#15 風呂上りの牛乳は至高(敦彦)
僕は入浴時間が、他の人よりもいちじるしく短い。烏の行水のような速度で湯から出る。
久し振りの銭湯は確かに気持ちよかったが、長居できるかどうかは別の話だ。
一方女性陣は長かった。僕らがロビーに戻ってから十分以上経過しているけれど、いくら待っても出てくる気配がない。
その間中、僕は沙夜の安否を案じていた。
ただ、手持ち無沙汰で待っているのもなんだったので、風呂上りに牛乳を飲もうと決めた。冷却棚から冷たいビンを二本手に取って、お金とともに店主に手渡す。
店主は「あいよ」と返事してから、どうして二本も買ったのか、と不思議そうに眉をひそめていた。何度もいうが、僕以外にアネモネの姿を視認できる人はこの場にいない。
牛乳をゆっくりアネモネに放ると、彼は器用に片手でキャッチした。
『牛乳か……』
『なんだよ、その不満そうな顔は。コーヒー牛乳の方がよかったか?』
そういいながらソファーに腰掛け、テーブルの下に足を放り出す。僕は風呂に入っている時間よりも、こうしてくつろいでいる時間の方が好きだったりする。
テレビはバラエティ番組を映していた。右上に表示された時刻を見る。まだ夜九時を回ったばかりだ。
『なにを基準に発した発言だ。アメリカ《むこう》でそれを言ったら人権問題だ』
『人間でもないくせに堅物な奴だな。ほら、人目につかないように飲めよ』
『む、そんなこといわれずとも心得ている』
といいながら、アネモネは身を縮ませて、ビンのふたを開け、うまそうに喉を鳴らした。
アネモネに続き僕もふたを開けて、牛乳を二口三口飲んだ。風呂上りの牛乳はやはりうまい。そんな感動を覚えたところで、
「あ、お兄ちゃん、早かったね」
「女!」と仰々《ぎょうぎょう》しく書かれた暖簾をくぐり、間宵が更衣室から出てきた。
間宵はタオルを頭に巻いていて、上半身には桃色のパーカー、下半身には青色のラインが入った黒色のジャージをそれぞれ着用している。彼女から漂ういい匂いに一瞬、小さく心臓が高鳴った。シャンプーのパッケージには、『山桜の香り』と記載されている。
――『間宵さんはどうしてそんなにおっぱいが大きいんですかッ!』
間宵の身体をレポートする沙夜の言葉を聞いていたので、やましい気持ちはないのだが、彼女のボディラインに注目してしまう。
胸元に『ROD』とロゴが描かれたパーカーを着ているのだが、その『O』の文字が歪んで雪だるまのようになっていた。つまり、結構なボリュームで膨らんでいる。
彼女は大きい方なのか、それとも沙夜が小さすぎるのか?
情けのないことに基準がわからない。
風呂に入ったことにより顔を赤らめる間宵からは、少女らしさをあまり感じさせない大人びた色気があった。
――いや実の妹だぞ。どうかしている。
僕はせり上がってきた妙な感情を打ち消し、
「遅かったじゃないか、待ちくたびれたぞ」できる限り、平坦な口調でいった。
「お兄ちゃんたちが早すぎるんでしょ。これでも早めに切り上げてきたのよ、この子がすっかりのぼせちゃってたから」
「のぼせた?」
続いて出てきた沙夜の姿を確認して、
「ぶっはッ!!」
僕は口に含んでいた牛乳を噴き出してしまった。
「げっほ、げっほッ! おいおい、なんだよ沙夜のその格好はッ!」
思いきり叫んでから周りの目を気にする。
なにも知らない一般人は、一瞬きょとんとした顔になったが、特に興味はなさそうだった。周りの目で見れば、カップル同士がじゃれ合っているように見えるのだろうか。
それよりも問題なのは沙夜の姿だ。
沙夜の髪留めとして使われている二つの煌びやかな王冠の飾りが、一つに重ねられて後頭部付近に乗っけてあり、電灯の灯りで煌びやかに輝いていた。
いつもの髪型とは違う、ポニーテールの形状を成している。
ポニーテールというか、束ねられているのは後頭部辺りだけで、そこから伸びる髪は無造作に散らかっていた。ボンバーヘッドを連想させられるような髪型だった。
「ほら、可愛いでしょ」
まるで自分が作った作品をおひろめするように、誇らしげに間宵がそんなことをのたまった。確かに可愛いといえば大変可愛らしい。無造作なヘアースタイルもなんだか似合っていた。
だが、可愛い、可愛くない、以前に問題な点がある。
なにしろ、彼女は“服を着ていなかった”のだ――。
「ん、ぁ、だ、だから、うちの憑きもので遊ぶなっていってるだろ!」
僕は間宵にかけより、小声で怒鳴る。
沙夜の裸を直視してしまったので、心臓が早鐘を打って、今にも爆発しそうだった。
「違うわよ。途中からフラフラになっちゃってさ、この子、服を着ようとしなかったの」
「無理やりにでも着せろよ! なんで外に出してくるんだよ! それ同じ女子としてどうなんだよ!」
「だからさ、着ようとしないんだって!」
「ほら、お前も服を着ろってば!」
沙夜から目を背けながら、手に持っていたセーターを押しつけた。
しかし、沙夜からの返答がなかった。おそるおそる沙夜に目を向けてみれば、彼女は虚空を一点だけ見つめるようにして、ぼうっとしていた。
なんか、ようすが変だ。
「……沙夜?」
僕が顔を覗き込ませると、不意にスイッチが入ったというようにまばたきを繰り返した後、彼女は一斉にまくし立てた。
「ズルいじゃないですか~ぁ! ご主人様~ぁ! アネモネしゃんだけにそんな美味しそうな飲料を~ぉ! わしゃしも飲みたいです~ぅぃ! ご主人しゃまは私を愛してくださっているのでしょう~ぅぃ! ならば造作もないことのはずです~ぉ!」
呂律が回っていなかった。
「な、なんだぁ?」
風邪を引いた時と同様に顔を真っ赤に、それでいて、目をうるうるとさせている。
足取りが下手くそなステップを踏むように安定していない。
沙夜の調子がおかしい。
なにかしたのか、と間宵に問うと、
「ううん、なにもしてないよ。いや本当に服を脱がせて、つま先から頭のてっぺんまでじっくりとなめまわすように観察した後、ちょっとだけ各所をいじくっただけだから」
「それをなにもしてないといい切れるお前がなによりも恐ろしいよッ!」
「ご主人しゃま! はい、はい! 私! わかっちゃいました! おっぱいが形成されるメカニズムが! わかっちゃいました! はい、はい! わかっちゃいました!」
間宵は間宵で倫理的に見て問題ありの行動ばかりを起こすが、沙夜は沙夜で小学生のようにやかましい。目と耳をふさぎたくなった。
「なんかさっきからずっとこの調子なのよ」
「ど、どうしたんだ? のぼせたからといってこんなにはならないだろ」
「酔ったんじゃない?」
「酔ったってなんだよ」
牛乳片手に隣で腰を下ろしているアネモネの方をうかがう。
「あるかもな」
「あるのかよ」
「ご主人しゃま~ぁ。知ってますか~ぁ。おっぱいはもめばもむほど膨れ上がるんですよ~ぉ。だからもっとわしゃしを愛でてください~ぃ! だっこしてください~ぃ!」
「間宵ッ! 沙夜に変な知識を教えただろッ! おい、こら、やめろ、近いって!」
沙夜が裸のまま身体を密着させてきた。
「ひゃぁ!」
あまりの出来事に、僕は情けのない悲鳴をあげてしまう。
僕の胸板に弾力のある感触がシャツ一枚を通して伝わってきた。沙夜の鼓動がこちらにまで震動して、それが僕の緊張に拍車をかけてくる。
風呂上りということで、ろくに身体を拭いていないのか、彼女の身体はびちょびちょに濡れていた。彼女の滑らか且つ潤った太ももが右手に触れてしまい、どうかしてしまいそうになる。
――ふざけるな、妹の前だぞ!
「ちょっと待て……おいッ! 正気を取り戻せッ!」
荒い息遣いで、甘い息を吐きだす唇が目の前まで迫って――。
風呂に入ったばかりだというのに、汗が止まらなく噴きでてきた。
「ごしゅ……」
彼女は傍若無人に暴れていたが、突然、ねじが切れたおもちゃの人形のように静かになり、僕の胸に顔を埋めて、幸せそうな顔をして寝息を立て始めた。
「……はぁ……はぁ……たく……」
「お兄ちゃん、もしかして、沙夜ちゃんの裸を見たことがあるってのは……」
「そうだよ。いつもこんな感じの不慮の事故だ」
沙夜の身体を支えながら、横目でアネモネを見やる。
「なぁアネモネ。憑きものは主に迷惑かけないように進化したんじゃなかったのか?」
一応確認してみたが、突っぱねるようにアネモネがいった。
「一緒にするな。こいつは例外だ」
「だよな」
「だが、男の主にここまで懐く小娘憑きも珍しい」
「それは喜んでいいことなのか?」
「いや、単に痴女ってことでしょ」と間宵が失礼極まりないことをいい切った。
主としては憑きものを侮辱され、怒るべきところだろうけれど、
「だよなー」
僕はえらく納得させられた。




