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第六章:赤壁の烈火と南方の出会い-2

第六章:赤壁の烈火と南方の出会い

第106話:狼の温情

趙雲は、満身創痍だった。だが、その闘志は衰えない。胸に抱いた若君・阿斗の温もりが、彼に無限の力を与えているかのようだった。

彼は、ついに曹操軍の包囲網の、最後の数陣を突破しようとしていた。

その時、曹操が、近くの丘の上から、その神がかり的な武勇を見て、叫んだ。

「見事な武者ぶりだ! あの将を、殺すな! 必ずや、生け捕りにせよ!」

曹操は、趙雲を自らの配下に迎え入れたいと、心から思ったのだ。

だが、その命令が、逆に趙雲を窮地に陥れた。兵士たちは、彼を生け捕りにしようと、四方八方から、より慎重に、そして執拗に、包囲網を狭めてきたのだ。もはや、逃げ場はない。

(ここまでか…!)

趙雲が、死を覚悟した、その瞬間。

突如、包囲網の一角が、内側から崩れた。

「何事だ!?」

そこにいたのは、劉星率いる天狼隊だった。

「すまんな、道を開けてもらうぞ!」

劉星は、そう叫ぶと、味方であるはずの曹操軍の部隊に、横から突っ込んできたのだ。

「飛翼殿! 何をなさるか!」

味方の将が、驚いて叫ぶ。

「邪魔だ! どけ!」

劉星は、一切の弁解をせず、ただ強引に、包囲網に一つの隙間をこじ開けた。

それは、ほんの一瞬の、僅かな隙間だった。

趙雲は、その好機を見逃さなかった。彼は、劉星の方を一瞥し、その目に感謝の色を浮かべると、白馬に最後の鞭を入れ、その隙間を、一陣の風のように駆け抜けていった。

「追え! 逃がすな!」

曹操軍の兵士たちが、慌てて後を追おうとするが、劉星と天狼隊が、その前に立ちはだかった。

「俺たちの相手は、お前たちだ」

結局、趙雲は、無事に主君・劉備の元へとたどり着くことができた。

戦いの後、劉星の行動は、当然ながら、大問題となった。

曹操は、劉星を自らの前に呼び出し、激しく叱責した。

「飛翼! なぜ、趙雲を見逃した! あれは、明確な軍規違反だぞ!」

「…申し訳ありません」

劉星は、頭を下げた。だが、その声に、後悔の色はなかった。

「ですが、父上。あれほどの義士を、あの場で殺すことは、私には、どうしてもできませんでした。武人としての、私の誇りが、それを許さなかったのです」

「誇りだと!?」

曹操は、呆れたように言った。「そのような青臭い感傷が、戦場で通用するとでも思っているのか! お前は、情に流されすぎる! それが、いつかお前の命取りになるぞ!」

「そうなったとしても、構いません。俺は、俺の信じる『義』を、曲げることはできません」

劉星は、真っ直ぐに、父の目を見返した。その瞳には、かつての反抗心とは違う、静かで、しかし揺るぎない覚悟が宿っていた。

曹操は、それ以上、何も言えなかった。彼は、息子の成長と、そして、自分とは決して相容れない、その頑ななまでの青さに、深い溜息をつくしかなかった。

この一件は、不問に付された。だが、父子の間には、また一つ、新たな、そして決定的な価値観の違いが、明確に示されたのだった。

第107話:江東の荒鷲

長坂の戦いを生き延びた劉備は、関羽の部隊と合流し、南の江夏こうかへと逃げ延びた。そして、彼は、起死回生の一手として、軍師・諸葛亮を、同盟を結ぶための使者として、江東の孫権の元へと派遣した。

一方、曹操軍は、荊州の大部分を制圧し、長江沿岸へと進軍していた。次の目標は、劉備と、その背後にいる孫権を、一挙に滅ぼすことだった。

だが、彼らの前に、一つの問題が立ちはだかった。水軍だ。北の兵士たちは、船に慣れておらず、長江の複雑な水路での戦いには、全くの素人だった。

劉星は、天狼隊を率いて、長江沿岸の偵察と、地理の把握にあたっていた。

その中で、彼は、この辺りの水路を縄張りとし、商船などを襲っては、暴れ回っている、一団の水賊の噂を耳にした。

その頭領は、腰にたくさんの鈴をつけており、その鈴の音が聞こえただけで、誰もが震え上がるという。その名は、甘寧かんねい、字は興覇こうは。元は役人だったが、気性の荒さから官を辞し、今は自由奔放な無法者として、その名を轟かせていた。

「面白い…」

劉星は、その噂に、強く惹かれた。

今の曹操軍に必要なのは、組織力だけではない。型にはまらない、荒々しい、野生の力だ。この甘寧という男は、まさに、その力を持っているに違いない。

(この狼の群れに、一羽の荒鷲を加えてみるか…)

劉星は、側近たちの反対を押し切り、危険を承知で、甘寧に接触することを決意した。

彼は、周倉と、水練に長けた数人の手勢だけを連れると、一艘の小舟に乗り込み、甘寧の根城だという、川の中州にある島へと向かった。

彼の持つ、人を惹きつける不思議な魅力と、常識外れの行動力が、また新たな出会いを、引き寄せようとしていた。

第108話:鈴の音

甘寧の根城である島は、天然の要塞だった。複雑な岩礁と、急な流れが、外部からの侵入を阻んでいる。島の見張り台から、劉星たちの小舟は、すぐに発見された。

「何者だ! 曹操の犬か!」

水賊たちが、弓を構え、敵意を剥き出しにする。

「俺は、将軍・劉星飛翼! お前たちの頭領、甘寧殿に、話があって来た! 敵意はない!」

劉星が、大声で名乗ると、水賊たちは、ざわめいた。劉星の名は、彼らの間でも、曹操軍の若き猛将として、知られていたからだ。

やがて、島の奥から、一人の派手な出で立ちの男が、姿を現した。その腰には、噂通り、いくつもの鈴がつけられ、歩くたびに、ちりん、ちりんと、小気味の良い音を立てている。甘寧だった。

「ほう、お前さんが、あの劉星か。噂通りの、良い目をしているじゃねえか」

甘寧は、劉星を値踏みするように、じろじろと見た。

「それで、曹操の犬が、俺に何の用だ。まさか、俺を討伐しに来たわけではあるまいな?」

その言葉には、強い自負と、挑発が込められていた。

「討伐? まさか」

劉星は、不敵に笑った。「あんたを、スカウトしに来たんだ」

「何だと?」

「あんたほどの男が、こんな淀んだ川で、小魚を獲って満足しているのか? もったいないとは思わんか? 俺と来い。天下という、大海原で、でかい獲物を、一緒に狩ろうじゃないか」

劉星の大胆な申し出に、甘寧は、腹を抱えて笑った。

「がははは! 面白いことを言う小僧だ! だが、俺は、誰かの下につくのは、御免だぜ!」

「俺も、あんたを部下にするつもりはない。仲間として、迎え入れたいんだ」

「口では、何とでも言える。俺を仲間にしたいなら、まずは、力で俺を認めさせてみろ!」

話は、一騎打ちで決着をつけることになった。

甘寧は、得意の鎖鎌を、変幻自在に操る。その攻撃は、予測不可能で、普通の相手なら、一瞬で切り刻まれていただろう。

だが、劉星もまた、型にはまらない戦いを得意としていた。彼は、甘寧の鎖鎌の軌道を、紙一重で見切り、その懐へと、何度も飛び込んでいく。

二人の戦いは、激闘となった。互いの刃が、何度も火花を散らす。

戦いの末、ついに劉星の短剣が、甘寧の喉元に突きつけられた。

「…俺の、負けだ」

甘寧は、悔しそうに、しかし、どこか楽しそうに言った。

「…いいだろう。劉星飛翼。お前という男に、この甘寧興覇、乗ってやる。退屈させんじゃねえぞ!」

こうして、江東の荒鷲・甘寧は、天狼隊という、新たな巣を見つけた。

彼の加入は、水上戦に疎い天狼隊にとって、そして曹操軍全体にとって、後に計り知れないほどの、大きな力となるのだった。

第109話:連環の計

赤壁の地で、ついに、曹操軍と、孫権・劉備の連合軍が、長江を挟んで対峙した。

だが、戦いは、曹操軍にとって、有利には進まなかった。

北から来た兵士たちの多くは、船の上での生活に慣れておらず、船酔いに苦しめられた。さらに、南方の湿潤な気候のせいで、陣営には、疫病が蔓延し始めた。兵士たちの士気は、日に日に落ちていった。

「このままでは、戦う前に、自滅してしまう…」

曹操は、焦っていた。早く、決着をつけなければならない。

そんな彼の元に、一人の男が、偽りの投降をしてきた。その男は、龐統ほうとう、字は士元しげん。諸葛亮と並び、「鳳雛ほうすう」と称される、当代きっての天才だった。

彼は、曹操の悩みを見抜き、一つの策を進言した。

「丞相。兵士たちの船酔いを治す、良い方法がございます。それは、船同士を、大小合わせて、全て鉄の鎖で繋ぎ合わせてしまうのです。そうすれば、船団は、まるで陸地の上にあるかのように、揺れが収まりましょう」

「連環の計」と呼ばれる、この策。

勝利を焦る曹操は、この策に、まるで溺れる者が藁をつかむように、飛びついてしまった。

「素晴らしい! それだ! なぜ、もっと早く気づかなかったのか!」

諸将も、船酔いから解放されると聞いて、皆、大喜びした。

だが、その軍議の席で、ただ二人だけが、その策の恐ろしさに気づき、反対の声を上げた。

一人は、百戦錬磨の軍師、賈詡。

そしてもう一人は、劉星だった。

「父上、お待ちください! それは、あまりにも危険すぎます!」

劉星は、必死に曹操を諫めた。

「船を全て繋いでしまえば、もし、敵が火攻めを仕掛けてきた場合、我らは一蓮托生。一隻も、逃げ出すことはできませんぞ!」

甘寧も、劉星の意見を支持した。

「飛翼殿の言う通りだ! この長江では、風向き一つで、戦況は一変する! 火を使われたら、我らは、ただ燃え尽きるのを待つだけになる!」

だが、彼らの忠告は、軍全体の楽観的な空気の中に、かき消されてしまった。

第110話:郭嘉の死、再び

「飛翼よ、またか」

曹操は、劉星の忠告に、うんざりしたような顔で言った。

「お前のその心配性は、もはや病だな。石橋を叩いて、渡らんつもりか。それでは、天下は取れんぞ」

そして、彼は、天を仰いで、嘆くように言った。

「ああ、奉孝(郭嘉のこと)が生きていてくれたなら…。奴ならば、この『連環の計』の素晴らしさを理解し、絶賛してくれたであろうに…」

その言葉に、劉星は、絶句した。

(違う…!)

彼の心の中で、叫び声が上がった。

(郭嘉殿ならば、絶対に、この策の危険性を見抜いたはずだ! そして、命懸けで、あなたを止めたはずだ!)

劉星は、その時、はっきりと悟った。

郭嘉という、最大の理解者であり、唯一の「歯止め」を失ったことが、父にとって、そしてこの曹操軍にとって、どれほどまでに、大きな損失であったかということを。

もはや、この軍には、驕り高ぶる主君を、本気で諫めることのできる人間は、誰もいなくなってしまったのだ。

劉星は、それ以上、何も言えなかった。

巨大な組織の中で、正しい意見が、いかに簡単に握りつぶされてしまうか。その無力さと、絶望感を、彼は、この時、痛いほど味わっていた。

もはや、何を言っても無駄だ。

悲劇への歯車は、もう、動き出してしまった。

劉星は、軍議の席を辞すると、すぐに天狼隊の陣営へと戻った。

そして、甘寧と張遼に、密かに命じた。

「…万一の事態に備えろ。いつでも、この地獄から脱出できるよう、最も足の速い小舟と、最低限の食料を、準備しておけ」

彼の心には、すでに、赤壁の戦いを前にして、敗戦の暗く、そして、確実な予感が、漂い始めていた。

南東の空から、生暖かく、そして、不気味な風が、吹き始めていた。

それは、歴史上、最も壮大な炎を、燃え上がらせるための、序曲の風だった。

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