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第十二章:狼王の遺産

第十二章:狼王の遺産

第206話:司馬懿の野心

劉星が、西の地で、平和な王国を築き上げている頃、中原の魏では、静かに、しかし、確実に、一つの巨大な権力が、その牙を、剥き出しにしつつあった。

大将軍・司馬懿である。

魏の二代目皇帝・曹叡が、若くして病死した後、後を継いだのは、まだ幼い、曹芳だった。司馬懿は、曹氏一族の、曹爽そうそうと共に、幼帝の後見人として、国の政治を、取り仕切ることになった。

初め、司馬懿は、病と称して、政治の表舞台から、身を引いた。曹爽は、それで、完全に油断しきっていた。彼は、司馬懿が、もはや、牙を抜かれた、老いぼれだと、信じ込み、自らの権力を、欲しいままに、振るい始めた。

だが、それは、全て、司馬懿の、恐るべき、計略だった。

嘉平元年(249年)、曹爽が、皇帝と共に、高平陵こうへいりょうへと、参拝に出かけ、都が、手薄になった、その一瞬の隙を、突いた。

病を装っていた司馬懿は、突如として、クーデターを起こし、都の、全ての兵権を、掌握。そして、帰ってきた曹爽とその一族を、謀反の罪で、捕縛し、ことごとく、処刑してしまったのだ。(高平陵の変)

魏の国は、この日を境に、完全に、司馬一族の手に、落ちた。

曹氏の皇族は、もはや、名ばかりの、お飾りの存在となった。

長安の、劉星の元にも、その衝撃的な報せは、届いた。

彼は、その報を聞き、深く、深く、ため息をついた。

「…古狐め。ついに、その爪を、現したか」

彼は、五丈原で対峙した、あの老獪な、権力者のことを、思い出していた。あの男の、決して、本心を見せぬ、底知れない瞳。

(孔明殿…あなたが、本当に、警戒していたのは、あるいは、魏の国そのものではなく、この、司馬懿という、男だったのかもしれませぬな…)

劉星は、中原に、新たな、そして、より冷徹で、計算高い、時代の支配者が、誕生したことを、悟った。

第207話:蜀、滅ぶ

魏の実権を、完全に掌握した、司馬懿の子、司馬昭しばしょうは、父の野心を受け継ぎ、次なる標的として、西の蜀へと、その狙いを、定めた。

「蜀は、諸葛亮亡き後、衰退の一途をたどっている。今こそ、蜀を滅ぼし、天下統一への、足がかりとする時だ」

景元四年(263年)、司馬昭は、鄧艾とうがい鍾会しょうかいといった、有能な将軍に、大軍を預け、蜀への、本格的な、侵攻を開始した。

蜀では、諸葛亮の遺志を継いだ、大将軍・姜維きょういが、最後まで、必死に、抵抗を続けた。彼は、漢中の、険しい地形で、見事な防衛戦を、繰り広げ、魏軍を、苦しめた。

だが、その奮戦も、虚しかった。

鄧艾が、誰もが不可能だと思っていた、険しい、陰平いんぺいの山道を、間道から踏み越え、蜀の都・成都の、目前にまで、迫ったのだ。

成都の朝廷は、パニックに陥った。

皇帝・劉禅は、もはや、戦う気力もなく、寵愛する宦官・黄皓の、進言を受け入れ、あっさりと、城門を開き、降伏してしまった。

こうして、かつて、劉備が、仁徳をもって築き上げ、諸葛亮が、その生涯を懸けて、守り抜こうとした、蜀漢の国は、あまりにも、呆気なく、その歴史の、幕を閉じた。

その報せを、長安で聞いた劉星は、言葉を失った。

彼は、西の空を見つめ、今は亡き、多くの英雄たちの顔を、思い浮かべていた。

劉備、関羽、張飛、趙雲、そして、諸葛亮…。

彼らが、命を賭して、築き上げた国が、その二代目の、愚かな君主の手によって、いとも簡単に、滅び去ってしまった。

その、あまりにも、空しい結末。

劉星は、乱世の、そして、歴史の、残酷さを、改めて、痛感していた。

第208話:残された王国

蜀を滅ぼした、魏(実質的には司馬氏)の、次の狙いは、火を見るよりも、明らかだった。

東の呉か、あるいは、西の秦か。

秦の国の朝廷は、かつてないほどの、緊張に、包まれた。

「魏は、必ずや、我が国へ、攻めてくる! 全軍を、国境へ集結させ、徹底抗戦の準備を!」

周倉の息子や、天狼騎兵隊を率いる、若い将軍たちは、そう息巻いた。彼らにとって、魏は、創始者である劉星の、父と兄の国ではあったが、同時に、何度も、敵対してきた、憎い相手でもあった。

だが、張遼の子や、内政を担う、老練な文官たちは、冷静だった。

「お待ちください。今の、魏の国力は、蜀を併合したことで、さらに、強大になっております。正面から、戦って、勝ち目は、ありませぬ」

国論は、二つに割れた。

若き王・劉瑤は、眠れぬ夜を、過ごしていた。

父が、生涯を懸けて築いた、この平和な国。民の、笑顔。それを、戦火に、晒してしまって、良いのだろうか。

だが、戦わずして、降伏することは、この国の、誇りを、捨てることには、ならないか。

彼は、答えの出ない、問いに、苦しみ続けた。

そして、彼は、ある夜、お忍びで、一人の老人を、訪ねた。

長安の郊外で、静かに、隠居生活を送る、自らの父、劉星の元を。

第209話:王の決断

「…父上」

劉瑤は、父の前に、深々と、頭を下げた。

「私には、もう、どうすれば良いのか、分かりませぬ。どうか、お知恵を、お貸しください」

劉星は、息子の、その苦悩に満ちた顔を、静かに、見つめていた。

そして、彼は、ゆっくりと、口を開いた。

「瑤よ。お前は、何のために、王になったのだ?」

「…それは、この国と、民を、守るためです」

「そうだ。その通りだ」

劉星は、頷いた。「では、聞くが、民が、本当に、望んでいるものは、何だ? 戦による、空虚な誇りか? それとも、たとえ、頭を下げてでも、手に入れることのできる、平和な、日々の暮らしかな?」

「……」

劉瑤は、言葉に、詰まった。

劉星は、息子の肩に、そっと、手を置いた。

「良いか、瑤よ。王の、本当の役目とは、戦に、勝つことではない。戦を、終わらせることだ。そして、民に、一日でも長く、平和な時を、与えてやることだ。そのためには、時には、自らの、ちっぽけな、プライドなど、捨てねばならぬ時も、ある」

その言葉は、穏やかだったが、その中には、幾多の死線を潜り抜け、国の全てを背負ってきた男だけが持つ、圧倒的な、重みが、あった。

劉瑤の目から、迷いが、消えた。

「父上…私は…」

「もう、良い。お前は、よく、やった」

劉星は、優しく、微笑んだ。

「お前は、この国の、平和な時代を、生きる王だ。お前のその手を、無用な血で、汚させては、ならない。その、最後の、そして、最も、泥臭い役目は…」

劉星は、静かに、立ち上がった。

「…この、老いぼれの、仕事だ」

彼は、一つの、決断を下した。

それは、彼が、王として、そして、父として、下すことのできる、最後の、そして、最も、気高い、決断だった。

第210話:狼王の道

劉星の決断は、固かった。

彼は、息子の劉瑤と、国中の家臣たちに、こう、宣言した。

「私は、この王位を、正式に、我が息子・劉瑤に、譲る。そして、私自身は、全ての権限を、手放し、一人の、隠居の身となる」

「な、なぜです、陛下! まだ、お若いではありませぬか!」

「今、国が、一つにまとまらねばならぬ、この時に!」

家臣たちが、驚いて、反対する。

「だからこそだ」

劉星は、言った。「俺の時代は、もう、終わったのだ。俺は、戦の時代の人間だ。俺がいる限り、この国は、魏や、晋と、戦う道しか、選べなくなるやもしれん」

「ですが…!」

「これからの、平和な時代を、治めるのは、戦ではなく、知恵と、慈悲の心を持つ、新しい世代の人間でなければ、ならん。瑤よ、お前なら、それができる」

劉星の、その、あまりにも、潔い、身の引き方に、誰も、それ以上、言葉を、続けることはできなかった。

彼は、盛大な儀式を執り行い、王位を、正式に、劉瑤へと、譲り渡した。

そして、自らを、「太上王だじょうおう」と称し、一切の、政治の表舞台から、完全に、身を引くことを、宣言した。

彼は、ただの一人の老人として、かつて、妻の甄氏と共に、静かに暮らした、長安の郊外にある、小さな屋敷へと、移り住んだ。

その姿は、まるで、役目を終えた狼が、静かに、己の巣穴へと、帰っていくかのようだった。

狼は、その牙を、自らの意志で、鞘に、収めたのだ。

だが、天下の動乱は、彼が、このまま、静かに、余生を送ることを、まだ、許してはくれなかった。

晋の、巨大な影が、刻一刻と、この、平和な王国に、迫ってきていた。

そして、彼には、まだ、果たさねばならない、最後の、最後の、仕事が、残されていた。

(第十二章 完)

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