第九十八話
地下深くの世界。
けれども広がるのは、人造建造物にしか見えない、いわゆる『城』の内部のような世界。
灰がかった石材と、綺麗に整られた内壁に囲まれた広大な『城の通路』。
そこを埋め尽くさんばかりの、人型の龍と呼べる魔物と、緑の不気味なライオン。
それなのに傍目から感じられる空気は静謐にも似た、魔物の息遣いを感じられない不気味な静寂。
それでも、確かにシズマは肌で感じていた。静謐と真逆の気配を、埋め尽くさんばかりの殺気を。
「……空いてるスペースはあの辺りか」
シズマは、そんな肌焦がす殺気の中、平然と自らの立てた戦闘スタイルを試そうと、集団に向かい突っ込む。
それを合図に魔物達が一斉に動き出すも、シズマは魔物の間を通りにけるように、ステップを繰り返し、ひたすら高速で縫うように魔物の集団の中を駆け抜け続ける。
魔物の密集していない部分を見極め、魔物の振るう粗悪な武器を紙一重でかわし、緑のライオンの急襲を、体を通り抜けるように回避。
髪が、衣服が、幾度となく敵の攻撃になびく。
それは『絶対に攻撃を受けない』という決意故の行動なのか、それとも自身のステータス、装備の性能を信じたが故の余裕の行動なのか。
「だいぶ全体的に削れたか」
冷静に、自身の行動が生み出した結果を確認する。
回避行動であると同時に攻撃行動でもある一連の動作は、確実にこの魔物の集団の体力を削っていた。
「……剣技と付与魔法の同時行使が可能なら、これでいけるか」
少しだけ集団から距離を取り、シズマは自分の剣に氷属性を付与する。
少しだけ武骨な、けれども研ぎ澄まされた殺意を感じる、物騒な形状の剣に、うっすらと霜が纏わりつく。
それをシズマは振りかぶり――
「ゲイルブレイク」
使い勝手の良さから多用していた傭兵の剣技。
飛ぶ斬撃に氷属性が付与され、それがシズマを追う魔物の群れに吸い込まれる。
ダメージを伴う回避行動で、集団は既に少なくないダメージを負っていた。
そこに、ダメ押しの斬撃が『無数に降り注ぐ』。
「おらおら! 硬直もなければスタミナ切れもねぇんだ! どんどん行くぞコラ!」
ゲイルブレイクの乱射。シレントならば、大木を幾つも薙ぎ払う威力の攻撃。
それを、劣化している威力とはいえ、無数に弱点の氷を纏いつつ降り注ぐのだ。
当然――残るのは広大な城の通路に転がるドロップアイテムのみ。
一瞬にして、弱らせた魔物を一網打尽にしてしまったのだった――
「ふぃー、ほぼノーリスクで全体削って遠距離攻撃で一網打尽……しっかり型にはまってくれたな」
一体一体強力な個体だったはずなのに、ステップ移動だけでかなり体力を削れたのだろう。
そこに弱点属性の攻撃を、剣の性能にものを言わせて連射すれば、こうなって当然だ。
やっぱり俺の考えたこのビルド……強いな。対集団戦でも、恐らくは単体相手でも。
……無論、対人でも。むしろ知能ある相手の方が俺相手だと苦戦するだろうな。
「回避で完全にこちらの姿を見失っていた様子だし、よっぽどの強者、気配察知で戦える人間相手じゃなければいけるか。いや……違うな」
累計で回避率+100%。その意味を俺は、先ほどの戦闘で理解してしまったのだ。
攻撃された瞬間、スローモーションでその攻撃が見えてしまうのだ。
そして自身の体も引き延ばされた世界でゆっくりと動くが、明らかにその速さは攻撃よりも上。
つまり、スローモーションの世界の中で、俺だけが少しだけ早く動ける状態なのだ。
気配を探られてもある程度は有利に立ち回れそうだ。このビルドは今後、レギュラー入りだな。
「ステータスの伸びもやばいなこれ。もうすぐセイムに追いつきそうじゃないか」
恐らく階層主クラスの魔物の群れと戦った影響で、急激にステータスが伸びたのだろう。
……だが、本来ならベテランのパーティが撤退を選ぶ強さの魔物が、こうも大挙して押し寄せてくるなんて……異常事態が過ぎる。明らかにクリアをさせるつもりのない構成だ。
ここ、チュートリアルダンジョン的なポジションだったはずだろ。
「意図的だよな、これ。クリアさせたくない何者かが暗躍している、か?」
最下層で待ち受けるのは一体どんな魔物なんだろうな。
その後も同様の戦法を使い、強力な魔物の群れを殲滅しながら進む。
最短コースを選んでいるはずなのに、遭遇する魔物の数が多いのは、いよいよもって『この先に進ませたくない何者かの意図』を感じる。
上層での魔物の変質も、きっとこれに関係しているはずだ。
そうして四五層に辿り着いた俺を待ち受けていたのは――
「……冗談じゃないぞこれ。シレントで戦ったヤツの上位種か……?」
四五層は、魔王城の大広間とでも呼ぶべき空間だった。
大勢の貴族が立食パーティでもしていそうな、優美で広大な空間。
どういう訳かシャンデリアまで天井に吊るされており、この空間はどこかに実在していて、それが再現されているのではないかと疑ってしまうくらい、生々しい、どこかの貴族達の息遣いすら感じる空間だった。
その空間の主は、この大広間の中央を占拠していた。
我が物顔で、誰にも憚ることなく、その巨体を丸め眠りについている様子だった。
赤黒い全身。体毛と鱗がまちまちに全身を覆う、歪な姿。
折りたたまれた翼は、それでもその大きさをこちらに伝えてくるほど巨大で。
離れているのに、眠っているのに、その生命の息吹に身がすくんでしまうほどだった。
【観察眼】でその主を調べる。
『ネクロオウルブラッドドラゴン』
『オウルドラゴンが不死性を帯び始めた姿』
『完全な不死ではないが高すぎる再生能力と防御力に不死を感じ取ってしまう程』
『腐食性の毒を帯びており絶えず体内が腐食と再生を繰り返している』
『ドラゴンの一種であるため冷気に弱いが光にも弱い』
シレントとして、メルトと共に討伐したオウルドラゴン、その上位種と見て間違いなさそうだ。
「眠っているドラゴン相手にすることなんて……古今東西決まってるんだよなぁ」
ずばり『下準備しまくって火力盛り盛りにして最大の一撃を初手でぶちかます』だ。
「一撃で倒せるとは思っちゃいないが……瀕死、もしくは翼を一つ持っていくことが出来れば有利に進められるか」
俺の各職業の心得も育ってきている。つまり――
『サイレントウォー』
『戦闘中自分が出す音を消し隠密性を高める』
『次の一撃が確定でクリティカルになる』
『音を出す行為で敵に気付かれ難くなる』
『クリムゾンハウル』
『威圧的な咆哮と宣言で相手を委縮させ動きを鈍らせる』
『自身の攻撃力をランダムで強化(最大九倍)』
『使用後最初の攻撃にのみ適用される』
『ラピッドステップ』
『移動速度と攻撃速度を100%上昇させる』
『使用後の攻撃回数を一度だけランダムで上昇させる(最大九倍)』
『傭兵の流儀』
『爆発系の罠を使った際の効果を上昇させる』
『また不意打ち時に与えるダメージが100%上昇する』
『ウォークライ』
『敵の注意を自分に引き付ける』
『防御力40%上昇+防御力の現在の値を攻撃力に加算する』
『オスティナート』
『自分を含む周囲の味方に掛かっている補助効果をさらにもう一度重ね掛けする』
『効果は攻撃一回分のみ』
『エンペラーアイ』
『遠距離攻撃の威力とクリティカル威力を1.5倍にする』
『また必中効果と追尾効果を一度だけ付与し射程を延長する』
これが、今の俺に使える補助スキルの全てだ。
様々な職業の補助スキルを全て併用する。
ゲームじゃない現実世界である以上、これらが上書きされて消えるなんて現象もない。
大量に重ねられた補助スキルの効果が、音楽家のスキルによりさらに同じだけもう一度かかる。
自分にしか掛けられない類の強力な補助スキル。それを一人で大量に使えるという反則。
最後の仕上げに俺は付与魔法を使い、この相手に一番効きそうな氷属性を付与する。
本来、叫び声や雄たけびを上げたら、モンスターに気が付かれる。
そうなると不意打ちが成立しない。だが、今回は盗賊の補助スキルである『サイレントウォー』がある。
説明通りの効果であり、俺の雄叫びもすべて無音にしてくれた。
あとは選択する技を現段階で最強の一撃……ではなく、ゲイルブレイクを選択する。
理由は簡単。この技は斬撃ではあるが『遠距離攻撃』だから。
つまり『エンペラーアイ』の効果が適用される。
そして次の一撃が確定でクリティカルである以上、確実に威力が1.5倍になる。
クリティカルとは常に威力計算の最後に計算が行われる。
そこが強化されるというのは、字面以上の効果がある。
ここまで大量の補助を重ね掛けした状態でこれを行えば――この強大な相手を一撃で大幅に弱らせることが出来るはずだ。
さらに――
『古剣アルガス・ニフティ』
『古い巨大な剣』
『技の発動モーションが鈍化するが威力が倍増する』
『通常攻撃でMPとHPを消費するようになる』
『極めて高い攻撃力を誇る』
俺は一応、傭兵の心得も戦士の心得もある。だからこういった巨大な剣も扱うことが可能だ。
一撃に全てを賭けるなら、技の発動速度なんて関係ない。
「っしゃ! せーの……!」
自分の身長以上はある巨大な大剣を腰だめに振りかぶる。
あまりの重さに地面を引きずるも、関係ない。
肘が悲鳴を上げても、強く握る掌が限界だと悲鳴を上げても、俺はこのでっかい壊れかけの大剣を手放さない。
床を傷つけながら、下半身と上半身を全て使い切るような勢いで振るわれた大剣が、しっかりと巨大な『ゲイルブレイク』を発動させ、全ての補助を乗せた斬撃を、眠っているドラゴンの翼に向かい叩き込む。
あまりの勢いに床を砕きながら進む剣気。
剣を振りぬいた余波で、全身が少しだけしびれる。
掌に血液が集まるような、ぼやけたような感覚を味わいながら、攻撃がぶち当たったドラゴンの様子を窺う。
「反応がない……?」
一瞬遅れて、狙い通り左の翼が切断され、地面に転がり落ち、衝撃音がこちらまで伝わってくる。
だが次の瞬間――ドラゴンの巨体が光の粒に分解され、消えてしまった。
つまり……即死してしまったってことか!?
「マジかー……前々から最終的に俺自身が一番強くなるとは思っていたけど……」
現段階で、これか。
準備をたっぷりした上で、装備も一撃に特化した結果ではあるけれど、マジで最初の一撃だけなら……既に俺が全キャラ中最強……なのか?
「……いや、対人なら絶対何人かには負けるな」
まだだ。俺はまだまだ弱い。
そう自身を戒めながらも、俺はさっそくあの巨体がドロップしたアイテムを確認しに向かう。
なんか落ちてるのここからも見えてるんだよ……! なんか凄いアイテムだと良いんだけど!
『追憶“誰かの旅路”』
『こことは違うどこかの記憶に意味はない』
『異常に巻き込まれ顕現しただけのイレギュラー』
『失敗の産物とも旅立ちの記念とも呼べるだろう』
なんだ?? なんだか意味の分からない、大きなガラスの欠片のようなものが落ちていた。
説明文も良く分からない。ただ……なんだか、オブジェとして綺麗だな、と思った。
……あれですか、コレクターアイテムとかそういう感じですか。
「これもダンジョンの異変の影響なのか……?」
ガラスの欠片と呼ぶには、いささか大きいそれに手を伸ばす。
その瞬間、一瞬だけ知らない映像が、記憶は、俺に流れ込んできた。
本当に一瞬過ぎて内容なんて確認出来なかったけれど、確かに誰かの記憶を感じた。
誰かの……旅の記憶?
「……こことは違うどこか、か」
なんとなく、俺はダンジョンが、この世界の仕組みが、薄っすらと分かったような気がした。
この世界……たぶん『外から管理されてる』んじゃないのか?
これまで見聞きした情報から推測すると、どうにもそう思えて仕方ないのだ。
「まぁだからって何か出来る訳でもないんだけどさ」
考えても仕方ないことは考えない。
という訳で……行きますか、四六層!
ここで引き返さないということはつまり、今日で五〇層をクリアし、ダンジョンを完全に制覇するという意味になる。恐らく明日には王宮から連絡が来るかもしれないのだし、今日で終わらせる。
ドラゴンのドロップ品の近くにある、下へ続く階段。
最後の五層に向かい、足を進めるのだった。
「っ!? マジでなんなんだダンジョンって……!」
最後の風景変化は、あまりにも異質だった。
もう、ダンジョンではなかった。
広い幅も高い天井もない、ただの『屋内』だった。
まるで、SFの世界にある研究施設のような、メカメカしくも洗練された通路が目の前に続く。
少しだけ、ワクワクしてしまうような、秘密基地のような光景だと俺は感じた。
だが、これはあの『魔王城のような階層』の下に広がる世界なんだぞ。
なんで……この世界の文明レベルとかけ離れた光景がダンジョンの深部に広がっているんだよ!
「……敵がいない。マップも……ただの一本道だ」
もはや、ダンジョンとは呼べない一本道が続くだけ。
下層に進む階段も、これまでのような下に続くぽっかり空いた穴の中にあるのではなく、普通の商業施設の階段のような有様だった。
降りても降りても、一本道が続く。敵も、まったく現れない。
先程の四五層こそが、このダンジョンの終着点だったのではないかと思えてくる。
だが……それももうすぐ終わる。
何もない廊下と階段を下り続け、今はもう『五〇層なのにまだ廊下が続いている』のだ。
その廊下も、マップを見る限り、突き当りの部屋で終わっているようだ。
「……扉も近未来的だな」
廊下の先に待ち受ける扉。
何が待ち受けているのか、心音を大きくし、一歩ずつ、踏みしめるように向かうのだった――