#19 雑談ばかりの勉強会(間宵)
――あれ? 誰の靴だろう?
入学式を終えて学校から家に帰ってくると、玄関に兄以外の靴が並んでいました。それに家の中も、いつもよりなんだか騒がしかったです。どうやら、兄の友人が遊びにきているようです。兄が友人を家に招き入れることなど初めてだったので、困惑しました。
居間に続くドアに近づくと、中から賑やかな話し声が聞こえてきました。わたしは廊下で立ち止まり、密かに聞き耳を立てます。
「そこはこうだよ、あっちゃんくん! ファイト!」
「そうじゃないって、そこはこうやんだ。もっとストイックに挑めよ! がつんと一撃お見舞いしてやれ!」
なにをしているのでしょう?
聞こえてくる会話から、格闘ゲームをしているという線が濃厚である気がします。
「泰誠、少し静かにしていてくれ。お前の計算の仕方は独特すぎてわけがわからなくなる。ただひたすらにペンの動きが激しくなるだけだ。ようするに、公式に当てはめればいいんだよな?」
――あれ、勉強?
「違う、公式なんて覚えるからややこしくなるんだよ。もっと問題の意図を考えてだな……」
「だぁぁあああッ! 意図なんて汲めるかッ! 大体、好き勝手な問題を作っておいて、答えを求めよッ! とか偉そうなことばっかりいうなってのッ!」
「あはは~、あっちゃんくんがショートした~」
「そうだな、なんか問題の製作者ってなに様なんだっつの! って感じだよなー。それに問題も中学の頃より抽象的になってるしよ」
「そうそう、中学校の数学はよかったよな。なんか謎を解いているって気分で清々しかった。高校の数学は公式を覚えて、そのまま公式を当てはめてる、そんな感じだけで全然楽しくないんだよ。想像しづらいしさ」
「確かにあっちゃんのいうことも一理あるな。解答Xの値を求めるんじゃなくて、怪盗Xとはずばり誰なのか! というようなクイズの方が断然楽しいっていうのによ」
「あはは、いいなそれ。じゃあ、こういう問題覚えてるか? 先に出発した弟と、それを自転車で追いかける兄がいるやつ。何分後に追いつくでしょうっての。そういう問題の方が解く意欲が上がるよな。第一に、想像しやすい」
「こら~、二人ともペンが止まってるよ。昔の思い出に逃避行しな~い!」
「うーい」「悪い」
なにやら、勉強会が催されているようでした。
盗み聞きしているようで気が引けたので、わたしはドアをくぐり中に入りました。すると、リビングには、兄の友人と思しき人が二人いました。リビングにある食卓を取り囲むようにして並べられた椅子に、それぞれが腰を下ろしています。
一人は昨日の朝方に出会った坂土泰誠という名の人で、もう一人は完全に初対面の女性でした。ただどちらも、風体が上がらない兄とは違って、顔立ちが優れ、芸能人然とした魅力的なオーラが漂っています。
わたしに気がついた女の人が、顔だけをこちらに向けて、ぺこりと頭を下げました。わたしも反射的に頭を下げていました。
「あ、おじゃましてま~す」
「兄がいつもお世話になってま~……す」おっとりとした女性の口調が映ってしまいます。
愛想よくあいさつを交わしつつも、わたしは兄を睨みつけていました。『勝手に友達を呼ばないで!』と“思い”を送ったつもりですが、憑きものと憑きもの筋の間柄ではあるまいし、伝わるわけがありません。
人を呼ぶなら、せめて、あらかじめいっておいて欲しいものです。兄はわたしの睥睨に気づくと、白々しげにノートに視線を落としました。
「名前なんていうのかな?」
「藤堂間宵です」
「間宵ちゃんか~。可愛い名前だね。私は手嶋美代子。あっちゃんくんのお友達です」
そこで一度言葉を区切り、手嶋美代子と名乗る女性は――。
「ところで、間宵ちゃんは占いってのは信じる?」
そんな話題を切り出しました。唐突に訊かれたので、すぐには言葉が出てきませんでした。
「はぁ、占い、ですか?」
「だって、このお兄ちゃんは占いを断固として信じないなんていうんだぜ」と泰誠さんがいいました。
験担ぎ程度に見たりはしていますが、わたしは占いを信じる方ではありません。ですが、そのことをありのまま話して、座を白けさせるのも申し訳なかったので、
「わたしは――どうでしょうか、いい結果の時は信じますね」ととぼけておくことにしました。
「あー、それ一番いい方法だよね。私もそうしてるよ~。もし結果が悪かったら、チャンネルを回して別の占いを見ればいいもんね」
「それを信じてるっていえるのか?」と兄の敦彦。
美代子さんは、眼鏡をくいっと上げます。三つ編みが美しく、ちょっとした所作を見ても、品行方正で知的な感じがします。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦ってやつ? 結局は占いなんて当たる時もあるし、当たらない時もある。だから、半信半疑ぐらいがちょうどいいんだよ」
「そんなの、『私はジャンケンで勝てる時もありますが、負ける時もあります』と当たり前のことを自慢げにいっているようなものじゃないか」
「あはは、そうかもしれないね。でもさ、自分の星座の運勢が上位だったら悪い気しないじゃない。下位の方だったらシカト決め込めばいいだけだしさ~」
「あ、わたしもそう思います」
美代子さんと全く同じ意見だったので、合いの手を入れるように同調しました。
「へぇ、テレビの占いってそういう感覚で見るものなのか」
「でもよ、街中にいる占い師はどうなんだよ。そんな当たるか当たらないかわからないもの使って商売してるのか?」
「そうかもしれないね~。でも私は占い師さんも偉いと思うな」
「えー……。あんなインチキくさいんだぞ。それで金取っているんだ。まるで詐欺じゃないか」
ここは兄と同意見でした。詐欺とまではいいませんが、占いというもので人々のことを惑わしているように感じてならないのです。
「そういうこといわないの。あっちゃんくん」
幼い子供に「めっ」としかるような口調でした。この人に怒られると恐怖とか畏怖とかで反省する、というよりも、自ら内省してしまいそうです。なんとなくだけど、この人は保母さんに向いているんじゃないかと思いました。
「占いってのは信じるか信じないか、っていうものじゃないんだよ。信じる人がいて初めて占いが成立するのさ~。だから当たっても当たらなくても占いは占いなの。信じてみようかなって思えることに意義があるってものなんだよ。占い師さんはみんなに希望の光を提供してくれるんだ。簡単なことのように見えるけど、すごく難しいことなんだよ」
そこまでまくし立てると、美代子さんは机に置かれたお茶に口をつけます。
「信じる者は救われるってやつか」とあごに手を当てた兄の敦彦。
「そういう考え方もありなんかもな」と感心したように泰誠さん。
「まぁ、インチキくさいのは否めないけどね~」あっけらかんと美代子さん。
「「それだけいっておいて、否めないのかよ!」」二人が声を揃えていいました。
「――ということで」
なにが「ということ」なのか、皆目見当もつきませんでしたが、美代子さんが茶色を基調としたレトロなバッグから、青色のハードカバー本を取り出しました。表紙に神々しい文字で『簡単、八卦見講座』と明記されているところから、占いの本であることがうかがえます。
「私が二人の相性を占ってあげるね。あっちゃんくんは何型だい?」
「血液型占いか……。僕はA型だよ」あからさまに嫌そうな顔を呈していました。
「間宵ちゃんは?」
そう訊ねられたので、「B型です」と答えました。
「……え~っとねぇ……」
右手で水晶玉を撫でるようなジェスチャーをしつつ、左手でページをせわしなくめくっていきます。そして、該当したページを見つけたようで、その奇妙な動きをぴたりと止めました。結果を確認してから、申し訳なさそうに眉を垂らして、顔を上げました。
「ま、真逆かな……」
「は? 真逆って、なにが?」
「相性がっていうか……、性格がっていうか……。うーん、共通点は……ないね、ほとんど。ていうか、……相性最悪。犬猿の仲ってやつかも」
「手嶋……、お前、兄妹の絆を引き裂きにきたのかよ?」
「あ~、そういえば、この間ね……」
「で、むりやりに話をそらそうとするなよ!」と兄。
「それが関係するんだよ。この間、見ていた雑誌に、『愛をなにか別のものに例えろ』っていう企画があったんだけどさ~」
「愛を例える?」
「街中のカップルにインタビューするんだよ。『愛とはあなたにとって、なにと似ていますか?』って」
「随分と嫉妬しちまいそうなインタビューだな」と泰誠さん。
「でね、『愛とはマフラーだ。温かみをくれるけど、首に巻きついて煩わしい時もある』とか、『愛とは炬燵だ。抜け出せなくなるほど、私の心を温めてくれる』とかさ、そんなことが雑誌にズラズラ書かれていたんだよ」
「愛はマフラーに炬燵か……。じゃあ夏場はいらねぇな」泰誠さんが勝ち誇ったようにいいました。そのまま、彼は、「『私にとっての愛とはマフラーや炬燵である。なので、私は夏までには恋人と別れます』ってか。そりゃいいな」と軽快に笑います。その愉快さに、わたしもつられて笑ってしまいました。
「そうそう。つまりね、それと占いは一緒だよ。愛と同様で、人生なんて曖昧糢糊としたものを例える方法なんていくらでもあると思わない? だから、適当なことをいっても、当たっている面もあれば、見当はずれな面もある。どんな結果が出ても、一部があっていれば、ぴしゃりといい当てられたような気がするんだよ」
「それで? つまり、なにがいいたいんだ?」と兄が訊きます。
「占いの結果なんて、なんとでもいい包められるものだから、気にしなくていいってことだよ~」
「さっきまで占い肯定派だっただろ! すごい掌返しだな!」
「さ、無駄話はその辺にして、勉強しようぜ」と泰誠さんがいい放ち、勉強が再開されました。
そこで、よく見渡せば、兄の憑きものである沙夜ちゃんがいないことにわたしは気がつきました。
いつも兄は彼女を、壊れて鳴りやまなくなった防犯ブザー宜しく、やかましく引きつれているはずなのですが、今日はどこにも見当たりません。
わたしは兄がみんなから離れ、キッチンにまで飲み物を取りに行った時を狙って、兄に近より耳打ちをしました。
「……そういえば、……お兄ちゃん。沙夜ちゃんは?」
「ああ、勉強の邪魔になるだろうから部屋で寝かしつけておいた」
わたしはそれを聞き、憑きものって寝ることがあるんだ、と驚嘆していました。これもまた、一つの記録です。アネモネが寝ている姿を見たことがありません。
「あはは、なんだか、まるで幼稚園児みたいだね」
「あー……。そういうこと沙夜の前でいってやるなよ。あいつ、絶対気にするだろうから」
「誰があっちゃんの部屋で寝てるってー?」
わたしたちの会話を耳ざとく聞いていた泰誠さんが、リビングから声をかけてきます。兄は肩をびくりと揺らした後、平常心をつくろって返答しました。
「い、いやいやいや、なんでもないよ」
我が兄ながら隠しごとをするのが、下手だなと思います。そのきょどりぶりを見て、泰誠さんが、不審そうに眉をひそめました。
「なーんか、最近のあっちゃん変だよな。やけに穏やかになったというか。一年の時はなにごとにも興味なさそうだったのに、最近は世の中のことに関心を示すようになってるし」
「確かにね~。あっちゃんくんは昔から温和だったけどさ、最近は人を気遣う……ほら、今日だって、私が持っていた教材を運んでくれたじゃない。昔はそんなことしなかったよね」
「そうか? 気のせいだろ」と兄は誤魔化すように笑います。
――やっぱり、そうなんだ。
気のせいなんかではありません。
妹のわたしも兄の異変には気がついています。
どうして兄が変わったのか、という理由にも、おそらくわたしは――。
そのように思考が働きましたが、人の前で暗い顔を見せたくなかったので、陰鬱した感情を打ち消しました。
兄の手前に置かれた、数学ノートを覗きこみます。
「あ、お兄ちゃん、そこ間違ってるよ。二乗した値が全く違ってる」
「え? なにいってんだよ。はは、さすがに先月まで中学生だったお前が、高校の問題を解けるわけがないだろ」
「ああ、ほんとだ、凄い。間宵ちゃんのいうとおり間違ってる」と美代子さんが問題ある部分を細い指で示しました。
「え? まさか、そんなわけが……」
「全くもって、間違っているぜ」
美代子さん、泰誠さんの指摘を続けざまに食らった兄は、いよいよ立つ瀬がなくなり、エサをお預けにされた犬のように粛然としてしまいました。
「間宵ちゃん頭いいね~。これ結構難しい問題だよ」
「いえ、そんなことは……」
「そうそう、お兄ちゃんから聞いたんだけどよ、間宵ちゃんは海外留学していたんだって?」泰誠さんが嬉々とした表情を浮かべて、訊ねてきました。
「はい、そうですよ」と笑いながら答えつつ、『勝手に話したな』と兄を睨みましたが、兄は悪びれる素振りを見せません。ただ、ノートに視線を落とします。
「すげぇよな、間宵ちゃん。俺は海外の生活はムリだなー。水が合わない」
「私もムリだよ~。人見知りだしさ~」
共に、『英語が話せないから――』という理由ではないのが、この人たちの凄いところだと思いました。きっと、学業優秀で英語などペラペラなのでしょう。二人の話しぶりから、そんな気がします。
「でも、いいよね~。海外経験あるとなにかと得しそうだ」
「そうだな。俺も人生経験のために、近いうち、一度は海外に行っておきたいところだぜ」
「あはは、何気にお前って将来のこと考えてるよな」
「考えてるに決まっているだろ。自分の将来が恐ろしくて夜も眠れねぇっての」
「ほら、お前もこいつみたいに将来のこと考えておいた方がいいぞ」
その兄の軽口にわたしは、むっとなってしまいました。
「お兄ちゃんに、とやかくいわれたくないっ!」そして、思わず鋭い口調でいい返していました。
「あ、あはは……、いきなり大声出してごめんなさい。ご、ごゆっくり……」
バツが悪くなったわたしは、そのままリビングを立ち去りました。その対応はちょっとだけ不躾だったかもしれません。ドアの向こうからは、「やっぱりサプライズ大好きアメリカ人さんが、僕の妹と……」と意味のわからない兄の声――。
わたしは振り返ることもせず、そのまま自室に移動しました。
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