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1話

『ザッ、ザッ』

目覚めようとする都市に、仄暗い闇と朝霧が降り立つ時間。

一人の青年が、いつものように空っぽのポケットと重い足取りで目的地へと向かっていた。

「はあ……今日も一段と寒いな」


長きにわたり続く経済的困窮に押しつぶされ、家族との望まぬ断絶に孤独を味わい、社会的な孤立により誰とも愛を分かち合うことなく純潔のまま生きてきた。人生の目的すら存在しなかったが、それでも日々に感謝しながら耐えてきた青年。


そんな彼にとって唯一の慰めは、まるで新たな人生を生きているかのような感覚を味わわせてくれる、通称『エーテル・パンク』と呼ばれるゲームだった。


ゲームの中、現実とはかけ離れた世界で、青年は幾度となく痛みと絶望を味わってきた。


それでも彼がこの虚構にしがみついたのは、少しずつ成長し、英雄へと変貌していく自分の分身の姿を目の当たりにしたからだ。


その光景は、青年にとってまさに光明だった。


『夢じゃない、嘘でもない。本物だ!』


手にしたスマートフォンの画面を、青年はじっと見つめた。


ついに、自分が本当に好きなこと、これまでの経験を活かし、ただの妄想に過ぎなかった夢を現実にする時が訪れた。


『まさか俺がテスターに選ばれるなんて!』


エーテル・パンクの新バージョンが公開されるという情報に、プレイヤーたちは熱狂していた。


青年もまた、これまで以上に広がる世界に心を高ぶらせずにはいられなかった。


『まさか夢じゃないよな?』


『ピシャッ』


「うう……本物みたいだな」


単なる体験だけでなく、テストを通じて今後の改善点や追加要素の提案ができる立場になった。


開発者たちと同じく、夢のような世界を作り上げる側に回ったという事実に、最初は戸惑いを覚えた。


だが、少し時間が経つと、人生はただ苦しいだけのものではないと、青年はほんの少しだけ理解し始めていた。


『ザッ、ザッ』


高揚した気分のまま、歩みを速めながら考える。


『今回の報酬が入ったら、まず肉を……いや、その前に滞納してた家賃を払わないとな……』


地平線の向こうから昇り始めた朝日を浴びているにもかかわらず、狭い路地裏はなおも薄暗かった。


青年は黙々と歩みを進める。


出発した時と比べ、目的地へとかなり近づいた今、青年の雰囲気はまるで別人のように変化していた。


『もう飢えなくても済む。それだけでも感謝しなきゃな!』


絶望と苦しみを振り払い、新たな始まりへの期待と希望を胸に抱きながら、青年の足取りは軽く、力強くなっていた。


『ピロン』


静寂が支配する路地裏に響き渡るアラーム音。


反射的に右手を動かし、ポケットからスマートフォンを取り出した青年の目に、新着メッセージが映し出された。


「ん?」


『開発会社から、また何か連絡があったのか?』


大抵のやり取りは、先日会社を訪れた際に済ませたはずだった。


「……ああ、なるほど」


メッセージの内容を確認し、すぐに納得する。


『仕方ないな』


メッセージには、


「その他の準備はほぼ完了しているが、サービスチームの手違いでユーザーデータの移行が未処理となっている。そのため協力してほしい」


という旨が記されていた。


添付されたリンクを開き、指を動かして素早く必要情報を入力していく。


『相当忙しかったんだな』


無機質な入力フォームの空欄をすぐに埋め、青年は送信ボタンへと指を伸ばした。


『なんだか、妙な気分だな……』


たったこれだけの作業で、自分の未来が変わるという現実が、どうにも信じられなかった。


『これで確実に始まるんだ……俺の人生の第二幕が!』


青年は微かに微笑みながら、膨らみゆく期待と希望を胸に感じていた。


その視線はスマートフォンの画面に固定されたままだった。


だが、彼の足は周囲の変化や潜む危険に気を留めることなく、ただ前へと進み続けていた。


『ゴオオオオッ!』


「うっ……!」


目を細めたくなるほどの強風が、依然としてビルの影に覆われた路地を吹き抜ける。


ボロボロに擦り切れたコートが大きくはためき、青年の歩みは一瞬止まった。


『ブオオオオオン!』


その瞬間、突如として猛スピードで迫りくるダンプカーが姿を現す。


『バアアアアアン!』


「えっ……?」


視界を奪うハイビームと、思考を掻き乱すクラクションの轟音。


状況を正しく把握する前に、青年の体は轢かれた。


『ぐあああああっ!』


まるで永遠にも思えるほどの時間、宙を舞った青年の身体は、やがて硬く冷たいアスファルトに叩きつけられ、数回転しながら転がっていった。


『これじゃ……間に合わない……!』


「う……ぐ……」


ゴムの焼ける焦げ臭い匂い。


視界が滲む中、青年の目に血だまりが映る。


『俺は……これから良くなるはずだったのに……!』


徐々に光を失っていく青年の瞳に、スマートフォンの画面が映し出される。


その画面が、突如として眩く輝いた。


まるで誰かが操作しているかのように、次々と画面が切り替わる。


『送信完了しました』


そして、彼が入力したユーザーデータが、何らかの理由で転送されていった。


『ご利用いただき、誠にありがとうございます!』


見る者のいない画面に、なおもメッセージが映し出される。


『これからも、よろしくお願いいたします!』


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