「なら、子供でも産んだらいいんじゃないんですか?」
ニーナリッティは、ゲオルクのその言葉がよく理解できず固まってしまった。
「………え?」
「それがおそらく一番早手っ取り早く簡単に、王女の立ち位置から逃れられるんじゃないですか? 多分ですけど」
これ、食わないならもらっていいですか? と皿に盛られた菓子を一つ口に放り込む。咀嚼して「うん美味い」とうんうん頷くゲオルク。
自分が衝撃的な発言をしていると思っていない態度である。
姫様、と腹心の侍女に声をかけられて、ようやくニーナリッティの思考は動き出す。
「ど、どういうことですか…」
「だからあんたさんの価値、その存在意義、それはその身体に流れてる王族の血筋でしょ。今姫さんに求められるのは、王位を次ぐこととその血をつなぐこと。つまりは国と子孫を残すことです。
ならもうとりあえずさっさと子供を一人二人産んじまえば、あんたさんはその唯一生き残りの王女、って立場からは開放されるんじゃねーんですか」
「………」
ニーナリッティの祖国が敵によって攻め込まれ事実上滅んだのは今からわずか十日前のこと。
侍女クリステルとなんとか逃げていたが敵軍に見つかりあわや、という所を救ってくれたのが、従兄の公爵ステファンが雇ってくれた傭兵のゲオルクだった。
護衛の彼は言葉は荒く態度も良くないが意外と優しく、ニーナリッティのために探してきたと高級な菓子やらドレスやら装飾品を差し出し、暗い顔をしているニーナリッティを励まそうとしているようだった。
今ゲオルクが自分で食べている菓子もそれである。
悲しみに暮れるニーナリッティは大好きなお菓子でも食べる気になれないので、基本的に彼の胃袋に収まるのが最近くり返される光景だったのだが。
今日は彼がこぼした発言によって空気が変わっていた。
「嫌なんでしょ? 背負いたくないんでしょ? 自分なんてそんな大したものじゃない、女王なんてなれないって思ってるんでしょ?
なら子供に引き継がせればいいんじゃないですか?
息子がだめなら孫に継がせるとかままあることです」
「……そ、その子が育つまでの間はどうしろとおっしゃるの?」
「それこそ姫さんご自慢のお従兄さまに任せりゃいいでしょ、子供の養育も合わせて。公爵さまのとこならあんたさんみたいな甘ちゃん泣き虫にはならんでしょうし。
姫さんの子供に将来渡すためってんなら簒奪にならんハズだし。
十年くらいは王冠かぶってくれるんじゃないですかね? あんたさんの望みどおりに」
「………」
「ま、所詮は王侯貴族とは雇い雇われでしか縁のないいち傭兵の戯言ですけど。
でもあんたさんが子供を産む。それが一番早くて簡単な方法じゃねーですか?」
「………」
ゲオルクの言葉はふざけているようでまあ筋が通っている。
ニーナリッティは考えてみた。
今、自分に子供ができたら…? と。
唯一の正当王族の血筋。国の後継者。
男でも女でも、大事に育てられるだろう。
従兄ステファンも確かに養育を引き受けてくれるだろうし、自分が譲るよりもあっさり王座に座ってくれるかもしれない。
子供がそこに座すまでの、あくまでも十数年程度の代わりの王に。
いわば中継ぎの王、摂政だ。それなら彼が危惧する王位の簒奪にも確かにならない。
「……私には婚約者もおりませんでした。今から夫を探すとなると困難を極めます。
そもそも王位を任せる子を作りたいから、という理由だけで婚姻してくれる方はまずいないでしょう」
一番ふさわしいのはステファンだ。彼にはすでに妻がいるが、この状況下ではおそらく離縁して彼はニーナリッティと結婚するだろう。
しかしそれはニーナリッティを女王とし、その配偶者に収まる形だ。彼女の望みどおりにはならない。
他の釣り合いの取れた貴族でもそれは同じだ。
真面目に考えた発言をしたニーナリッティにおや、と意外そうな顔をしつつゲオルクはまた菓子を一つ咀嚼して、ふざけるように言葉を返す。
「夫にすることや立場にこだわるたぁ意外と余裕がありますね。
本気で考えるってんなら、父親が誰かなんて些細なことでしょ。
別に婚姻だの王侯貴族だの釣り合いだの考えずに、あんたさんの好きな相手選べばいいんじゃないですか。
姫さんがその腹から産むなら血筋も籍も必然王族になるでしょ」
「………」
横暴ではあるがまあ一理ある。
王女のニーナリッティが産みさえすれば父親が誰だろうが王族になる。女の強みを活かした行いだ。
ニーナリッティはまた考えた。
子の父親の血筋や立場に、こだわらないでいいのなら。
「つまり、それは貴方でもいいと言うことよね?」
「え、自分ですか? ……あんたさんがいいってんならいいですけど」
「お願いいたします」
「わあ、本気ですか。いや焚き付けたのは自分ですけども」
「ニーナ姫様!?」
「協力してちょうだい、クリステル。私、本当に女王にはなれない。できる自信がない。………なりたくないの」
ニーナリッティは自分の身の丈を知っているつもりだ。帝王教育も受けていない。その覚悟も見いだせない。女王になどなるべき人種ではない、と自分を分析している。
そんな自分を騙して無理に王座に座っても、そのうち泣きわめいて逃げ出すだろう。
その時に子供が生まれていれば同じ状況になると思うが、………逃げ出した泣き虫女王様、なんて新たな国の歴史に残るかもしれない。
「さすがの私だってそれは嫌。……なら、最初からそれを放棄します。今なら有能な従兄弟に任せて身を引いた姫、の立場になれるハズでしょう」
「はは、意外とわかってますね。身の丈を知る。うん、大事なことっすよ。あんたさんは女王にゃ向いてない」
「お願いいたします、ゲオルクさま。私に子を授けてくださいませ」
「仰せのままに、ってね」
✱✱✱
その国は戦火でほぼ滅びた。
生き残ったのは僅かな貴族と第三の姫君ひとり。
末の姫ニーナリッティは父母にはもちろん兄姉にも甘やかされて、自由に育った。政略結婚の話すら上がらなかったくらいに。ゆえに、女王として立ってほしいという懇願に慌て、泣いた。
従兄のステファン公爵にあなたが王になってと泣きついた。
しかしステファンはそれはならないと拒否した。
ステファンの亡き母親はニーナリッティの叔母。先代国王の娘、臣下に降嫁した元王女だ。彼女自身は、死ぬまで準王族だったのは確かである。
しかし彼女の息子のステファンは違う。
ステファンは王子ではない。公爵家のものだ。
ゆえに自分が王位に就くのは簒奪になる、と。
だから正当な娘であるニーナリッティが女王にならなければならないのだと、彼女を説得した。
ニーナリッティはステファンの言い分は理解できたが、やはり泣いて嫌がった。
私には無理よ。女王になんてなれない。なりたくない。
ステファンは兵力を集める傍ら、王座を嫌がる従姉妹に手を焼いていた。
そんな従姉妹ニーナリッティは、なにやら最近少し明るくなっている。
相も変わらず女王にという言葉には強い拒否を示すが、なんだか生き生きとしはじめたのだ。
「あの傭兵とずいぶん懇意になっていると聞いているが」
「ええ。頼りになるお方ですから」
事実傭兵ゲオルクの実力は確かだ。かつてはどこかの国お抱えの暗殺者だったという真偽不明の噂もある。
だが、やたらニーナリッティが傾倒しているように見える。
ステファンはなんだか良くない予感がしたが、やることの多い忙しさに考えられなくなった。
ニーナリッティを旗印とし国を奪還するための兵力が十分に集まった。
ステファンはニーナリッティに前線まで来て、兵士たちに言葉をかけてほしいと頼んできた。
最近体調不良でふせっているニーナリッティより先にクリステルが否やと叫んだ。
「姫様を戦場に連れて行くなどなりません!」
「戦わせたりするわけではない! 兵士達の鼓舞をしてくれればすぐ下がっていい」
「血気盛んな戦場の空気そのものに触れされるなどなりません! お腹のお子様にさわりますわ!」
「は?」
ステファンはクリステルの言葉を理解出来なかった。
お腹のお子様とはなんだ。
ふせっているニーナリッティは黙ったままだ。
お腹のお子様。子供。妊娠。ニーナリッティが?
「誰の子だ!? …………まさかッ、おいあの傭兵はどこだ!?」
「どこにもおりません!」
「ただちに探せッ! 王女を穢した罪人だッ!!」
「穢されてなどおりません!」
ニーナリッティはそれは聞き捨てならぬと思わず跳ね起き、ステファンに食って掛かる。
「お従兄さま、私は自分の意志であの方に身を委ねました!」
「そんなことは関係ない!」
「ありますわ! 私があの方に子を授けてくださいと頼んだのですから!!」
「なんだと!? 何故そんなことを! お前は自分の身や立場をなんだと」
「わかっているからしたのです! お従兄さま、この子が次の王です! 私ではなくこの子を守ってください! この子のために摂政になってくださいませ!」
✱✱✱
無事奪還した王城の一室で、膨らんできたお腹をなでながらニーナリッティはクリステルに告げる。
「クリステル、内緒よ? 私、あの方のこと結構好きだったみたい」
「見ていたらわかりましたわ。ですから本気でお止めしませんでした」
「あらそうだったの? ………あれが恋というものだったのかしら。
お伝えできなかったのが残念だわ」
『じゃあな、姫さん。いい国が再建できることを祈ってるぜ』
「……女王にはなれないけれど、王妃や大公妃にはなれる自信あるのよ、私。いい国になるよう務めるわ」
「微力ながら私もお手伝いしますわ、姫様」
「ゲオルクさま。見ていてくださいね」
あなたさまの子が立派に育ち、国を平和に統治する姿を。
✱✱✱
旧友ゲオルクから命を狙われるようになったからちょっと匿ってくれと言われ、理由を聞いた暗殺者は呆れ返った。
「お前バカかよ!? よりにもよって王女さまに手を出して孕ませたとか!!」
「いやオレだってまさか本気で乗ってくるとは思わなくて」
「だからってマジで手ぇ出すんじゃねぇよ!!!」
「バカ言うな惚れた女が抱いてくれって言ってんのを断る男がいるか!」
「惚れてんの!? ガチかよ!?」
「でなきゃ抱くか!」
初めて会ったときは泣いていた。
次にあった時はずっと暗い顔してた。
かわいい美人なのにもったいない。笑えばいいのに。
そう思ったのだ。
笑顔にしたくてなんとか入手してきた菓子もドレスもさほど喜んでくれない様子。さてどうすればこの悲観的な顔を変えられるだろう。
いっそ怒らせてみようか。そう考えて、思っていたことを言ってみた。
ふざけたことを言うなってひっぱたかれると思った。
なのにまさか乗ってくるとは、本気に捉えるとは思わなかった。
よほど、自分が女王に立たされることは嫌だったらしい。
「とりあえず名前変えるか。コレからはそうだな、……ユーリィって呼んでくれや」
「ユーリィな。お前これからどうすんだ?」
「んー、しばらくは姫さんを見守るかな」
「…会わねえの?」
「二度と会わねえって決めてるからな」
さすがに無責任なことをしたしさせたなって思うんだよ。
ニーナリッティは王ステファンの第一妃になった。お腹の子もステファンの子供として生まれることになる。
無事に生まれてきた王子様はジョルジュと名付けられ、元気に育っていった。
ジョルジュ王子がステファン王から王座を返還される年になるまで、あっという間だった。
まだ若かったニーナリッティがその時が来る前に逝ってしまったのは残念だが、命とは儚いものだと身をしみて知っているゲオルクことユーリィは、ただ黙祷した。
思い出すのは、別れ際にようやっと見れた彼女の笑顔。
『ありがとうございました、ゲオルクさま』
思っていたとおり抜群に可愛かった。
「……ちったぁ色々やりやすくしてやるかぁ。昔取った杵柄ってね」
それくらいすることが父親の責務ってもんだろうさ。
ユーリィは顔を隠して新たな王に忠誠を誓った。
今や懐かしい面影を残す若き新王は、為政者らしい笑顔で隠密部隊を受け入れた。
それから───二十年余りの年月が過ぎたあと。
年齢からいい加減引退を決めたユーリィは、それを告げた際にジョルジュ王から「今までありがとうございました、父上」と言われ、危うく心臓が止まりかけたのだった。
✱終✱




