第九十九話
「な……なんだ……こいつ」
扉の先に待ち受けていたのは、培養槽だった。
円柱状の水槽に、のっぺりとした白い肌の人間が浮かんでいるだけ。
人間……だと思った。でも、なんだか無機質で、髪も性器も身体的な起伏もない。
嫌な例えだけど『ふやけた白い胎児がそのまま大人になった』ようだな、なんて一瞬思った。
いや、そもそもここはダンジョンじゃないのではないか? これ、明らかに人工的な施設だろ。
「なんだよここ……なんなんだよ」
俺はすぐさま【観察眼】を発動させ、この不気味な存在の詳細を調べる。
『ヒトガタ』
『器』
『入るべき鬲ゅd莠コ譬シが存在しない』
『お前に弱いお前に弱い西条寺静馬に弱い』
『外から来たお前に弱いお前達に弱い』
『辷帙?高等学院二年特進クラスの生徒に弱い』
「!? なんだこれ!?!?」
映し出される情報に恐怖した。
俺の名前が、俺の本名が、フルネームが記されていた。
通っていた高校の名前もクラスも、全て書かれていた。
恐い……不気味だ……なんだ、この得体の知れなさは。
ヒトガタ……? 何かが足りない……?
なんだよ……なんなんだよ!
「殺す……こんな訳の分かんないモノ……殺してやる」
俺は、四五層で使った方法と全く同じ手順で、この不気味な存在を消し去ることを選んだ。
水槽の中、目覚める気配のない、不気味な存在。
もしかしたら、この世界の核心に迫れるかもしれない、そんな謎を秘めていそうな存在。
でも俺は、こいつが存在していることが、なぜが許せなかった。
消し去らないといけないと、そう強く思った。
「ゲイル……ブレイク!」
極大の剣気が、水槽を破壊する。
中にいたヒトガタも、一瞬で消し飛ぶ。
培養液が飛び散り、ヒトガタの体液もそこに混ざっていたのか、水の中でキラキラと粒子が輝き、死体が消えていく。
……あいつが、この人工ダンジョンの今の最終ボス……ってことか。
「あ……あれは……」
壊れた水槽の向こう、死体が吹き飛び消えたその場所に『ソレ』が落ちていた。
人工ダンジョンの本来の目的である、人工のダンジョンコアと思しき赤い物体。
それが、床に転がっていたのだ。
「……やっぱりこれが出てくるってことは……今のがこの人工ダンジョンのボスってことなのか」
それは、少しだけメルトが作った『赤いキラキラ』と呼ばれていた錬金術の産物に似ていた。
赤く透明な、けれども小さな結晶が沢山纏わりついた球体。
なんとなく俺は、それを見て『こんな飴玉あったな』なんて思った。
や、間違っても口に入れたくないし、そもそも入らないような大きさだし。
……ていうか欠片って言う割には随分と大きいな。
【観察眼】でその詳細を調べてみると――
『リンドブルムのダンジョンコア』
『過剰に集められた地脈の魔力がコア精製能力を突破した結果の産物』
『この世界に生まれるべきではない存在の中で成長を続けていた為歪な形状をしている』
『大地への返還ではなく不安定化したダンジョンの平定への使用を推奨』
ふむ……異様な形と大きさではあるけれど、確かにコアとして使うことは出来る、と。
だがダンジョンの平定とは一体どうすればいいのだろうか? この人工ダンジョンを支配しろってことなのだろうか?
「なんにしても……これがダンジョンの異常事態を引き起こしていた可能性が高いんだろうな。ギルドに提出するべきか迷うな」
正直、深く考えると不安になるような出来事が多かった攻略。
だが今は深く考えるのはやめよう。この世界のこととか、このダンジョンのこととか。
……俺にはまだ、それを考える余裕がないのだから。
俺は、部屋の隅に現れた帰還用の紋章に乗り、このダンジョンから脱出したのだった。
「帰還を待っていました、シズマ」
俺が紋章で帰還すると、待っていたのはこの探索者ギルドの長と思しき女性だった。
一度、会議室で言葉を交わしただけの相手だが、どうやら……こちらの動きをある程度ギルド側でモニターしていたのだろう。
そういえば、ダンジョン内で何を討伐したのか、本部から確認出来るって話だったしな。
「ただいま戻りました。ええと……このギルドのトップ……で良いんですよね?」
「そういえば自己紹介がまだでしたか。リンドブルムの探索者ギルドの長をしています『ファーレン・フリューゲル』です。お話を聞きたいので、先日の会議室までお越し頂けますか?」
「了解です」
恐らくダンジョンの報告、そしてコアの欠片の売却を命じられるんだろうな。
……だが、今回のこれは……迂闊に売るのは危険かもしれない。
「初めに、ダンジョン踏破おめでとうございます、シズマさん」
「ありがとうございます」
「貴方が女王の息のかかった人間なのは分かっていますが、それを踏まえても驚異的な活躍です。僅か数日、そして単独……なによりもこの異常事態の最中に踏破するとは思いもよりませんでした」
会議室にて、長と二人きりで言葉を交わす。
他に人がいないのなら、こちらが出せる情報はもう少しだけある。
「フリューゲルさん、ダンジョンの異常事態ですが、もしかしたら今日から改善する可能性があります。予断は許されませんが、推移を見守った方が良いかもしれません」
「その根拠は?」
「こちらです」
俺は手に入れたダンジョンコアを取り出して見せる。
肥大化し、歪な形状となったダンジョンコア。
本来なら欠片が産出される程度のはずが、俺が手に入れたコアは、天然のダンジョンコアよりも大きく、そして歪な形をしている。
「っ! それがダンジョンコアですって?」
「はい。歪に肥大化し、おかしな形状だと思いました。俺が最終層で遭遇した相手も……普通ではありません。魔物というよりはもっと……異形と人の中間のような、歪な存在でした」
「我々は貴方の動きを断片的にですが観察していました。ですが、四五層以降の情報は一切入ってきていませんでした。やはりダンジョンそのものが異質な空間に変貌していた……という見解です、こちらも」
「それで正しいかと。フリューゲルさん、俺はこのコアをそちらにお譲りするのはまだ早いと考えています。これは金銭目的や何か他の目的の為に言っているのではありません」
「……慎重になるのも分かります。確かにこれは……少なくとも国外に出していい品ではありませんから」
「はい。国の研究院で調査するか『資格ある人間』の手に委ねようかと」
「ふむ。良いでしょう、そのコアは貴方が持っていてください。女王の息のかかった人間を疑うような真似はしません」
「いいんですか? 正直俺の通行許可証だけでそこまで信頼するのもどうかと思いますが」
「簡単な話ですよ『ベテラン探索者クランが逃げ帰った相手と同じ魔物を短時間で一〇〇体以上撃破して異常状態のダンジョンを突破する人間』と関係を悪化させたくありません。貴方は恐らく、一三騎士にも匹敵するだけの力を、成長の器を持っているようですから」
「……恐縮です」
「聞きたい事は聞けました。そちらのコアの処遇はお任せします。シズマさん、この度はリンドブルムの巣窟の突破、まことに感謝致します。まだ状況の変化は分かりませんが、恐らくこの異常事態は沈静化していくと私も思います」
「そう、だといいですね。お話を聞いて下さり感謝します、フリューゲルさん」
「いえいえ。今度はギルド以外でお会いする機会があれば、また違った話も出来るでしょう」
はて? それはどういう意味なのだろうか?
去り際のフリューゲルさんの言葉の真意を探れないかと、俺は先に部屋を出た彼女を【観察眼】で確認する。
『ファーレン・フリューゲル』
『若くして探索者ギルドの長を務める人物であり元探索者』
『所属クランを追放された後にその事務能力を買われてギルドに拾われた』
『僅か二年でギルドの長まで上り詰め問題行動の多かった古巣のクランを解体し資格を剥奪』
『見事に復讐を遂げ現在は探索者ギルドの長として探索者の管理を徹底して行っている』
『好きなタイプは自分より一〇歳以上年下』
……最後の一文なんで入れた? この世界って誰かに管理されてるんか? 結構遊び心ある存在が見守っているんか!?
え、なに? 俺ロックオンされてるの!?
会議室から出ると、何やら一階ホールで騒ぎが起きているのが確認出来た。
少々剣呑な雰囲気も漂う中、階段を降りそこに加わる。
「何かあったんですか?」
「ん? 運が悪かったな、ついさっきダンジョンに新規で挑むのを一時停止するってお触れが出たんだよ。ほら、少し前に死亡事故が起きただろ? どうやら貴族の子息だったらしくて、流石に無視する訳にはいかねぇんだとさ」
「ああ、その件ですか」
そうか、この間のクリムゾンベアの一件か。
そりゃ確かにこのダンジョンで生計を立てている人間からは不満が出るだろうな。
そう一人で納得していた時だった。集まっていた人だかりが一挙に静まり返る。
「煩い。低層をうろうろしているだけなら外で稼ぐのと一緒」
静かにそう言い放ったのは、いつものフード姿のリヴァーナさんだった。
集まっていたギャラリーも、彼女に物申す勇気はなかったのか、一気に押し黙る。
「ダンジョンの異常は実際に起きています。そして被害が出た以上、調査の為に一時閉鎖するのは自然の流れでしょう。良い機会です、他のダンジョンに挑んでみるのも良いかもしれませんよ」
それに続いて、リヴァーナさんの班の副班長であるガークさんが補足する。
と、言うよりも衝突が起きる前に仲裁にきた感じか。
……違うな。ここはどこまでいってもチュートリアルダンジョン。
そこの低層でうろつくだけで日銭を稼ぐ人間への彼女なりの叱咤激励だったのだろう。
そしてガークさんは……これを機に他に行ってみろと発破をかけていると。
が、どうやら不満を漏らし集まっていた探索者達は、言い返すような気概がなかったようだ。
皆、すごすごと立ち去ってしまう。
「ん、シズマ君じゃないか。君、うちの班長に何かしたのか?」
「え?」
その時、こちらに気が付いたガークさんが、何やら少し焦った様子でこちらに耳打ちしてきた。
え? いやなんの話ですか?
「えっと、何がです?」
「……班長が不機嫌なんだ。理由を聞いたら一言『シズマ』とだけ言っていてな……」
「ええ……なんでまた……」
恐る恐るリヴァーナさんの様子を窺うと、こちらが視線を向けた瞬間、プイっと顔を逸らされてしまった。なんだこの可愛い反応。
「あのー……なにか俺、気に障ることしてしまいましたか?」
「……」
ダメだ反応がない。どうしよう、恐らくこの街の中でも有力者の一人であろう人間に嫌われるのは……避けたいというのが本音だ。
「すみません、今度から気を付けるので、理由だけ教えてくれませんか?」
ダメ元でもう一度お願いしてみる。
すると――
「……腸詰、買って来たらいなかった」
「え?」
「一つ驕るつもりだった」
「あ! すみませんそうだったんですか!?」
マジか……! ふらっと買いに出かけたから、話を切り上げて食べに行ったのかと……!
「もう、いい」
「あ、本当すみません……ダンジョンの踏破で頭がいっぱいだったので……ごめんなさい」
「む、まさかシズマ君、ダンジョンの閉鎖前に潜って来たのか?」
「あ、はい。詳しくは話せないんですけど、一応踏破してきました」
「ん! 話しを聞かせて」
すると、顔を背けていたリヴァーナさんが食いついて来た。
……とりあえず機嫌、取っておいた方が良いだろうか?
「えーと……とりあえず人が少ない場所で……うち来ます?」
「ふむ……察するに恐らく既にギルドの長となんらかの密約を交わしているのだろう? 構わないのかい?」
「最低限の情報で良ければ。そちらもダンジョンの治安維持の仕事を仰せつかっていたはずです。なんらかの情報共有はなされるでしょうし、多少早く知らせても良いんじゃないですか?」
「ふふ、若いのに強かだ。では……話を聞きにお邪魔しても良いかな?」
「ええ。リヴァーナさんも来てください。さっきのお詫びに何か軽食の用意をしますよ」
「分かった、行く」
……シズマとして、力ある陣営と繋がりを築いておいて損はないだろう。
それに、正直普通に申し訳ないので……リヴァーナさん、凄く強い人である前に、なんか小さくて健気なんだもん……!
マルメターノ一緒に食べるつもりだったんですね……! 本当に申し訳ない!
(´・ω・`)先日のBBQの唯一の不満点はマルメターノをヤケナカッタ―ノです
最寄りのお店に売ってなかったんだ……