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第四章:官渡の咆哮-2

第四章:官渡の咆哮

第66話:青龍、一閃

関羽の突撃は、まるで赤い稲妻のようだった。

彼は、押し寄せる袁紹軍の兵士の波を、全く意に介さなかった。槍衾やりぶすまを突き破り、矢の雨をくぐり抜け、ただ一点、敵将・顔良の旗印だけを見据えて突き進んでいく。その姿は、人間というより、何か神話上の生き物のようにさえ見えた。

「何だ、あの男は! 止めろ、奴を止めろ!」

袁紹軍の兵士たちは、恐怖に駆られて関羽を止めようとするが、彼の前では全てが無力だった。青龍偃月刀が一閃するたびに、数人の兵士がまとめて斬り捨てられていく。

一方、劉星と張遼もまた、それぞれの場所で奮戦していた。

「狼ども、怯むな! 敵の注意をこちらに引きつけろ!」

劉星は、天狼隊を巧みに指揮し、敵陣をかき乱す。彼らの神出鬼没な攻撃に、袁紹軍の側面は混乱に陥っていた。

張遼もまた、その冷静沈着な用兵で、敵の一角を確実に切り崩していく。

二人の働きが、関羽のために、中央突破への道を切り開いていた。

顔良も、こちらへ猛進してくる関羽の存在に気づいた。

「面白い! 我こそは河北の顔良なり! 名も知れぬ将よ、我が槍の錆にしてくれるわ!」

顔良は、自信満々に馬を寄せ、関羽を迎え撃とうとした。

だが、それが彼の最後の言葉となった。

二騎が交錯する、その一瞬。

関羽の青龍偃月刀が、空気を切り裂く轟音と共に、閃光を放った。

次の瞬間、顔良の首は、胴体から離れて宙を舞っていた。

「「……」」

時が、止まった。

敵も、味方も、誰もが目の前で起きた出来事を信じられずにいた。河北が誇る最強の猛将が、たった一撃で、赤子のように討ち取られてしまったのだ。

関羽は、馬上で顔良の首を高く掲げた。

「敵将・顔良、この関雲長が討ち取ったり!」

その声が、戦場に響き渡ると、曹操軍から地鳴りのような歓声が上がった。

対照的に、大将を失った袁紹軍は、完全に戦意を喪失した。蜘蛛の子を散らすように、我先にと逃げ出していく。

劉星は、その光景を呆然と見ていた。

(これが…義の武人、関羽の力…)

呂布の武が、荒れ狂う嵐のような「暴」であるならば、関羽の武は、全てを断ち切る雷のような「剛」。次元の違う、二つの最強の形。

劉星は、武の道の、果てしない奥深さを感じていた。そして、いつか自分も、この男のように、戦場の流れを一人で変えられるほどの存在になりたいと、強く、強く願った。

白馬の戦いは、関羽という一人の英雄の、神がかり的な武勇によって、曹操軍の圧勝に終わった。

第67話:さらば、友よ

白馬の勝利に続き、曹操軍は延津えんしんでも、関羽の活躍によって袁紹軍のもう一人の猛将・文醜ぶんしゅうを討ち取り、連戦連勝を飾った。袁紹軍の出鼻を挫くことに、見事に成功したのだ。

曹操は、関羽の功績を絶賛し、彼に莫大な恩賞と、漢寿亭侯かんじゅていこうという破格の爵位を与えた。

「関羽殿、あなたさえいれば、袁紹など恐るるに足らず。どうか、これからも私のために、その力を振るってください」

曹操は、本気で関羽を自らの配下に迎え入れようとしていた。

だが、関羽の心は、動かなかった。

そんな折、彼は、兄である劉備が、袁紹の本陣に身を寄せているという確かな情報を手に入れた。

もはや、ここに留まる理由はない。

関羽は、曹操から与えられた恩賞の全てに封をし、屋敷に置いたまま、一通の別れの書状だけを残して、許都を去る決意をした。

「関羽殿が、去られるだと!?」

その報せに、曹操は激怒した。

「あれほど厚遇してやったというのに、恩を仇で返す気か! 追手を差し向け、連れ戻せ!」

諸将の中には、関羽の行動を裏切りとみなし、討ち取るべきだと進言する者もいた。

だが、その時、劉星が進み出た。

「お待ちください。関羽殿は、裏切ったのではありません。彼はただ、自らの『義』を貫こうとしているだけです」

「飛翼、貴様は奴の味方をするのか!」

「味方ではありません。ただ、一人の武人として、彼の生き様が理解できるだけです。彼のような男を、力で縛り付けることなど、誰にもできません。もし、無理に追手を差し向ければ、我らは多くの兵を失うだけでなく、天下の信義をも失うことになりましょう」

その言葉に、張遼も頷いた。

「飛翼殿の言う通りです。関羽殿は、去り際に、顔良・文醜を討つという、大きな置き土産を残してくれました。これ以上の恩を、彼に求めるのは酷というもの」

二人の言葉に、曹操も冷静さを取り戻した。彼は、深くため息をつくと、言った。

「…分かった。行かせてやれ。だが、見送りはせん」

その頃、関羽は、二人の兄嫁を乗せた馬車を守りながら、許都の関所を抜けようとしていた。

その彼の前に、劉星と張遼が、馬に乗って現れた。

「見送りに来たのか、飛翼殿、張遼殿」

関羽が、静かに尋ねる。

「いや、餞別だ」

劉星は、一つの酒壺を差し出した。

「あなたの兄、劉備殿に会うことがあれば、伝えてほしい。許都に、あなた方のことを理解しようとしている、一人の将がいた、と」

関羽は、その酒壺を受け取ると、馬上から豪快にあおった。

「確かに伝えておこう。…達者でな、二人とも。次に会う時は、戦場かもしれんが」

「望むところだ」

劉星と張遼は、力強く頷いた。

三人の間には、敵味方を超えた、武人としての友情が芽生えていた。

関羽は、馬首を返し、北へと向かっていく。その後ろ姿は、どこまでも大きく、そして気高かった。

「さらば、友よ」

劉星は、その背中が見えなくなるまで、黙って見送り続けた。

一人の英雄が去り、そして、いよいよ本当の天下分け目の戦いが始まろうとしていた。

第68話:官渡対陣

関羽が去った後、曹操軍と袁紹軍は、官渡かんとの地で、ついに本格的に対峙した。

両軍は、広大な平原を挟んで、巨大な陣営を築いた。

袁紹軍の陣営は、どこまでも続く長大なものだった。無数の旗が林立し、その兵力は、まさに天を覆い尽くすかのようだった。彼らは、自軍の兵力と物量を誇示するように、陣の前に土山を築き始めた。

「殿、敵は土山を築いております! あれが完成すれば、山の上から我らの陣営は丸見えとなり、矢の雨を降らされることになりましょう!」

夏侯惇が、焦燥の声を上げた。

「うむ。ならば、こちらも対抗策を講じるまでよ」

曹操は、すぐさま技術者を集めさせると、巨大な投石機とうせききをいくつも作らせた。それは、霹靂車へきれきしゃと名付けられた。

袁紹軍が土山の上から矢を射掛けてくると、曹操軍は霹靂車で巨大な石を投げつけ、土山もろとも兵士を粉砕した。

「がははは! どうだ、袁紹め! これがわしの知恵よ!」

曹操は、高笑いした。

こうして、両軍は互いに決定打を欠いたまま、睨み合いを続けることになった。

毎日、小規模な衝突は起きる。だが、どちらも大軍を動かすことはできず、戦況は完全に膠着状態に陥った。

それは、兵士たちの精神をすり減らす、泥沼の陣地戦の始まりだった。

劉星と天狼隊は、この膠着状態の中で、自分たちの役割を見出そうとしていた。

「旦那、このままじゃ、こっちが先に干上がっちまいますぜ」

周倉が、苛立ちを隠せない様子で言った。

「分かっている。だが、焦りは禁物だ。相手は、我らの何倍もの大軍。下手に動けば、すぐに飲み込まれる」

劉星は、毎日のように馬を出し、敵陣の様子を遠くからうかがっていた。袁紹軍の陣営は、あまりにも巨大で、堅固に見えた。だが、どんなに巨大なものでも、必ずどこかに綻びがあるはずだ。

(弱点は、どこだ…)

彼は、張遼とも意見を交わした。

「張遼殿、あなたから見て、袁紹軍の弱点はどこにあると思われますか?」

張遼は、しばらく考え込んだ後、静かに答えた。

「…将の多さ、であろうな」

「将の多さ、ですか?」

「うむ。袁紹公の下には、多くの有能な将がいる。だが、それゆえに、派閥が生まれ、互いに足を引っ張り合っている。特に、軍師の郭図かくと審配しんぱいの仲の悪さは、有名だ。袁紹公自身も、優柔不断で、どちらの意見も採用できずにいることが多い。その意思決定の遅さが、いずれ命取りになるやもしれん」

張遼の言葉に、劉星は一つの光明を見出した気がした。

そうだ、敵の弱点は、外側ではなく、内側にあるのかもしれない。

だが、その内側の弱点を、どうやって突くのか。答えはまだ、見つからなかった。

官渡の風は、両軍の焦燥と緊張を乗せて、ただ吹き抜けていくだけだった。

第69話:狼の遊撃

膠着状態が、一月以上続いた。

曹操軍の兵士たちの間には、目に見えて疲労と焦りの色が濃くなっていた。兵糧も、日に日に減っていく。このままでは、戦う前に士気が崩壊してしまう。

「この空気を、何とかしなければ…」

劉星は、一つの決断を下した。

「これより、我ら天狼隊は、夜間の遊撃戦を開始する!」

それは、あまりにも危険な作戦だった。大軍がひしめく敵陣に、少人数で潜入し、攻撃を仕掛ける。見つかれば、生きては帰れないだろう。

「旦那、そりゃ無茶ですぜ!」

周倉が、案の定、反対した。

「危険なのは分かっている。だが、このまま座して死を待つよりは、千倍ましだ。俺たちは、狼だ。闇を恐れていては、獲物は狩れんぞ」

劉星の決意は固かった。彼は、この作戦に、張遼にも協力を仰いだ。

「張遼殿。あなたの冷静な指揮が、この作戦には不可欠です」

張遼は、劉星の無謀とも思える作戦に、最初は難色を示した。だが、彼の瞳に宿る、揺るぎない覚悟を見て、頷いた。

「…分かった。だが、約束してくれ。決して、深追いはしないと」

「承知している」

その夜から、狼たちの狩りが始まった。

劉星と張遼が率いる、百名ほどの天狼隊は、闇に紛れて袁紹軍の陣営に忍び込んだ。彼らの狙いは、敵の主力部隊ではない。陣営の端にある、小さな見張り小屋や、補給部隊の休息所だった。

彼らは、音もなく目標に近づくと、一斉に襲いかかった。

「うわあっ!」

油断していた袁紹軍の兵士たちは、抵抗する間もなく倒されていく。

劉星たちは、敵の天幕に火を放ち、食料をわずかでも奪うと、すぐにその場を離脱した。敵の援軍が駆けつけた時には、そこには燃え盛る炎と、仲間たちの死体しか残っていなかった。

この夜間遊撃は、毎晩のように繰り返された。

袁紹軍に与える物理的な損害は、微々たるものだった。だが、心理的な効果は、絶大だった。

「また、幽霊部隊が出たらしいぞ!」

「夜も、安心して眠れない…」

袁紹軍の兵士たちは、いつ現れるか分からない狼の群れに、恐怖を募らせていった。

逆に、曹操軍の士気は、この小さな勝利の報せによって、劇的に回復した。

「天狼隊が、また敵の食料を奪ってきたそうだ!」

「飛翼様と張遼様がいる限り、俺たちはまだ戦える!」

劉星と張遼のコンビネーションは、完璧だった。劉星の型破りな奇策と、張遼の堅実で冷静な指揮。そして、周倉の圧倒的な突進力。それらが一つになった時、天狼隊は、どんな困難な任務でも遂行できる、最強の遊撃部隊となった。

彼らの活躍は、膠着した戦況の中で、曹操軍にとって、唯一の希望の光となっていた。

第70話:荀彧の書簡

天狼隊の活躍によって、曹操軍の士気は辛うじて保たれていた。だが、根本的な問題は、何も解決していなかった。

兵糧は、いよいよ底をつきかけていた。兵士たちは、日に一度の雑炊だけで、命を繋いでいる状態だった。兵力差は、依然として絶望的。勝利への道筋は、誰の目にも見えなかった。

ついに、曹操の心が、折れかかった。

ある夜、彼は、ごく一部の側近だけを集めた軍議の席で、弱音を吐いた。

「…もう、限界かもしれん」

その声は、覇者とは思えぬほど、弱々しかった。

「許都へ、退くべきだろうか…。袁紹に頭を下げ、和睦を乞うべきか…」

夏侯惇や許褚といった猛将たちも、何も言い返せなかった。彼らもまた、この絶望的な状況に、心をすり減らしていたのだ。

陣営全体が、重い敗北感に包まれようとしていた。

その時、許都で留守を預かる荀彧からの書簡が、陣営に届けられた。曹操が、弱気になって許都への撤退について相談するために送った手紙への、返信だった。

曹操は、震える手で、その書簡を開いた。

そこには、荀彧の、厳しく、そして力強い言葉が記されていた。

きみの神武、明哲めいてつをもって、天下に誰がこれに当たる者がありましょうか。今、小敵を前にして、挫折し、退却の志をお持ちとは、一体どういうことでございましょうか』

手紙は、まず曹操の弱気を、厳しく叱責していた。

そして、こう続いていた。

『袁紹は、その全軍を官渡に集めております。これは、我らと雌雄を決しようとするもの。もし、我らがここで退けば、敵は必ずや追撃し、我らに再起の機会はございません。これこそが、天下分け目の時なのです。奇策を用いる好機は、必ずや訪れましょう。どうか、それまで、耐え抜いてください』

その手紙の最後は、こう結ばれていた。

『この荀彧、許都の全てを賭して、公の背後をお守りいたします。信じて、お待ちしております』

曹操は、その手紙を、何度も、何度も読み返した。

そして、その目から、一筋の涙が流れ落ちた。

(そうだ…わしには、荀彧がいる…)

自分のことを、心の底から信じ、遠い場所で支えてくれている友がいる。その事実が、折れかかっていた曹操の心を、再び奮い立たせた。

その様子を、劉星は、少し離れた場所から見ていた。

父が、涙を流している。宛城で見た、民を思う涙とは違う。信頼する部下からの言葉に、心を揺さぶられているのだ。

劉星は、父の背中に、初めて、一人の人間としての「王の覚悟」と、そしてその覚悟を支える「絆」の存在を見た気がした。

憎い父。だが、彼が多くの者から慕われ、支えられているのもまた、事実だった。

曹操は、涙を拭うと、顔を上げた。その目には、もはや迷いはなかった。

「わしは、退かん! この官渡で、袁紹との決着をつける!」

その宣言に、将兵たちの目に、再び闘志の火が灯った。

劉星は、父のその巨大な背中を見ながら、思った。

(いつか、俺は、この背中を超えなければならない)

それは、憎しみからではなかった。一人の武将として、そして、この乱世に生きる人間として、乗り越えるべき巨大な山。それが、今の劉星にとっての、父の姿だった。

夜明けは、まだ遠い。だが、闇が最も深い時こそ、光は近いのかもしれない。

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