#11 マヨイとアツヒコ(敦彦)
僕と間宵。僕らはこれまで、とにかく数多くの喧嘩をくり返してきた。
些細な火種から諍いが勃発し、いつだって尻つぼみな形で幕引きとなった。
「せっかく歳が近いんだから、仲良くしなさいよ」とよく京子さんにいわれてきたが、実際は真逆で、歳が一つしか違わないことが、僕らを対立させる大きな要因になっていたのかもしれない。
確かに距離が近い分、他の兄弟たちよりも仲睦まじかったが、その反面、ほぼ同時期に思春期を迎えるといった事態を招くこととなった。
僕と間宵は一触即発の関係だった。
火種がおもちゃの取り合いだった時もあったし、両親の取り合いだった時もあった。くだらないことばかりで喧嘩をしていた。
なによりも妹は優秀だ。
有名な童話に、『ウサギとカメ』という物語がある。
誰もが知っていることだと思うが、一応補足説明を付しておこう。
とある日、ウサギとカメが山のふもとを目指してかけっこする。
カメは息巻いて挑戦を受けて立つのだが、当然ウサギの方が早い。ウサギは自慢の四肢を煌々たる速度で唸らせ、軽やかに丘を蹴り、まっすぐに山のふもとを目指した。
カメの方は、着実に一歩一歩、歩みを進めているものの、その速度はつまるところ牛の歩みに他ならない。ウサギの速さに敵うはずもなく、互いの距離はどんどん開いてしまう。
だが物語上では、ウサギは一休みする。「ちょいと休憩」とカメを見くびり昼寝をしてしまうのだ。
その間もカメは速度を緩めることなく進み続け、終にはウサギに勝利する。
つまり、どれだけ実力があっても怠けてしまえば、脚をすくわれることがある。油断することなかれ――。または、努力を続けていけば、いつかは実を結ぶことがあるだろう、という二つの教訓が含まれた――そんな寓話だ。
僕らをその話にたとえるならば、僕がカメで、妹がウサギだ。
しかし、こちらのウサギは休まない。たゆまぬ努力を間断なく続けて、僕に追い抜く隙を与えないまま、一気に駆け抜ける。僕の方がリードしていたのにもかかわらず、ぐんと水をあけるのだ。こちらとしては、「話が違う!」と訴えたくなる。
その嫉妬ばかりか、いつだって僕の方から喧嘩を吹っかけ、妹も呼応するように反発した。そうやって僕らの喧嘩は勃発する。
そして喧嘩の末、間宵はいつもこういうのだ。
――わたしの気持ちなにも知らないくせに!
よく聞く陳腐なセリフだ。僕がもし少年漫画の主人公だったならば、『知りたいから聞かせてくれ!』だとか、『いってくれなきゃなんにもわからないだろ!』だとか、熱く勇ましいセリフを放つのだろうが、あいにく僕は主人公ではない。
それに、兄妹ということもあり、そんなくさいセリフを吐く気にもなれない。なので僕は決まって、『知るか!』と怒鳴りつけたものだった。
だが、僕らの凄いところは、どれだけ関係がもつれることがあっても、いつの間にか元に戻っている。圧迫しても元の形状を取り戻す、低反発性の枕のように。
それが血のつながった家族の縁であり、悲しみや苦しみを共にしてきた兄妹の絆なのだろう。
本当に兄妹とは不思議なものだな、と身をもって実感させられる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どういうつもりだよ」
穏やかでない空気がリビングに立ち込める。帰宅した僕は間宵と対立していた。
僕は沙夜を庇うように、間宵はアネモネを背後に従えて、ソファーを挟んで向かい立つ。
なんのことについて叱責しているのかといえば、もちろん、沙夜を拉致し、拘束、監禁、挙句の果てに素っ裸にして、学校のトイレに放置したことに関して――だ。
間宵はなにも答えなかった。聞こえない距離だということはあるまい。互いの距離は2メートルもないのだから――。
僕はもう一度くり返してどなった。
「どういうつもりだよッ!」
「……どういうつもりもなにもないわ。少し沙夜ちゃんの身体を借りただけじゃない。そんな怒らなくたっていいじゃん」
彼女が唇を尖らせながら発したつっけんどんなセリフに、僕は無性に腹が立った。謝る気は毛頭ないらしい。僕としては自分に謝らなくてもいい、まず沙夜に謝って欲しいところだった。
「沙夜になにするつもりだったんだッ!」
「な、なにもしてないわよ。人聞きの悪いこといわないでよね」
「なにもしてないはずあるか。沙夜がこれまで以上に怯えているじゃないか!」
沙夜は完全に怖がっていた。肉食獣を前にした小動物のように震えていて、間宵を見るたびに口元をびくびくと痙攣させている。
第一、人にあんなメールを送りつけておいて、なにもしてないと白を切れる妹の度胸に感服せざるを得ない。
「よくも人の憑きものをひん剥いたなッ!」
「でも彼女、喜んでたわよ」
「よろ……喜ぶわけが……!」
――それは、あるかもしれない。
この小娘憑きは、想像を絶するほどの外れたところがあり、時々理解に苦しむ一面を見せる。
今までだってキスを執拗に迫ってきたり、教室で全裸になったり、身体を異常に密着させてきたり――ということがあった。
要するに彼女は貞操観念が圧倒的に低い、痴女憑きと呼ばれるに値する存在なのだから――喜ぶかもしれない。
「喜んでいたとしても、やっていいことと悪いことってものがあるだろッ!」
少しどぎまぎしながらもいい返した。
「わ、私喜んでないですよ!」
沙夜の抗議の声を無視し、僕は間宵を見据える。
「とにかくだ。まず沙夜に謝れよ」
「はいはい、ごめんなさいね。沙夜ちゃん」
「わ、……私はなんとも思ってないです。お気にせずに」
とはいうものの、沙夜は視線を泳がせていた。強がっているのだ。
僕の予定では、頃合いを見計らってきちんと沙夜を紹介し、二人を親しくさせていくつもりだったのだが、もうすでに、二人の間に剣呑なムードが帯び始めている。これでは今後の生活が思いやられるというものだ。
「これでいい?」間宵は毅然な態度でけろっとそういってのけた。
「まだだよ。どうして沙夜を連れていったのかちゃんと理由をいってくれないと」
「いや、それは……」
ここで二人の成り行きを対岸の火事といった具合に見ていたアネモネが、息継ぎついでに「ふん」と小さく笑った。間宵がすぐに後ろへ向き直り、アネモネを睨みつける。それはまるで、裏切り者を非難するような目つきだった。
「アネモネ、なにがおかしいのよ?」
間宵は敵意むき出しの顔をして、アネモネに矛先を向けた。アネモネは妹の表情に臆することなく僕の方へ視線をやって、首を少し傾けながらいう。
「おい、お兄ちゃん。それくらいで勘弁してやってくれないか。こいつは憑きものの生態を観察したかっただけなんだ。それにあのメールも間違えて送ってしまったものだ」
「……はあ?」
「悪いことはしていない。少しその小娘憑きの身体を見させてもらっただけだ。危害を加えようとか考えてはいない。ただ単純に……」
「アネモネ、余計なことはいわないでッ!」
アネモネの言動を制するようにして間宵が鋭くどなった。怒声を受けて、やれやれというように肩をすくめるアネモネ。
僕は怒りすらも忘れて、しばしの間、面食らっていた。
「……憑きもののことを観察? なんで?」
どういうことだ?
観察のために沙夜を裸にしたのか?
間宵は表情を曇らせて、俯き加減にぼそりと呟いた。
「お兄ちゃんには関係ないでしょ……」
そして、俯いたまま上目づかいで僕を睨みつけて、
「大体、そんなにその子が心配なら探しにこればよかったじゃん」
これもまた、兄妹げんかにおいてよく使用されるスキル、話題のすり替え、である。手品師のように今までの話題と自分が優位に立てる話題をすり替え、話の焦点をはぐらかしてしまうという高度なテクニックだ。
「お兄ちゃんって結局口だけなんだから。少しは人のことを思いやるってことをしなさいよね」
「……本気で心配だったんだ。……だから探したよ」
「……え?」
「学校のトイレだろうってことは見当がついていたから、わざわざお前の学校まで探しに行ったんだ!」
間宵から不穏なメールが届いた後、僕は学校を飛び出して、桜下女子高等高校へ向かった。しかし、門前で警備員に捕まってしまい、潜入することは憚られたが――、
とにもかくにも、元来、品行方正であるはずの僕が学校をさぼってしまったのだ。心までもが非行少年と化してしまったわけではないが、沙夜と出会ってからというものの、そういうことが多い。
なにかとムチャをし、後先考えないような行動をとるようになった。
自分のことを犠牲にしてでも、僕は沙夜を護りたい。きっと、彼女も同じことを思っていてくれているはずだ。だからその思いは倍増する。
これだけの感情がわいてしまうことに、僕自身が一番驚いている。
「探した……って嘘でしょ? なんでお兄ちゃんがそんなこと……」
間宵は、心底不思議そうに考え込んでいた。僕が冗談をいっているのだと勘ぐっているのかもしれない。
わからないのだろう。無理もないことだ。沙夜と出会ってから僕は変わった。間宵の知らない顔が今の僕にはある。
「……わからないならいいよ」
だから理解してもらう必要はない。今すぐでなくてもこれから時間をかけて、少しずつ知ってくれればいい。そう思ったから、この話題についてこれ以上の応酬をするのはよしておいた。
脱線した話を戻すことにする。
「大体さ、憑きものの研究ってなんだ?」
「お兄ちゃんには関係ない……」
「お前、将来学者にでもなるつもりなのかよ」
何気なく僕はいった。
本当に非難する気持ちも揶揄する気持ちもなかった。
ただ思ったことをそのまま口にしたに過ぎない。
棘の含んだ物言いをしたわけでも、表情に太々しさを呈したわけでもない。
ほんの少しだけロートーンだっただけだ。それだけなのに――。
「うっさいなッ!!」
妹が今まで以上に癇癪を起こしたので驚かされた。
上ずった叫び声がリビングに響き渡る。怒気を発する間宵の圧倒的な迫力に、僕は悲鳴を上げそうになった。というか僕が間宵に怒っていたはずなのに、いつの間にか立場が逆転している。
「わたしのことは放っといてっていってんじゃんッ! なんでそうやって詮索しようとするのよッ!」
間宵は昔から指図を受けることや詮索されることを酷く嫌う。それはわかっていた。
だから僕はいつも、彼女に関心を示さないフリをしてきた。今この時だって例外ではない。なのに、どうしてだか間宵の怒りが爆発している。
激しい剣幕で怒鳴りちらしたかと思えば、間宵は急にしゅんとなり、
「…………いや、ごめん。さすがに今のはないね……。本当に沙夜ちゃんには悪いことしたと思ってる……」
と言葉を残して静かに二階へあがっていった。
「ご、ご主人様……」
沙夜が心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
幼少のころから間宵はヒステリックな一面を時おりちらつかせてきた。怒りがピークに達すると急に声を張り上げてキレることがある。だとしても、これほど短気ではなかったはずだ。
僕の横を過ぎる時に呟いた、「ごめんなさい……」という言葉が何度も頭で反響する。
「なんだよ……あいつ……」
その表情はとても印象的で、しばらくの間、脳裏に焼きついて離れなかった。
きっとこれから先もことあるごとに思い返すに違いない。
なにより――。
「なんで、あいつ……泣いてるんだよ……」
――間宵の眸には涙が光っていた。




