第1話 旅立ち。
「お嬢?あと少しで到着ですよ?」
護衛兼秘書官のスレヴィに肩を揺すられる。寝ていたのか?
昔の夢を見ていた気がする。
本格的に隣国に移住することになって荷物を片づけた。長く開けていなかった貴重品入れから、友人が中等部時代に書いた小説が出てきた。ドラゴンが出てくる話だ。
旅の途中に読み直していたからか。
・・・懐かしい。
つるんでいた友人たちは二人共結婚し、子供がいる。
今も手紙でのやり取りはあるが、その頃は恋愛小説を書いていた友人は幼児向けの楽しいお話を書くようになった。それはそれで、なかなか興味深い。
ううーーーん、と伸びをする。馬車に長く乗るのも中々疲れる。慣れないもんだな。
国元から連れてきたのはスレヴィと、侍女のエンマの二人。二人共長い付き合いだ。
特にスーは、スレヴィは…私が拾ってきて育てた。エンマとお買い物に出かけた先で、事もあろうか私のカバンをひったくった。追い詰めて、捕まえた。
スラムに住む、ガリガリの男の子。黒髪が気に入った。
屋敷に連れ帰って、洗って綺麗にして、教育した。小さいから年下だろうと思ったら、同じ年だった。8歳。
喧嘩をしても、逃げようとして走っても、私の方が勝っていた。
・・・いつ諦めたんだろうな?こいつ…。
人を叩き起こしておいて、しれっと憂い顔で外を眺めているスーの横顔を眺める。
少し癖のある黒髪は今日も綺麗に輝いている。瞳は深い海の底のような濃い青。
いつの間にか、小さなガリガリの男の子は、私を見下ろすくらいに大きくなった。
常に傍にいることを強いたせいか、元々の物なのか、まあ、負けず嫌いだったしね…私の家庭教師の教えもよく理解した。後ろに立っていただけだったけど。
剣も護身術もいつの間にか私を越えていた。
私が中等部とかに通っている間は、騎士の養成学校に入っていた。
勉強も独学で続けたらしい。卒業時には、師範として残らないかと打診を受けていたそうだ。後で父上に聞いた。
高等部を1年でスキップしてアカデミアに進んだ時から、また私の横にはスーが控えた。アカデミアに2年、父のもとで公務を手伝いながら商売の手ほどきをうけ、3年。ようやくだ。
「国境の検問所です。書類は?」
「ああ。大丈夫だ。」
検問所ではすんなりとはいかなかった。
大公家の書類はもちろん本物だが、大公家令嬢、と記された書類に待ったがかかった。
「申し訳ございません…大公家リーサ様でお間違いございませんか?」
検問所の役人がおどおどと話しかける。
「ああ。間違いない。この支度は動きやすいからだ。髪はあんまり父が見合いを勧めるから切った。この国にはエクルーズ商会の支社長としてきた。何か問題が?」
さっさと検問を通ったスーとエンマがのんびりと待っている。
「だから先にエンマが言った通り、ドレスで来れば、検問で引っかかったりしなかったんですよ?お嬢様!大体、髪を本当にお切りになるなんて!!まったく!!」
「うふふっ。それだけ男装が似合っているってことだろう?」
「ええ、まあ。」
「くくっ。21にもなって、出るとこ出てないって自分で言ってるようなもんだな?」
「は?」
私とスーが取っ組み合いになる直前で、エンマが割り込む。
「お二人共いい大人なんですから、じゃれるのもほどほどになさいませ。まったく、昔から変わらないんだから!!!」
変わらないのは、私にとってはうれしいことだ。
私は、私であるために髪を切った。
「エンマ、はさみを取って頂戴。」
国元では、短い髪の女は、夫に先立たれたか修道女か。
結婚はしないと言い張る私に、父は理解を見せているのかと思っていたが、時期が来たら縁談が来た。中々断ろうとしない父の前で、髪を切った。
母は泣くし、兄は呆れるし…。父も折れた。
こうして手に入れた、変わらない私。
私は、私のままでありたい。
*****
隣国との国境に延びる街道をエクルーズ商会の馬車が進んでいく。
春先のうららかな陽気のせいか、さすがに疲れが出たのか、先ほどまでにこやかに書類を読んでいたお嬢が、膝にその書類の束を載せたままうとうとし始めた。
そっと書類をよけて、薄いショールを膝にかける。
ん?書類だと思っていたのは…ああ、これはまた懐かしいものを。
確か、お嬢が中等部の頃の仲が良かった友人が書いた、王女と騎士の恋物語。
騎士がドラゴンを征伐して、王に褒賞として、王女との結婚を申し出る…。
挿絵も何枚か入っている。お嬢は…ことのほかこの話が好きなようだった。
夢物語だな。
ざっくりと切った短い髪は、整えられたが、男の子みたいだ。年齢より幼く見える。
淡い金髪に、春の空のような優し気な青い瞳…。閉じられているが…。
気は強いんだけどね。
流れるように腰まで伸びた金髪を、惜しげもなく切りやがった。
ふふっ。らしいかな。
結婚はしないらしいから、一生ついてってやるしかないな。
気持ちよさそうに眠っているお嬢を眺める。