#27 悪魔憑きだから悪魔らしく(敦彦)
「ご主人様は、“悪魔憑き”というものをご存知ですか?」
実例を知らないので、鮮明な恐怖とは程遠いが、そのおぞましさは、その愕然とすべき恐怖は、“悪魔”という言葉からだけでも充分に伝わってくる。
屈んだまま顔を上げる。沙夜の顔を見る。
「悪魔憑き……だって?」
初めのころ、沙夜がいっていた。
――『有名なものでいうと、狐憑きや悪魔憑きといったものがあります。それはご存知ですか?』
あれから、自分なりに憑きものについて調べている時、資料を読んで知った。
悪魔憑きとは、西洋に伝わる言い伝えの一つである。
悪魔憑き――。人間に取り憑き、悪害を及ぼす憑きもののことだ。悪魔に取り憑かれた人間は、凶暴な性格になり、物凄い形相で人を襲う。そんな憑きものとして知られている。
欧米には、対悪魔の悪魔祓いなどという儀式まであるらしい。神父が十字架や聖書を掲げて、聖水をふりまき、「出ていけ」と脅す、物々しい儀式だ。
映画や小説でも登場するほどの有名な憑きものだ。しかし、有名すぎるがゆえに幻想性が肥大化してしまい、現実性が薄れてしまった。だから、てっきり悪魔憑きなどいないものだと考えていた。
――悪魔憑きは実在するのか?
「……悪魔憑きがなんだよ?」
ある予感を胸に抱えながら、沙夜に訊ねた。
「前にも述べたと思いますが、憑きものの名称には、“憑き”の前に姿を形容する言葉がつくんです」
「ああ、姿が“猫”に似ていたら“猫憑き”、“狐”に似ていたら“狐憑き”、“小娘”に似ていたら“小娘憑き”、だったか?」
その点はとても明快な理屈だった。
「その通りです。結局のところ、憑きものの種類によって、姿がそれぞれ違うところに着目し、わかりやすく分類するべく人間が呼んでいるのです。そこでアネモネさんの姿は……」
「……お前はアネモネが、……悪魔憑きだとでもいうのかよ」
問いかけに沙夜はらしくのない厳然とした口調で答えた。
「はい。私はそのように思いました」
「い、いや、ちょっと待てよ。あいつの姿、悪魔と全然、“似ていない”じゃないか。姿を形容するのがそのまま名称になるってんだったら、そりゃ不適切だろ」
そういってから首を傾げる。不吉な予感に心臓が早鐘を打つ。
――悪魔の姿と似ている?
憑きものの名称は、憑きものが自発的に名乗るのではなく、人間によってつけられるのだ。
そもそも、悪魔の確かな姿を知っている人間ははたしているのだろうか。神話、幻想文学、聖書、様々なジャンルで悪魔というキーワードが取り上げられるが、その実体を見た者はおそらく、この世にいないだろう。科学的な通念を主張すれば、結局のところ悪魔というものは、架空の存在に過ぎないのだ。
小娘憑きや犬神憑きの場合とは違う――。
悪魔とはある種、恐ろしいものを形容する時に使われる概念だ。だから、姿や形など関係なく、人間が想像した悪魔の逸話、それとよく似た性質を持つ憑きもののことを、悪魔憑きと呼ぶのではないだろうか。
「あくまでもこれは推測の域を出ませんが、アネモネさんはやはり悪魔憑きです。あの尖った耳は悪魔憑きの一つの特徴であるといえるのです。道は個体それぞれですが、並々ならない戦闘能力を持っているといわれています。更に、悪魔憑きには共通している特徴がありまして、それは相手に、“苦痛を連想させる”ことなのです、はい」
「苦痛を連想……?」
「わかりにくいですか? もっと端的にいってしまえば、“痛い気持ち”になる――つまりはアネモネさんを目の当たりにしただけで、恐ろしい、不気味だ、そういう感情を抱いてしまうわけです。その点について、心当たりはありませんか……?」
「……ある」
あった。最初からそうだった。
――『嫌だ』
――『なにが嫌なの?』
あいつは出会った時から――“嫌”だった。
憑きもの殺しの連中だって、アネモネと闘った時、パニックを起こした。アネモネの薄気味悪さを前にして冷静さを失ったのだ。その理由をアネモネが悪魔憑きだったからだと仮定すれば、とても整然としているような気がした。
「で、でもさ……。アネモネが悪魔憑きだからってなんなんだよ。そんなの関係なくないか? 悪魔憑きだからといって、悪魔じみた性格を持っているとは限らない。お前の話から推察すればさ、アネモネが悪魔憑きであったとしても、悪魔らしい性質を持っているだけだろ」
たとえ、他の憑きものを凌駕する戦闘能力を持っていても、顔を合わせただけで嫌な気分にさせられるとしても、だ。
――『お前が死んだら、あいつが悲しむ』
悪魔憑きだから、悪い憑きものだ――。そういう風に判断したくはない。
それなのに、嫌な予感が増していく。この話は、“なにかと似ている”のだ。
「心優しいご主人様なら、そういってくださると思っていました。そうです。悪魔憑きは悪魔らしい性質を持っているだけであって、悪魔じみた性格を持っているとは限りません」
沙夜は小さくはにかんだ後、沈痛な面持ちになった。
「どうした……?」
「ですが……」
沙夜はしばらく、迷っていた。口の中でもごもごと言葉を選んでいるようだった。
「……どうやら、アネモネさんは、“間宵さんの妖力を吸い取り続けている”ようなんです」
僕の身に戦慄が走る。
間宵の妖力を――。
吸い取る――。
妖力は人間の力の源だ。元から妖力を持たない者は妖力がなくとも日常生活に支障を来たさない。だが、妖力に頼ってきた者が、妖力を吸い続けられてしまったらどうなるのか。
きっと、
死ぬ――。
「それは、確か……なのか?」
「あの……ひょっとすれば、道を使っているだけなのかもしれません。だから私は異常な妖力の流れを感じていながらも楽観視していました。それが……アネモネさんの周りの妖力の流れが尋常でないほど異質なのです。生活している時はおろか、私たちが寝ている時までもアネモネさんの周りに妖力の流れを感じます。夜間、ずっと道を使用しているとは、とてもじゃないですが、考えられません。そうする理由が見つからないのです」
――『俺は寝ない』
「……いつからだ? いつからアネモネは間宵の妖力を」
「わかりません。ずっと気にしていませんでしたから。妖力の動きを明確に感じ取ったのは昨夜が初めてです。ただ一ついえることは、憑きものが普通に暮らす分より、はるかに多くの妖力がアネモネさんに供給されていることは間違いありません」
「でも、だからって、あいつが……」
「はい。アネモネさんが悪い憑きものであるとは限りません」
“悪い憑きもの”という時、自分に罪の意識があるからか、沙夜は表情に苦渋を呈した。
「ひょっとすれば、アネモネさんと間宵さんの間になにかしら、深い事情があるのかもしれません。私たちがそこまで思いつめることではないのかもしれないです。それでも、アネモネさんが間宵さんの身体を気にかけず、妖力を吸い取り続けている――そう考えれば、先ほどの間宵さんの立ちくらみの説明がつくのです」
「あれが妖力不足のせいだとでもいいたいのか」
「はい……。間宵さん、かなり無理しているようですが、相当疲弊しています。このままでは…………身体がもちません」
僕の焦りが頂点に達しそうになった。
受け付けられない。
アネモネは悪魔憑きで、間宵の妖力を奪い取っている。
そんなわけが――。
「いや、でもひょっとすれば、さっきの戦闘の時に使った分の妖力を回復させただけなのかもしれないじゃないか。だから間宵の妖力が消耗しているんだろ。はは、そうだよ。だってそうじゃないか。僕だって二か月前の戦闘の時……、精神的、肉体的に相当やられたぞ。その時だって……その時みたいなことが……」
「そう……だといいのですが……」
「なに浮かない顔してるんだよ……。あいつは……そんなやつじゃないよ……」
自分自身をいい聞かせるように、発言したつもりだが、嫌な予感は一切払拭されなかった。
沙夜は重たい唇をむりやりに開かせると、物凄くいいにくそうな苦々しい顔を浮かべて声を発した。
「人型の憑きものはそれぞれ人間と変わらない人格を持って、人間のような心理的発達をします」
不意に発された話に、僕は戸惑った。
「心理的発達? 人間のように……ってのはどういうことだ?」
「はい、つまりは年月を重ねるにつれ、少しずつパーソナリティが形成されていくということです。憑きものの人格は成長します。この世にぽっと振り落とされた瞬間から完璧な人格を持った憑きものなんていません」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんの話だ。それがどう関わってくるんだよ」
「いいですか、ご主人様。憑きものには、“幼少期がない”んですよ。急にこの世に振り落とされて、人間の赤子のように産声をあげる……そんなことはありません」
「ああ、憑きものが生き物だって聞かされてから、ずっと不思議に思っていたんだ。憑きものはどうやって成長してきたのだろうってな。そうか、幼い頃なんてなく、お前たちは初めからその姿だったのか。赤子に世渡りしろといっても無理だもんな。一般人に見えないというのだから、なおさらだ」
人間の場合、幼児期から幼少期の時にある程度の“殻”を作る。世に出回る常識やルールを無秩序的に取り込んで、社会性や個人性といった“殻”を作り上げるのだ。無秩序的ゆえに、人によってそれぞれの違った殻、つまりはパーソナリティができあがる。
常識、倫理観、道徳観、社会的通念――。
憑きものには――幼少期がない。
沙夜が一般的な人間が持つ常識と、大きく異なった常識を持つことになった原因も、せんじ詰めればそこにあるという考えに帰着するだろう。
「憑きものは、生まれつき持った気質もありますが、幼き頃の暮らし、または親の影響で性格が決定されることはありません」
「幼少期もなければ、親もいないからだな」
「とはいっても、先ほど申し上げた通り、私たちは世に発生した段階で独り立ちしていなければならないので、ある程度の人格は初めから与えられています。ですが、それだけではなく、当然といえば当然なのですけれど、“後から人格が形成される”ことだってあるのです」
「後から人格が形成されるというのは……つまり……、どういうことだ?」
「人間の場合、遺伝的な要因と環境的な要因が影響し合って、パーソナリティは形成されていくと聞きます。遺伝的な要因とは、遺伝子によって組み固められた初めから備わった性質。一方、環境的な要因とは、成長していく過程、周りの環境、状況に変じて組み込まれていく性質です」
「それはそうだ。でも、それは人間の場合は……って話だよな。憑きものに親はいないということは、遺伝もなにもないじゃないか」
「ええ、その通りです。だから憑きものという生き物は、生きていくにつれ、環境的な要因を基盤として人格が構築されていくのです。私は少なくとも小娘憑きだからという理由で、自分の性格を決定づけてきた節があります。それにご主人様もよくご存じだと思われますが、前のご主人様と共に過ごした影響で、私は少々周りと違った常識を持っていました」
確かにその通りだ。
「そして……、ここからは私の予断なのですが……。アネモネさんが悪魔憑きであった場合、アネモネさんが成長過程で、どのように考えると思いますか?」
「小娘憑きだから……小娘らしく……。悪魔憑きだから……」
「“悪魔憑きだから悪魔らしく”しよう。もし、そのように形成されてしまえば……」
「あ……」
――そうだ。
悍ましい不安の正体がやっとわかった。
この話は似ている。
憑きものの人格形成は、“血液型占い”と似ているのだ。
僕は血液型占いを全く信じていない。むしろ忌み嫌っているといってもいいぐらいだ。
だが、その全てを認めないというわけではない。生を授かった瞬間から、血液型に基づいて性格が決められているとは考えられないが、前にいったように、“後天的にそうなる可能性”はある。
A型だから――几帳面に。B型だから――マイペースに、O型だから――、AB型だから――。
それらの言い伝えや迷信は、時に暗示や催眠と似たような役割を果たす。ようするに、思い込ませる効果が働くのではないだろうか、というのは僕の考えだ。
そうだ、似ている。
与えられた“名称”がそのものの“実態”になる。
悪魔憑きだから――悪魔らしくしよう。
そこまで着想して、僕の内心にあった危機感が膨れ上がった。正直にいってしまえば、アネモネに向けての不安が確実なものへ変容した。そして僕は、家を飛び出そうとドアの方へ振りかえった。
「どこへ行くつもりですかッ!」
「そんなの決まってんだろ! アネモネに会いに行く! そんなことは本人に聞いた方が早い!」
「待ってください! もしアネモネさんが本当に悪魔憑きだったらどうするんです!」
沙夜が僕の手首をつかんだ。僕はそれを乱暴にほどく。
「放せよっ! そんなの関係ない! とにかく話をしに行く! もし、間宵に危害を加えようとしているなら、黙って見過ごしてたまるか!」
今さら、兄として――などと、いえるような立場にはない。
どうして、僕にいってくれなかったのか。それは僕が甲斐性なしだからだ。
「ご主人様では絶対に太刀打ちできません! 見てなかったんですか、アネモネさんの道! それに身体能力の方もただならぬものではありません!」
「うるさいなッ! そういうのにかまってられない時だってあるんだよッ!」
僕は鋭く怒鳴った。沙夜のいいたいこともわかる。理屈はわかるのだ。
沙夜が目の前に立ちふさがった。彼女を乱暴におしのけてリビングのドアを開く。
「無茶ですッ! 少し冷静になってくださいッ!」
沙夜はそれでも僕の袖を引っ張ってきた。その執拗さに苛立った。沙夜に向けて怒鳴り声を飛ばす。
「お前にはわからないかもしれないけどな……! 人間には家族とか兄妹とか絶対に断ち切れない大事なものがあるんだよッ! 護りたいとかじゃないんだ、護らなくちゃいけないんだッ!」
かけがえのないもの――。
かけがえのない――かえがきかないもの。血のつながり。
両親が死んだ今、僕には間宵しかいない。
僕が間宵を――。
護らなくては――。
「邪魔だよッ! どいてくれッ!」
僕は沙夜の肩にぶつかるようにしてリビングを出た。
半身を廊下に出してから、はっとした。
玄関へと続く廊下を一歩踏みしめて、立ち止まった。
なにをいっているんだ僕は――。
沙夜にだって――。
憑きものにだって、親はいない。
おろか、兄弟もいない、
失ったわけではない、始めからいない。
彼女は生まれた瞬間から――生涯孤独の身だった。
天命的に授けられた、かけがえのない繋がりを護りたい気持ちがわかるはずなかった。
わかりたくとも、持っていないから、わからない。
僕は沙夜に背中を向けたまま、「……悪い」と謝った。とてもじゃないが、振り向き、彼女の表情を見つめることができなかった。
「いえ、お気になさらずに、結構です……」
とん、と背中に小さな衝撃があった。僕の背中に沙夜が額を載せた。彼女のツインテールの毛先が僕の手に触れる。
「ですが……私だって、……」
その声はどうしようもなく震えていた。僕は振り向いて、沙夜の震える肩を支えた。その時、一瞬、彼女の眸に涙が見えた。
「私だって、あなたを失いたくありません……」
「悪かった……」彼女の肩を抱きながら、もう一度謝った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜、沙夜が寝静まってから、僕は家を出ることにした。もちろん、アネモネに会いに行くためだ。あいつは夜間、屋根の上にいるらしい。
沙夜の忠言を聞かないわけではない。ただ、危険でもなんでも、行かなければならない。いざとなれば、力ずくでアネモネと向かい立つ。穏便に解決するつもりなど毛頭ない。もし、間宵に危害が及ぶのであれば己の身をなげうってでも護るつもりだった。
「ごめん、沙夜。欲張りだって笑われるかもしれないけどさ。僕は間宵を助けたい。それでいて――」
寝息を立てる沙夜の寝顔に向け、一息でいった。
「――僕だって、お前を失いたくないんだよ……」
とにかく、アネモネと話がしたい。
――『お前が死んだら、あいつが悲しむ』
くそ、どういうことだ。
アネモネの――助けに来てくれた時のあの表情。優しげな顔。間宵への忠誠心。
全てが嘘だったというのか。僕を、沙夜を――間宵を騙していたのか。
――『そんな理由の他になにか違った理由はいるのか?』
少なくとも僕には、あいつがそんなことをするとは信じられなかった。
むずがゆい思いに駆られながら、ゆっくりと窓の庇に手をかけた。
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