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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

筋肉探偵 町山ヒデキの大胸筋

作者: ツネ吉
掲載日:2026/06/13

 探偵、町山ヒデキはマッチョである。


 町山の朝は早い。その日も探偵事務所の一角を改造したスペースで筋力トレーニングを行っていた。


「……ふう」


 朝のトレーニングノルマをこなした町山は、壁にかけられた大きな鏡に向かって軽くポーズをとる。


 隆起した上腕二頭筋。


 板チョコのように割れた腹筋。


 そしてもっとも自信のある、はちきれんばかりの大胸筋。


 汗に光る自らの筋肉に見惚れていると、事務所の電話が鳴る。


「はい。町山です」


 それは事件の知らせだった。



「町山さん、こちらです」


 顔馴染みである、室井刑事に出迎えられる。


 相変わらず筋肉の乏しい細い男だ。そう心の中で呟くが、決して声に出したりしない。


 町山は紳士なマッチョである。筋肉を相手に押し付けたりなどはしない。


 町山が訪れたのは、とある住宅街の一角。他の家より比較的大きなその家は、警察によって規制線が引かれていた。


「中へどうぞ」


 室井刑事に促され家の中へ入る。


 案内された部屋は、ジムと見紛うほど充実したトレーニングルームだった。


 広い部屋を改造したのだろう。室内には様々なトレーニングマシンが置かれている。


 チェストプレス


 ラットプルダウン


 レッグプレス

 

 ショルダープレス

 

 ルームランナー、などなど。下手なジムよりも設備が充実している。


 そして奥の壁一面は大きな鏡張りとなっている。おそらくこの鏡でフォームをチェックしながら鍛えているのだろう。


 そしてーー



 頭から血を流しながら、その鏡に向かって倒れているマッチョがいた。



「町山さん向けの事件かと思いましてね」


 室井刑事の説明に、町山は静かに頷く。町山はマッチョ関連の事件に強い探偵だ。


 町山はじっと目を細めながら死体を観察する。


「……身長、178cm。体重88kg」


 町山の鋭い眼光は、被害者であるマッチョのパーソナルデータを即座に見抜く。


「全身くまなく鍛えられた筋肉。体脂肪率は極端に低い。おそらくボディビルダーだね?」

「ええ」


 室井刑事は肯定した。


「しかし見事な筋肉だ。特にこの広背筋は……いや、待て。私はこの空に羽ばたけそうな広背筋を知っている!」


 町山は目を見開く。


「ああ、まさか! この人はボディビルダーの広川隼人氏ではないか!」

「そうです。ご存知でしたか?」


 町山はコクリと頷く。広川隼人は国内でも名の知れたボディビルダーだ。


「一度だけボディビルコンテストに出場した広川氏を見たことがある……彼のダブルバイセップスは芸術だった」


 そんな広川とこんな形で対面することになるとは。町山は運命の不条理さを嘆いた。


「見てわかると思いますが、死因は後頭部を殴打されたことによる脳挫傷。凶器はそこに」


 室井刑事の視線の先には、血まみれのダンベルがあった。


「もともと、この部屋にあったものです」

「ふむ。40kgのダンベル。かなり重いな」


 これで頭を殴られれば即死だろう。


「その通りです。一般人は持ち上げることすら難しい。まして、振りかぶって頭を殴りつけるなんて」

「つまり、犯人はマッチョ」


 町山は悲しさから目を伏せる。


 広川ほど優れたボディビルダーが亡くなるなんて世界の損失だ。


 まして、犯人が同じ志のもと体を鍛えているマッチョだなんて。


「よろしい。広川氏の筋肉の無念は、この探偵町山が晴らしてみせよう」


 顔を上げた町山は、決意に満ちた目で宣言する。


 町山はしゃがみこんで、死体の筋肉にそっと触れる。


「……死亡推定時刻は、昨夜8時から9時といったところか」

「鑑識も同じ見立てです」

「体の水分が極端に少ないな。徹底的に絞られている……もしや、ボディビルのコンテストが近いのでは?」

「その通りです。被害者は1週間後に開催されるコンテストに出場予定でした」

「……そうか」


 ということは、コンテストに向けて体を絞り込んで切る時期。


 町山は次に現場を調査する。


 被害者はタンクトップに短パン、靴下姿でうつ伏せになっている。


 死体には移動させられた形跡はない。つまり、殺害現場はこのトレーニングルーム。


「死亡推定時刻、及び被害者の服装を考えると、おそらく広川氏は食後のトレーニングに励んでいる最中に殺害された可能性が高い」


 町山の鋭い眼光が、室内をくまなく観察する。


「被害者が最後に使っていたマシンはこれだな」


 町山はレッグプレスマシンに手を触れる。


「なぜわかるのですか?」

「簡単な話だよ室井くん。このマシンだけがウェイト(おもり)がゼロになっていない」


 普通、使用後のマシンは安全対策としてウェイトをゼロにする。


 被害者はその辺り徹底していたようで、他のマシンのおもりは全て外されている。


 レッグプレスマシンのみおもりがついたまま。それが意味することは、被害者はレッグプレスマシンを使用後、おもりを外す暇なく殺害されたということだ。


「420kgか。かなり重い、さすが広川氏といったところか」


 そこまで口にして、町山は微かな違和感を覚える。


「……?」


 その違和感の正体を確かめるように、町山は辺りを見回す。


 そして、被害者の死体に目が止まった。


「……靴下か」


 被害者は靴を履いていない。


「町山さん。どうかしましたか?」

「……室井くん。広川氏のシューズボックスを確認したい」

「はあ?」


 訝しげな室井刑事を尻目に、町山は玄関のシューズボックスを確かめに向かった。


 シューズボックス内にはトレーニング用のシューズが二足収められていた。


 一足はかなり古く、履き潰されたシューズ。なぜ捨てていないのか不思議なほどボロい靴だ。


 一足は真新しいシューズ。おそらく最近買い直したばかりなのだろう。まだほとんど使われていないようだ。


「靴がどうかしましたか?」

「いや。広川氏が靴を履かずトレーニングをしていたことが気になってね」


 被害者は靴下姿で、トレーニングシューズは片付けられている。


「単に自宅でのトレーニングだから、靴を履かずに行ったのでは?」


 確かにその可能性は高い。ジムでは靴を履かなければならないが、自宅でのトレーニングではその限りではない。


 現に、町山も自身の事務所でのトレーニングは裸足で行っている。


「いや……しかし……ふむ」


 町山はブツブツと独り言を呟きながら考え込む。


 そして、しばらく後に顔を上げる。


「次はキッチンを見てみたい」


 町山は次にキッチンへと向かった。


 大きな家のキッチンだけあり、かなり立派な設備が揃っていた。


 町山は最新式の冷蔵庫を開ける。


「うわあ。まさしくボディビルダーの冷蔵庫、って感じですね」

「ああ。まさに、マッチョの冷蔵庫だ」


 横から覗き込んだ室井刑事が感嘆の声を上げる。


 室井刑事の言う通り、冷蔵庫内は理想的なボディビルダーの食材だらけだった。


 鶏胸肉にササミ、卵、白身魚といった、脂質の少ないタンパク質。

 

 アスパラガス、きゅうり、レタスなどの野菜類。


 ペットボトルの水が数本。


 コンテスト前ということもあり、冷蔵庫の中は控えめだった。


 そして冷凍庫を開ける。中には冷凍された鶏肉、赤身の牛肉、サーモンといった魚介類。それと大量のブロッコリーがタッパーに詰められて並んでいる。


 体を絞るのに邪魔になるような菓子類や脂肪分は一切なかった。


「なるほど、さすが広川氏。あの磨き上げられた筋肉は、このストイックさがあってこそということか」


 町山は同じマッチョとして亡くなった広川に心からの敬意を送る。


 冷蔵庫を確かめ終わった町山は、次にキッチンのゴミ箱を漁る。


 被害者の死亡推定時刻は昨夜の8時から9時。町山は被害者が最後にとった食事に事件解決の手がかりがあると考えた。


「これは……!」


 そして、予想通り町山は手がかりを見つけた。


「これは……ブロッコリーですか?」


 室井刑事は怪訝そうな表情を浮かべながら町山に尋ねる。


 ゴミ箱から見つけた一欠片のブロッコリー。町山はそれを手にとり、具に観察する。

 

「……腐敗臭がしない。まだ新しい」


 町山はおもむろに鼻を近づけて確認する。


「室井くん。これを証拠として保存してくれたまえ」

「ぶ、ブロッコリーをですか?」


 室井刑事は疑問に思いながらも、町山の指示に従う。


「ふむ」


 事件の全容が少しだけ見えてきた。町山の大胸筋がピクリと反応を示す。


「室井くん。広川氏が通っていたジムを教えて欲しい」

 


 広川隼人が通っていた『アイアンマンジム』は一般的なフィットネスジムとは違う、ボディビルダー御用達の()()()なトレーニングジムである。


 飾り気のないコンクリートの建物に、豊富な種類のマシン。


 利用者のほとんどは徹底的に筋肉を育てることを目的としたマッチョばかり。


「いい雰囲気のジムだ」


 事件発生の翌日。被害者の通っていたジムの利用者に犯人がいると考えた町山は、1人のマッチョとしてアイアンマンジムに潜入していた。


 町山は体を鍛えにきたただのマッチョを装いながら、犯人の手がかりを探す。


 まず向かったのは広背筋をはじめとして、背中の主要な筋肉を効率よく鍛えることができるラットプルダウン。

 

 マシンの一台に腰掛けると、すでに隣で鍛えている発達した僧帽筋を持つマッチョがチラリと町山に視線を送る。おそらく、見慣れぬ新参のマッチョが気になるのであろう。


 町山はそんな視線に気付かぬふりをしながら、トレーニングを開始する。


「ふん!」


 町山は100kgのウェイトのラットプルダウンを気合いと共に引き上げる。それを見た僧帽筋の立派なマッチョが目を見開いたのがわかった。


 対抗意識を燃やしたのか、山のような僧帽筋のマッチョも負けじとトレーニングに励む。


 お互い無言のままトレーニングを続けることしばらく。どちらともなく同じタイミングで一息入れる。


 2人のマッチョは向き合い、互いの健闘を讃える。


「素晴らしい大胸筋をお持ちですね」

「そちらこそ。存在感のある僧帽筋だ」

 

 固い握手と共に、自己紹介を交わす。


 彼は安達弘信あだちひろのぶと名乗った。


「ほお。町山さんは仕事でしばらくこの街に」

「ええ。滞在している間筋肉を鍛えるのに良い場所がないか聞いたところ、このジムを勧められまして」

「なるほど。それならこのジムはうってつけですね」


 安達は納得したように頷く。


「このジムは本格派だ。利用しているマッチョも熱心な人物が多い。特にボディビルを専門にしているマッチョにとっては理想的な環境でしょう」

「確か……先日亡くなったボディビルダーの広川氏も利用されていたとか?」

「ご存知でしたか。ええその通り、彼はこのジムの()とも言える人物でした」


 目を細める安達。その表情がどういった感情の表れなのかは、町山にも窺い知ることができなかった。


「安達さん。あなたはボディビルではなく、重量挙げが専門のようですね」

「っ! なぜそれを?」

「ふっ。あなたの極太の首。分厚い背中。何よりそのそびえ立つ霊峰のような僧帽筋を見れば一目瞭然ですよ」


 町山の言葉に、安達も笑みを見せた。


「なるほど。マッチョの目は誤魔化せませんね」



 次に町山が向かったのはレッグプレスマシン。


 複数あるマシンの一つは丸太のような大腿筋を持つマッチョが使用していた。


「……420kg」


 かなりの重さだ。これほどのウェイトのレッグプレスができるマッチョはそういない。


 わずかながら対抗心が芽生えた町山はそのゴン(ぶと)の大腿筋のマッチョの隣のマシンに座る。


 町山もウェイトを420kgに調整してレッグプレスを始める。


 泣く子も黙る大腿筋を持つマッチョはそんな町山には目もくれず、黙々とトレーニングに励む。

 

 そしてしばらく。町山が一息ついたところで、同じように休憩を挟んでいた王者の大腿筋を持つマッチョが声をかけてきた。


「素晴らしい大胸筋だ」

「ありがとう。あなたほどの大腿筋はお目にかかったことがない」


 固く、お互いの手を握り合う。


 マッチョは大島悟おおしまさとると名乗った。


「町山さん。あなたも今週のボディビルコンテストに参加を?」

「いえ。私はボディビルはやっていないもので」

「そうか、残念だ。あなたほどのマッチョならかなりいいところまで行けそうだが」


 大島の言葉には羨むような、少し妬むような響きが込められていることに町山は気づいた。


 町山は大島の筋肉をつぶさに観察する。


 磨き上げられた肉体。おそらく彼もボディビルダーだろう。


 しかし、彼の筋肉にはどこか歪なものがある。


「大島さん。あなたもしや、左上腕二頭筋を痛めているのでは?」


 大島は目を見開いた。


「なぜそれを?」

「……言いにくいですが、下半身と比べて上半身の筋肉がやや少ない。それに、左右のバランスが崩れているように見える」


 それを聞いて、大島は寂しげに笑う。


「……マッチョの目は誤魔化せないな」



 

 同様の手段を使い、町山はアイアンマンジムに通うマッチョ達から聞き込みを行なっていった。


 最初は見知らぬマッチョから話しかけられて警戒していたマッチョ達も、町山の紳士的な態度と、何より素晴らしい大胸筋に魅了されすぐさま胸筋を開いた。


 そして3日経つ頃には、全マッチョからの聞き込みが完了していた。


「町山さん。聞き込みの結果はどうでした?」


 町山の事務所に訪れた室井刑事が前のめりで潜入捜査の結果を確認する。


 そんな室井刑事に町山はゆっくりと頷く。


「ええ。大変有意義だった。あの広川氏の普段のトレーニングメニュー。さらに食事内容まで知ることができたのだから」

「…………あの、できれば犯人につながる情報が欲しいんですが」


 頬を引き攣らせる室井刑事を見て町山は笑みを浮かべた。


「いやいや。これも犯人につながる有力な情報だ。何より、生前の広川氏の人となりについて把握できた」


 町山は情報を整理すべく、事務所に備え付けられたホワイトボードに書き込みを行う。


・広川隼人

 身長178cm、体重88kg、足のサイズ27cm


「……足のサイズの情報は必要ですか?」


 無論必要である。


「アイアンマンジムにおいて、ボディビルダーとして輝かしい成績を誇る広川氏は大変尊敬される存在だった」


 安達が広川のことを『このジムの顔』と呼んでいたのは全く誇張された話ではなかった。


「さらに、広川氏は同じジムに通う他のマッチョのトレーニングサポートを、それは熱心に行なっていたそうだ」


 広川が考案したトレーニングメニュー、さらに筋肉を育てるための食事内容などはマニュアルとしてジムに存在するほどだ。


「彼を慕っていたマッチョは多い。彼に触発され、ボディビルコンテストに出場するマッチョも多いという」


 生前の広川の人となりは、()()()()いい噂しか聞かなかった。


「なるほど。つまり、殺害されるような恨みを買う人物ではなかったと?」

「いや。実はそういうわけではないんだ」


 町山は首を横に振って否定する。


「広川氏の指導は、どうやら熱心すぎるとのことだった」

「熱心すぎる?」

「ああ。彼は大変ストイックなマッチョ。自らの高すぎる理想を、他のマッチョに押し付けてしまうきらいがあったそうだ」


 広川の指導についていけず、ジムを退会したマッチョも少なくないという


「世の中に完璧なマッチョはいない。そして、彼に対して動機のある人物がこの2人だ」


 ホワイトボードに書き込みを続ける。


・安達弘信

 身長165cm、体重83kg、足のサイズ29cm


・大島悟

 身長181cm、体重85kg、足のサイズ27cm


「まず、安達氏についてだが。彼の専門は重量挙げ。通うマッチョの大半がボディビルダーのアイアンマンジムにおいては少数派だ」


 あの山のように盛り上がった僧帽筋は見事だった。


「そんな安達氏と広川氏が激しい剣幕で言い争っているところを何度か目撃されている。なんでも、コンテストが近い他のボディビルダーに対してマシンを譲れと広川氏が迫ったらしい」


 他のボディビルダーの指導に熱が入りすぎたがゆえの暴挙だ。


「そして次に大島氏。彼もボディビルダーで、広川氏の指導を受けていた1人だ」


 棍棒のように太い彼の大腿筋を思い出す。


「しかし、広川氏のハードすぎるトレーニングに追い込まれて左上腕二頭筋を負傷。今週開催されるコンテストにも出場予定だったが、辞退する運びとなった」


 そのコンテストはかなり規模が大きいもので、大島にとってそのコンテストで入賞を果たすことは悲願であったらしい。


「容疑者はこの2人。犯人はどちらか1人だろう」


 町山の説明を受けた室井刑事は神妙に頷く。


「……なるほど、動機があることはわかりました。しかし、それだけでこの2人を容疑者としてしまうのはいささか強引すぎるのでは? 町山さんの知らない動機を持つ人物もいるかもしれませんよ?」

「いや。この2人が容疑者なのは間違いない。私は何も、動機だけで考えたわけではない」


 町山はあえてそれ以上説明せず、自身が書いたホワイトボードの文字を凝視する。


「さて。一体どちらが犯人なのか」


 決め手にかける。町山は全身の筋肉を集中させながら考え込む。


 そのまましばらくの間沈黙。そしておもむろに口を開いたのは室井刑事だった。


「しかし……あれですね」

「ん? 何がだい?」


 思考を中断し、町山は振り返る。室井刑事の視線は事務所の一角にあるトレーニングスペースに向けられていた。


「被害者の自宅もそうでしたが、体を鍛えている人の家には必ず大きな鏡があるんですね」


 室井刑事の言うとおり、広川の自宅のトレーニングルームには壁一面の大きな鏡があった。


 町山の事務所にも、さすがに壁一面というわけにはいかないが、それなりの大きさの鏡が備え付けられてる。


「マッチョの自宅なら当然だ。鏡でフォームを確認しながらトレーニングを行うことは重要だし、自らの筋肉をーー」


 直後。町山の大胸筋に電流が走る。


「……室井刑事。広川氏のスマホはどこにあった?」

「はい? 確かリビングで発見されましたが」

「そうか……なるほど、やはり」


 町山はおもむろに鏡の前で、ダブルバイセップスを決める。


 鏡越しに、室井ケイジに向かって宣言する。


「わかったぞ。広川氏を殺害したマッチョの正体が!」



 翌日。町山は自身の事務所に容疑者の1人を招いていた。


「わざわざ来ていただき申し訳ない()()さん」


 その人物はゴリラのように太い大腿筋を持つ大島だった。


 大島は表に掲げられていた『町山探偵事務所』という看板に動揺を隠せないでいた。


「町山さん。あなた、探偵だったんですか? なんで自分をここに?」

「私は今、ある事件を捜査していましてね。ええお察しの通り、広川隼人氏殺人事件についてです」

「っ!」

 

 大島の顔に警戒の色が浮かぶ。


「私があなたをここに呼んだのは……大島悟さん、あなたこそが広川氏を殺害した犯人だと考えているからです」

「馬鹿なっ、自分が広川さんを殺すわけない。あの人の家になんて一度も行ったことがないのに」


 吐き捨てる。


 しかし、町山にはその不愉快そうな仕草が演技だとわかっていた。


「さて。なぜあなたを犯人だと思ったのか、その根拠から説明しましょう」


 町山は淡々と説明を続ける。


「広川氏が殺害された時刻は午後8時から9時。食後のトレーニング中と思われる。そこで私はまず、広川氏が最期にとった食事について調べました」


 結果的に最後の晩餐という形になってしまったが、自分が殺されるなんて思ってもみなかった広川にとってその食事は普段のものとなんら変わらないものだったはずだ。


「キッチンのゴミ箱からブロッコリーが一欠片だけ見つかりました。腐敗しておらず、新しいものでした、おそらく調理中に落としたものを捨てたのでしょう」

「っ!」


 大島の顔が明確に歪む。


「ボディビルダーのあなたなら、私が何を言いたいのかわかるはずだ。そうです、ボディビルコンテストを目前に控えた広川氏がブロッコリーを摂取するなんておかしいんですよ」


 町山は畳み掛ける。


「ブロッコリーは高タンパク、高栄養、低カロリー、豊富な食物繊維と筋肉を育てるのにこれ以上ない食材だ。まさしくマッチョの友と言えるだろう。しかし、ブロッコリーはその食物繊維の多さゆえに腸に残りやすく、腸に残ったブロッコリーはガスを発生させてしまい下腹が膨らんでしまう。見栄えを重視するボディビルコンテストにおいて、明確なデメリットだ」


 それゆえ、コンテスト前の調整期間においてブロッコリーを抜くマッチョは多い。


「広川氏はそのあたり徹底していた。彼がアイアンマンジムに残した食事メニューのマニュアルにもそのことは書かれていたし、解剖された彼の胃袋からはブロッコリーは見つからなかった」


 ではなぜ、真新しいブロッコリーが捨てられていたのか?


「簡単な話だ。あれは彼が食べるためのものではない。あれは彼と一緒に食事を摂った、同伴者のためのものだ」


 そしてその同伴者こそが、広川を殺害した犯人。


「ここまでの話でもうお分かりですね。犯人の条件は3つ」


 町山は指を3本立てる。


「1つ。広川氏と一緒に食事を摂る程度には親交のある人物」


 犯人は広川に自宅に招かれていた。


「1つ。目前のボディビルコンテストに出場の予定がない人物」


 コンテストに出場予定がある人物なら、熱心に食事の指導まで行っていた広川がブロッコリーなど用意するはずがない。


「1つ……マッチョ」


 その人物は、40kgのダンベルを軽々と振り回すことができるマッチョだ。


「この時点で犯人の候補となる人物は、大島さんあなたと足立弘信さんだけです」


 大島は負傷のためボディビルコンテストには出場しない。そして足立はそもそも重量挙げの選手だ。


 調査の結果、条件を満たす人物はこの2人だけだった。


「な、なら犯人は自分とは限らないでしょう! あ、足立さんが犯人かもしれないじゃないですか!」


 動揺を隠さないまま、大島は町山を怒鳴りつける。


「いえ。犯人は大島さん、あなただ。その根拠について説明しよう」


 慌てふためく大島を前にして、町山は冷静なままだった。


「広川氏の遺体は後頭部をダンベルで殴られ、鏡に向かってそのまま倒れ込むような形となっていた」


 広川の自宅の大きなトレーニングルーム。


 入り口から見て奥の壁一面を鏡張りに変えた、本格的なトレーニングルームだった。


「広川氏は頭を殴られ即死。つまり、彼は鏡に向かっていたところを襲われ、そのまま倒れ込んだということになる」

「そ、それがなんだ?」

「単純な疑問が浮かぶでしょう? なぜ広川氏は鏡に映る鏡に映る犯人に気づかなかったのか? と」


 鏡の位置は入り口から見て奥。つまりダンベルを凶器とする犯人から逃げようと背中を向けたのではなく、鏡と向き合っていたところを不意打ちで襲われたと考えるべきだ。


 あれだけ大きな鏡、間違いなく犯人の姿は映っていた。にもかかわらず、町山は後ろを振り返る暇もなく即死した。


 それが意味することは何か?


「町山氏の体は間違いなく鏡に向いていた。しかし、彼はその瞬間鏡を見ていなかった」


 その矛盾の答えはーー


「広川氏は鏡の前でしゃがみ込み、靴の紐を結んでいたのだ」

 

 広川のスマホはリビングで発見された。スマホの画面を見ていたわけではない。


 ならば鏡を見ていなかった最も合理的な理由は、靴の紐を結ぶために、視線を足下に下げていた。に間違いないだろう。


「広川氏はその瞬間を狙われ殺害されたのだ」


 町山の鋭い眼光が大島を射抜く。


 大島は無言で顔を青ざめさせ、震えていた。


「しかしだ。ここで現場の状況と矛盾が生じる。なぜなら、広川氏の遺体は靴を履いていなかった」


 彼のトレーニングシューズはシューズボックスに収められいた。


「彼が殺される直前まで靴を履いていたのは間違いない。それは前述の理由だけではなく、彼が死の直前に行っていたトレーニングから考えても明らかだ」


 トレーニングルームの状況を思い出す。


 そこには、ウェイトを外されないままだったマシンが一つあった。


「彼は死の直前、レッグプレスマシンを使用していた。それも、420kgとかなり強い負荷をかけながら。あれほどの重さのレッグプレス、足の保護のためにも靴は履いているはずだ」


 自宅でのトレーニングを裸足で行うマッチョは多い。しかし足に強い負荷を与えるトレーニングを行う場合、保護のためにも靴を履くのが一般的だ。


「広川氏の遺体から靴が脱がされていたのか? 犯人が脱がしたに決まっている」


 そしてそれこそが、犯人を特定する重要なピース。


「ではなぜ、犯人は広川氏の靴を脱がしたのか? その理由について考えたとき、ふと疑問に思った。広川氏と食事を摂った犯人は、広川氏殺害まで何をしていたのだろう? と」


 食後に広川と一度別れた? いや、違うだろう。


「犯人は広川氏と一緒にトレーニングをしていたはずだ」


 トレーニング中の広川の不意をつくには、同じトレーニングルームにいたと考えるのが自然だ。


「そして、次にレッグプレスマシンに対して疑問が湧く。420kgと高負荷の重さ。広川氏の筋肉なら易々と持ち上げられるだろうが、コンテスト直前の調整期間にあれほどの重さのレッグプレスをする理由はない」


 ならば、考えられる可能性は一つだけ。


「あのレッグプレスマシンを使用していたのは犯人だ」


 面倒見のいい広川は、犯人の指導を行っていたのだろう。


「大島さん。あなたのレッグプレスのウェイトも420kgでしたね?」

「……ぐ、偶然だ!」


 大島の顔はもう真っ青だった。


「さて、こうなってくると犯人がなぜ広川氏の靴を脱がせたのかも想像がつく。広川氏の自宅にはトレーニングシューズが二足ありました」


 一足は真新しい靴。もう一つは履き潰された靴。


「トレーニングの際、広川氏は犯人に靴を貸したのではないだろうか? そうした場合、どちらの靴を貸すか? 普通に考えて、客人に履き潰された古い靴など貸すはずがない」


 当然、貸し出したのは真新しい靴。


「犯人と広川氏の間にどのようなやりとりがあったのかは想像できない。しかし結果として、犯人は鏡の前で靴紐を結んでいる広川氏に向かってダンベルを振り下ろした。そしてその直後、広川氏が履いている古い靴に気がついた」


 それこそが、犯人が広川の靴を脱がした理由。


「犯人はこう思ったはずだ。この死体を見つけた警察は、広川がなぜ新しい靴ではなく古い靴を履いていた疑問に思うはずだ、と。だからこそ、犯人は広川氏の靴を脱がし、靴下でトレーニングを行なっていたように偽装した」


 流石に、死体に新しい方の靴を履かせることができなかったのだろう。


「もうおわかりですね。犯人は先ほど私があげた3つの条件に加えて『広川氏の靴を履くことができた人物』なのですよ」


 広川の足のサイズは27cm。


 安達の足のサイズは29cmのため、彼に広川の靴を履くことは不可能。


「犯人は広川氏と同じ27cmの足のサイズを持つ、大島さんあなただ」


 突きつけられた事実に、大島は立っているのもやっという有様だった。


 しかし、絞り出すように反論をする。


「しょ、証拠はあるのか? あなたの推理には自分がやったという物理的な証拠がない!」


 その言葉を聞いて、町山は目を伏せる。


「大島さん。あなた先ほど『あの人の家になんて一度も行ったことがない』とおっしゃいましたね?」

「そ、それがなんだ! 事実広川さんの自宅なんて知らない!」

「彼の自宅から、広川氏のものではない毛髪が発見されたのですよ」


 大島の顔が絶望一色に染まる。


「そ、それは……自分は髪の毛を警察に提出する必要が、あるのか?」

「いえ、現段階では強制ではないでしょう」

「な、ならば! その髪の毛は自分のものではない!」


 かろうじて生気を取り戻した大島を見て、町山は悲しい気持ちになった。


 彼はまだ、自分の置かれた状況がわかっていない。


 町山の推理はすでに警察にも聞かせている。警察の中ではほぼ大島が犯人だと見ている。


 日本の警察は決して無能ではない。近いうち、大島が犯人である証拠を見つけ出すだろう。


 だがそれでは大島があまりに哀れだ。自身が逮捕されることに怯え続ける日々を送るであろう大島なんて見ていられなかった。


 彼には潔く、自首してもらいたい。


 そう決意した町山は大島の元へと歩みよる。


「あくまでも自身の潔白を主張しますか……ならばよろしい」


 そして、大島の前でしゃがみ込み、彼の大腿筋を両手で鷲掴みにした。


「な! 町山さん何を!?」

「ならばこの筋肉に……この筋肉にっ、自らの潔白を誓いないさい!」

「っ!」


 町山の大きな手でも溢れ出すほど巨大な筋肉。 


 素晴らしい大腿筋だ。鋼のような硬さを持ちながら、シルクのような柔らかさを持つ。美しき矛盾を抱えた筋肉。


「非暴力の文明社会において、過剰な筋肉など本来不要な存在。だが我々マッチョは体を鍛え続ける。それはなぜか!」


 これほどの大腿筋、町山はお目にかかったことがなかった。


「決して暴力のためではない。我々マッチョの悲願は、自らが理想とする強く美しい存在になること。その志を胸に、あなたもこの大腿筋を磨き続けてきたはずだ」


 大腿筋をここまで育てるのに、眠れない夜もあっただろう。


「さあ、誓いなさい! この素晴らしい筋肉向かって、自分は決して暴力のためにお前を育ててきたわけではないと、人を傷つけるために筋肉を振るったことはないと、誓ってみなさい!!」

「じ、自分は……!」


 大島の声が震える。


 町山にはわかっている。彼ほどのマッチョなら、自分の筋肉に嘘など決してつけないことを。


「じ、自分が……やりました……!」


 


 大島の自白の後、彼は事務所に待機していた警察に身柄を拘束された。


「お疲れ様でした、町山さん」


 室井刑事が声をかけてくる。


「流石です、見事な推理でした」


 賞賛の声も、町山にはどこか遠く聞こえる。


 犯人を逮捕した達成感などなく、どこか虚しさだけを感じる。


「しかし、まさかあんな方法で自白を引き出すとは」

「……当然だ」


 わかりきっていることだった。


「筋肉はマッチョを裏切らない。しかしマッチョもまた、自らの筋肉を裏切ることなどできないのだよ」

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