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小娘つきにつきまして!(2)  作者: 甘味処
6幕 悪魔の噺
29/51

#28 アネモネの本性と兄の意地(敦彦)

 ◇◆挿絵(By みてみん)◆◇


 午前一時――。

 僕は家がひっそりと静まったのを確認してから、身体に巻きつけていた毛布を剥ぎとって、屋上へ向かう覚悟を決めた。


 沙夜の寝顔をちらりと一瞥し、内心で「ごめん」と謝った。


 カーテンを束ねて端によせ、クレセント錠を外し窓を開けはなつと、春の風が室内に侵入してきた。向こうから吹き付けてくる春風は、『やめるなら今の内だぞ』と優しげな声色で最終通告をしてくるかのようだった。


 転げ落ちてしまわないよう慎重に窓枠に足を引っかけ、不安定な姿勢のまま庇に手をからませて、器用にのぼっていく。


 この家には長く世話になってきたけれど、屋根の上にのぼった経験など初めてだった。そもそも日頃から屋根の上などのぼる必要など、建築関係の仕事をなりわいとしている人たち、もしくは夜な夜な盗みを働く時代錯誤な泥棒ぐらいにしかないだろう。


 じんじんと痛む身体に鞭うって、身体を大きく仰け反らせ、屋根の端を掴んだ。手の平にほこりっぽい感触を捉え不快な気分になりつつも、ゆっくりと着実に身体を這いあがらせる。紺色の化粧ストレート素材でできた屋根は夜気にさらされて、とても冷たかった。


 屋根の上に降り立って前方を見渡せば、月明かりに照らされるアネモネの背中が見えた。

 彼は屋根の末端で腰を下ろしている。月を見ているのか、夜道を眺めているのか、それとも、目を閉じて熟考しているのか、判然としない角度で首を据えていた。


「おい、アネモネ……」


 僕が呼びかけると彼はおもむろに首を動かしこちらへ向き直った。まるで、もともと僕の気配に気がついていたというほどに緩慢とした動きだ。アネモネは僕に一瞥くれると、白々しく肩をすくめる。


「どうかしたか、そんな血相を変えて。らしくないじゃないか、お兄ちゃん」


 剽軽な態度で物述べる憑きものを前に、僕は肩の力を抜く。けっして彼へ対する疑惑を解いたわけではない。できるだけ冷静さを意識し、初めから疑ってかかるような角の立った物言いをしないため――それが目的だ。


「お前に聞きたいことがある……」

「主のよしみだ。なんでも聞け」


 一歩、屋根の上を慎重に歩き、憑きものの方へよった。

 どこかで、からんと空き缶の転がる音が耳に届いた。遠い所からか、それとも近場からか、それすらも把握しきれないほど、距離感のつかめない音だった。辺り一面はしんと静寂に包まれていて、宇宙空間に放り出されたかのような不気味な匂いのする静かな夜だ。とはいえ、僕の胸に特別な思いがあるからこそ、そう感じてしまうのだろう。

 よくよく考えをめぐらずとも夜は常時、このようなものであると思いなおした。隙を見せてしまえば、一気に引きずり込まれてしまうような――太陽の灯りでできた地球の影。それが夜だ。

 足元に暗黒がせり上がってくるような気味の悪さがある。その雰囲気に足をからめとられないうちに、さらに一歩足を進めて口を開いた。


「……お前はどうして、日本にきたんだ?」

「話を聞いていなかったのか? 俺はあいつの憑きものだからだ」

「間宵が主だからって理由だけか?」

「おかしいことなどあるまい。主と憑きものは比翼連理の間柄。主が居場所を変えようものなら従者である俺はどこへだってついていく」

「主従関係だから……。それだけの理由じゃないだろ」


 いくら居留地を持たない憑きものであっても、向こう《アメリカ》の暮らしを捨ててまで、わざわざこちら《日本》へ渡ってくるだろうか――。ましてや、アネモネは間宵と長く生活を共にしているわけでも、間宵の恋人というわけではないのだ。


「なにがいいたいんだ?」


 おどけるように肩を脱力させるアネモネ。


 アネモネから放たれる異様な空気というものは確かにあるらしく、彼と対立しているだけで肌身に寒気が襲ってきた。震えていてはいけない。背けていては見えるものも見えやしない。


 ――前回はそれで失敗したんだ。今回は、今回こそは、ことが起こる前になんとかしてやる。


「お前、“悪魔憑き”なんだろ」


 途端、アネモネの肩がぴくりと震え、表情がこわばった。

 もはやその露骨な反応が肯定を物語っているようなものだった。


 きっと沙夜の立てた仮説は間違っていないのだろう。人が生きる上で必ず持っている生の本能が警鐘を鳴らしている。

 それでも、否定して欲しかった。核心に触れたくのないようで、聞かなくてはならないと思う意識が錯綜して、僕の精神が脆く形を崩す灰燼のようにぼうっと錯乱していく。


 否定してくれ――という願いを呆気なく散らすように、


「そうだ。俺は悪魔憑きだ」


 とアネモネはいった。


 元々隠すつもりはなかったのか、頬を綻ばせるその表情は、よくぞ見破ったと賛辞する嬉々とした顔であるようにも見える。

 僕はぐっと息を呑み込み、掻き乱された胸裏を整然とした意識のさなかへいざなっていく。落ち着け――と自分にいい聞かせ続けた。


「驚いたな。素人のお前が俺の正体を見破るなんて」

「お前は本当に悪魔憑き……なんだな?」

「逆に問うが、悪魔憑きだと、なにか問題があるのか?」


 僕は高ぶった気持ちを精一杯抑えるべく、一息ついた。

 遠くの空から、けたたましい音が流れてくる。大通りで行き交っている車の音だろう。今日も、今夜も、この時も、周りの日常はいつも通りに流れているのだ。


 この空間だけが異端だ――そんな思いが巡る。

 屋根の上で憑きものと向かい立つなど、非日常の事態だ。非日常なことほど恐い。少しだけ、憑きもの殺しの連中の気持ちが汲みとれた。

 一度震えだした身体はなかなかとまらなかった。恐怖をごまかすため人は無意識のうちに、怒りや悲しみ、諦観、悲観、違う感情で打ち消そうとする。だが、この状況においては、怒りに身を任すことも、心細いと泣き言をこぼすこともできない。してはいけない。冷静な判断をするためには余計な感情を持ち出すべきではないから――。


 どれだけ怖くとも逃げてはいけないのだ。

 伏せていた顔を上げた。


「そんなことはどうでもいい。お前が悪魔憑きであるかないかはこの際、どうでもいいんだ」

「……ほう」アネモネは眉をつり上げた。


「俺が悪魔憑きであっても、問題はないと?」

「いいんだよ。そういう面倒な呼び名だとか肩書きだとかっていうやつなんて」

「人間は肩書きをつけるのが好きな生き物だと思っていたが――」

「好きなわけじゃない。身分を明確化させるために使っているだけだ。まぁ、それを勲章のように誇示して悦に浸りたがる人たちもいるらしいけど、僕はそういうのに興味がないし、それだけを理由に人を判断したくはない。いや、そんなことはそれこそどうでもいいな」


 僕が気にかけている点はただ一点。

 どうして――。


「アネモネ。なぜ、僕に打ち明けなかったんだ。自分が悪魔憑きであることを、打ち明ける時間なんていくらでもあったはずだ。理由があるなら聞かせてくれ」


 己が悪魔憑きであることをあえて、僕に公言しなかったというのならば、やましいことがあるということになるだろう。隠していれば、遅かれ早かれ面倒なことになろうことなど、簡単に想像がつくはずだ。僕にはアネモネがそのことに気付けないほど、愚かな憑きものであるように思えない。


「お前に伝えないというのが契約だったからな」

「契約……。契約ってなんだよ?」


 ――悪魔の契約。そんな字面が頭を横切った。耳慣れたようで、非日常な世界の言葉だ。

 悪魔は人間と契約を結ぶ。そして、ほとんどが悪魔にとって都合のいいことばかり。相手の弱みにつけこむような、そんな契約。それをこいつは間宵と――。


「いや、“あいつ”はそれを約束と呼んだか……」

「あ、“あいつ”って間宵のことか! 間宵はそれを承認しているのかっ!」

「それはそうだ。なにごとにも契約するには互いの合意が必要だろう。あいつはやむやむ受け入れたんだ……」

「やむやむってなんだよ……」

「さぁ……」


 怒りで身体が震えあがったが、一度呼吸を正し、紡ぎだされた考えを一度捨ててみることにした。間宵が悪魔憑きと一緒に暮らすことになっていたとしても、どんな約束を結んでいたとしても、それは別にかまわないことなのだ。

 妹の内密的な事柄に、兄だからという理由だけで僕が関与していいはずがない。だが、妹が間違った道に進もうとするものならば、兄として、唯一の血族として、なんとしてでも正してやらねばならない。


「間宵の妖力を吸い取り続けているっていうのも本当の話なのか?」


 僕の問いの回答を選んでいるのか、アネモネは目を瞑り、顎に手を当てて沈思黙考していた。


 長い、長い、沈黙だ。


 沈黙が場を支配している間、目をしばたかせるたびに、月の位置が極端に変わっていくような錯覚に見舞われた。できそこないのアニメーションのように動く月が、暗雲に一度隠れて、暗雲の切れ間から顔を覗かせる。


 たっぷりと間をおいてから、アネモネはいった。


「そうだ。俺はあいつの妖力を吸収している」


 続けて、


「そして、あいつは――」


 夜空を仰いだ。


「――いずれ、死ぬ」


 明晰とした声色でいい切った。


 その拍子に背筋が凍りついた感覚に襲われ、全身の血管が脈打った。背中と服の間に氷水を注がれたかのようにぞわぞわとする。次第にへなへなと抜けていく身体の力を転んでしまう寸前のところでなんとか踏ん張らせ、意識をアネモネへと紡ぐ。


「死ぬ……だって……。……お、おい、冗談はよせよ!」


 毅然としているつもりだったが、どうしても声が震えてしまった。

 唐突すぎる言葉に頭が追いついていかないわけではない。信じたくないという思いが率先して働いてしまい、頭がアネモネの言葉を聞き入れようとしないのだ。

 入ってくる情報を聴覚のみならず、知覚、視覚、全神経が弾きだそうとしている、そんな感じだった。


「お前、本気でいってるのか?」

「本気もなにも、それが事実だから仕方ないだろう」

「……なんでだよ、アネモネッ!」僕は怒鳴った。

「さぁな、俺もよくわからない。だが、事実であることは間違いない」


 はぐらかすようなアネモネの弁舌は、緩やかのようでいて冷淡であり、鋭い鎌の刃先でもって僕を絶望のふちへ突き落としてくるかのようだった。


「妹を……間宵を解放してくれ……!」

「それは無理な相談だ。契約内容だからな。解放して欲しくば――」


 アネモネは――。

 そっと、闘う姿勢を見せた。


「――力づくでこいよ」


 僕はなりふり構わず跳びかかった。


 よく耳にする表現だが、まさしく意識よりも先に身体が動いていた。ない交ぜになった諸々の感情が一斉に沸騰し、爆発し、誘発し、行動を起こさせる。今日、彼の闘いぶりを僕は目前で括目している。自然の流れには人間は逆らうことができないように、きっと人間が闘って到底かなう相手ではないのだろう。相手の力量はわかっているが、それでも挑まずにはいられなかった。


「なぜだッ! 理由をいえ、アネモネッ!」


 勢いよく距離を詰めて、思いきり拳をふり上げる。威勢よく跳びかかったはいいが、どのように闘っていいのかわからないので、間の抜けた恰好になっていたことだろう。僕は生きてきて今まで、決闘と呼ばれるような喧嘩をした経験はもとより、人を殴ったことすらないのだ。


「……悪いが、いえないな」


 アネモネが首を曲げたことによって、ふり下ろした拳は音をたてずに宙を切った。こんな鈍い攻撃が通用するとは思えない。それでも、何度も何度もアネモネ目掛けて腕をふるう。アネモネは一歩一歩後退しながら、微風にそよぐ柳のように僕の拳をよける、かわし続ける。


「僕はお前のこと、認めていたんだ! いい奴だと一瞬でも思っていたんだ! お前になら、妹のことを任せられるって!」

「ふん、知ったことか」


 大仰に殴りかかった拳は容易く弾かれて、隙だらけの顔面にアネモネの拳が来るのが見えた。咄嗟に身を仰け反らせた。冷静さを欠いていたため考えなどなかったが、ここが斜面だったので、偶然、転げるようにしてアネモネの魔手をかわせることができた。

 僕の拳とはけた違いな威力を誇っており、頭上三十センチ上を轟音が通り抜けた。きっとここが屋根でなかったのならば、僕は今の一撃で沈んでいたことだろう。はからずも地形が幸いしたことになる。


「……ほう、中々の立ち回りじゃないか。闘いの心得でもあるのか?」

「ふざけるな。決闘なんて初めてだよ」勢い余って転げた身体を起こして、改めてアネモネをすがめた。


 これだけの運動をしていれば、自然に汗が滲み出てくる。じとりと伝うその汗は、身体が熱いからという理由だけでたまっているものではない。異様な雰囲気に呑み込まれつつあるのだろう。


 僕は服の袖で額の汗をぬぐう。続けて、口元にたまった唾をぬぐった。春の夜はひんやりとしているようで温かい。不快ではないが、精神的な理由からか、心地がいいとは感じられなかった。


 僕の打撃はことごとく軽い身のこなしでよけられた。しかし、憑きもの殺しと闘った時、アネモネはもっと凄まじく強かったはずだ。きっと、手加減をされている。


 その事実を認識した時、負の感情がわきあがった。

 ――手加減されている。情けをかけられている。見下されている。

 それが異常に悔しかった。


「どうして……助けたんだ! 僕のことを……! 間宵が悲しむからじゃなかったのか!」

「そんなもの、気まぐれだ」

「間宵の妖力を吸い取ってなにするつもりだよッ! お前はなにを企んでいるッ!」

「……さぁ」

「もし、お前が間宵の命を脅かすようなことをしているなら、僕が許さないッ!」


 僕は渾身の力を込めて、彼の顔面目がけて拳を振りきった。相手の顔に攻撃を加える時まともな感性の持ち主ならば少しは躊躇(ちゅうちょ)するのだろうが、理性が完全にシャットアウトしてしまっている今の僕には、一切の戸惑いがなかった。


 アネモネは――。

 ――避ける素振りを見せなかった。


 攻撃はそのまま鈍い音を立てて、彼の左頬に直撃した。しかしアネモネは動じない。振りきったつもりだったのだが、異常とも呼べる重厚なボディバランスに食い止められ、振りきるに至らなかった。


 その姿勢のままお互い、ぴたりと静止した。

 少しだけ、アネモネは首の角度を変える。

 アネモネの口の端につうっと血が滴った。

 人間と変わらない真っ赤な血が――口から――。


 その口元が――

 ――いやしく歪んでいる。


「やれやれ、これで満足か? お兄ちゃん」


「う、……うぁああああああああッ!!」


 僕は、竦み、怯え、おののきながらも、偏に拳を振りあげた。

 無根拠に――。無意識に――。無感動に――。

 悪魔にたぶらかされた愚者のように――……。


 もう既に、僕はアネモネの雰囲気に呑まれていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……う、ぐ」


 どんな応酬があって、どんな攻撃を食らって倒れたのか、覚えていない。ただ一ついえることは、倒れたのは僕の方だったということだけだ。

 アネモネは、闇雲に叩きつけた拳を何発も食らっていたはずなのに、息一つ乱れていない上に、一糸乱れぬ服装のまま、僕に背を見せ屹立していた。


「どうして……間宵を…………」


 ――『お前が死んだら、あいつが悲しむ』


 立ち上がったが、重力に耐えかねた膝はがくりと折れ、崩れるように転がってしまった。咄嗟に腕で支えたので、そのまま屋根から転げ落ちることこそなかったが、僕は見るも無残に四つん這いになっていた。


「やめ……てくれよ……アネモネ……」


 喉元からは細々とした声しか絞り出されない。


「僕には……もうなにもないんだよ……。間宵を失ったら……、なにもなくなるんだよ……。僕から……これ以上僕から……」


 ――家族を奪わないでくれ。


 アネモネは背中をこちらに向け、無言のままだ。


「お前だって、間宵のことが大事じゃなかったのかよ……。主だからって、……お前……いってたじゃないか……」


 アネモネはなにも答えない。


「僕は、あの時……、嬉しかったんだ。どうしてだかよくわからなかったけどさ。どうしようもなく嬉しかったんだよ。なぁ、アネモネ。どうして……お前、嘘なんかついたんだ……」


 ――教えてやろうか、とずっと沈黙を続けていたアネモネが低い声を発した。


 突然こちらへ振り向き、身をかがませて僕の顔を覗き込んでくる。


「――“俺が悪魔だから”だよ。お兄ちゃん」


 そういうと、醜悪な笑みを見せた。


 お前は“悪魔”じゃなくて、“悪魔憑き”だろ――という言葉は声にならなかったが、月の灯りで僕の影とアネモネの実像が繋がっていたために、“思い”となって彼に届いたかもしれない。


 信じたくなかったが、やはり、アネモネは――

 ――間宵を殺そうとしているのか。


「まだ猶予はある。運命に抗いたいのなら、自分の手でなんとかしてみせろよ」


 静謐せいひつな夜空に響くアネモネの声は、多分に広がることもなく、横たわる僕の心に浸透した。



 次回 ⇒ 明日か明後日


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