第九十四話
階段前に固まっていた集団は、見たところ『ベテラン』という風貌をした人間が多かった。
荷物を背負う人間に、武器のメンテナンスをする人間、周囲を警戒している人間に、階段を険しい表情で見つめる人間。
他にも戦闘員と思しき武器を構えた人間が周囲を見回しながらも待機しており、その様子から、ここまで見かけた多くの探索者と一線を画する集団だと見て取れた。
「すみませーん、何か問題でも起きたんですか? 下に行きたいんですけども」
俺は、一先ず階段の前を陣取られていると先に進めないので、声をかけてみることに。
「む? まさかこんなに早くここまで来る人間がいたとは……」
「まだ子供じゃないか、そんなはずは……どこかで見落としたか?」
「けどま、最悪の事態は避けられたんじゃないですか?」
「口を慎め。現に今こうして突入を持っているんだ……」
ん? なんか様子がおかしいが、トラブルだろうか?
「詳細をお願いします。ちなみに俺がダンジョンに入ったのは八時ちょっと過ぎですね」
「は!? 嘘だろおい!?」
「本当か少年。もし事実なら凄いことだぞ、最短記録じゃないか?」
「どうでしょう? うちの班長もそんくらい行けるんじゃないっすか?」
「その班長が到着するのを待っているんだけどな」
質問の答えが返ってこないんだが?
「質問の答えをお願いします。とっとと下に行きたいんですが」
少し急かすように言うと、困ったように代表と思われる、階段を観察していた男性が話し始めた。
「実は、今階段は封鎖されていてな。つまりこの下で階層主と戦闘中という訳だ。だが……ここ最近、人工ダンジョンに異常が起きていてな。五層ごとに現れる階層主が、異様な強化を受けているという報告が相次いでいる。まだ大事にはなっていないが、死者も出ているんだ。なんとか階段が解放された直後に突入し、瀕死の人間をギリギリ救助出来た事例もある。今はこうして朝一で我々がダンジョンに挑み、階層主を事前に排除していたという訳だ」
「けど、どうやら俺達より先にここに入っちまったヤツがいるみたいで、最悪の事態に備えて突入の準備をしてるって訳よ。わりぃな、だからまだ通行止めなんだ」
……マジか。いや、そういえば東の討伐隊結成任務の時……どこかの魔術師の老人が言っていた気がする。
「『強化変質』ですか。確かに本来なら半ば訓練として扱われるダンジョン、それも国の産業的な面もあるこの場所で、そういう異常は大問題ですね……」
「ああ、その通りだ。ふむ……賢いな、一人でここまで来ただけはある」
「褒められると普通に照れるくらいには子供ですけどね」
「ふふ、そうかそうか。だが……すまない、ここが開いた瞬間、我々が突入する予定だ。少しだけ待っていてもらいたい」
えー!!! ボスの湧きどころの占領はマナー違反ですよ!
なんてネトゲのノリで言うことは出来ない。これは実際、命がかかっている問題なのだから。
が、そういう相手と戦いたい、成長の糧にしたいという気持ちもある。
「同行させてもらいます。俺、ある理由で『特上のエリキシル』を持たされています。それにある程度は戦えますよ」
「何を言っているんだ。もし事実ならエリキシルだけ渡せばいいだろう?」
「副班長、こいつ魔物倒した時に出る力、おこぼれ貰おうとしてるんですよ。おい坊主、そういう卑怯な乞食行為はご法度だぞ、ダンジョンだと」
「失礼だなアンタ」
一瞬でこの失礼な男の背後に回り込み、背中にエリキシルと偽った瓶を突きつける。
「この感触、剣じゃないのは分かりますよね。よかったですね」
「!? な、このガキ……!」
「一応一七歳です。まぁそれでもガキだと思いますが」
「は? ……それはなんつーか悪かった」
アジア人は童顔に見られがちなのは知ってるけど、背だってあんま変わらないだろう……!
「ちなみに瓶はこれです」
俺は手札の一つである、エリキシルと偽った最上級のポーションを取り出す。
『大聖堂に祝福されたポーション+10』
『体力を完全に回復』
『戦闘不能以外のすべての状態異常を回復』
前回、新人冒険三人組に使ったエリキシルは、人前では使えない。
何故ならアイテムのテキストで『戦闘不能回復』とあったから。
もし、この世界における『戦闘不能』が、死亡のことを指していたら。
それは即ち死者の蘇生を意味してしまう。
間違っても、ゲーム時代の蘇生アイテムなんてこの世界じゃ試せないよな。
……いや、状況次第じゃ使うこともあるかもしれないが。
「これ、たぶんその辺りの店で買えるレベルの薬じゃないです。ついでに俺の素性についてはこれで勘弁してください」
俺はギルドでも見せた『国から発行された通行証』を提示する。
「それは国、女王の印つきの通行証……なるほど、国の息のかかった人間だったか。その強さも納得できる。おい、ちゃんと謝っとけよお前。その気になれば瓶でも殺せたかもしれないぞ」
「わ、悪かった……つーか同い年だった……マジでお前顔が子供に見えたんだよ……」
「そんなにかなぁ。まあ人種の問題かな」
「そういや見かけないなあんまり。西方の果てから来た商人に似てるな」
「あ、たぶんそういう系統で正解。ホイ、んじゃこの瓶預けるよ君に」
俺は先程まで瓶を突きつけていた相手にポーションを手渡す。
「なんで俺に?」
「君、この中で一番素早そうだから」
先程【観察眼】発動し、この一団の素性を探っていたのだ。
『キュベック・コーン』
『探索者クラン“キルクロウラー”に所属する戦士』
『手先が器用で主に罠や宝箱の解除、開錠をこなす斥候の面が強い』
『足の速さに定評があり、クラン内では二番手と言われている』
「ほう、見る目もある。ただ者ではないな。国の息がかかっているのが惜しい」
「だから照れますって。じゃあ、一緒に突入するのは許してもらえますよね?」
「そうだな……ああ、そうしよう。今うちの班長の合流を持っているのだが、最悪、階段の解放に間に合わなければこのメンバーで挑むつもりだ。君の速さはうちの班長に似ている。お願いするよ」
「了解。同行の許可、感謝します。俺、シズマって言います」
「そうか、シズマだな。私の名前は『ガーク』だ。探索者クラン“キルクロウラー”の攻略班第一パーティの副班長を務めている」
観察眼を使うまでもなく、自己紹介を交わす。
そうかキルクロウラー……ダスカーも所属している、有名なクランのはず。
更に、シーレとメルトの話を聞く限り、十三騎士や十三騎士候補まで所属しているんだったか。
「ほぼ最大手ですね。なるほど、ダンジョンの自治の為に動いているのも納得です」
「そうか、知られていたか。ふむ……先に少し打合せをしておこうか」
そう言うと、ガークさんは他の面々の紹介をしてくれた。
と言っても、一度に名前を覚えられるはずもないので、今回は戦闘における役割についてだ。
「基本、うちのクランは『斥候を兼ねた戦士』『主力の戦士一人』『援護要員二人』『後衛守護要員一人』という構成だ。指示を出す人間はパーティによってバラバラだが、うちは後衛守護の俺が指示を出すんだ。まぁ、リーダーが指示以上の働きで敵を殲滅することも多いから、あまり役に立てないこともあるんだ」
そういうと、ガークさんは大きな盾と、大きな槍……というよりも、地面に突き刺す大きなアンカーにしか見えない武器を見せてくれた。
見た目、かなり知的なサブリーダー、書類仕事が似合いそうな人なのに意外だ。
「シズマ君には、さっきの彼『キュベック』と一緒に前衛をしてもらいたい。出来るか?」
「お、俺のことだな? キュベックってんだ。よろしくなシズマ」
「よろしくキュベック。なるほど……察するにそのリーダーも凄い速い人なんだ? 速攻重視のパーティってことなのかな」
「だな。基本撃ち漏らさないが、そん時は援護連中の魔法と矢が飛んでくる」
「安定した構成だなぁ。斥候も出来そうなキュベックもいるし、万能じゃん」
「分かるか? やっぱ見る目あるよお前。じゃあこの先にいる階層主がどんなヤツか分からないが、基本戦術変わんねぇ。俺達は先行して撹乱しつつ、援護班の攻撃を待つ。そして援護班に敵の意識が向いたら、速攻で仕留めに行く。見たところお前は片手……いや片手半剣か。攻撃の威力も期待するからな、シズマ」
そうキュベックが緊張した様子もなく語る。
こんな風に油断ではなく、万全な対策を取れた上で余裕を見せられる人間は強い。
このパーティー、ひいてはクランが有名なのも納得出来るというものだ。
そう、このクランに対する評価を頭の中で下していたその時だった――
「待たせた」
突然、階段の周囲に集まっていた俺達の輪に、何者かが加わった。
気配を、ここに来る瞬間を認識出来なかったんだが……!?
その現れた人物は、俺より頭一つ分背の低い、ローブのフードをすっぽり被った姿をしていた。
声の感じからして女、というよりも……。
「……どうしている?」
「やっぱり。昨日ぶりです」
昨日、グリーンゲル狩りをしていたところにやって来た人物だった。
まさかこの人が班長……いや、それだけの強さはあると、実際に見て知ってはいるが。
「班長、シズマを知っているんですか?」
「昨日、見た。うち、所属した?」
「いえ、探索中にここまで来たそうです。なので事情を説明したところ、自分も参加したいと。ああ、隊長の言っていた通り、一〇層で戦闘中です。今、階段が解放されたら突入する手はずになっています」
「何故、許可を?」
「このシズマ、どうやら背後に国が関わっているらしく、貴重なポーションを所持していました。この先に重傷者がいた場合、提供しても良いという話なので」
「……シズマ、薬だけでいい」
この……無口っ子が! フード外したら可愛いの知ってるんだぞ!
「いえ、自分は貴女が戻らなかった際のリザーバーとしての役割も兼ねているので。戻って来たのなら、一緒に行きましょう」
その時、突然彼女からダガーによる一撃が迫って来た。
それを……ただ見つめる。
「当てる気なんてないんでしょう? 行きますよ、俺も」
案の定、首元でピタリと刃が止まる。
「班長、シズマの強さは本物です。少なくともキュベックよりは上です」
「あ! ガークさんひでぇ!」
「そう。なら、いい」
思いのほか、あっさりと刃を引っ込める班長さん。
これは同行の許可を貰った……ってことでいいのか?
「リヴァーナ」
「はい?」
すると、班長さんが唐突に自分の名を口にした。
聞き返すと、彼女はもう一度自分を指さしながら――
「リヴァーナ」
「なるほど、リヴァーナさんですね。俺はシズマです、よろしくお願いします」
「作戦は?」
「聞いてます。リヴァーナさんが来たので、キュベックさんは負傷者の確保優先ですかね」
「まぁそうなるな。悔しいが確かにお前の方が強いだろうし」
「ってことです。よろしくお願いします、リヴァーナさん」
「ん」
本当に口数が少ない子だ。
が、少なくともこのパーティーの人間には慕われているのがよく分かる。
空気が、和らいだのだ。どこか張り詰めていたような空気が、一気に『もう大丈夫だ』という、過度な緊張を緩めたような、どこか余裕のある空気に変わったのだ。
「皆、階段を覆っている結界に揺らぎが出来た! まもなく突入するぞ」
その時、ガークさんから鋭い指示が飛び、皆の顔つきが変わった。
武器を構え、すぐに突入出来るよう、綺麗に整列する一同。
「シズマ、隣」
「あ、了解です」
すると、リヴァーナさんが俺の服を引っ張り、自分の隣、先頭に並ばせた。
なるほど、速攻で接敵、意識を自分達に引き付けている間に、隊列を展開、被害者の確保をするという訳か。
「シズマ、剣士?」
「一応剣士です。それと素早さに自信があります」
「なら、合わせて」
「……出来る限り頑張ります」
正直、この人の強さなら、この先の階層主も楽勝なのではないかと思う。
だが、実際に今このリンドブルムの巣窟で異常事態が起きており、その対策にこの人達が駆り出されている以上、警戒するに越したことはない。
「っ! 行くよ」
「あ!」
その瞬間、薄っすらと揺らいで見えていた地下へ続く階段が、唐突にはっきりとその姿を現した。
まるで見計らっていたかのように、一瞬で地下へ向かうリヴァーナさんを追い、俺も突入する。
階段を抜けると、そこは岩肌に覆われた、巨大なドームのようになっているフロアだった。
一瞬だけ見回すも、俺はすぐにこのだだっ広いフロアで存在感を放つ存在に視線を固定する。
「……クリムゾンベア。ここにも出てくるか」
フロアの中央で、まるで狂ったように跳ね、クレーターを量産している姿。
だが、それが間違いだとすぐに分かった。
足元に広がる赤が、無邪気に飛び散らせている赤が、人由来のものであると分かったから。
あれは……人を踏みつけている!? まるで残虐な行為を楽しんでいるかのようだ。
すぐさま駆け出す。全速力で、全てのスキルを駆使して向かう。
先に飛び込んでいたリヴァーナさんが、その飛び跳ねている足を着地の寸前に切りつけ、クリムゾンベアが着地と同時に転倒した。
「四肢は俺が!」
「任せる」
転倒直後に間に合った俺は、そのまま起き上がろうと地面に手を突くクリムゾンベアの、その右腕に向かい――
「ゲイル……ブレイク」
シレントで使用していた、傭兵の技。
片手半剣で放たれたそれは、少しだけ攻撃の横幅は頼りないが、確かに剣から放たれた剣気が、やや距離のある手の先を切り飛ばした。
「ナイス」
踏ん張りを失い、再び地面に倒れるクリムゾンベアが、今度はのたうち回るように残った手足をばたつかせる。
必死の抵抗が、無造作に振るわれる手足が、ランダムにこちらを襲ってくる。
だが俺は見た。その無数の乱打の中、地面のクレーターの中、血だまりに沈む誰かの身体が。
「っ! 被害者がこんなに近いとか想定外だろ」
「もう死んでる」
な……!
リヴァーナさんの無感情な言葉に、一瞬だけ思考が止まる。
それを、目の前を掠めた魔物の腕に、思考を引き戻された。
「シズマ、腕の付け根」
「了解」
思考を戻す。暴れるなら、暴れられなくする。
暴れる腕を掻い潜り、脇の下と思われる場所に、俺は突進の勢いのまま、深く深く、剣の握りまで深く、この刃を突き刺した。
そのまま全力で、足に力を込めながら――
「ぐ……ダリャア!!!!」
腕に感じる重さと刃にかかる肉の抵抗を、ねじ伏せるように跳躍する。
脇の下、腕を振り回す力の源、健を切り裂きながら。
大量の血飛沫が上がり、今度は左腕が動かなくなる。
右の手の平にあたる部分が使えなくなり、左腕も動かなくなり、右足も足先を切り落とされた。
もう、この魔物に勝機は残されていなかった。
魔物が、猛烈に暴れるのをやめた。まるで死期を悟ったように、雄たけびも上げもせずに。
ダンジョン産の魔物だ、助けを呼ぶという本能なんて、最初からないのかもしれない。
「シズマ、やる?」
リヴァーナさんが、唐突にそう訊ねてきた。
それは『止めを刺すか?』という問いかけなのだろう。
もしかしたら、止めを刺した人間に、多く魔物の力が流れ込むのかもしれない。
「良いんですか?」
「良い。私より、深手を与えた」
確かに、両手の機能を奪ったのは俺だ。
が、リヴァーナさんは積極的に乱撃に飛び込み、注意を自分に引き付けていてくれた。
それも、危なげなくすべて回避しながら。
……何気にいつの間にか両目も潰してるなこの人。
もしかしたら、終始俺が戦い易いように立ち回っていた……?
「……犠牲者の敵討ちって訳じゃないけど、じゃあな」
頭に向かい、今の俺が出来る精一杯の力を込めて、剣を振り下ろす。
シレントなら、脳天から全てを、地面に至るまで切り裂いていたが、俺ではこの魔物の首を落とすので精一杯だった。
手に伝わる一瞬の抵抗と、ゴトリと落ちる首。
血が噴き出したと思ったら、次の瞬間には身体が光の粒子となり消えて行った。
残されるのは、魔物の血液と、惨劇の痕跡。
犠牲者の血に塗れたクレーターと、半ば原型を失った死体だけだった――