表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小娘つきにつきまして!(2)  作者: 甘味処
序幕 再会の噺
3/51

#2 妹登場、藤堂間宵(敦彦)

◇◆挿絵(By みてみん)◆◇


 鍋焼きうどんを作る時のコツは、自室のドアを開放しておくことだ。


 ドアをもし、閉じたままにしてしまうと、完成した料理をキッチンから二階にある僕の部屋へ運んでくる際、両手がふさがっているので、ノブに手が届かない。必ずといっていいほど後になって「開けておけば……」と悔いる結果を招く。だから、ドアを開きっぱなしにしておく作業が、一番大事な工程だといっても決して大げさではない。


 二個の鍋焼きうどん、それに一品添えて、昼食をセッティングしていく。

 一応と――、自分の分も作ることにした。食欲がなかったので喉に通らないのではないかと予期していたが、不思議なことに料理をしているうちに食指が動いた。結局、食欲など気の持ちようで変わるものなのだろう。


 万全と準備が整ったので、部屋の低いテーブルに置いた鍋焼きうどんに両手を合わせて、


「いただきます」といった。

「いただき? ます?」


 すると、目前でつつましく座っていた沙夜さよが僕の言葉を怪訝そうに繰り返して、大きなツインテールを揺らす。きっと僕が口にした、「いただきます」という言葉の意味がわからないのだろう。


「ずっと気になっていたんですが、『いただきます』ってなんです?」


 この憑きものは、人間が一般論として蓄えている常識をほとんど知らない。

 だが、それを一概に悪いことだとはいえない。これらの見識はこの間学んだ訓戒だ。


 常識とは、人それぞれ別々のものを誇示しているのであり、なにか知らないことがある人に向けて、常識知らずだ、厚顔無恥こうがんむちだ、とけなしにかかるのは、ちょっと間違っている気がする。どちらかといえば、所持する常識に瑣末さまつな違いがあるだけで相手を仲間うちから排斥はいせきしようとする、そんな考え方の方が愚かしい――と僕は受け止めている。


「とりあえず『いただきます』っていうんだよ。まあ、『ありがとう』みたいなものだ」

「なにに『ありがとう』なんですか?」

「えーっと、それは……」


 本当は天の恵みにありがとうだったりだとか、農家の方々にありがとうだったりとか、この『いただきます』という言葉には色々な意が込められるのだが、目前の粗雑な作りをした鍋焼きうどんにそこまでのこだわりは見受けられないので、閉口へいこうしてしまった。


 なので――。


「こういうのは、気持ちの問題だ。なにはさて置き、感謝するんだよ」


 そう僕がごまかすようにいうと、


「ありがとうございます」とだけ言葉にし、沙夜はがっつくように鍋焼きうどんを食し始めた。

「上手くなったじゃないか」

「ふぇ? なにがです?」

「いや、なんでもない」


 初期のころはまるで覚束なかった箸使いは、今となっては手慣れたもので、宮本武蔵顔負け――とまではいわないが、器用に麺をすくい口に運ぶことができるようになっていた。箸の持ち方は多少間違っているけれど、それくらいはまあ、許容範囲内だろう。短期間でこれだけの上達をしたことに感心させられる。


 だが、“食べ物を食べる”という行為にはまだ慣れていないらしく、沙夜が立てる、くちゃくちゃという耳障りな音が、テーブル付近で絶えることはない。これまで何度か注意したことがあるのだけれど、聞く耳を持たなかった。周りの人は沙夜の立てる音が聞こえないわけだし、そのままにしておいても差しさわりないような気がするが、やはり、僕としては直してもらいたいと思う。いや、マナーや礼儀以前に、単純に不快なのだ。


「ご主人様。これはなんですか?」


 見れば、沙夜がテーブルの一点を凝視していた。視線が注がれた先には、小皿が置かれている。


「たまご焼きだよ」


 それは鍋焼きうどんだけでは味気がない気がし、小皿に乗っけて一品添えることにしたものだ。


「たまご焼き、ですか。ふぁ~、いい匂いがします。これも粗製乱造品ですか?」

「そせ……! バカいうな。真心こめて僕が作ったんだ!」

「ご主人様が?」


 自分が作った料理を人に食べてもらうのは初めてのことだったので、固唾を何度か呑み込みながら沙夜の反応に注目する。それを彼女に気取られないよう口をつぐんだ。


「ふふ、ご主人様が、料理、ですか」


 眉をひそめて、口元に微笑を湛えている。


「な、なにがおかしいんだよ!」

「えへへ、なんでもないですよ」


 失礼な憑きものだ。


 確かに僕は料理などしなかった。いつも、京子さんが不在のこの時間帯は、魔法のように作れる料理を主食としていた。添加物てんこ盛りの品々を、楽だからという理由だけで、平然と口にし、摂取することにも全くためらいがなかった。自分の身体のことなど、ちっとも案じていなかったのである。


 だが、最近になって、それでは健康を害するのではないか、と考えを改めるようになった。そして連鎖的に、料理ぐらい僕にだってできるはずだ、と思い直したのだ。


 それもまた、――二か月前。

 やはり沙夜の影響か。


「じゃ――」


 ――ありがとうございます、と今度は僕に向けていい放った。


 その後、沙夜はパクパクと玉子焼きを口に放って、瞬く間のうちに麺を平らげ、ずずずとスープを飲み、あっという間に鍋を空にした。


「美味しかったです! 鍋焼きうどんが美味しいのはもちろんのこと、ご主人様の手料理も負けないぐらいに美味しかったです!」


 素直な感想に途端照れくさくなった。恥じらうのを隠すために、頬杖をつく。


「たく、もうちょっと行儀よく食べろよな。急いで食べる必要なんてないじゃないか」

「え! 知らないんですか? 料理というものは、冷めないうちに食べた方が美味しいんですよ?」

「冷えてた方がうまい料理だってある」

「あはは、まっさかー! あるはずがないじゃないですか。私を騙そうたってそう簡単にはいきませんよ、はい」

「あー……、今度食わせてやるよ」

「あ、そーだ! ご主人様、今度私に料理教えてくださいよ」

「はは、お前が料理?」

「いいじゃないですか。自炊というやつです、はい」


 いつの間にそんな言葉を覚えたのだろう。僕は耳を疑った。自炊など憑きものにとって、無縁の言葉であるはずだ。


「気が向いたらな」


 そういいつつ、最後の卵焼きの一切れを口に放り込んだ。真ん中の方はふっくらとしたできあがりだったが、端っこの方は焦げ臭かった。まだまだ、未熟だ。


 そんな時、階下から小さな物音が聞こえた。


「あ……っ」


 僕の身体が反射的に大きく跳ねた。

 消え入りそうな音だったが、家の者ならばわかる。これは、何者かが帰宅した時に聞こえる音だ。

 玄関の扉の鍵は外れている。彼女が帰ってくることを見越し、開けっ放しにしてあったのだ。

 心臓をわしづかみにされたような感覚が襲いつけ、背筋がぞっと寒々しくなる。


「ご主人様、どなたか来たみたいですね。きょーこさんでしょうか?」


 沙夜がこの時発した、『きょーこさん』とは誰ぞか、それは後々記載していくとしよう。


「お前はちょっとここで待ってろ」


 “彼女と”沙夜を対面させてしまえば、ややこしいことになりかねない。


「はーい」


 間の抜けた沙夜の返答を背に、僕は席を立ち、緊張に足元をからめとられながらも一歩一歩階段を下りた。そして、玄関から伸びる廊下に顔を出す。そのまま戸口の方へ視線を投げた。


 そこに――間宵まよいがいた。

 初めて実感が湧いた。

 ついに、妹がアメリカから帰ってきたのだ。


 嬉しいはずだ。嬉しいはずなのだが……、

 間宵の姿を見て――。


「……は?」


 ――僕は間の抜けた声を発していた。


 腰が抜けそうにさえなったが、かかとに力を込めて、転げそうになるところをなんとか踏ん張った。


 そんな、バカな――。


「ふはぁ~、久々の我が家。家の匂いっていうのは、確かにあるのね」


 間宵は玄関から家に入ってくると、背筋を伸ばし深呼吸を繰り返した。


 その姿を確認して、


「……はぁッ!?」


 またも頓狂とんきょうな声を上げてしまった。


「あ、お兄ちゃんいたんだ」


 一方間宵は、愕然としている僕などそっちのけで、あっけらかんとそんなことをいう。

 久し振りの兄妹の再会にしては淡泊すぎる。実は海外などへは行っておらず、近場の熟から帰宅しただけなのではないかと錯覚を起こしてしまうほどの、淡く薄っぺらい挨拶だった。

 しかしながら、僕が驚愕している理由はそんなところにない。


「ちょちょちょ、ちょっと待て! 誰だお前ッ!?」

「嫌だなー、お兄ちゃん。わたしの顔忘れちゃったの?」


 間宵は細い指先で自分の姿を指し示した。


「わたしだよわたし。間宵。藤堂間宵とうどうまよい。ほら、お兄ちゃんの妹ちゃん。まあ、確かに垢抜けて帰って来たけどさー。そんな驚いた顔しなくたっていいじゃないですかー」


 妹も僕同様気まずそうであり、時々混ざる敬語が、距離感を掴めずにいることを証明しているようであった。たった一年会っていないだけで、家族はわりと他人行儀になるらしい。


「わかっているさ。お前は僕の妹であり、僕はお前のお兄ちゃんだ。他のなにものでもない」

「だったらどうして驚いているわけ? そんなにわたし変わった?」


 彼女は垢抜けたというが、間宵の容姿は出国する前とあまり変わっていない。


 歳のわりにスタイルがよく、大人っぽい容姿をしているので、留学する前の間宵を知らない者が今の彼女を見たら、劇的に成長したかのように映るだろう。けれど、それは元々であり、留学する前から彼女は垢抜けていた。

 細い線で描かれた輪郭。澱みのない円らな眸に勝気そうな眉。艶やかに輝く、黒色のロングヘアーも出国する前と何一つ変わっていない。


 大きく変わったところといえば、服装だろうか。今現在の彼女は、肌の色と同系色のパフスリーブを身にまとい、膝丈の白いスカートを着用している。どこぞの淑女のように服装が落ち着いているのだ。前まではもっと華美な服装をしていたはずだ。


 また、彼女の細い首回りに大きな桃色のヘッドホンが掛かっていた。といってもそれは、昔からそのようにでかいヘッドホンを掲げて、クラシック音楽を聴いているのであり、そこはなんら変わっていない。強いて変異点を挙げるのならば、ヘッドホンの色が青色から桃色になったことぐらいだろう。


 ただ、そんなこと今はどうでもいい。

 目の前の原状が真実であるというのならば、本気でどうでもいいことだ。


「いいや、変わっていないようで安心した。おかえりなさい。元気だったか?」

「えへへ、この通りまあまあ元気」


 胸を張りながら、気まずそうに薄く笑っている。


 しかし、僕の視線は間宵から少し外れた方へ向けられていた。もう一度“妹の背後”を見やる。


 やはり――いる。


 その驚きのあまり、頭にずきずきと痛みが広がり、手足が動かなくなる。全身の皮膚が硬直し、まるで火傷したかのようにひりひり痛んだ。開放されたドアから、生ぬるい隙間風が抜け、そんな微風で僕の身体は、粉みじんに吹き飛ばされてしまうかもしれない。そんなことを考えてしまうほどの衝撃的な事態が目前に広がっている。


 当然、“妹の姿”に驚かされたわけではない。

 妹のやや後方、玄関のドアをくぐるかくぐらないかといった際どい所に――


 何者かが――いる。

 しかも、そいつは――

 ――男だ。


 間宵もまた、はっとした顔で、僕の後方へ視線を送った。


「そんなことよりも……間宵……」

「って……あれ? お兄ちゃん……」


 僕たちは、「まさしく私たちふたりは兄妹であります」と主張するように、息を吸い込むタイミングをぴったり重ね、声をそろえていった。


「「後ろの人……誰?」」


 僕の後ろにはいつの間にか二階にいたはずの沙夜がいて、間宵の後ろには得体の知れない男がいた。


 この状況を要約すると、つまりは、こういうことになる。


  ――妹がアメリカから“男を連れて”帰ってきた。


 その男はぶっきら棒な態度で頭を下げて、自己開示をするのだった。


「どうも、アネモネというものだ。以後お見知りおきを――」


 そして、目まぐるしく、痛烈で異端な、忙しない一週間が始まろうとしていた。そんな気配が、この時からすでにじりじりと迫ってきていたのだろうが、この時の僕はまだ感じ取れずにいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ