#32 アネモネの予感とわたしの楽観(間宵・回想⑤)
アネモネと出会ってから、わたしのアメリカでの日々は大きく変化しました。もとより、楽しいことばかりだったのですが、胸のうちに微かな不安があったのです。
薄暗い夜道を一人で歩くような孤独感。アネモネと出会ったことによって、その道が太陽よりもっと淡い光、そう、まるで月光に照らされるように、ほのかに明るくなったのを覚えています。
「ねぇ、アネモネ。ちょっと裸になってくれない?」
わたしは学校から帰ってきて早々に、例の悪魔憑きにそのような要求をしていました。『ベッドで横になれ』と親指で指示します。
季節は冬――。
十一月にわたしがアネモネの主になってから、早一ヶ月が経過しています。彼と共に過ごす生活にも慣れてきたし、妖力の供給もだんだん要領がつかめてきました。
「なんの真似だ?」
大きな窓を通して外の景色を眺めていたアネモネは、あからさまに迷惑そうな顔をしました。彼は殺気の帯びた顔をしているのに、景色を眺めるのが好き、という朗らかな趣味を持つ憑きものです。
「いいからほら早く。ほらほらほら」
わたしが急かすように彼の手を引くと、アネモネは怪訝そうにわたしを見据えました。
「ご主人様の命令は絶対なんでしょう?」
「絶対かどうかはその憑きものが決めることだ」
「なるほど、いっちょまえに拒否権もある、と」
「そういうことだ」
もちろん、男性の裸体に興味があるわけではありません。憑きものの身体の構造に興味があるのです。人型の憑きものなんて初めて見たので、より強い興味がわいてでます。しかも相手は悪魔憑きというではありませんか。研究しがいがあるというものです。
「とはいっても、逆らうつもりはないが――」
といいながら不承不承と悪趣味な黒い上着を脱ぎ、彼は上半身をさらけ出しました。
褐色の肌に無数の戦傷。アネモネの身体つきは一見、華奢であるように見えました。とてもじゃないですが、逞しいとはいえないでしょう。であるのにもかかわらず、戦闘能力は著しく長じています。どういう身体の構造をしているのだろうと、興味がますます湧きあがります。
「うーん。人間の裸と大して変わらないのね」
「ほう、男の裸を見たことがあるのか?」
「アネモネ、それセクハラ」
忠告を加えてから、下手に勘違いされっぱなしは嫌だったので、言葉をつけ加えておくことにしました。
「お兄ちゃんがいるからね。嫌でも見ちゃうのよ」
「なんだ? 兄貴がいたのか」
アネモネが目を丸くしました。
「なによ、その意外そうな顔」
「いや、強情な性格をしているから、てっきり長女なものかと思っていた」
「まぁ、わたしのお兄ちゃんは情けないから、わたしの方がしっかりしちゃったのかもね」
「ん、強情とはいったが、しっかりしているとはいっていないぞ」
「あんたさ、おべっかを使うって言葉知らないの? 中学生でも知っているよ」
ごまかすようにアネモネはいいます。
「……いいじゃないか、兄貴」
その時のアネモネの目がわたしには、嫉妬の眼差しにも、羨望の眼差しにも見えました。そういえば、憑きものには家族や兄弟はいないらしいのです。生を授かった瞬間から一人だけの孤独の身。それがどれほど寂しいのか、気持ちを慮ろうにもイメージすらわきません。
「違うよ。“兄貴”って感じじゃなくて、“お兄ちゃん”って感じ」
「へぇ……。“兄貴”じゃなくて、“お兄ちゃん”なのか……。その呼び名には違いがあるのか」
「色々と難しいのよ。日本語ってやつはね」
「ならば、その“お兄ちゃん”にも憑きものが見えるんだな?」
アネモネは当然のようにいったのですが、わたしは内心で腰を抜かすほどに驚いていました。
「ひぇ!? そうなの?」
意識せずとも声が裏返ってしまいます。
「知らなかったのか。筋という言葉は、連なりを持つという意味だろう。そもそも憑きもの筋は個人ではなく、家系のことを指すんだ。配偶者の場合は勝手が違ってくるが、兄妹である場合は例にもれず憑きもの筋となる。兄妹の一人が憑きもの筋であるならば、もう一人も憑きもの筋であるはずだ」
考えたこともありませんでした。なにせ、兄はこれまで共に過ごしている間、そんな素振りを――見えているような仕草を――見せたことがなかったのです。
でも、よくよく思い返せば、兄は一人でなにかを抱えているようなそんな顔を時々していたような気もします。わたしたち兄妹は双方ともに強がりな一面があるようでした。
もしかすれば、昼夜問わずあまり外に出かけないのも、憑きものが見えていたせいだったのかもしれません。
お兄ちゃんは――今頃なにをしているのだろう?
アメリカに出国する日、わたしと兄は大っぴらな喧嘩をしましたが、かといって深刻な疎遠になったわけではなく、最近も時々メールでやりとりを続けています。とはいっても、兄から来る『元気か?』というメールに『元気だ』と返信する程度の殺伐としたやりとりのみでしたが――。
「っていうか、だったらさ、わたしの両親も憑きもの筋だったってことになるのかな」
「そうだ。両者とも憑きもの筋の場合もあれば、片方だけ憑きもの筋の場合もある。だが、確率的にいえば、憑きもの筋は憑きもの筋の人間と婚約を結ぶ可能性が高い」
「なんで?」
「人間は秘密を共有したがるだろう。特に色恋の話になればな」
「あー……確かに」
そこでアネモネは、つんと顔を背けます。
「それはそうと――、あんたさ。もっと楽しそうな顔できないわけ?」
「お前には俺が上半身を脱がされ、尚且つその境遇を楽しめるような変人に見えるのか?」
「上半身を脱がされたのに、平然とした顔をしている変人には見えるわよ。恥じらってくれた方が幾分か楽しいわ。そんなんだから薄気味悪いっていわれちゃうのよ」
アネモネはこれまで、さまざまな主人に力を尽くし、その都度、嫌われてきたと聞いていました。それは、悪魔憑きだから、という理由だけで――。
なぜなら、大抵の憑きもの筋の人たちは、悪魔憑きであるアネモネの姿を前にすると、悍ましい気持ちに駆られてしまうそうなのです。
ですが、わたしはわりと平気でした。正直な話、時々、うざったいなと思うこともあるのですが、それはアネモネの性格がうざったいなと思うだけであって、なんらかの力が働いて、うざったいなと思うわけではないのです。
「ちょっとは楽しそうな顔をしなさいよ」
「楽しそうな顔をしたところで、なにも利点はないだろう?」
「わたしに捨てられたら、また飢え死にしかけちゃうよ?」
わたしがいうと、アネモネは降参するように両手を上げました。
そんな時、自室のドアが開きました。
「あんら、ご盛んなことね」
鼻にかかった声を発しながら部屋へ入室してきたのは、にやけた顔をしたマリアさんでした。
「マ、マリアさん。部屋に入ってくる時は、ノックぐらいしてくださいよ!」
彼女はわたしと固い関係を築いていくうちに、グレゴリー家の方々とも親しくなり、このようにわたしが許可せずとも入ってくる時がありました。わたしとしては結構、心臓に悪かったりします。
「あはは、ごめんごめん。こんにちは、マヨイ」
そんな些事はどうでもいいじゃないの、というように快活に笑い飛ばします。確かにこの笑顔を前にしては、細かいことなどどうでもよく感じてしまいました。目を細め温かく笑うその顔は、わたし自身、何度も助けられてきた笑顔です。
温かな笑みを浮かべていた彼女は、アネモネに視線を向けるやいなや、表情を険しくさせました。
「どうかしら……、最近の調子は?」
「なにごともないです。迷惑ばかりかけてすみません。わたしたちのために……」
彼女には連れ歩いているアネモネが、悪魔憑きであることを告白しました。ありのまま話したいという気持ちもありましたが、正直なところ、きっと告白せずともばれてしまうことなので、余計な誤解を招く前にばらしてしまおうというのがわたしの本心でしょう――。
なにを隠そう彼女も憑きもの殺しなのです。悪魔憑きは殺さなくてはならない存在。悪魔憑きを見かけたのに黙っていることは本来、彼女が与する組織の禁止事項に引っ掛かっています。それでも彼女は黙っていてくれるどころか、わたしたちの保護を受け持ってくれたのです。
「どうされたんです? 今日は」
「ほら、美味しそうなフルーツをお向かいさんにもらったから、おすそ分け」
マリアさんが持つ籠には、色とりどりのフルーツがあふれんばかりに入っていました。
「わぁ! ありがとうございます!」
「その代わり……」
手を伸ばして受け取ろうとしましたが、マリアさんがいじわるそうな顔をしながら、くいっとフルーツの入った籠を持ち上げます。
「そこの悪魔憑きにいくつか訊きたいことがあるのよ」
彼女の真剣な表情は、ベッドに腰を下ろしているアネモネの方へ向けられています。
「ふん。なんでも聞け」
アネモネの方はといえば、満更でもないようすでした。彼の表情は大変わかりにくいものですが、追及を避けられないことを悟り開き直っているというよりも、今のこの事態を楽しんでいるようです。
「あなたの能力、それになにができるのか。事細かにいいなさい。さもなくば、あなたを愛らしいマヨイのそばにおいておくことを私が許さないわ」
そういうとぐっと眼鏡のフレームを持ち上げます。彼女らしくもない厳しめな口調でした。アネモネの動き、一挙一動を警戒しているようでもありました。アネモネは静かなよく通る声で、淡々と自身の能力の仔細を口にしていきます。
「俺の力は呪縛系統。相手の道を封じる道。ある程度の攻撃なら封じることが可能だ。ある程度というのは、一般の道とは違い、主の妖力にはかかわってこない。すなわち封じられる道は俺の力量に比例する」
「それ、本当のことよね?」
「さぁ? 悪魔憑きの言葉を信じるかはお前にゆだねよう」
「なるほどね。悪魔の囁きってやつ」
しばらく、火花を飛び散らさんばかりの勢いで、二人は睨みあっていました。また、その光景はお互いを牽制し合っているようでもありました。わたしはその間、マリアさんの始めて見せる表情に心静かに怯えていました。
「……ふ~、まあいいわ。じゃあ、私はこれで退散~♪ 邪魔したわね」
それが明るい声色だったので、わたしは面接試験で合格したような、そんな弛緩した気持ちにさせられました。彼女につられて、わたしの口調も崩れていきます。
「えー、もう帰っちゃうんですか。せっかく来たんだからゆっくりしていけばいいのに」
「悪いわね。今日は先客がいてね。時間がないのよ」
「……憑きもの殺しの依頼ですか?」
そのように時々彼女の職業を確認していなければ、あまりの温和な雰囲気に、“殺し”を生業としていることを忘れてしまいそうです。
「いいえ、友達よ。あ、そうそう、彼女も日本人なのよ。それでいて、とても優しい人。よかったらあなたも一緒にくるかしら?」
「いえ、わたしはこれからやらなくてはいけないことがあるので……。どうぞ、水入らずで楽しんできてください」
「ふふ、じゃ、そうしようかしら。そっちこそ水入らずでね」
そのセリフをいわれてから、アネモネの上半身が裸であることに気がつきました。いっそ抗弁して欲しいところなのですが、アネモネがそこまで気が利いているはずもなく、彼は一切動じずに威風堂々然としています。
「そ、そんなんじゃないですから!」
「まあ、深くまで詮索しないわ、元気でね、マヨイ」
「うー、さようなら、マリアさん」
彼女はわたしにちらりと振り返り微笑んだ後、退室しました。
「全く……、わたしがまるで、破廉恥なことをしてるみたいないい方しなくたっていいのにね」
笑いつつ、アネモネの方へ向けば、彼は厳しい顔をして、マリアさんが立ち去った後のドアをねめつけていました。しばらく閉じたドアに視軸を置いてから、わたしの方へ向き直っていいます。
「おい、お前が人から忠言を受けるのは嫌いなのはわかっている」
「どうしたの、急に?」
「だが、一つだけ忠告を聞いておけ」
いつにもなく真剣な顔をしていたので、わたしは一瞬、言葉を失いました。言葉を吐き出す代わりに、ぐっと息を呑み込みます。
「“あいつには、近づくべきじゃない”……」
「なぁに? アネモネ、ひょっとして嫉妬しているの?」
アネモネは憮然としたままなにも応えません。からかったわたしがバカをみました。この空気が妙に居心地が悪かったので、茶化したつもりだったのですが――。
「マリアさんはわたしたちの恩人といってもいい人なのよ」
「いや……、とりあえず、これだけは聞いておけ。“あいつには近づくな”」
同じ言葉を繰り返していいました。そんな二度も同じような発言をするなど、軽妙洒脱な論調を持つ彼らしくありません。それ以降、アネモネは険しい顔をしたまま、口をつぐんでいました。説得力が欠けていましたが、ただごとならない雰囲気に呑まれ、わたしは彼の意志に従うことにしました。不本意ながら、極力マリアさんとは距離を置こうと心に誓います。
アネモネが指す“あいつ”とは“マリアさん”のことだとばかり思っていました。まさかもっと別の悍ましいものであったなんて、この時のわたしは、想像だにしていませんでした。
そしてその後すぐ、彼の予感をなぞらえるように、あの事件は起きたのです。
次回 ⇒ 5/7
かなり更新が遅れてしまって申し訳ありません。
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7幕 言葉の噺 終
8幕 真相の噺 続




