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第十一章:五丈原の星墜つ-2

第十一章:五丈原の星墜つ

第196話:最後の祈り

秋風が、五丈原の、寂しい平原を、吹き抜けていく。

蜀軍の、中央の陣営。その、最も大きな天幕の中で、諸葛亮は、病の床に、伏していた。

もはや、彼の体は、骨と皮ばかりに痩せこけ、時折、激しく咳き込んでは、血を吐いていた。彼の、命の灯火が、今まさに、消えようとしていることは、誰の目にも、明らかだった。

だが、彼は、諦めてはいなかった。

彼は、腹心の部下である、姜維きょういや、楊儀ようぎを、枕元に呼ぶと、震える声で、最後の策を、授けた。

「…良いか。もし、私が死んでも、決して、そのことを、敵に、知られてはならぬ」

彼は、詳細な、撤退計画を、彼らに伝えた。

「私が、生きて、指揮を執っていると、敵に、思わせ続けよ。さすれば、司馬懿も、劉星も、決して、深追いはしてこまい。…皆を、無事に、成都へ、連れ帰るのだ。それが、私からの、最後の、願いだ…」

そして、彼は、もう一つ、奇妙な儀式の準備を、命じた。

天幕の中に、七つの大きな灯籠を、北斗七星の形に、並べさせ、その中央で、静かに、祈りを、捧げ始めたのだ。

それは、自らの、寿命を、天に乞い、あと、七日間だけ、命を永らえさせるための、古の、秘術であったという。

兵士たちは、天幕の外から、その光を見つめ、涙ながらに、丞相の、回復を祈った。

だが、運命は、非情だった。

儀式の、最後の夜。一陣の、強い風が、天幕に吹き込み、中央の、最も大きな灯籠の炎を、ふっと、かき消してしまったのだ。

それを見た諸葛亮は、全てを悟ったように、静かに、呟いた。

「…人の命は、天にある。…もはや、これまでか…」

彼は、静かに、自らの、死を、受け入れた。

第197話:流れ星

その夜、五丈原の、澄み切った夜空に、一つの、大きな、赤い流れ星が、現れた。

その星は、まるで、天が泣いているかのように、長い、長い尾を引きながら、ゆっくりと、そして、確かに、蜀軍の陣営の、方角へと、流れ落ちていった。

秦国軍の、陣営。

物見櫓に立っていた劉星もまた、その不吉で、そして、あまりにも美しい、光景を、目撃していた。

「…大将星が、落ちた…」

隣にいた、老いた張遼が、畏れを込めて、呟いた。

「…蜀の、丞相が…」

劉星は、何も言わなかった。

だが、彼の胸には、これまでに、感じたことのない、大きな、喪失感が、広がっていた。

あの男が、逝ってしまった。

一度も、顔を合わせることなく、ただ、戦場と、書簡だけで、心を通わせた、生涯、最大の、好敵手が。

(孔明殿…)

劉星は、心の中で、その名を、呼んだ。

あなたのいない、この天下で、俺は、これから、誰と、知恵を比べれば、良いというのだ。

あなたのいない、この乱世は、あまりにも、寂しく、色褪せて見える。

次の日、劉星の予感通り、対岸の、蜀軍の陣営は、もぬけの殻となっていた。

彼らは、諸葛亮の、遺言通り、その死を、秘匿したまま、夜の闇に紛れて、全軍を、漢中へと、撤退させていたのだ。

司馬懿は、それを、諸葛亮の、罠だと疑い、追撃を、躊躇した。

だが、劉星は、確信していた。

「…追うな。…そっとしておいてやれ」

彼は、全軍に、追撃を禁じた。「英雄の、最後の、旅路だ。我らが、それを、邪魔するべきではない」

第198話:死せる孔明、生ける仲達を走らす

司馬懿は、それでも、蜀軍の撤退を、信じきれずにいた。

「孔明ほどの男が、これほど、あっさりと、引き下がるはずがない。これは、必ずや、罠だ」

彼は、自ら、偵察部隊を率いて、慎重に、五丈原の、蜀軍の陣地跡へと、足を踏み入れた。

陣地は、綺麗に、片付けられており、まるで、ついさっきまで、そこに、大軍がいたかのような、気配が、残っていた。

司馬懿は、その、あまりにも、見事な撤退ぶりに、感嘆しながらも、警戒を解かなかった。

彼が、さらに、奥へと進んでいくと、谷の向こうから、蜀軍の、旗印が、再び、現れた。

そして、その中央には、四輪車に乗った、諸葛亮の姿が、あった。彼は、羽扇を手に、悠然と、こちらを、見据えている。

「なっ…! 孔明は、生きていたのか! 罠だ、罠だ! 全軍、退却せよ!」

司馬懿は、顔面蒼白になり、慌てふためいて、踵を返し、一目散に、逃げ出した。

その様子を見た、魏の兵士たちは、口々に、噂した。

「死せる孔明、生ける仲達(ちゅうたつ、司馬懿の字)を、走らす」と。

だが、それは、蜀の将軍・姜維が、仕掛けた、最後の、計略だった。

彼らは、諸葛亮に、そっくりな、木の人形を作り、それを、四輪車に乗せて、あたかも、本人が、生きているかのように、見せかけたのだ。

その、機転によって、蜀軍は、魏軍の追撃を受けることなく、全軍、無事に、漢中へと、撤退することができたのだった。

後日、その真相を知った司馬懿は、自らの、臆病さを、恥じ入ると共に、改めて、諸葛亮という男の、死してなお、衰えぬ、その恐ろしさに、戦慄したという。

第199話:巨星、墜つ

劉星は、司馬懿の、その滑稽な敗走劇を、離れた場所から、冷ややかに、見ていた。

彼は、蜀軍が、完全に、撤退したことを確認すると、単騎で、五丈原の、蜀軍の、本陣跡へと、馬を進めた。

がらんどうになった、だだっ広い陣地。

風が吹き抜け、打ち捨てられた、旗が、寂しげに、はためいている。

劉星は、中央にあったであろう、最も大きな天幕の跡地で、馬から降りた。

そこには、一通の、手紙だけが、石の重しをされて、静かに、置かれていた。

宛名は、「秦王・劉星飛翼殿へ」。

劉星は、震える手で、その手紙を、開いた。

そこには、諸葛亮の、力強く、そして、美しい筆跡で、最後の言葉が、記されていた。

『秦王・劉星殿。

あなたが、これを読んでいる頃、私は、もう、この世にはおりますまい。

あなたという、生涯、最大の好敵手と出会い、この五丈原で、知略の限りを尽くして、戦えたことは、この諸葛孔明の生涯にとって、望外の喜びでありました。

私は、結局、先帝との約束を、果たすことは、できなかった。漢室の復興という、夢は、叶わなかった。

無念、としか、言いようがありませぬ』

手紙の、インクが、わずかに、滲んでいた。それは、彼の、涙の跡だったのかもしれない。

『ですが、私は、もう、思い残すことは、ありませぬ。

なぜなら、あなたがいるからです。

秦王よ。あなたの、その比類なき才と、そして、何よりも、民を思う、その温かい心を、私は、信じております。

私が、果たせなかった夢を、あなたに、託します。

どうか、この乱世を、終わらせ、天下に、真の、安寧を、もたらしてください。

さらば、我が友よ。

いずれ、天上で、今度こそ、ゆっくりと、酒でも酌み交わしながら、語り合おうぞ』

手紙を、読み終えた時、劉星の頬を、一筋の、熱い涙が、伝った。

臥龍・諸葛孔明、五丈原に死す。

一つの、巨大な、巨大な星が、この地上から、消え去った。

劉星は、最大のライバルであり、そして、誰よりも、自分を理解してくれていた、最高の友を失った、その、あまりにも、大きな喪失感を、ただ、呆然と、感じていた。

第200話(第十一章最終話):時代の終わり

諸葛亮の死。

それは、単に、一人の天才軍師が、いなくなった、というだけのことではなかった。

それは、曹操が死に、劉備が死に、関羽が死に、そして、孫権もまた、老いて、その輝きを失い始めていた、この時代において、

あの、英雄たちが、自らの、信念と、生き様を、激しく、ぶつけ合った、熱く、そして、人間臭い、一つの時代が、完全に、終わりを告げたことを、意味していた。

劉星は、五丈原の、がらんどうになった陣地で、一人、立ち尽くしていた。

西の空が、燃えるような、茜色に、染まっている。

まるで、英雄たちの時代の、終わりを、惜しむかのように。

父が死に、兄が死に、友が死に、そして、好敵手もまた、逝ってしまった。

この、広大な天下に、残されたのは、自分と、そして、魏の国で、虎視眈眈と、天下の簒奪を狙う、あの老獪な古狐、司馬懿だけ。

これからの時代は、一体、どうなっていくのだろうか。

諸葛亮が、自分に託した、夢とは、一体、何なのか。

天下の安寧。それは、あまりにも、大きく、そして、重い、言葉だった。

自分に、そんな、大それたことが、できるのだろうか。

劉星は、その答えの出ない問いを、胸に抱きながら、静かに、変わりゆく時代の、風の音を、聞いていた。

風は、英雄たちの、魂を乗せて、西の空へと、吹いていく。

そして、その風は、劉星に、こう、語りかけているようでもあった。

――次は、お前の番だ、と。

第十一章は、英雄たちの時代の、完全な終焉と、残された狼王が、自らの、最後の使命を、見つめ直す、その静かな、しかし、重い、決意の場面を描いて、幕を下ろした。

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