#25 屋根に二つの影が差す(アネモネ)
「く……ぁあ」
俺は酷い頭痛に耐え切れなくなり、屋根の上でうずくまっていた。だが、案ずることはなかった。これはじきに収まるものだとわかっている。なんてことはない――“いつものやつ”だ。
今日は“使いすぎた”か。
それもあるだろうが、最近になって頭痛の頻度が著しく高くなっていることも明らかだ。
しばらくじっとしていると頭痛は落ち着いた。否、“落ち着かせて”もらった。
俺の頭痛は元々、妖力不足で生じたものだ。傾きつつある日の光に照らされてできた巨大な人影に包まれて、俺の身体に妖力が供給される。何者かがこの屋根にのぼってきて、そして、故意か過失か知らぬが、俺に妖力を供給してくれたらしい。
酔狂な人間もいたものだ、と振り返る。
「ずーっと能力を使用しているようだけど、“彼女に”なにをするつもりなの?」
「……彼女?」
「しらばっくれないで。あなたが“藤堂間宵になにかをしている”ってことは、わかっているのよ」
逆光により顔が薄暗く、不明瞭に映った。目を細めて見やれば、段々と顔が露わになっていく。
堅硬そうな張りのある肌、線の綺麗な鼻梁、煌々としている青眼。
まさに明眸皓歯――。目鼻立ちが日本人離れしているので、一見、欧米人であるように見受けられたが、風格は柔らかく、のっとりとした喋り方が日本人であることを証明しているようでもあった。
それと女は憑きもの――犬神憑きを引きつれていた。
見た目は黒い中型犬。憑きもの殺しの印がある。
となれば、この女は憑きもの殺しなのか――。
「それに、藤堂敦彦を助ける。だから、“妖力が不足する”んでしょ。随分つらそうじゃない」
「見ていたのか?」
「わけあって、あたしはあの兄妹を監視しているのよ」
「監視?」俺はわざとらしく眉をひそめてみせた。
「そう、監視――。莫大な妖力を持った憑きもの筋は危険だっていう話。だから監視してるの」
「あの兄妹が――危険か」
「そうよ。危険すぎるわね。だから、場合によっては――」
「場合によってはどうする?」
女は――。
「殺すわ」とだけ口にした。
「ふん。風変わりな人間だな。第一に屋根の上は、人間がのぼってくるような所ではないだろう。気をつけた方がいい。人間には危険な場所だ。落ちたらただではすまない」
「そりゃそうよ、人間だもの」
プラチナブロンドの髪の女は、どこぞの詩を詠むように、抑揚をつけていった。
「それに――」
俺は膝を屈伸させ、爆発的な速度を発揮し、女に詰めよった。
我ながら、最高速だ。
「――ここはよく滑るッ!」
その勢いを利用し、俺は足を思いきりしならせて女の足を挫こうとした。
今しばらくの間はあいつによってくる者どもを全て、排斥したかった。あいつのことを思ってやるわけではない、単純に、現段階での他者の介入は俺の契約の邪魔になるからだ。
それに直感が語っている。この女は脅威に成り得る存在だ――と。
情け容赦なく、迅速に攻撃を仕掛けたのだが、女はそれをこともなげによけ、これまた、なにごともなかったかのように姿勢を正した。ダンスのステップを踏むような軽やかな身のこなしだった。
俺は距離を開けて、女と対立する。
――目算、三メートル。
「ご忠告ありがとう。本当によく滑るみたいね」
「ほう……」
感心した。この国は平和なはずではなかったか――。
この女、ただ者ではない。予期していなかった来訪者に俺の身体は無意識に興奮していた。びりびりと頬を伝うこの緊張感。景色さえも歪んで見えるほどの躍動感。こんな気分は久し振りだ。
あいつと日本に渡ってきてからというものの、えらく長い間、味わっていなかったスリル。
対立する女は無防備で、犬神憑きものうのうとしている。今にもあくびを吐きだしそうなほど、落ち着きを払っていた。
ありていにいってしまえば、“のんびり”としている。
それゆえ、不気味だ。
俺の姿を目撃した人間は、問答無用で“嫌な気”を起こす。ご機嫌だった者は気分を害されたというように怒鳴りちらし、もとより気が立っていた者は余計に激昂する。そして誰もがいずれは混乱し、俺を除去しようとなりふり構わずに向かってくるはずだった。
比べ、この女は一切動揺していない――。
故郷に帰って来たかと錯覚したように、拳が震えた。同時に身体が躍動する。
「お前、何者だ?」
「さぁ」
「憑きもの殺しか?」
「さぁ」
女は優雅に微笑んだ。
自分がいうのもなんだが、この女は不気味だ。
「どうして、俺とコンタクトを取ろうと思った?」
「さぁ……」
あくまでもしらばっくれるつもりか。
この女はなにか隠している。だが、それは表情から一切読み取れない。まるで、表情を全て包み込む、巧緻な仮面を被っているかのようだ。
「いつまでも微笑んでいないで、本性を現したらどうだ?」
「……ふふ。本性……ね。その言葉あなたにそっくりそのままお返しするわ」
「なに?」
「あなたこそ、“本性を現したら”どうなの?」
そういうと、女はより一層、微笑んだ。
「なるほど……」
俺は女の一言ですべてを了解した。
見抜かれている――と。
いくら俺が希少な憑きものであっても、その道のプロにならば、知られていても当然か。
だが、ここは日本だ。そこら辺の常識に疎いと聞く。現に先ほど相対した憑きもの殺しの連中は、俺の正体に気がつかなかった。
しかし、この女が知っていても何ら不思議な気はしない。そこいらの憑きもの殺しとは別次元な――そんな印象がある。
俺が黙していると、女は晴れやかな面持ちのまま問いかけてきた。
「あなた、“悪魔憑き”なんでしょう?」
やはり――。
俺は胸のうちから湧き上がる高揚を隠し切れないでいた。
思いなおそう。この国の手ぬるい空気は俺の肌に合わない。こちらの方が――この女が放つ悍ましい気配に淀む空気の方が――元来俺の吸っているべき空気なのだ。
「日本では存在しない憑きもの。欧米にだけ生息していると聞く」
悪魔憑きはアメリカにおいては有名だが、日本では関心が低い。
そもそもどうしてだか日本では生誕しないようになっている。
なんにせよ。
――そうだ、俺は悪魔憑き。
――僅かばかりしか存在しない希少種。
――“生きていてはいけない”憑きもの。
「ほう、悪魔憑きはこちらではマイナーな憑きものだとばかり思っていたが、対峙したことがあるのか」
悪魔憑きというのは判別しにくい。他の憑きものとは違って、見た目を悪魔と連想させないからだ。強いて見極める点をあげるとすれば、尖った耳と異様な気配ぐらいだろう。
「まさか」
と女は表情を緩ませながら、いい切り、
「『エクソシスト』って映画で目撃して以来のことよ。生で見るのは初めてね」
どこまでが冗談かとれぬことをいった。
「あなたは、藤堂間宵を“殺す”つもり?」
「あいつが死ねば、お前になにか影響があるのか?」
「そんなことはないわよ。あの子が死ねば、むしろ肩の荷が下りるかもしれないわ」
同じ人間でありながら、藤堂間宵を気遣うことをせずに、冷たく――いい切った。
「さて、自己紹介がまだだったわね」
そういうと女はプラチナブロンドの髪をはためかせた。アメリカでもそうそうお目に掛かれないような品格のある顔立ちに上品な素振りだ。
「あたしの名は憑きもの殺し、大榎悠子。あなたと話がしたくてこんな所まで足を運んだの」
「……俺を殺すつもりか?」
「確かにあなたは悪魔憑きで、あたしは憑きもの殺し。憑きもの殺しには悪魔憑きを殺す、その権利がある。だけど違うわ」
またも、微笑む。
「もう一度いうわ。あなたと話がしたくてここにきた。あなたに聞きたいことがあるのよ」
「答える義理はない」
「ファーストステージ、あなたは――」大榎という人間はそれでも構わぬといった語調で続けた。
「――“マリア・フランクリンという女性”について、なにか知っていることはないかしら?」
この時ばかりは、さすがの俺も冷静さを欠いた。
頭の中を駆け巡ったのは、あの日の記憶ばかりだ。
マリア・フランクリン――。
――この女も、あの凄惨な事件の関係者なのか。
あの事件は未だ、まざまざと尾を引いている。
多くは語りたくはない。
なので、「知らん」と適当にいっておくことにした。洞察力の優れているこの大榎という人間に、心中を見透かされる恐れがあったので、できるだけ適当にいう。言葉に感情や思考を含めてしまわないよう配慮した。
「そう――。でも、あなたアメリカにいたんでしょう? もしかしたらと思ったのよ」
「悪魔憑きだからといって、アメリカ全土に住む人間を把握しているわけではない。同じアメリカにいたとはいえ、出会ったと決めつけるのは尚早だろう。違うか? 合縁奇縁――。星回りというものはもっと複雑なものだ」
「そうね。かもしれないわ。だったら、セカンドステージーー。“サンフランシスコでの怪奇事件について”なにか知らないかしら?」
――更に驚かされた。
そのサンフランシスコでの事件というのは、原因不明の怪奇現象として処理された事件であり、世の中には詳らかなことまで明らかにされていない。向こうの組織の手によって、真相は闇から闇に葬られたと思っていた。
そして、マリア・フランクリンは“あの事件の被害者”だ。
なんなんだ。この女は――。
なぜ事件のことを知っている?
一体、どういう関係がある?
「知らんな……」
「向こうにいたなら、ちっともってことはないでしょ」
「ああ、人伝になら聞いたことがある。惨たらしい事件だったそうじゃないか。とはいえ……深くまでは知らんが――」
女は、こちらのようすをうかがっている。その表情には、一点だけを見つめる西洋人形のような不気味さがあった。
「そのマリア・フランクリンとお前、どういう関係だったんだ」
世間話をするつもりなどなかったが、沈黙は喋っている時よりも、多く物を語るものだ。だから俺はあえて自分から話題を振ることにした。どの道、帰りそうもない。
「簡単にいえば、同業者だった人間。彼女は同じ組織に与する憑きもの殺しであって、あたしを励ましてくれていた友人よ。あたしがまだ、仕方ない、やむ終えない、と自分を騙しながら、憑きものを殺していた、見聞が狭かったころからずっと……」
その細々と発される声は、まるで、ひとりごちするかのようだった。
俺は口を挟んだ。
「つまりは――お前は昔、憑きものによる被害のことを知らなかったんだな」
「へえ、賢いわね。正確にいえば、知ってはいたけど、実感がわかなかったということだけど。その頃は思ってもいなかったのよ。自分の身で体感しないとわからないものね……」
きっと事件が起こる前のこの女は、標的である憑きものに情けをかけていたのだろう。それが、間違いだと気がついた。
きっかけは、十中八九、サンフランシスコで起こった惨たらしい事件で、友人、マリア・フランクリンが憑きものに殺されたことを知った時ではなかろうか――。
同じ組織に属していたというならば、あの事件のことについて少しは知っていてもおかしくはない。だが、女の口ぶりから察して、仲間うちでありながら、事件の仔細は伏せられているようだった。
否、違う。
真相を知っている人間は“全て死んだ”のだ。
俺と藤堂間宵を除いては――。
だから、知りたくとも知り得ない。
怪奇事件が起きたのは、今から三ヵ月ほど前――。
それ以来、この女は復讐の炎を燃やし、憑きものに情けをかけることがなくなった――といった推察が妥当であるような気がする。
大榎悠子――。
この女の顔から見て取れる。女の目はそれほどに、俺たち憑きものに対して――。
――憎悪に満ちている。
「まぁ、知らないならいいわ」
そう述べて、大榎は踵を返した。そのまま屋根の下へ消えた。女の使役する憑きものと思しき犬神憑きも、置いてかれぬようにすぐ大榎に追従する。
立ち去ったのを見届けてから、俺はどうしようもない虚無感に駆られて、天を仰いだ。
どうしてだ――。
なぜだ――。
藤堂敦彦、藤堂間宵、マリア・フランクリン、大榎悠子。そして――悪魔憑きであるこの俺。
どういうわけか全てが綺麗な直線で繋がっている。
気味が悪いほどの因果律で――。
どうして、次から次へと俺につきまとうのか――。
どうして、どこまでも――どこまでも――引っついてこようとするのか――。
否、俺が首を突っ込んでいるだけだ。
くだらない人間の揉め事に――。
どうしてだ――。
なぜだ――。
なにより、その直線に自分も含まれていることが不気味でならない。
そもそも、俺は悪魔憑き――。
そんな義理などないはずだ。
なぜ――。
なんなのだ、この感情は――。
どうして――俺は――。
“殻”を破られた――。
次回 ⇒ 4/12(すみません、諸事情により、二三日ほど遅れます)
敦彦パート




