第13話:郭嘉の問い
第13話:郭嘉の問い
典韋との一件から数日後の夕暮れ。その日の厳しい訓練を終え、劉星が一人、兵舎の屋根で汗を拭っていると、背後からふらりとした足音と共に、聞き覚えのある声がした。
「精が出るね、劉星殿」
振り返ると、酒盃を片手にした郭嘉が、いつの間にかそこに立っていた。彼は、いつも通り病人のように青白い顔をしていたが、その瞳だけは夜空の星のように鋭く輝いていた。
「郭嘉殿か。何か用か?」
「いや、なに。面白い見世物があると聞いてね。少し覗かせてもらっただけさ」
郭嘉は、劉星の隣にどかりと座り込むと、酒を一口あおった。
「それにしても、見事なものだ。あのならず者の集まりが、わずか一月ほどで精悍な兵の顔つきになっている。君には、人を惹きつけ、変える力があるらしい」
その言葉が、褒めているのか、あるいは探りを入れているのか、劉星には判断がつかなかった。この男の考えていることは、常人には計り知れない。
「それで、君は何のために戦うのかね?」
郭嘉は、まるで世間話でもするかのような気軽さで、核心を突く問いを投げかけた。
「…父を、討つためだ」
劉星は、迷わず答えた。
その答えに、郭嘉はクツクツと喉を鳴らして笑った。
「復讐、か。結構。それもまた、乱世を生きる力となろう。だが、劉星殿。覚えておくといい。憎しみという炎は、確かに、己を燃え上がらせる薪にはなる。だが、その炎は、いずれ、己自身をも焼き尽くす。何より、憎しみだけでは、人はついてこんよ」
郭嘉の言葉は、劉星の核心を突いていた。天狼隊の仲間たちは、彼の武勇には従っている。だが、心の底から、彼を信じているだろうか。
「では、どうすれば…」
劉星が、思わず尋ねると、郭嘉は、夜空を見上げながら、言った。
「…守りたいものを、見つけることだ。憎しみよりも、遥かに強く、そして、決して尽きることのない炎。それは、誰かを、何かを、守りたいと願う、その心から生まれる。君が、真に守るべきものを見つけた時、君は、ただの狼から、群れを率いる『王』になるだろう」
劉星は、黙り込んだ。守りたいもの。彼の脳裏に、病床の母の顔と、自分を育ててくれた叔父の顔が浮かんだ。
「…母のような人間を、二度と出したくない」
ぽつりと、彼の口から、本心が漏れた。
「力を持たぬばかりに、誰かに運命を弄ばれ、悲しみの中で死んでいくような人間を。俺は、そういう者たちを守るために、戦いたいのかもしれない」
それを聞いた郭嘉は、満足そうに頷いた。
「守る、か。面白い。実に面白い。この乱世で、何かを守り抜くことが、どれほど困難なことか。奪うよりも、殺すよりも、遥かに難しいことを、君は選ぶというのか」
彼は立ち上がると、劉星の肩を軽く叩いた。
「いいだろう。君が何を、どこまで守れるのか、この郭奉孝、特等席で見物させてもらうとしよう。だが、覚えておくといい。何かを守るためには、時には何かを捨てなければならない。あるいは、何かを壊さなければならない時も来る。その時、君が何を選ぶのか…実に楽しみだ」
郭嘉は謎めいた言葉を残し、またふらりと去っていった。
残された劉星は、彼の言葉を何度も心の中で反芻していた。「何かを守るためには、何かを捨てなければならない」。その言葉の本当の意味を、彼はまだ知らなかった。だが、その問いは、これから彼が歩むであろう長く険しい道のりを、予言しているかのようだった。