第5話 教育。
「ねえ、リーサ?」
「なんだ?わからないところがあった?」
商館の私の執務室に、カミーユ用の勉強机を入れた。お支度は警備上女の子の格好だ。
野放しにすると、使用人や商会の女子社員に声をかけまくって大変だということを預かって1日にして理解したから。
フラル育ちの社員は、マジで遊んであげる気満々のようだが…勘弁してほしい。
教科書を持って私の執務机までやってきた。
「ここなんだけどさあ、」
「ん?」
教科書を広げて、座っている私に覆いかぶさるように、耳元でささやく。
「ねえ、お姉様、教えてよ?うふふっ。」
向かいの机で書類を仕分けしていたスーがゆっくり立ち上がる。
ガバリと引き離されたカミーユが、スーに引きずられていく。
「運動不足なんだろう?お兄さんが遊んでやる。」
「えええええ!」
お約束になってきたな。
中庭に引きずり出されて、剣術の稽古。ワンピースのままだが。
「僕はね、近衛師団長に稽古してもらっていたからね。お前、後悔するなよ?」
「ああ。」
「ホントに、後悔するぞ。とやあああああ!」
まあ、想像通りだ。窓に寄って眺める。
真面目に稽古をしてきた構えには見えないし。あれでほんとに強かったら驚くが。
「ちゃんと構えろ。」
「腰を引くな。」
「足を踏み込め。」
両手で剣を握りしめたカミーユ相手に、ゆるーく片手で剣を持ったスーが軽くいなしていく。
通りがかった社員から声援が飛ぶ。
「あらあ、カミーユちゃん、頑張って!」
「今日も可愛いわあ!」
「殺されないようになあ!」
*****
「なあ、こんな勉強とかして何になるのさ?僕は王になるわけじゃないし、どっかに婿に出されて面白おかしく暮らす予定なんだけど?」
「・・・それにしたって、王族があんまりバカだと国民に示しが付かないだろう?」
「誰も僕になんか期待してないさ。兄上が優秀だしな。フランシーヌの所に預けられる前は大臣のとこにいたんだけどさ。」
教科書を眺めていたカミーユが…退屈するの早いな?
エンマにお茶を出してもらう。
「お前もお茶でいいか?コーヒーか?」
ティーテーブルに座ってお茶にする。
スーは自国に動かす荷物の件で倉庫まで確認に行っている。
この子は…庶子。母親は側室でも身分の低い方だったらしい。
男の子が今の王太子しかいなかったから、小さい頃から王城に連れて来られて教育を受けていたはず。家庭教師に何を習ってきたんだろうな。
「僕だって初めは真面目にやってたさ。今の遊びは家庭教師の女が教えてくれた。卑しい血が入っているから、このぐらいは上手にならないとね、と、笑って。」
「・・・そうか。別に同情はしないぞ?その後の判断はお前の意志だろう。その女を首にするぐらいの権限はあっただろう。」
「チッ」
「自分であるためには、流されちゃいけない。まあ、流されたほうが簡単だけどね。それをよしとするなら、流された人生も楽しむべきだ。私はそう思う。実際…。」
「?」
「私の学生時代の友人は、一人は10歳も上の知らない男に嫁いだ。もう一人は実家の借金の形に嫁いだ。ふふっ。ところが、二人共、楽しくやっているようだ。」
「・・・へえ。お前は?」
「私は結婚しない。」
「ふーーん。」
つまらなそうに窓の外を見ている。
もう3週間になる。もうすぐ5月だな。
「春の舞踏会とかに出席しなくても良いのか?」
「ああ。言っただろう?誰も僕に何の期待もしていない。下手に出席して面倒を起こされても困るからな。」
「そこは…わかっているんだな。」
「・・・・・」
フランシーヌの所に預けられたのは、警備がしっかりしているからだろう。なおかつ、あそこは従業員の教育が厳しい。社交界に連れまわされることもあるので、立ち居仕草やダンスはもちろん、社会情勢や貴族の交友関係まで叩き込まれる。フラル国一の娼館と呼ばれるのは伊達じゃない。だからこそ、あそこでの何気ない噂話は情報の塊だ。
うちに預けたのだって、マダムの独断とは考えられない。
たまたまいいところに、みたいな言い方だったが、私が着任する情報などとっくに届いていただろう。
警備、教育、それから徹底した情報の規制。この商館はある意味異国だ。
「退屈みたいだな。じゃあ、これから会話はブラウ語でやるとしよう。もちろん大丈夫だろう?」
「へ?お前、ブラウ語も話せんの?フラル語も上手なのに。」
「ああ。うちの社員たちも5か国語ぐらいいける。仕事で使うからな。」
「うへええ。商売人も大変だな?」
こいつのやる気のスイッチはどこにあるんだろう?
おとなしくお茶を飲み始めたと思ったら、靴を脱いで、ティーテーブルの下で私の足をすりすりし出した。
はあああ…
にっこり笑って、カミーユの向う脛を力いっぱい蹴飛ばす。底のしっかりした革靴は何かと便利だな。
脛を押さえてティーカップと一緒に床に転がるカミーユ。
あら、今日のお茶は美味しいわね。
新茶が出たのかしら。
『あら、どうしたの?お茶が冷めるわよ?』