#26 ファイティング×クッキング(敦彦)
「こうですか?」
沙夜がコンロの火にフライパンを当てながら、左手でシリコン製のフライ返しを不器用に扱う。じゅうじゅうと音を立てるフライパンの上ではかきまぜられたたまごが焼かれている。本日、彼女が挑戦する料理はたまご焼きだ。
「そうじゃないよ。こう」
「そうですか?」
「そうじゃない。こうだって」
キッチンの調理台に僕ら二人は並んでいた。
――『あ、そーだ! ご主人様、今度私に料理教えてくださいよ』
――『はは、お前が料理?』
――『いいじゃないですか。自炊というやつです、はい』
前に約束していたように料理を教えてやることにしたのだ。京子さんが返ってくるのにはまだ時間がある。なので、その時間を狙って、沙夜に手始めにたまご焼きを作ってみる。というよりも、僕にはそれぐらいしか教えてやれる技量がない。
なにがどうあっても、こんな光景を他の誰かに見られたくない、と思う。
なんせ手取り足取り教えているので、僕と沙夜との距離が近く、必然的に身体を抱くような格好になっているからだ。
「こうですねッ!」
沙夜が掛け声と共に身体を大きく仰け反らせた。それにより、フライパンに乗っかっていたたまごが思いきりひっくり返る。ひっくり返ったといっても、フライパンの上で、ではない。信じられないことにそのたまごはフライパンの上から飛びあがり、僕らの“頭上を”泳いだ。宙に綺麗な弧を描き、焼いたたまごは一回転して、背後のテーブルに載っていた皿の上に着地した。
「どう間違えたらこうなるんだよ! 違うって、テニスのラケットじゃないんだから。投げるんじゃないよ、フライ返しを使って少しずつよせていくんだ。ほら、こう」
「こうですか?」
「こうじゃない。そうだ」
どうしてだろう――?
何度やっても失敗する。何度やってもたまごを投げようとする。もはや覚える気がないとしか思えなかった。
彼女の要領はいいのだろう。いいのだが、いかんせん沙夜はせっかちなのだ。その上、プライドが高いゆえか、料理を曲芸と勘違いしているのか、必要以上に上手く見せようとする。
「ちっともわかりません! こうなれば、本気モードでいきます!」
「はぁ、本気モードってなんだよ……?」
そして、彼女は唐突に――。
己のスカートの中に手をつっこんだ。
「って、おまッ! な、ななな、なにしてんだよッ!」
「ふぇ、えっと……。人間でいうところの脱衣というやつです」
「パ……パンツ脱ぐ必要性がどこにある!」
「窮屈で動きにくいのですよ。多分これを脱げば、もっとうまく作れると思うのです、はい」
脱いだ“それ”を泳がせながら、そんなことをのたまった。
「これ、少し邪魔になるので持っていてくださりませんか」というが早いか、僕に“それ”を手渡してきた。
「はぐッ!」
桃色した“それ”には、ひらひらとしたレースがついていて――。
なんといっても生暖かい。
「お、おお、おま、お前、いつの間に、下着なんてつけるようになったんだ!」
彼女に教室で裸体を見せつけられたことがあったが、その時にはつけていなかったはずだ。
「ほら、この間、せんとーに行ったじゃないですか。その日の夜に、えへへ……間宵さんにもらったんです。ふふふ、ご主人様、知ってますか? パンツを装着していないと“はしたない”らしいですよ?」
「ってことは――」
――つまり、入念な装飾が施されたこの布きれは、実の妹、間宵の――。
「ばぁあああ! 僕になにをさせたいんだ、お前はッ!」
僕の怒りなどつゆ知れず、沙夜は、「ありがとうございます」といいながら、作った料理の味見をしていた。何度もいわせてもらうが、「ありがとう」というのは、沙夜なりの「いただきます」だ。出された料理だけではなく自分で作った料理にも「ありがとう」ときちんといっているあたり、「いただきます」という挨拶の本質をわきまえているようでもある。
「そんなことより、ご主人様、私のたまご焼きの味を見てください」
皿の上にかまくらのように乗っかった沙夜のたまご焼きは、見た目、普通のたまご焼きとはほど遠いが、これはこれで美味そうだった。たまごを焼いているのだから、たまご焼きであることには違いない。
実際食ってみると、味付けとかどうこう以前にたまごの焼き加減がちょうどよく滑らかな舌触りであり、認めたくはないがなかなかに美味しかった。
「むぅ……、あの奇態な動きからこのような味が出せるとは、ある意味、天才的だな……」
「私としてはもっと綺麗なものを作りたいんですが……」
「だったら指示に従えって、お前がしているのは料理じゃなくてまるで格闘だ!」
「格闘ッ!?」
「クッキングじゃなくてファイティングだ!」
「ファイティングですかッ!?」
「ほら、そのぎっとぎとになったそのフライパン、一度洗ってやるから、貸してくれ。って……どうして、たまご焼きを作るだけで、こんなぬめぬめになるんだよ」
「あははは、多分、それ私のよだれです、ええ。ひじょーにお腹空いてましたから。お口からこぼれてしまったようですね、あはは」
「…………」
だとすれば、先ほど食わされたのはなんだったんだろう――。
「隠し味ってやつですね!」
「最ッ低の隠し味だよッ! 隠したままにしとけよ、せめてッ!」
ああ、もういいや――。考えるのは面倒くさい。
彼女の痴女的な奇行は今に始まったことではない。
スポンジに洗剤を微量つけ、ぎとぎとのぬめぬめになったフライパンの表面をこする。水で洗浄している時、手の平に受けた傷がじんじんと痛んだ。
「いッ! ……いてて」
「だ……大丈夫ですか」
「ああ、平気だよ……」
できるだけ元気な声を出して、平気だ、などとうそぶいたが、実のところ全身が焼けるように痛い。それはそうだ。憑きもの殺しに“痛めつけられてから”まだ二時間ほどしか経過していないのだ。足腰ふらふらの状態でなんとか踏ん張り立っている。
ならばなぜ、そんなぼろぼろな身体で、休むこともせず料理なんかをしているのかといえば、帰宅してそのまま自室に入りたくなかったからだ。料理というワンクッションを入れずに部屋に戻ってしまうと、当然、先ほどの憑きもの殺しの件が話題に挙がることになるだろう。極力話題に挙げたくなかった。
どうであれ、向き合わなければならないのだけれど、それでも、今のこの時間を失いたくない。だから、僕は――。
僕は――逃避したのだ。
この幸せな日々が崩れてしまうのが怖かった。この生活は――自分が想像しているよりも遥かに、微妙なバランスで成り立っているものだ、ということを忘れてはいけない。
――実際、壊れかけた。
アネモネが応戦に駆けつけてくれなければ、間違いなく壊れていただろう。
「もういっちょ、いってみます」たまごを手渡しながら、僕はムリに笑った。
「ああ、いってこい」
初めのうちはたまごを割ることさえもおぼつかなかった沙夜だったが、二三度反復しただけで、綺麗に割れるようになっている。しかも、片手でいとも容易くやってのける。
要領がよすぎて、教える立場としては危機感を覚えていたところだった。やはり、憑きものは、人間よりもポテンシャルが高いのか。
「あらよっと♪」
どうしても、焼いたたまごはひっくり返ってしまうわけだが。
「敦彦さん。どうしたのですか、その傷?」
そんな時、後ろから声をかけられた。
「ひ!」
「敦彦さんが喧嘩なんて珍しいこともあるんですね~」
振り返れば、いかがわしいものを見るように目を細める間宵がいた。冷蔵庫の前で腕を組んで僕のことを見据えている。
あれから一日経ったというのに――。
――『もうあったまきたッ! わたし、お兄ちゃんの妹やめるッ!』
僕のことを、“敦彦さん”と呼んでいるのは、そのことをまだ引きずっているという主張に違いないだろう。
「……なんだよ、その他人行儀っぷりは」
「なーんにも、敦彦さんには関係ありませんよーだ」
「お前、ご飯は……?」
「外で食べてきたからいいですよ~」
「あ、そ」
「料理するのはいいですけど、ちゃんと片付けとかないと京子さんに怒られ……」
「え……?」
冷蔵庫に手を掛けた時、彼女の身体が大きくよろめいた。
「間宵ッ!?」
沙夜をおいて火の元から離れるのは気が引けたが、そのまま床に倒れてしまいそうだったので、僕は大股を踏みきり、素早く腕を伸ばした。
両脇を抱えるようにして支えると、間宵はマリオネットのように宙ぶらりんになった。
「だ、大丈夫かよ……?」
呼びかけて安否をうかがったのだが、僕の腕に垂れ下がっている間宵から鋭い視線を向けられた。青白い顔をしている。
「さ、触らないで!」僕の腕を払いのけた。
「いや、だってさ……顔色も優れてな……」
「ほっといてください……!」
そして、無表情な顔で僕の横をすり抜け、そのまま階段をのぼっていった。
「本当に、どうしたんだ……あいつ……」
たとえ、どれほどの喧嘩をしたところで、誰かがなにもせずとも自ずと元の鞘に収まる。それが血のつながった家族の縁であり、悲しみや苦しみを共にしてきた兄妹の絆であるはずだ。
――だけど、この時ばかりは、なんだか勝手が違う気がした。
――『お前、将来学者にでもなるつもりなのかよ』
――『うっさいなッ!!』
首をひねって考えてみたのだが、どれだけ考えても原因がわからない。
――『今後のことだよ。留学した経験を活かしてなにか始めるとかさ。そういうのしないの?』
――『しないよ……』
――『なんだよ、もったいない。せっかくアメリカに行ったんだから、なにかしら……』
――『もうあったまきたッ! わたし、お兄ちゃんの妹やめるッ!』
きっかけはあるはずなのだが、それがわからない。僕は知らず知らずに間宵を怒らせてしまうことをしていたのだろうか。些細なことで怒っているのではなく、なにかしらの要因があるのか――。
――『今はもう、昔の僕じゃない。だから、ほ、ほら、これからは大事にするから……』
――『これからはってなにッ!? そんなの、勝手すぎるじゃない! わたしの気持ちなにも知らないくせにッ!』
やはり、いくら考えてもわけがわからない。それとも――単に僕の考えすぎなのか。
深慮をその辺で中断し、僕は調理台の前でたたずむ沙夜の方へ視線を投げた。
沙夜は料理を続けることをせず、沈痛な面持ちを浮かべていた。きっと、今日のことを思いだしているのだろう。
いつまでも逃げているわけにもいくまい。
僕は意を決して、ゆっくり声をかけた。
「沙夜、えっと……、なんだ、今日のことは気にしなくてもいいぞ」
「……え? な、なんのことです?」泣き笑いのような顔をした。
「バレバレなんだっての……。お前顔に出るから。また、僕が危険な目に遭ったことに責任を感じているんだろ。そういうの気にしなくていいって前にいわなかったか?」
「あ、いえ、そのようなことはありません」
「あ、え……、そうなの?」
あまりにも断然と否定されたので面食らった。
「確かに、憑きもの殺しの方々に命を狙われたことに関していえば、申し訳ないことをしたとは思います。ですが、ご主人様のご厚意に甘えさせてもらうことにしました。そうした方が、ご主人様は喜んで下さるかと。突然、料理を教えてやるといいだしたのも、その話題にあまり触れて欲しくなかったからのではないかとお受け取り致しました」
「う……。さすがだな。僕のことをよくわかってるじゃないか」なにからなにまで、見抜かれていた。
「……私としても、どうにかして罪は償いたいです。ですが、今日あの方々に相対した時に思いました。前にご主人様がいったように、“死ぬ”のと“償う”のとは違うと……。いえ、素直に申し上げれば、あの方たちにご主人様を殺されかけ、私自身も殺されかけ――、悔しかったのかもしれません。臆病者であるからゆえに、死ぬと決しておきながら、いざとなった時に怖気づいたのです。私は臆病者です……」
「無理することはないよ。それは僕も同じ気持ちだ。頼むから一人で背負わないでくれ」
「……はい」
この小娘憑きと出会ってから、僕は大分変わった。以前に比べて人を思いやれる人間になれたと思う。他人に無頓着だったあの僕が、だ。
そして沙夜も出会って時と比べて随分と変わった。図々しさが増したといってしまえばそれまでなのだが、ちょっとずつ、少しずつ、僕に心を寄せてくれるようになった。そして、生きようとする力が以前と比較にならないほどまで強くなった。
沙夜と一緒にいれば、もっと変わっていけるのだろう。
僕も――沙夜も――。
「だったらさ、どうしてそんな暗い顔してるんだよ?」
「私、暗い顔、してましたか?」
「してたよ。調子が狂うんだよ、お前がそんな顔してると。いつもみたいに、横柄でやかましい態度でいてくれた方が気持ち的に幾分か楽だ」
「私に破廉恥なことをされるのをお望みなのですか?」
「そ、そうはいってないだろ! ちょっと自覚があったところにも驚きだが!」
「……まぁ、その」
「ほら……、悩みがあるなら、遠慮せずになんでもいってみろ」
「…………わかりました、ご主人様のご要望に応え、包み隠さず話そうと思います。実は一つ、気にかかっていることがありまして……」
細々に言葉を並べると、沙夜は切なげに胸の前に手を重ねた。
僕はその仕草から彼女の心中を察した。
そんなに苦しんでいたのか――。
「つまり……その慎ましやかな体型のことで悩みがあるんだな……?」
いい切るかいい切らないかのうちに、沙夜にぶん殴られた。
「な、なな、なにするんだよッ! いくら胸が貧相でも、そりゃあ僕のせいじゃないッ!」
「むぅ! 私は真ッ剣な話をしてるんですよ! こともあろうに体型に触れるとは!」
――違ったのか。
わりと真剣に考えたつもりだったが。
「ああ、悪かったって。で、気にかかっていることってなんだよ?」
僕が問うと、彼女は不意にしゅんとなった。
こいつの表情はころころと変化する。
「ご主人様。アネモネさんが憑きものとしてどのように呼ばれているか、考えたことはありますか?」
「あいつの……名称ってことか?」
憑きものにも他の生き物同様に種別がある。大きな括りでいえば、人型であるか、人型でないか、の区別だ。人型でない場合はそれぞれに別称がある。犬神憑き、狐憑き、青鳥憑きというように――。
また、人型の憑きものでも個々によってわけられる。人間の姿かたちしている憑きものを総じて、“人間憑き”とはいわないのだ。それぞれの見た目から名前を取り、小娘憑きというように呼ばれる。
ならば、当たり前なことだけれど、アネモネにも名称があるのだろう。
「えー……、考えたこともなかったな。人型なんだから、沙夜と同種の……、その、なんだ、小娘憑きみたいなものなんじゃないのか? でも、なにをどう間違えてもあいつのことを小娘だとはいえないよな……。なら、小坊主憑き……みたいなのと呼ばれるんじゃ……うーん、それもいまいちピンとこないな」
「ご主人様は――」
沙夜が口を一文字に結んで、こちらに勢いづけて振り向いた。
身体を翻した際、肘が台座にぶつかって、調理台の上にあったたまごが二つ、転がった。
二つの卵はそのまま緩やかに床に落ち、あっけなく割れてしまった。落ちたたまごは床に叩きつけられて、グロテスクなほどべちゃべちゃに散乱している。
「お、おいおい、なにやっているんだよ……」
京子さんが帰ってくるまでに片づけておく必要があるだろう。
僕は先ほどまでたまごだった残骸を拾い上げようと腰をかがませる。
その中、沙夜は構わず続けた。
「――“悪魔憑き”というものをご存知ですか?」
――その言葉を聞き取ると同時に、皮膚がぞくぞくと粟立ったのを感じた。
次回 ⇒ 長らく更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
次回は明日投稿させて頂きます。




