#23 憑きもの封じの道(敦彦)
どこからともなく、颯爽と姿を現したアネモネ。
彼はこの現状を覆してくれるほどの、救世主なのか――。
「ユリア、行くのよ! 攻撃しなさい!」
何度も憑きものに指示を出す憑きもの殺し。しかし、憑きものは少しも動かない。
置きものと化してしまったかのように、その場で硬直している。
「な、道が使えないッ!」
奴らの中の誰かが叫んだ。
――道が使えない?
だから憑きものたちが動きを止めたのか。
「おかしいわね……。どうして使えないのよ!」
「どうしてもなにも……それが俺の道だからだ」
アネモネの言葉を聞き、連中はそれぞれ顔を見合わせる。そして、大した時間をかけずに、その焦りは伝播した。
先ほどまでありあまるほどの余裕があった表情が、順々と色を失っていくように蒼白としたものへ変わっていく。まるで静止画にでもなってしまったかのように、ぴたりと貼り付けになっていた。
「お前たち、低級の道など、俺の道の前には無力に等しいんだ」とアネモネが歌うように口ずさんだ。
「まさか……。憑きもの封じの道……」
「その通り……。なかなか頭が切れるじゃないか」
「な、なんだよ、お前……。薄気味悪いぜ、おい……!」
自棄になったように、連中の男一人がアネモネへ向けて跳びかかった。憑きものの攻撃が通用しないと悟った今、頼るのは彼ら自身の肉体しかない。
数がいるのにもかかわらず、一人きりで挑むのは適切な判断ではない。しかも生身の人間が得体の知れない憑きものに挑むだなんて無謀すぎるにもほどがある。憑きものとの闘いにおいて、素人の僕から見てもそんなことは安易にわかる。
しかし、誰一人として、その男を止めようとしなかった。
アネモネの見た目は強そうであるような印象は受けない。だから、全員でいくまでもなく、一人だけで十分だと判断したのだろうか?
いや違う。
彼らが一斉に攻撃しないのは、アネモネがただひたすらに“不気味”だからだ。
人はなにをするにも、まず初めに様子見をしたがる生き物だ。なぜなら、初めて行うことほど怖いことはないから――。だから厳重に試行を重ねて、常時、安全だと確信してから物事に取りかかる。つまり、誰かが踏んだ道を歩きたがるのである。卑劣な奴らは、下っ端を使って探りを入れ、安心を得ようとしたのだ。
相手の力量を計るように、鉄砲玉さながら一人だけが突撃したのだろう。
そんな男を一瞥し、アネモネは嘲笑った。
「ふん、お前ら人間は自分の力を過信しすぎなんだ。力を持っていないくせに攻めようと意気込む。お前たちは自分一人一人では弱いと自覚しているから群れているのだろう? 数がいればなんとかなると思っているからじゃないのか? ならば、その本能のまま群れていればいいじゃないか。同じ目標を視野に入れ、みんなで囲って一斉に切りつける。それが人間らしい、合理的な闘い方だ」
「うるせぇッ! 黙りやがれッ!」
その男はよほど剛腕に自信があるのか、走りながら服の袖をたくし上げ、豪傑さを見せつけた。自分の力量を前もって示威して、敵を怯ませるつもりなのだろう。
アネモネは――一切動じない。
恐怖によって、足が竦んだに違いない、と判断したのか、男は勝ちを確信したかのように、にやつきながらアネモネを思いきり殴りつけた。そして、鈍い音がなる。アネモネが頬を殴られた。
――が、彼は身動ぎ一つしていなかった。
「……やめておけ、拳では俺を倒せない。お前ら人間は弱いんだ。その程度の力で憑きものにかなうはずがないだろう」
傲岸不遜な態度を保ったまま、男を挑発する。
アネモネの言葉は、別段、腹を立てるようなセリフではない。はずなのだが、その程度の挑発で、発狂したように男は取り乱し、叫び声をあげた。
「黙れッ! 黙れッ! 黙れぇぇええええ!!」
もはや、パニックを起こしている。精神が錯乱しているのだ。
アネモネの自ずから漂う“不気味さ”に――。
きっと周囲にいる全員が同じ感想を抱いているはずだ。
強そうだとか、冷酷そうだとか、アネモネから発される空気はそういう類いのものではない。
――『なにが“嫌”なの?』
このアネモネという憑きものは、ひたすらに“嫌”なのだ。
「そして、他人の意見を聞き入れようとしない傲慢さ。知能が高いゆえに無駄にプライドが高すぎるんだ――」
男の攻撃を最小限の動きで軽々とかわして、腹部に迎撃を加える。たった一撃の攻撃で、強靭な肉体を持った男が泡を吹いて倒れた。
「――だから、痛い目に遭う」
その男が倒れたのを契機に、固まっていた他の憑きもの殺したちが、ときの声を上げた。
ある者はナイフを――、ある者はメリケンサックを――、ある者は鉄パイプを――、それぞれこれ見よがしに高く掲げる。奴らは憑きものが使えなくなった時の戦闘にもこなれているのだろう。
卑劣――だが正統だ。
理にかなっている。
「いけぇッ! やりなさいッ!」リーダー然とした女の号令で、一同が動き出した。
人間と憑きもの、色々な角度から一斉に攻撃を仕掛ける。だが、アネモネは揺るがない。
一人また一人と片腕で楽々と伸していく。
しなやかに振り下ろされる拳を前に、連中はなす術を持たなかった。ひれ伏していく。
「あ、がぁあああッ!」
「う、ふぁ……」
「うぅあああああッ!」
まるで、細い小枝は川の奔流には逆らえないというように、人間と憑きものが地面に転がっていった。
僕はアネモネの挙動から神秘めいた力を感じていた。だから、一見華奢な身体つきをしたアネモネが数分もかからぬうちに敵を一蹴したところで、なにも疑問はわいてこなかった。
むしろ、無駄だとわかっているのにどうして挑んでいくのか、憑きもの殺しの行動の方が不思議に思えてしまった。そんな見当はずれに等しい発想すらよぎった。
「……な、なんなの、なんなのよ。その個体の能力は……」
連中が一撃で倒れていく中、リーダー格の女性だけが一人、残された。ずっと男たちに指示を送るだけで、自分は高みの見物をしていたのだから、当たり前だ。
だが、彼女はもう、戦意を喪失しているといってもいいだろう。女性は壁にすがるように脱力している。彼女の犬神憑きもすでにアネモネにやられてしまい、大きな身体を地面に横たわらせていた。
女は恐怖のあまり膝を笑わせ、立っているのもやっとといった調子だった。
「ふざけるなッ! 来るな! 来るな! うわぁあああああああッ!」
両手を上げて絶叫する女性の鳩尾に、アネモネが情け容赦のない拳を叩きこんだ。
「ぐ、あ、ご……ぁ」血反吐を吐いた。
「あの家には、近づくな……。もし、万一のことがあったならば、俺が報復する……」
「……あ……なんなのよ……あんた……」
「いいか……忘れるな……あの家の者に手をかけることは、この俺が赦さん……」
「ひぃッ! やめ……やめて……」
「忘れるな……」
呪文のように小さく言葉を口にした後、アネモネは女の鳩尾に食い込んだ右手の手首をぐいっと捻った。その拍子に、リーダー格の女性が、白目を剥いて前のめりになって倒れた。
アネモネは女性から手を引き、自分の手が汚物に塗れてしまったかのような、苦々しい顔を浮かべる。そして、手を払いながら、僕の方へ視線を投じた。
その眸から、先ほどまであったはずの狂気さは、微塵も感じられなかった。
「やれやれ、妹からも嫌われ、こんな奴らに囲まれる。よほど日頃の行いが悪いようだな」
そう述べ、唇の端を少しだけ釣り上げた。
「僕らは普通に暮らしているだけだ。狙われる筋合いなんてない」
助けてもらったというのに、思わずいい返してしまう。
「それよりも、どうして、ここが……?」僕はできるだけ語気をやわらげて問いかけた。
「ああ。屋根の上から見下ろしていたら、お前が何者かに連れて行かれるのが見えたんだ」
本当に屋根の上にいるのが好きなんだな。
「穏やかじゃないなと思いながらも一度見送った」
「見送ったのか……」
「助ける必要性が見当たらなかったからな」
アネモネは沙夜に目をやって、僕に視線をやり直す。
「そして、よくよく考えた挙句、救援に向かうことにした……」
彼の言動がいちいち癪に障る。
「なんだよ、渋々って感じだな」
「なんだ? 助けは必要なかったか」
「あ……、いや、すまない、助かった」
「ふふ、“すまない”……か」
『すまない』という言葉を聞き取った時、アネモネが意味ありげに冷笑した。
「どうした?」
「いや、少しな……」
ぼそりとつぶやくと、彼は遠い眼を東の空に向けた。昔の出来事を物悲しそうに、懐旧するかのような目つきをしている。
「それよりもなんで、助けに来てくれたんだ?」
「なんで、もなにもない……」
そして、アネモネはゆったりとあごを引き、
「お前が死んだら、あいつが悲しむ」
とだけ口にした。
あいつとは、いわずもがな、間宵のことだろう。僕の妹、藤堂間宵のことに違いない。。
その穏やかな目に、無造作に引きつけられていた。
「そんな理由で……?」
「“そんな理由”の他になにか違った理由はいるのか?」
なんだこの憑きものは――。
しっかり間宵のことを優先して考えているじゃないか――。
兄として、この妹の憑きものに対し――、アネモネという憑きものに対して、胸の内から確かな好感があふれ出たことをここに明言しておく必要があるだろう。
いざ帰ろうとしたが、情けないことにこのボロボロの身体では、立ち上がることさえままならない。さて、どのように帰ろうか、などと思考を働かせたところで、アネモネの身体がふらついた。
「ぐ、ああぁぁああああ!」
そして、空気を切り裂くような叫び声をあげる。
間宵がいない状況で道を使ったことによる疲労や、先ほどの攻撃によって肉体を蝕まれたというよりも、前々から蓄積されていた痛みに悶えるかのようだった。
僕は四つん這いの状態でアネモネの元まで近よった。
「おい、どうした! アネモネ!」
「触れるなッ!」
「でも……」
「いいから……放っておけッ!」
唐突に冷静さをなくしたアネモネがもの凄い形相で叫んだので、僕はしゃがみ込んだまま、後ずさりをしてしまった。あれだけ冷静沈着だった男がここまで取り乱すものなのか――。
「悪いが、俺は先に帰る……。お前らもそこで転がっている奴らが起きあがらないうちに帰るといい。もっとも……、すでに戦意は失っているだろうがな」
荒げた息を整えながら、アネモネは明晰とした声色でそういった。
僕は壁に寄りかかり、倒れている憑きもの殺しに目を向けた。確かに、沈静したこの憑きもの殺しの連中が、もう二度と僕らに牙を剥くことはないような、そんな気がした。
「ああ、そうする」
もう一度彼の方を見やった時には、アネモネの姿は風と同化してしまったかのように、忽然と消えていた。
「……沙夜、僕らも帰ろう。お腹すいてるだろ。昼飯にしよう」
思い返せば、学校が午前で終わって、それからというもの、まだなにも喉に通していない。
沙夜に呼びかけたが、彼女は浮かない顔をして、黙りこくっていた。
「沙夜? どうかしたか?」もう一度いうと、沙夜はそこでようやく僕の声に気がついたというように、はにかんだ。「……沙夜?」
「いいえ、なんでもないですよ。早く帰りましょう。えへへ、私、とってもお腹空きました、はい」
と平静ぶっていうのだが、目がこれでもかというほど、泳いでいる。例えるならば、海中を凄まじい速度で移動するカジキマグロぐらいに泳ぎまくっていた。
きっと責任を感じているのだろう。あの時のように、憑きもの殺しに狙われたのは私のせいだ、などと見当違いなことを考えているのかもしれない――。
もしそうだとしたら、家に帰ったら、なぐさめてやる必要があるだろう。
「それよりも……その傷で、立てるのですか、ご主人様?」
その前に、自分の身体のことを心配してやる必要があるようだ。
差し伸べられた沙夜の手を取る。
「あはは、ちょっと厳しいかも……」
――お前がなにごともなくてよかった。
なんにせよ、今は、沙夜が無事だったという幸運を喜ぶべきだ。
次回 ⇒ 4/08(やっと遅れを取り戻せて落ち着けた)
5幕 激闘の噺 終
6幕 悪魔の噺 続
次回からいよいよアネモネパートが始まってゆきます。




