#18 やまない好奇心(間宵・回想②)
渡米した初期のころは、親しく交友できる関係の者も少なく、わたしの救いはクラシック音楽だけであるといえました。
とはいえルームシェアさせてもらっている身分で、大音量で音楽を聴くわけにもいかず、ヘッドホンを耳にあて、慎ましく音楽を嗜んだりとします。ただ、それにより、余計に寂しさが倍増したこともありました。
学校に通う時刻になれば、家を飛び出しスクールバスに乗って、アニスと共に学校へ向かいます。
アメリカの中学は学習しにくるというよりも遊びにきているようです。校則が緩いので、みなが自由な恰好、いえ、むしろ表現力が発揮されてなければならない、という風潮が見られました。一般的な日本の高校のような規律に縛られた学園生活とは比較になりません。
さすがは、自由の国アメリカといったところでしょうか――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夏の間際、段々と通り過ぎる風が心地よく感じるようになる季節。
彼女と出会ったのはそんな時期でした。
あれは――友人と一緒にパレードを観に行った日のことです。
「マヨイー! 置いてっちゃうよ!」
遠方からアニスが声をかけてきました。夏の陽射しを浴びて、表情を輝かせる栗毛のアニス。本日のパレードを楽しみにしすぎて昨夜眠れなかったというのに、元気いっぱいといった顔色をしていました。彼女の周りには複数のクラスメイトがいて、彼らもわたしを待ってくれています。
ここの通りは普段、閑散としているのですが、パレードがもうじき始まるということなので人があふれています。うっかりはぐれたら大変だ、と思い、小走りになってアニスたちを追いかけました。
「あ……」
その途中でわたしは足を止めました。
「ごめん、後で追いかけるから、先に行ってて!」
「わかったー。後で連絡よこすんだよー!」
「わかってるってばぁ!」
なぜ足を止めていたかといえば、路肩によって、きょろきょろと首を忙しそうに動かしている女性がいたからです。
その女性が困っているように見えたので、わたしは彼女に近づきました。親切心というよりは、「なにをしているのだろう?」という率直な好奇心がわたしの行動を決定させていました。
「なにか、お探しものですか?」
英語が拙いわたしですが、慎重に言葉を使いわけて話しかけます。
過去学んだ英語のテキストに、このような事態があった場合のコミュニケーションの取り方が載っていたので、その時の知識を思い出しながら会話に挑みました。英語のテキストも案外役に立つものだな、と評価を改めます。
わたしの存在に気がついた彼女は、おや、というような表情を作り、わたしに笑顔を向けます。
「あ、どなたか存じ上げないけれど、ちょうどいいところにきてくれたわ」
「どうなさったんですか?」
わたしが訊ねると、深刻そうに眉間にしわを寄せました。
「眼鏡を落としてしまったのよ」
「はぁ、眼鏡……ですか?」
大したことではなかったので、わたしは拍子抜けしてしまいます。
「せっかくパレード観にきたのに、これじゃなにも見えないわ」
また、その女性の隣には小さな子供がいました。
この二人は親子なのでしょうか?
眼鏡を探している女の人は、ブラウンベージュのポニーテールが素敵な大人びた女性でした。身長はわたしの頭ひとつ分は高く、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んで、といった感じの理想的なスタイルをしています。
一方で子供の方は、トレンチコートを身にまとい、フードを鼻の位置まで深くかぶっています。顔はおろか、姿すらもほとんど見えません。フードの端からカールがかった黄色い髪の毛がもれています。
身長は百センチ程度で、わたしの腰あたりまでしかありません。
汲み取れる情報はそれくらいです。男の子なのか女の子なのか、それすらも判断不可能でした。
「一緒に探してくださらないかしら?」
そういうと彼女は肩をすくめて、おどけるような仕草をしました。
「かまいませんよ」
そう了解しつつも、わたしとしては、そばにいる子に眼鏡を探してもらえばいいのに、と考えていました。
子供はずっと無言のまま、俯いています。なので、どんな顔をしているのかは知り得ませんが、ひょっとすれば二人の間になにかしらのトラブルがあり、むくれているのかもしれません。二人はあまり仲がよろしくないのでしょうか。
確かにこのモザイク模様の地面に眼鏡を落としてしまえば、モザイクが目くらましとなってしまうので、視力が悪い人では見つけられないのも無理はありません。ですが、視力が良好なわたしが見渡しても見つからなかったので、おそらくもう少し離れた所まで弾き飛ばされてしまったと考えるべきでしょう。
「こっちの方は探しました?」
「まだ、探してみて」
通りに隣接した飲食店の脇には、コカコーラの空き瓶が入ったケースが所狭しと並んでいます。その空いたスペースにありそうだ、と腰をかがめてみれば、予想通り、銀縁の眼鏡が落ちていました。
わたしはすぐさまそれを拾い上げて、彼女に手渡します。
「これですか?」
「そうそう! これこれ。ありがと」
眼鏡をかけると彼女の表情がきゅっと引き締まりました。長い睫に、綺麗に束ねられたブラウンベージュの髪。もともと顔立ちが優れているのはわかっていましたが、眼鏡をかけると、まるで別人です。モデルでもやっているのでしょうか、とても美人だな、と同性のわたしでも見惚れてしまいます。
「私は、マリア・フランクリン。あなた日本人よね?」
「ええ、そうです」
「なら日本語でかまわないわ」
わたしが日本人であると判断すると、マリア・フランクリンと名乗るその女性は、使う言語を日本語に切り替えました。まるで、洋画の音声を英語から日本語に切り替えた時のように、瞬間的に言語が替わったので、わたしは耳を疑いました。なんといっても、それは驚くほどに流暢な日本語だったのです。
異境の土地の生活にまだ慣れていなかったわたしは、正直な話、この女性のことを警戒していました。日本人観光者を狙う悪徳な詐欺師とまではいいませんが、見ず知らずの人に懐っこく接することはしない方がいいでしょう。
しかし――。
「差しさわりなければ、あなたのお名前を教えて下さるかしら? なにかお礼をさせてちょうだい」
「わたしは、藤堂間宵です」
彼女があまりに穏やかな口調だったので、あっさりと本名を名乗ってしまいました。
「ふふ。マヨイか……。いい名前ね」
それからなんとなく、わたしたちは立ち話を続けました。
なんとも不思議なことに、彼女に向けていた疑心が話していくうちにポロポロと剥がれ落ち、数分後には全て拭われてしまいました。
ただ、アニスたちを待たせるわけにはいかないので、頃合いを見て、「では、そろそろ」とわたしは別れを切り出します。その際、連絡先を交換し合いました。
彼女はユーモアに富んでいて、心優しくて、親切で、不安で胸がいっぱいだったわたしをなぐさめてくれたりとしました。友人のような、お姉さんのような、次第に彼女は、わたしが心から接することができる大切な人となりました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから季節はちょうど夏をまたぎ、秋の兆しがすぐ近くまで迫ってきました。
そんな秋の始まりを告げるような小春日和。
いつも通り学校を終わらせて、帰路途中にある開けた通りを歩いている時、十メートルほど先にマリアさんが見えたので、わたしはそっと近づいて声をかけました。彼女とわたしの家はとても近いのです。
「こんにちは、マリアさん」
「あらマヨイさん、こんにちは。学校から帰るところ?」彼女は振り向き、ポニーテールを風でなびかせます。
「はい、そうです」
片手に黒色のバッグをぶら下げて立つ彼女の姿はまさしく、美しい彫刻のようでした。
お淑やかな雰囲気もさることながら、温和な空気もまとっている彼女は、身体全体から温かな空気を放出しているみたいでした。
彼女と出会ってから二か月の間、この温かさに何度助けられたことでしょう。寂しさのあまりに夜な夜な泣いていた時分もありました。そういう時になぐさめてくれたのも彼女でした。
「あのう、ずっと気になっていたんですが」
わたしは彼女の足元近くにいる子供に指をさして、
「その子、誰ですか?」
あの日同様、マリアさんの服の裾を掴んでいる子供がいるのです。
相変わらず、トレンチコートのフードを深くまで被っていて、顔が見えません。
その子供は神出鬼没で時おり、マリアさんが連れ歩いていました。紹介してくれるのを待っていたのですが、いつまで経ってもしてくれなかったので、わたしはしびれを切らし、自分から問いかけてみたのです。
「あなた、やっぱりこの子が“見える”のね?」
マリアさんの言葉を受けて、わたしはぎょっとしました。
まさか――。
この子も“あれ”なのでしょうか――。
今まで見えていた“それら”は、狐の容姿をしていたり、犬の容姿をしていたり、蛇の容姿をしていたりと、動物の場合が多かったのです。こんなにはっきりとした“人型のもの”を見るのは初めてのことでした。
「それって、まさか……!」
興奮と疑心を隠せません。
それにしても――。
どうしてわたしだけではなく、マリアさんにまで見えているのでしょう。
わたし以外にもこの存在が見える人がいるのでしょうか?
そんなことまで考えた時、ある発想が頭を横切りました。
そうです。マリアさんは冗談をいっているに違いありません。
「あはは、やですよー。脅かさないでください。マリアさんのお子さんですか?」
彼女はまだ若く、20代前後というような見た目をしています。とてもじゃないですが、子供がいるような歳には見えません。
わたしは目いっぱいにはしゃいだ声を出したのですが、マリアさんは浮かない顔付きのまま、ぽっと一言吐き出すだけでした。
「いえ、そういうのじゃないわ……」
その顔色をいぶかしく思いながらも、
「……顔をもっとよく見せてくれませんか?」
わたしは興味本位で、子供が被っているフードを上げようと手を伸ばしました。
その寸前のところで――。
「ダメよッ! 近寄っちゃッ!」
マリアさんの鋭い声が聞こえ、わたしは出しかけた手を咄嗟に引っ込めます。お淑やかな彼女がこれだけ声を張り上げたのは、初めてのことだったのです。
そのことから、ただならぬ恐怖を感じましたが、それ以上に、
「キャハハ……」
足元から聞こえてくる奇声に、わたしは恐怖しました。
無感情であり、どこか脅迫的な――。
全身の鳥肌が立ちました。
わたしは恐る恐る、足元に視線を落とします。
「ひゃぁああッ!」
たちまち悲鳴をあげてしまいました。
その子供が顔を上げて、こちらを目視していたのです。
瞬間見ました。
子供の顔を――。
――…………女の子?
大きく見開かれた充血した眸に、不気味なほど白い肌。
その少女は神々しい金色の髪をちらつかせ、鋭く尖った歯を見せつけるように口を開く。
真っ黒な歯にわたしは恐怖を覚えました。
そのまま、少女は甲高く叫びました。
「ギィァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
彼女の声を聞き取った途端、わたしの意識が薄れていきます。
「いぁ、ぁああああ………………。なに……これ……」
まず、ぐらりと視界が大きく揺れて、次いで頭に激痛が走ります。
マリアさんの腕に支えられる前に、わたしは意識を失いました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めた時、わたしは知らない空間にいました。
ぎっしり本がつまった書棚の近くに設えられたベッド。その上で横になっていました。どうやらわたしは昏倒していたらしいのです。暮色の光が窓から差し込んできているところから考えて、二時間以上は眠っていたようでした。
左を向けば、マリアさんがわたしを見つめています。
「よっぽど疲れていたみたいね。急に倒れたものだからびっくりしちゃったわよ」
「え……? でも……」
どうしてでしょう。明らかにわたしの昏倒とあの少女は関係していると思ったのですが、マリアさんは、さっきの事柄をなかったことにするように話題に上げようとしません。
室内を見渡しても、子供の姿はありません。気配すら消えていました。
あれはなんだったのでしょうか?
そして、あの悍ましい恐怖と恐ろしいほどの不安感は――。
今になっても身体の震えが止まりません。腕の肌が粟立っていました。
マリアさんは優しくわたしを抱き、子供をあやすように頭をなでてくれました。彼女の身体は温かくて柔らかい。わたしは彼女に甘え、身体を預けるように寄りかかります。少しずつですが、彼女の胸の中で安らぎを取り戻していきました。
「ここは私の寝室よ。さ、少し休んでいたらいいわ」
「は、はい……」
運んできてくれたコーヒーを口に運び、一口喉に通します。前にもごちそうになったことがあるのだけれど、この人が淹れるコーヒーはちょっとだけ苦い。
わたしがコーヒー片手に部屋を見渡していると、マリアさんが唐突に口を切りました。
「あなた、見えるのね。憑きものが……」
憑きもの――と聞かされて、わたしの心は跳ね出そうになります。
「……憑きものってなんですか?」
「そう。あなたはまだ知らないのね。憑きものというのは、見える人には見える、見えない人には見えない。そんな不思議な生き物のことよ」
見える人に見えて、見えない人に見えない。
それってまさか――。
「く、詳しく教えてくださいッ!」
わたしは体調を崩していたことも忘れて、彼女の腕をつかんでいました。
「いいわ、教えてあげる。見えてしまう以上、知っておくべきだと思うし。それと――」
「それと?」
「――どうせ、後で発覚することだろうから、あらかじめいっておくけど……。私はその憑きものを“殺す”ことを生業としているの」
殺す――。
その単語から放たれる悍ましさと、マリアさんの穏やかな表情が不釣り合いすぎて、妙に空恐ろしくなったのを今でも覚えています。
「よく聞いて。憑きものっていうのは――」
――――。
それから、彼女に憑きもののことを事細かに教えてもらいました。
わたしが憑きもの筋であること。
彼らは憑きもの筋に妖力を供給してもらう代わりに、命令に従っていること。
憑きものには道という能力があること。
憑きもの殺しがどういった職業なのかということ――等々。
しかし、彼女が引き連れていた子供については、なにも話してくれませんでした。
わたしも聞くべき話題でないと判断し、明らかにならないまま月日を過ごしました。
いつか教えてくれるだろうと高をくくっていたのです。
それが彼女、マリア・フランクリンとの出会いの話。
アメリカの地で憑きものという生物のことを知った経緯です。
グレゴリー家の人たち、中学校の友だち、そして、隠しごとをせずに接することができる友人、マリア・フランクリン。
そんな人間関係の中で、しばらくの間なにごともなく、ただ楽しいだけの日々を送っていました。
その長閑過ぎる日常は、あの凄惨な事件が起きるまでの小休止といったところだったのでしょう。
まもなくしてわたしは、一人の憑きものと運命的な出会いを果たし、やがて起こってしまったのです。
“マリア・フランクリンが憑きものに殺された”あの事件が――。




