど、初めからよ。そうね、およそ一年も前から。第一、藤堂家の人間に徹底的に監視をつけるとしたならば、あなたにだけなはずがないじゃない。アメリカにいる藤堂間宵にも監視がつけられていたと考えた方が筋が通っていると思わないかしら? 当然、彼女の監視役を務めたのはあたしとは別の憑きもの殺しだったわ」
よくよく考えれば、危険視される対象は藤堂家の人間であり、そのように考えていくと、アメリカに行っているとはいえ、間宵も対象外とはならないだろう。大榎が昔所属していた組織の手はどこまで及ぶのか。とにかく、アメリカにまで監視の目をつけられていたなどとは、僕の想像できない規模の話だった。
「その監視していた人物は藤堂間宵と接触した。あたしと違って明朗快活な人だったから、友好的な関係を築くことに成功したわ。その憑きもの殺しとあたしは、交友関係にあった。だから、藤堂間宵の暮らしぶりは度々報告をしてもらっていた。代わりにあたしからはあなたの情報を、というように、情報交換ね」
何某かが――間宵の監視を勤めていた。ならば、日本に帰ってきてからも引き続き、間宵は監視されていたのだろうか。いや、そんな気配はなかったように思う。僕のアンテナなど当てにならないものではあるが――。
「そしたら、彼女、藤堂間宵が悪魔憑きと一緒にいるというじゃない。あなたたち兄妹は、よほど面倒な憑きものを呼び寄せてしまうようね」
「やはりアネモネは、悪魔憑き、でしたか」
大榎はちらりと沙夜の方へ目をやって、「はあ」と溜息を吐き出した。彼女の頭には、アネモネと沙夜は同類項の存在としてインプットされているに違いない。
「で、問題はここから……」
ここから――といいながら、大榎はカップに口をつける。コーヒーカップを手に持つ彼女の挙動からは、場に相応しくのない優雅な雰囲気が漂っている。
「知っています。間宵はアネモネに命を狙われているんですよね。どうして、なのか、理由は、全然わかりませんが」コーヒーを覚ましながら、僕はいった。
「はぁ? あなたの目は節穴なの?」
と突然罵言を吐かれて、僕は二の句が継げなくなった。僕には雑言に対する耐性が全くといっていいほど備わっていないのだ。
「藤堂間宵の影が“別の姿をしていた”のに、気がつかないなんてのんきを通り越して、ただのバカよ。一緒に生活していたんでしょ?」
「はあ……。別の影? それはどういうことです? アネモネが……」
「違うわよ。あれはアネモネの影ではなかったわ。それとアネモネの道は呪縛系統、相手の能力を封じる道。憑きもの筋の影を自在に操るような、そんな能力はないはずよ。そうね、この場合、色々な仮説が立ち上がるけれど、一番、理路整然としているのはこれ――何者かが彼女の影の中に入っている、当然、それは“アネモネとは別の憑きもの”――ということになるわね」
半憑依状態になれば憑きもの筋の影は、その憑きものの姿を呈することになる。二か月前の沙夜がそうしていたように、いざとなった時には、主の影の中になりをひそめることも可能なのだ。だからといって、まさか間宵が二体の憑きものをアメリカから連れて帰ってきたなどとは、考えてもみなかった。
「普段のあたしだったら、問答無用でアネモネを殺しにかかっていたところよ。なんせ、悪魔憑きを野放しにしておいたら、なにをしでかすかわからないもの。ただ、彼を殺してしまったら、藤堂間宵も死ぬことになるんじゃないかって、アネモネと対話した時にそう感じたわ。なんてことはないわ、ただの直感ね。そりゃあたしだって人の子。できるだけ人間を殺したくはないわ。不審に思ったあたしは彼女の影に目をつけた。間違いなく、藤堂間宵の影には、なにかが“いる”わ。強力で得体の知れないもの。そして、きっとそいつが藤堂間宵の命を脅かしている」
「じゃ、じゃあ、アネモネは間宵を殺そうとしていたわけじゃなくて――」
――間宵を護っていたのか。
「そう、彼女のそばで“彼女を護るために”その何者かの能力を“封じている”のよ。だから彼は道を使い続けているんじゃない?」
「間宵は、憑きもの二体を同時に使役したことによって、身体が限界を……」
――『そして、あいつはいずれ、死ぬ』
だとすれば、あの時のアネモネの発言に納得できる。
「そうじゃないわ。あなたはまだまだ自覚が足りないようだからいわせてもらうけど、あなたたち、藤堂家の妖力はそんなやわなもんじゃないのよ。あなたたちの妖力を持ってすれば、憑きものを四体は同時に使役できるわ。ただ、二体の憑きものに妖力を供給しながら、なお、アネモネは朝昼晩、連日、道を使い続けている。いつからそうしているのかは知らないけれど、こっちに渡ってくる前からずっと使用していたとなれば――」
「それじゃ、妖力が――身体がもたない……。アネモネも、間宵も――」
「そういうこと。まあ、確証はないけど……」
「だったら、どうして、二人は黙っているんですか」
「きっと、彼女の意志よ」
「ああ……」
――『お前に伝えないというのが契約だったからな』
「……それが契約だったのか。間宵の妖力を吸い取っていたわけじゃなかったのか」
――『触れるなッ! いいから……放っておけッ!』
――『あいつはやむやむ受け入れたんだ……』
「そんなこと……僕にいってくれれば……僕の妖力を……」
「ちょっと、あたしにそんなこといわないで。確かにあなたがアネモネに妖力を供給してやれば、多少は状況が好転するかもしれないわね。そうしないということには、なにかしらの事情があるんじゃないかしら。この問題は、あなたが思うよりもっと深刻なようね」
とにかく、アネモネは――。
アネモネは――。
僕はここで、どうしようもない心の高揚を感じて、沙夜の頭を叩いた。
むやみやたらに何度も叩いた。
「な、なにするんですか……!」
当然、不思議そうな顔をして頭を押さえる――憑きもの。
「バカ……だ……」
「ご主人様?」
「バカばかりだ……」
もちろん、沙夜の頭を叩いたのは、サディスティックな理由からではない。僕は胸元から込み上げるこの感情のやり場が見つからなかった。妹の身に危険が及んでいるというのに、嬉しくて仕方がなかった。
二か月前――僕の身を案じてついた、沙夜の嘘を思い出していた。
――『も~。女の子が理由も告げずに辞去する理由なんてひとつしかないじゃないですかっ!』
そしてアネモネのついた嘘。
――『俺が悪魔だからだよ。お兄ちゃん』
「ご主人……様? どうしてこの危機的状況のさなかに笑っていられるのです?」
「……うるさい、この痴女憑き。くそ、憑きものってのはどいつもこいつも――」
――嘘ばかりつく。
どいつもこいつも強がりで、一人きりで問題を抱えて、無茶ばかりをしている。
そして――人以上に、人のことを思いやっている。
そうだ。あいつは“悪魔”なんかじゃない。“悪魔憑き”なんだ。
悪魔憑きは悪魔憑きという理由だけで殺される。ずっと間違っていると思っていた。
――悪魔憑きだからといって、悪魔じみた性格を持っているとは限らないじゃないか!
憑きものが見える人たちは全員、そこをない交ぜにしてしまうらしい。だから、せめて僕だけでも、間違えないでいたいと思った。
名前やしきたりだけで性格を決めつけるのなんて、そんな占いの結果に妄執するかのような真似は真っ平ごめんだ。
それだけの情報を頭の中で整理し終え、僕は意を決して立ちあがった。冷めつつあるコーヒーをブラックのまま一口で仰いだ。口の中いっぱいに苦みが広がっていく。
「どうするつもり?」
「今度こそ、アネモネに本当のことを話してもらう! あいつ、嘘ばっかつくから、なんとしてでも問い詰めないと!」
気炎を削ぐように大榎が口をはさんだ。
「やめておきなさい。この問題は繊細なバランスで成立しているのよ。蟻の穴からなんとやらってやつ? あなたが干渉すれば、それだけで現状が総崩れになるかもしれない。彼女らがあなたに事の仔細を打ち明けなかったのには、それなりのわけがあるんでしょう」
「……でも、なにかをしなくちゃどうにもならない時ってあると思うんです。どうにもならない時はやってみるしかないんだ。とにかく僕はもう、あの日みたいに……後手に回るのは嫌なんです。だから、進む。大事なものを傷つける前に……」
負けじと僕がいい返すと、「大層立派な信条ね」大榎は不愉快そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「それに僕はやっぱり間違っていると思うんです。憑きもののルールだとか、常識だとかは。悪魔憑きだから殺す、そういった理屈が正しいものだとは僕にはどうしても思えません。もちろん、事情を知らない僕が、とやかくいえる立場でないこともわきまえています。ですが、僕はもう少し、……もうちょっとだけ、憑きものが安心して生きていけるような……そんな世界が広がるような可能性を信じてみたいんです」
僕は生徒指導室から飛び出そうとドアへ足を向けた。そこで、しかめ面の沙夜が立ちふさがる。あの日のようにまた止められるのかと思いきや、
「今度は私もついていきますからね!」
などと意気軒昂にいうものだから、僕は顔いっぱいに苦笑いを湛えてしまったことだろう。
「わ、わかってるよ……」
僕らが生徒指導室のドアを威勢よく開けて、そろい踏みで走りだす。寸前のところで――
「ちょっと待ちなさい、藤堂敦彦」
大榎悠子に呼び止められた。振り向いて見れば、彼女は指先をちょいちょいと動かし、こちらへ来るようにうながしている。僕が用心しながら近づくと、彼女は一枚のメモ用紙を手渡してきた。
その薄ら黄土色したメモ用紙には、なにやら住所が書き連ねてあった。
「……なんですか、このメモ」
「そのメモ用紙にあたしの家の住所が書いてあるから、なにかがわかったら、ここに来なさい」
「へ? どうしてあなたがそんなことまで?」
ここに呼び出されてからずっと気になっていたことだが、どうして彼女は僕に協力的な姿勢をみせているのだろう。二か月前は敵同士だったのに――まさかよくある少年漫画のライバルキャラクターのように、唐突に心変わりを致しました、ということはあるまい。それとも、
――『さぁ、あたしは気まぐれなのよ』
あの日、彼女自身がそういったように、単なる気まぐれなのだろうか。殺そうとしたのも――。助言を加えるのも――。
「少し、……確認したいことがあって、まあ、きっと関係ないんでしょうけど……」
大榎はグラウンドの方へ視線を投げた。
風で揺れるカーテンの隙間から洩れる夕日で、彼女の顔がほのかに紅く照らされる。
その表情に――どうしてだろう、少し、胸が痛んだ。
彼女がどのような顔をしていようが、どれだけの闇を胸裏に抱えていようが、同情するほどの相手ではないはずなのに、きりきりと締めつける胸元の痛みが止まらない。
彫刻のように精巧であり、作り物めいた憂いの帯びた青眼。伏している睫。震える口元。
それは――初めて見せた、彼女の儚げな顔だった。
一時間ばかり遅れました! すみません!
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