#22 地獄で仏というやつなのか(敦彦)
僕は沙夜の手を引いてがむしゃらになって走った。
どうにかして小路から大通りに出ようとするが、奴らに大通りに通じる道を塞がれてしまい、なかなか思うようにさせてもらえなかった。
入り組んだ道を駆け続け、岐路に至ればどちらかをすぐさま選択して進む。背後からは足音が聞こえ続ける。追跡されているのだ。袋小路にぶつかったら終わりだ。
「はぁ、はぁ、くそ、どうにかしないと……!」
いっそ交番に駆け込んでしまおう、という考えも頭によぎったが、それは危険だと思いなおした。警察に助けを求めるのは危なすぎる。「不審者に追われている!」と逃げ込んでも、「子供が戯言をいっている」などと、なんとでもいい包められてしまう。
事情を知らない人たちは、歳が長じている奴らの味方をするだろう。そう考えると、逃げ道をなくしてしまうだけだ。
警察が弱い者の味方をしてくれないなど、普段ならばありえない。
だが、警察が悪いわけではない。今僕が味わっている状況は、それぐらいに非日常の出来事なのだ。
とにかく今は相手に攻撃する場所を与えないようにして逃げるしかない。そんなことを考えながら、息を切らす。
今日逃げ切れたところで、明日にまた来ないとは限らない。明日逃げ切れたとしても、明後日にまた――。
なんせ、もう居場所は割れているのだ。
どう転んでも、奴らの包囲からは逃れられないのではないか、と悍ましい不安に駆られた。
「ご主人様……」
「心配するな、沙夜。大丈夫だ……!」
僕らは民家の敷地に入り、自転車が立ち並ぶ場所で伏せ、身体を隠すことにした。敷地に無許可で侵入してしまったことに罪悪感が生じたが、この際、なりふり構ってもいられない。連中は、まさか、僕らがよそ様の家にあがり込んでいるとまでは予想できなかったようで、足音を立てて、通り過ぎていった。
「沙夜……」僕は声を潜めていう。
「なんでしょうか……?」
「お前に聞いておきたいことがある。お前の道であいての道を……どこまでなら防げる?」
「えー……と、横幅は両手いっぱい伸ばせたところまで、なので、大体二メートルほどです。縦は妖力を注げば、いくらでもいけると思います、はい」
「あの道をかき消す光の壁を、僕らを包むように円型に創ることはできないか?」
それができれば、闘い方にもバリエーションが生まれるというものだが――。
「……難しいです。そもそも、あれは、光の壁ではございません」
「違うのか?」
「はい。そのように見えるだけです。壁というよりも、そうですね……、毛布を広げている感覚に近いです」
「そうなのか……」
「なので、投げたり、腕にくっつけたりすることはできます。自分の意志で曲げることはできるのですが、それを器用に円型というのは……、すみません、今の私ではムリです。同等の理由で、上空からの攻撃を防ぐこともできないでしょう」
「そっか、わかった。ありがとう」
たとえ、どうにかして、道を有効的に使いこなすことができたとしても、正直な話、あの人数差では敗色濃厚である。
とりあえず、この場所から移動しなければならない。不審に思った連中が戻ってくるかもしれないからだ。
「今だ、行くぞ……」
僕は時期を見越して立ち上がった。
元来た道を引き返して、逆のルートから大通りを目指すつもりだった。細く静かな路地を通るのは勇気がいるが、先ほど通り過ぎたばかりの奴らが、そこで待ち伏せしているとは考えにくい。このまま、どこで奴らが待ち構えられているかわからない道へ前進するよりは、一度引き返した方がいい。
細い路地裏に差し掛かり、少し速度を落として走る。
奴らが戻ってくるのはまだ――。
「……みーっけた」
細い小路にハスキーな声が響いた。
驚きのあまりに僕はしりもちをついてしまった。前方に腕を組んだリーダー格の女性があの犬神憑きを引きつれて、待ち構えていたのだ。
どうして、ここが――。
と生まれた疑問は考えるまでもなく、すぐに氷解した。
腰を地面につけたまま、足元に視線を落とせば、蠢く大きな影がある。そして上を向けば縦横無尽に飛び回る、大きな鳥が――。
「ご主人様……。あれは、青鳥憑きです……。あの方々の憑きものでしょう」
「くそ……、あいつに居場所を知られたってことか……」
そして、気がついた。
きっと、初めからこいつらは僕らの居場所を知っていたのだ。
民家の隅を通り過ぎた時も、あえて気付かないふりをした。僕らを泳がせて、誘導し、この人通りが少ない所に逃げ込むのを待っていたのではないだろうか――。
「ひゃあッ! あぅ……!」
沙夜の身体が横に揺れた。猛威を振った犬神憑きにのしかかられ、沙夜は両手を拘束されてしまう。
「沙夜ッ!」
僕は起きあがり、沙夜の元まで駆けよろうとしたが、その前にリーダー格の女性に力いっぱい平手打ちをされた。僕は頬に走る痛みと衝撃にこらえきれずに地面に倒れ込んでしまう。そのまま、尖ったかかとのついたハイヒールで、右足を思いきり踏みつけられた。
「う、ああ……ッ!」足に走る激痛に悶えた。
「そういうことよ。あっはっは! もうちょっと頑張れると思っていたけど、まだまだひよっこね。ほらほら、抵抗しなさいよッ! 無様ねぇ!」
「ぐ、あ、あああッ!」
無数の蹴りを浴びながら、どうにか逃走経路を確認しようと、後ろを振り向く。
しかし、その瞬間に僕は息を呑み込むこととなった――。
――囲まれていた。
前方、後方に憑きもの殺しの男たち、両脇は冷たいコンクリートの壁。上には鳥の憑きものが存在している。
五人の憑きもの殺しに、五匹の憑きもの――。
沙夜の道では、一方向からの道しか防げない。
逃げ場は……、もうない。どこにもない。
それに、ここは殺される場所として最適だ。
「ご主人様ッ! やめてください!」
沙夜が犬神憑きをなんとか振りほどき、僕の元まで駆けよってくる。僕は足の痛みで立ち上がることができなかった。そんな僕を見下ろして、沙夜はふっとなにかを諦めたように眉を垂らし、笑った。
「ご主人様……。もう……いいですよ……」
「な、なにいってんだよ……」
「殺されるのは、私だけで構わないはずです。人を殺せば、当然、憑きもの筋であっても、捕まってしまいます。あの方たちもわざわざ、そのようなリスクを冒す必要などありません……」
「忘れたのかよ……。そんな理由で……、そんなつまらない理由で死のうとするなんて、主である僕が許さないからなッ!」
自分の命をおざなりにするわけではない。
「……沙夜、逃げろ。お前だけ、できるだけ遠くに――」
「無駄無駄。その子は今、ここで殺すわ」
リーダー格の女性がピアスを揺らしながら、沙夜に一歩近づく。
僕には彼女を護る力はない。自分の無力さに奥歯を噛みしめた。
大榎悠子と闘い、無力さを痛感して以来、知識をつけるために色々な本を読んできた。さまざまなことに挑戦するようにもなった。
――結局、なんの意味もなかったのか。
あの日から、僕がしてきた努力は、焼け石に水をそそぐ程度のものだったのか。
元々、根拠なく続けていた努力だった。役に立たなくとも、やらないよりはマシだ、と考えを抱いていた。――僕が甘かった。
僕は焦る気持ちを抑えながら、リーダー格の女へ目掛けて道端の砂を掴んで放り投げた。イタチの最後っ屁だ。せめて、この隙に沙夜が逃げてくれればいいな――と思った。
「ち、このガキッ!」
「あ。が……は!」
砂を食らって目を真っ赤にした女が、振り向き、僕を蹴りつけた。強烈な蹴りを腹部に食らい、せき込んでしまう。だけど、これでいい――。
今の僕が投げた砂によって、少なくとも前方の人は立ちくらんだようだ。目くらましにはなっただろうか――。
だから、この隙に――。
沙夜は――。
「やめてくださいッ!」
わかっていた。だから僕は目を閉じた。
沙夜の性格上、絶対に逃げ出さないことなど――。
最後まで僕を護ろうとすることなど――。
「へぇ、主なしで我々と闘うというのかなぁ。随分と自立した憑きものじゃん」
「やめろッ! 沙夜に手を出すなッ!」
僕らは殺される。
二人ともだ――。
立とうとするが、足が思うように動いてくれない。
焦りが増す。やばい、やばい、やばい――。
「健気な憑きものねぇ。その可愛げのある顔が苦痛にゆがむと考えるだけでぞくぞくしちゃうわぁ。あなたはそこで自分の憑きものが殺されていくさまを見ているといいわ……ユリア。やってしまいなさい」
ユリアというのは犬神憑きの名前だろう。女が指を鳴らして、犬神憑きに合図を送る。
「沙夜! 逃げろッ!」
頼む、逃げてくれ――。
沙夜は動かない。僕を庇うように立っている。
僕を見て、やるせなく笑っている。
「ご主人様……。少しの間……目を瞑ってていただけませんか? 私としても、ぼろぼろになるところを、あまり、あなたに見られたくないので」
「よせ……やめろよ……! 逃げてくれよ……!」
沙夜は覚悟を決めている。けれど、よく見れば全身が小刻みに震えていた。
怖いのだ。こんな時になっても相変わらず、強がっているのだ。
このどうしようもなく強がりな憑きものは、僕が護らなくてはならない。
それにしても、なにかがおかしい――。
合図が出されてから、いつまで経っても、攻撃がこない?
見れば、先ほどまで機敏に僕らを追いかけまわしていたはずの憑きものたちの動きが、ピタリと止まっていた。頭に疑問符を浮かべるように犬神憑きが首を傾げている。
「どうしたの、ユリア? 早く殺しなさいよ。いや、まぁ、急がなくてもいいわね。悪逆非道な憑きものには、きっちりそれだけの罰をあたえてあげないと」
罰だと……。
悪逆非道だと……。
なにを勝手なことをいっている……。
怒りのあまりに吐き気まで込み上げてきそうだった。
沙夜の気持ちをなにも知らないお前らになにがわかるんだ。
お前らは知っているのか――。
沙夜が夜な夜な泣いていることを――。
堪えようのない怒りがふつふつとわき上がる。
「ユリア。まずは憑きものの足を封じなさい。一足一足、たっぷりと時間をかけてね。肉を抉って、皮を剥いで、骨を折って、主の前でゆっくり殺してやりましょう。その憑きものはどんな声で泣くのかしらぁ、楽しみだわ」
――悔しい。
「さあ、ユリア、道を使うのよ!」
「やめろぉーッ!」
しかし、それでも奴らの憑きものは動かなかった。
戸惑ったような顔をして、動きを静止させている。
連中はやっと、その異変に気がついた。リーダー然とした女が、犬神憑きの顔色をいぶかしげに覗き込む。
「ユリ……ア?」
途端、通りに風が吹きすさんだ。
快晴の天気の下、僕らのいるこの一点だけが竜巻に巻き込まれたかのように、凄まじい強風が吹きつけ、に砂が舞いあげられる。
「なによ……この風……!」
憑きもの殺しの連中が騒然となった。春風にしてはとても冷たく、殺気の帯びた風――。
不思議なことにその風には、色がついている。黒い、どす黒い風だ。
そして、その風は実態を持っており、次第に実像を結び、やがて影となった。
黒い影が僕の脇を横切ったかと思えば、憑きもの殺しが引き連れる憑きものの何匹かが吹き飛んだ。
多分、三匹――。目では追えなかった。憑きものたちの断末魔の如き痛嘆な声が轟く。
「な、なに!? なんなのッ!? ちょっと、あんたたち、なにやってるのッ! こんなわけのわからない攻撃、守護系統の憑きもので防ぎなさいよッ!」
「そ、それが……さっきから道を発動しようとしているのですが……どうにも……」
見覚えのある金色の髪が視界に現れ、コンクリートを踏みつける足音が鳴る。
――跳んだ。
疾風が巻き上がり、空気を巻き込み、舞い上がったその烈風は、激しい速度でうねりながら凄まじい音を立てて、地面を割った。
そして、その影は――。
「……全く、この国がここまで物騒な所だとは思わなかった」
といった。
次第に風がやんでいく。影の周りに竜巻のようなものが形成されていた。渦の中心で屹立するその影の、あまりに冷静すぎる口調に、ぞわぞわと鳥肌が立ちのぼっていく。
「あちらに行けば兄弟げんか。こちらにくれば物騒なもめごと。これが平和の島国、日本国か。聞いていた話と違い、羽を伸ばせる場所など、どこにもない……。それとも――」
息を継ぎ、地面で這いつくばっている僕に視線を落とす。
「――お前の周りだけが特別なのか? お兄ちゃん」
これは、地獄で仏というやつなのか――それとも――。
「アネ……モネ?」
敗色濃厚であった僕と沙夜の前には、悠然と構える、褐色の肌をした憑きものの姿があった。
次回 → 4/4
アネモネ参戦。そして、彼の道が明らかに――。
5幕、激闘の噺、最終話です。




