第6話:狼の巣
第6話:狼の巣
劉星に与えられたのは、鄄城の北西の隅にある、打ち捨てられた兵舎だった。かつては新兵の訓練施設として使われていたらしいが、今は屋根の瓦が何枚も剥がれ落ち、壁には大きな亀裂が入っている。蜘蛛の巣が張り巡らされただだっ広い空間に、夕暮れの斜光が埃をきらめかせながら差し込んでいた。ここが、今日から自分の城であり、天狼隊の本拠地となる「狼の巣」だった。
「…兵は己で集めよ、か」
劉星は、がらんどうの兵舎の中央に立ち、曹操の言葉を反芻した。それはあまりにも無慈悲で、そして現実的な無理難題だった。この戦乱の世で、後ろ盾も金もない若造に、誰が命を預けるというのか。曹操は、自分が何もできずに音を上げ、すごすごと故郷に帰る様を笑って待っているに違いない。
「上等だ…」
唇の端に、不敵な笑みが浮かぶ。
「あの男に物乞いをするくらいなら、野垂れ死んだほうがましだ」
反骨心。それだけが、今の劉星を支える唯一の柱だった。
夏侯惇は、そんな劉星を不憫に思ったのか、金や食料、それに自身の配下から何人か兵を貸そうかと申し出てくれた。だが、劉星は丁重に、しかしきっぱりと断った。
「夏侯惇殿の心遣い、感謝いたします。ですが、これは俺自身の戦いです。誰の助けも借りるわけにはいきません」
その真っ直ぐな瞳に、夏侯惇は何も言えなくなった。ただ、「何かあれば、いつでも声をかけろ」とだけ言い残して去っていった。
夜になり、劉星は一人、兵舎の屋根に上って月を見上げていた。故郷の陳郡で見た月と同じ月のはずなのに、やけに冷たく、大きく見える。叔父の劉伯は、今頃どうしているだろうか。母の墓は、誰かが手入れをしてくれているだろうか。十四年間、自分を守ってくれた者たちの顔が、次々と脳裏に浮かぶ。
(俺は、まだ何も成していない…)
焦燥感が胸を焼く。だが、ただ感傷に浸っている時間はない。兵を集めるには、まず己の力を示さなければならない。そして、力を示すには、それに足る相手が必要だ。
「まずは、この城を知ることから始めよう」
劉星は立ち上がった。この鄄城という城には、表の顔があれば、裏の顔もあるはずだ。光が強ければ、影もまた濃くなる。曹操という巨大な光の下に、どんな影が蠢いているのか。
狼は、まず己の狩場の地形を把握するものだ。
劉星は闇に紛れ、音もなく屋根から飛び降りた。彼の戦いは、この街の最も暗く、深い場所から始まる。まずは情報収集だ。兵を集めるための、そして己が何者であるかをこの街に示すための、最初の一歩を踏み出した。