第35話 人間店長、はじめての食事と「聖域」の危機!?
「……っ、う……」
意識が浮上した瞬間、俺を襲ったのは、これまでの人生で経験したことのない「情報の嵐」だった。
いや、正確には「情報が足りない」ことによるパニックだ。
これまで俺は、数千個のセンサーを通じて店の隅々までを把握していた。だが今、俺が感じ取れるのは、背中に触れる硬い床の感触と、左腕を突き抜けるような鋭い痛み、そして――。
(……なんだ、この『腹の底』が捩れるような感覚は……?)
「あ、仙太さん! 目が覚めた?」
視界に飛び込んできたのは、心配そうに覗き込むミアの顔だった。彼女の瞳が潤んでいるのが、生身の目にははっきりと見える。
『……ミア。……ああ、生きてるよ。……いてて』
体を起こそうとして、左腕の激痛に顔をしかめる。添え木と包帯で固定されているが、ズキズキと脈打つような感覚がある。「ダメージログ」としてではなく、脳に直接突き刺さる「痛み」に、俺は自分が本当の意味で、脆い肉の塊に戻ったことを痛感した。
「無理しないで! アウラとレヴィンが、本店の救急キットから一番いい薬を探してくれたけど、それでも人間なんだから、すぐには治らないわよ」
俺は無意識に、空中に「お取り寄せ画面」を呼び出そうと手を動かした。
だが、何も起こらない。
黄金のウィンドウも、在庫リストも現れない。
かつては呼吸するようにできていた「お取り寄せ」が、今の俺にはできないのだ。
『……そうか。……もう、俺の頭の中にカタログはないんだな』
喪失感が胸を突く。俺から「ホームセンター」という全能の力が消えたのだ。
だが、その時。
「……ご安心ください、店長補佐。……直接の同期は失われましたが、本店の『管理端末』を通じれば、引き続き在庫の注文は可能です。……ただし、これからは『端末まで歩いていく』必要がありますが」
ホログラムの女性、オリジン・ナビが静かに現れた。
どうやら俺は、完全に力を失ったわけではなく、一人の「ユーザー」としてこのシステムを使う権利を残されているらしい。
『……歩く、か。……そうだよな。店長ってのは、売り場を歩き回るもんだ』
「……仙太さん? 顔色が悪いよ。まだどこか痛むの?」
ミアが俺の顔を覗き込む。
違う。痛みじゃない。
先ほどから腹の底で鳴り響いている「警報」が、ついに無視できないレベルに達していた。
『……ミア。……非常に、言いづらいんだが。……この本店に、「お客様用」の場所はあるか?』
「お客様用? 休憩室ならあっちにあるけど……」
『いや、そうじゃなくて……。……その、生理的な……「聖域」だよ』
数秒の沈黙の後、ミアの顔が真っ赤になった。
「あ、ああっ! そうだよね、人間だもんね! ……アウラ! レヴィン! 大変、仙太さんが『トイレ』に行きたいって!」
「な、なんですって!? 本店の構造図を出すわ! ……ええと、ここから二キロ先の管理区画にしかないわよ!?」
「二キロ!? 間に合うわけがない! 店長殿、耐えろ! 精神を統一し、神への祈りを――」
『祈りで解決するならホームセンターはいらねぇんだよ!』
俺は、ルンボに抱えられ、猛スピードで巨大な売り場を駆け抜けた。
全能の店長が、人間に戻って最初に直面したのが「排泄の危機」だなんて、前代未聞のギャグだ。
だが、たどり着いた「数万年前のトイレ」は、魔力が枯渇し、配管も詰まりかけていた。
『……クソッ、こうなったら……! アウラ、本店の端末から【商品名:超強力・魔導式パイプクリーナー】と【商品名:瞬間設置型・簡易バイオトイレ一式】を叩き出せ! ……俺が自ら、こいつをリフォームしてやる!』
俺は、折れていない右腕一本で、数万年ぶりに「ラバーカップ(通称スッポン)」を握りしめた。
全知全能の力を失っても、店長としての「腕」は忘れていない。
パコン! パコン!! という、静寂の古代遺跡に似つかわしくない音が響き渡り――。
「……ふぅ。……助かった。……世界が、輝いて見える」
数分後、賢者のような悟りを開いた顔で戻ってきた俺を見て、ミアは呆れ、アウラは爆笑し、レヴィンは「これぞ、人間の真実の姿だ」と謎の感動に浸っていた。
一息ついた俺たちを襲ったのは、今度は猛烈な「飢え」だった。
数年間、魔力だけで活動していた俺の胃袋が、猛抗議を始めている。
俺たちは本店の「備蓄区画」から、いくつかの中身が分からない缶詰と、謎の乾燥食料を運び出した。
「これ、食べられるのかしら……。数万年前のものでしょう?」
アウラが、表面が少し錆びた缶を疑わしそうに振る。
『……大丈夫だ。この『エデン』の保管技術は完璧だ。……それに、そのまま食べるんじゃない。……俺たちが、「美味しく」リフォームするんだ』
俺は指示を出し、アウラに小型の魔導コンロ(これはベルガ店から持ってきたものだ)を設置させた。
レヴィンには、本店の衛生基準に適合した「浄化水」を確保させ、リリには、非常食として乾燥保存されていた「古代のハーブ」を戻させた。
『ミア、この缶を開けてくれ。……中身は……ほう、牛肉の煮込みに近いな』
俺は、右腕一本で包丁を握り、お取り寄せした【商品名:特選・和風出汁パック】と【商品名:魔法の万能調味料(某有名アウトドアスパイス風)】を取り出した。
ジュゥゥゥ、と心地よい音が響き、食欲をそそる香りが冷えた売り場に広がっていく。
「……いい匂い。……ねえ、これ本当に、あの古い缶詰?」
ミアが目を輝かせる。
『ああ。……どんなに古い在庫でも、適切な「お手入れ」と「ひと工夫」で、極上の商品に生まれ変わる。……それが、ホームセンターの魔法だ』
数分後、俺たちは本店の冷たい床に車座になり、温かいスープと煮込みを囲んだ。
俺は、震える右手でスプーンを持ち、一口、口に運んだ。
『……っ……、うまい……。……うまいなぁ、これ……』
ただの塩味と、少しのスパイス。
だが、温かい食べ物が喉を通り、胃に落ちていく感覚に、俺の目から勝手に涙が溢れた。
「あ……仙太さん、泣いてるの?」
「……笑うなよ。……数年ぶりの飯なんだ。……味がするって、こんなに幸せなことなんだな」
ミアが、優しく笑って自分のスープを俺の口元に運んでくれた。
「はい、あーん。……左腕、使えないんだから、甘えていいんだよ?」
「……ヒューヒュー! 店長、人間に戻った途端にこれか!」
アウラのからかいも、今は心地よい。
食後、お腹も心も満たされた俺たちの前に、オリジン・ナビが再び姿を現した。
「……臨時店長。……人間としての『最初のメンテナンス』が完了したようですね。……ですが、休んでいる時間はありません」
ホログラムの地図が、大陸の全土を映し出す。
そこには、鉄のギルドが略奪した「古代の残骸」が各地で暴走し、火の手が上がっている様子が記録されていた。
「バッカスは敗れましたが、彼がばら撒いた『誤った道具の使い方』は、ウイルスのように世界を汚染し始めています。……あなたが人間としてこの世界を救うには、本店にある『マスターカタログ』を各都市に再配布し、正しいDIY精神を根付かせる必要があります」
『……なるほど。……つまり、この世界中に「エデン・フランチャイズ店」を作って回れってことか』
「左様です。……そして、その旅の果てに、この世界の『設計図』を書き換えた、真の黒幕……すなわち、この世界の『元・店長』が待っています」
「……元・店長!?」 俺たちは全員、声を揃えて叫んだ。
『……俺の、前任者がいるってのか?』
「……はい。……彼は、道具を与えすぎ、人々から『工夫』を奪い、最終的に世界を支配しようとして……この店に封印されました。……ですが、鉄のギルドの襲撃により、その封印が弱まっています」
俺は、包帯に巻かれた左腕を見つめた。
ただの店長だと思っていた俺の肩に、世界の修復という、あまりにも巨大な仕事が載せられた。
だが、不思議と怖くはなかった。
俺の隣には、一緒に飯を食い、笑い、トイレの詰まりを一緒に解決してくれる最高の仲間がいる。
『……よし。……まずはこの「本店」の在庫を整理して、移動販売車……いや、最強の「キャンピング・ホームセンター」を自作して出発だ!』
「賛成! 私、内装のデザイン、最強に格好良くするから!」
「ルンボ、運転、ガンバル!」
人間になった仙太の、本当の冒険がここから始まる。
痛みも、空腹も、そして愛おしい仲間たちの温もりも。
すべてを「材料」にして、俺はこの世界を最高の姿へとリフォームしてやる。
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