#30 もう一つの出会い(アネモネ・回想③)
俺が新しい主と知り合ったのは、些細なきっかけによってだった。些細なきっかけといっても、餓死寸前まで陥ったわけなので俺からしてみれば重大な大事件だ。それでも周りの人間には俺が餓死しかけていることは勿論のこと、存在していることすら知りもしないので、やはりそのことは些細なきっかけと称されてしまうのだろう。
俺は悪魔憑き――人間などに興味はないし、人間もできるだけ俺に近づこうとしない。
しかし、俺は人間と共にいなければ生きていけない。だからといって利益さえ求めなければ、人間には俺たちと接する必要がこれといってない。そうすると必然的に憑きものと憑きもの筋の間に上下関係が生まれてしまうのだ。最近になって詮方ないと割り切ることができたのだが、これではあまりに不公平だと過去に何度も考えた。
憑きものは憑きものである限り、人間のために尽くすと約束し、妖力というものを頂戴して生きなければならない。
平素、どれだけ威張っていても、どれだけ人を殺せる力があっても、一人きりでは生きていけないのだな、そのことを今、痛感させられていた。
このまま死ぬのだろうな――冷たいコンクリートの温度を肌身に感じながら、そんなことを他人事のように思っていた。
まさか、俺ほどの男がこんな暗い路地裏で力尽きることになろうなど、一体、誰が思うだろうか。否、そもそも俺のことを思ってくれる者なんて、この世に存在するのだろうか。
決して感傷に浸っているわけではない。事実その通りだと、受け入れているのである。
誰もがみな――。
誰もがみな、初めは俺の力を欲しがるのだ。
悪魔憑きの力を活用して、悪行をしようと企てる。大手金融会社の古株やあくどい闇金、政治家。今まで俺の主となった憑きもの筋は、全員が全員、俺の力を利用し悪名を馳せた。
これまで、一度たりとも善者に使われることはなかった。善者は悪魔憑きと関係を築こうなどという発想には至らぬらしい。世間体だとか面目だとかもあるだろうが、膨大な力を前に理性を保っていられる自信がないのだろう。
俺は悪魔憑き――。その特質の一部なのか知らないが、どうやら俺を目にするだけで相手は不快な気持ちになるらしい。
だから、幾度となく主に毛嫌いされ、その度に従者という立場を解任させられた。否、あれは解任とはいわない。要するに捨てられたのだ。
俺の恐ろしさに発狂し、精神に異常を来たしてしまった者。散々使役してきたくせに俺のことが恐ろしくなった途端、掌返しをする者。影で憑きもの殺しと契約していた者だっていた。闇討ちなど何度食らったか、その回数は十指に余る。
そんな奴らに捨てられ、誰かに拾われ、人を殺し、憑きもの殺しと日々奮闘し、今日という今日まで生き延びてきた。生きることを許されていない身の上であるのにもかかわらず、しぶとく生きてきた。それほどしぶとい男が送る末路は餓死――か。
なかなかに面白い結末じゃないか、悪くない。
とかく生に執着するつもりはないのだ。悪魔憑きという境遇でありながらどうして生きているのか、生きる意味は果たしてあるのだろうか、そのような問答を数限りなく繰り広げてきた。そして結論はいつも同じようなものに行き着く。
――なんとなくだ。
――気まぐれで生きているに過ぎない。
動かなくなってきた唇の筋肉を釣り上げて俺は笑った。
自暴自棄に陥っているのかもしれない。
そんな気もするし、そんな気もしない。
なんだ、もういろいろと面倒だ……。
きっと遂に妖力が底をついたのだろう、頭が働かなくなってきた。ゆっくりと景観に浅黒い色がにじんでいく。
まあ、いい。俺のような非道な憑きものは、空しく息絶えた方がいい。
「……こんな所で行き倒れ?」
頭上から声が聞こえたので顔を上げると、俺の目前に年端もいかないような小娘がいた。俺の姿が見えているのか、憐れむような目でこちらをまっすぐと見下ろしている。
気だるい首を動かして、あたりを見渡したが、食い倒れしているような者は俺の他に周りにはいない。
――ならば、憑きもの筋か。
蓋し、俺のことを人間だと思っているのだろう。
向こうは憑きものの存在を識別する力を持たぬようだが、憑きものである俺たちは“見える者”と相対した時、たいていそれが憑きもの筋なのだろうと気がつく。見えないはずなのに視軸を向けられる――いうなれば、向こうからは見えないはずの特殊ガラス越しに覗きこまれるような、そんな気分にさせられるのだ。
相手が誰にせよ、最後の最後で声をかけられてよかったかもしれない。このまま、寂しく死んでいくよりは、幾分か、そう幾分か、死にやすいというものだ。
「放っておけ……」最後の力を振り絞って返答した。後は死ぬばかりだと想定していたが、意外と余力が残っていたのだな、としゃべってから驚かされた。
小娘はこちらの事情などつゆ知らず、飄々《ひょうひょう》と笑う。
「あはは、不景気の煽りってやつだね。いいよ、なんかおごってあげる。食べたいものない?」
「……食い物などいらん」
「ひょっとして、あなた、憑きもの?」
そこでやっと小娘は俺が憑きものであるということに気がついたようだった。
そして、気がついてからというものの、恐怖するでもなく、危惧するでもなく、畏怖するでもなく、ただひたすらに爛々《らんらん》と目を輝かせて、にやついているように見えるのは俺の気のせいだろうか――。
「ほら、じっとしてて」
“モノ”好きな小娘は、俺に妖力を供給した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いたたたた……」
路地裏の細い通りで腰をかがめて、俺と小娘は隣り合わせになっていた。俺は妖力を供給され、体調がすっかり回復している。逆に小娘の方は、どうしようもないほどの苦痛に顔を歪め、こめかみを抑えていた。妖力不足で死にかけていた俺の身体に妖力を注ぐとなれば、味わう苦痛もただならぬものだったはずだった。
「なんでさぁ、痛いなら痛いって、先にいっておいてくれないのかなー……」
「知らん。『憑きものに妖力供給するのは初めてだ』と伝えなかったお前が悪い」
「だって、マリアさんの見てると簡単そうに見えたんだもん」
そういいながら唇を尖らせた。
「まだ痛むのか?」
「痛いよ.……、死にそう。いっておいてくれればよかったのに……」
「いっておいてくれれば……」と未だにぶつくさと繰り返した。「前もって、伝えたところで変わらないだろう?」と訊くと、
「全然違うってば、危機が迫った時、『さあ来るぞ!』って身構えておきたいじゃん。そうすれば、人間の身体って意外に大丈夫なもんだよ。自分で頬をつねるのと、人に頬をつねられるのとで、感じる痛みが違うのと一緒だよ」
「理屈では……まぁ、そうかもな」
「だって普通にびっくりするじゃん。今まで味わったことのない酷い頭痛を唐突に味わったんだよ。本気で“ガン”かと思った」
「いや、“ガン”はないだろう」
「ないにしてもだよ、思ったんだからしょうがないじゃん。だって、わたしまだ中学生だよ。病気とか死とかに対して物凄く敏感なお年頃なんだってば。ああ、これでわたしはもう死んじゃうんだ――って本気で恐かったんだよ」
「ガンじゃなくてよかったな。あれは凄まじくつらい」
「ガンになったことあるの?」
「ない、想像だ」「なんだ、想像か」
ここで、これまで明朗に語っていた小娘が目を伏せた。ガンという言葉から色々な想像を膨らませてしまったに違いない。
「ああいう病気って、やっぱりつらいものだよね……」
「そうだな、病魔ってやつだろう」
「病魔?」
「不治の病の本当に怖いところは症状ではない。“死の猶予期間が与えられてしまうこと”なんだ。それほど残酷なことはない。そういう苦しみを与え精神力を削ぎ取っていくのが、病魔だ。どうせ助からない命ならば、死の実感なんてしない方がいい。この世で生きる生物は、みな、死ぬと決まった時にぽっくり逝った方が楽だろう」
「ふぅん、変なの。面白い考えだけど、わたしは違うと思うな。だっていずれ死ぬことなんて当たり前のことだし、どの生物でも初めから決まっていることじゃん。まぁ、常に身構えているわけではないけどさ。それに、不治の病を患ったって生きてれば奇跡的に助かる可能性もあるじゃない?」
「若いくせに陰鬱とした思考回路を持ってるんだな」
「うーん。中二病ってやつかな? まぁわたし、中三だけど。でもね、さっきと同じ理屈で、どっちみち死んじゃうにしても前々から死に構えておいた方が、瞬間的な痛みは少ないような気がするわけ。心の整理もつけられるしさ」
「いや、待ち構えていた方が確実につらい。元気なうちはまだ強がっていられるが、死期が迫った時になればわかるだろうさ。とはいえ、お前のような若者が死の意識をするなど、当分先の話になるだろうがな」
一体――。
会ったばかりの小娘相手に俺はなにを語っているのだろう。らしくない。
無駄話をその辺で切り上げ、俺は立ち上がった。
「本当にこれでもう身体は平気なの?」
「ああ、すまなかった」
立ち去る前に俺は感謝の意を込め、小娘に頭を下げた。人間に頭を下げることなど生まれてこの方したことなかったし、性格的に見ても、がらでもないことこの上ない。が、小娘のつらそうな顔を見ているうちに、どうしてだか、そんな気分にさせられていた。どうせ後々、嫌われるとしても、礼ぐらいいっておいたところで罰はあたらないだろう。
「……すまなかった?」
頭を下げた途端、不意に頭蓋が揺れ、視界が大きく傾いた。
「なッ!」
――一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
顔を上げて事態を認識する。頭を下げたところを狙いすましたかのように、小娘が俺の後頭部を強く殴りつけてきたのだ。身構えていれば避けて、迎撃を加えることぐらい造作もないことだったのだが、頭を下げていたところに振り下ろされるといった、あまりの唐突な出来事だったので、反応することができなかった。
というよりも、この小娘は先ほど俺を助けたはずだろう? どうして、助けた相手に危害を加えるような真似をしたのか、憑きものである俺には人間の考えが理解できん。
「おい、貴様。なにをす……」
間髪入れずに今度は平手打ちが飛んできた。迫りくるそれを軽く受け止め、小娘の腹部ががら空きだったので反射的に手をあげそうになったが、反撃するのはよしておいた。どうやら別段、俺のことを殺そうとしているわけではなさそうだったからだ。無益な殺生をするつもりはない。
小娘の右手を掴む手の力を弛めた。
「……どうして俺に牙を剥く?」
「いや、なんか無性にむかついたからさ」
小娘は俺の腕を振りほどくと、胸を張って居丈高な態度でこういった。
「すまなかったは“や”なの!」
言語が日本語だったから、とかいうわけではないが、この小娘がなんといったのか、理解に苦しんだ。
「……はぁ?」
「だって、『すまなかった』ってのは、要するに『迷惑を掛けてごめんなさい』ってことでしょ? なんでわたし、あなたを助けてあげたのに、謝罪されなきゃいけないわけ?」
「人間はそう“いう”もんじゃないのか」
過去に主が日本人だったことがある。その人間は俺に助けられると、毎回、へつらった醜い表情で、「すまん」といっていた。そういえば、俺を裏切り憑きもの殺しを召喚した時も、「すまん」といったのだったか――。
そのように順序立てて考えていくと、この小娘のいうとおり、感謝する時に「すまなかった」という言葉を選択するのは、些か不適当な気がしてきた。
「確かにさぁ、いう人もいるけど、そんなの全然気持ちよくないよ」
「……気持ちよくない?」
「そう。気持ちよくない。人が人に思いを伝えようとする時、色々な伝え方があるけどさ、気持ちいいか気持ちよくないか、そこが一番大事だったりするんだよ」
俺は腕を組んで考えるが、真面目に熟考している自分が至極、阿呆らしく感じ、ろくな考えを巡らす前に、手を解いた。
小娘はまだ話を続けようとしている。
「どれだけ当人が、『ありがとう』って思ったとしても、伝わらなくちゃ意味がない。だから言葉っていうものがあるんだよ。なのにね、不器用な人って言葉を下手くそに使っちゃうの。感謝の意思をしめすのに、『すまなかった』なんて言葉を選択するのはもってのほか、言語道断の大バカヤロウだよ」
「『すまなかった』はそんなにダメなのか?」
「当たり前じゃん。それに……、ほら、『頑張れ』って言葉もあるでしょ。人によっては、自分がこれだけ頑張っているのに、なにも知らない他人から、『頑張れ』っていわれてむかつく――みたいなことよくいわれるじゃない? でも結局は当人以外の人が誰かを応援しようと思った時、『頑張れ』っていうしかないと思わない? 本気でそう思っているなら、ありのままの気持ちを伝えるべきだとわたしは思うんだ。なんにせよ、いわないよりはマシだよ」
単純にわたしの語彙力がないだけかもしんないけどさ、といって恥ずかしそうにはにかんだ。
変わった娘だ、と思いながら、俺は少女の言葉に耳を傾けていた。
「それと一緒。だからね、感謝したい時はあざといぐらいの笑顔でこういうのよ――」
そして、小娘は長く艶やかな黒髪を宙に泳がせながら、白い歯を見せた。
「――“ありがとう”って」
その時から、俺はこの人間に――
――藤堂間宵に興味を持った。
次回 ⇒ 4/27
20話の伏線回収。




