第九十話
「では、まずは人工ダンジョン『リンドブルムの巣窟』の解説に入りたいと思います」
そうして、バスカーの解説が始まった。
というか、だ。この人工ダンジョンに名前なんてあったんですね――!
リンドブルムの巣窟……なんだか凄そうなネーミングだ。
「まず、リンドブルムの巣窟は階層が決まっており、内部構造も大きく変化はしません。多少、階層が前後することはありますが、基本構造は変わらないんです」
バスカーの説明をまとめるとこうだ。
ダンジョンは最終フロアを含めて、全部で五〇階層まで存在している。
各階層には魔物が湧くこともあれば、湧かないこともある。
各フロアにはランダムで下の階層に続く階段が現れるが、どこに現れるかだけは毎日変化する。
広さは一フロアにつきリンドブルム下層区と同程度。
ダンジョン内での攻撃行動は全て記憶されている為、虚偽の報告は無駄。
上記に伴い、内部で人に武器を向ける行為は原則禁止、すぐに発覚する。
五階層毎に大きな一部屋だけのフロア、今いる講習会用のフロアに似た場所に出る。
運が悪ければ強力な個体との戦闘に入るが、その場合は上のフロアから下のフロアに向かう為の階段には通行禁止の結界が張られる。
つまり一緒に入った者同士で攻略する必要がある。
以上を繰り返し、最下層まで辿り着くと、地脈の力を強く受けた個体との戦闘になる。
その個体の中に人工の小型ダンジョンコアが発生するので、それを回収するのが目的である。
小型のダンジョンコアは一つにつき『大金貨二〇枚』で買い取られる。拒否権は無し。
ダンジョン内で現れる物品の中には、過去に内部で紛失した物に類似した品が現れることがある。
所有権は見つけた人間にあるので、取り返したい場合は交渉しなければいけない。
ダンジョン内で出た品は探索者ギルドでも買取を行うが、自分で売ることも許可されている。
ダンジョン内での事故は全て自己責任である為、探索者ギルドも国も一切の責任は取らない。
故意に他人を傷つけた場合はしっかりとギルドにバレるので相応の罰が下される。
また命を落とした場合も一切の責任を国もギルドも負わないものとする。
ダンジョン攻略を中断したい場合、五階層ごとのフロアで転送の紋章が現れるのでそれを使う。
強力な個体が出現中の場合は使えるようになるまで時間が掛かるので耐える必要がある。
正直、かなり長いし細かいルールが設けられている。
これ……ガイドブックとかないんですか……。
「ちなみに今お教えしたルールはギルドの受付で購入できるガイドブックにも記載されていますので、不安な方は購入を検討してください」
やっぱりか!
「では、最後に簡単な実技テストを行います。このフロアでは、任意にこのダンジョンで発生する低級の魔物を呼び出すことが出来るんです。それを、皆さんには一人一体倒してもらいます。ただし、ダンジョンに現れるモンスターの中には、地上では見かけない生物もいますし、変わった生態を持つものもいます。決して油断せずに、倒せない場合はすぐに報告してください」
一通りダンジョンのルールを説明し終えたところで、実戦を交えた訓練をすることになった。
バスカーのその言葉に、皆が喉を鳴らすのが分かる。
その顔ぶれは、やはりベテラン冒険者のような風貌ではなく、皆若い人間だった。
ということは、同じくらいの年代、むしろさらに若いくらいのバスカーが大手クランに所属して、講習会の講師に選ばれるのは、普通に凄いことなのではないだろうか?
「では、最初に挑む人はこちらに来てください。他の皆さんは少し離れて見学してくださいね」
バスカーが移動した先にはもう一つ紋章があり、その紋章に彼が手を翳す。
「さぁ、最初は誰から行きますか?」
「あ、じゃあ――」
「メルト、ストップ。俺達は最後にしよう」
「え? んー……わかったわ」
正直、メルトはこの中だと別格で強い。
そんな人間が最初に楽勝で倒してしまうと、他の参加者が『簡単だ』と勘違いしてしまうかもしれない。それで、不慮の事故とか起きたら嫌だしな。
そうして様子見をしていると、意を決したように一人の人物が前に進み出た。
その人物も学園のローブを纏っており、フードを目深に被りその貌は見えなかった。が、何故か一瞬だけこっちを見たような……いや、メルトを見ているのか……?
「お願いします」
声と背格好から察するに女の子のようだ。
バスカーに開始するよう声を掛けると、紋章が光り、そこから一体の魔物が現れた。
あれは……すげぇ、普通に俺今感動してる。
紋章から現れたのは、ゴールデンレトリバーの成犬くらいの大きさはあるが、どこが足でどこが頭かすら分からない、不定形にうごめく存在。
薄っすらと緑がかった、古い放置された池の水のような色をした、まさしく『スライム』としか形容出来ない魔物だった。
「なにあれ……私、初めて見たわ……透明でぶにぶにで可愛くない……」
「んー可愛くはないけど、愛嬌はない? プルプル震えてるし」
「やーよ、溜め池のお水が悪くなった時みたいな色なんだもん」
あ、それは俺も思った。
「ではこいつを倒してください。名前は『グリーンゲル』ここリンドブルムの巣窟では最も弱い魔物となっています。一つだけヒントを与えるなら、透き通った身体の中に見える、濃い緑の球体が弱点です」
「はい!」
すると女の子が杖を取り出し、スライムにそれを向けた。
何やら小さく呟いているが、次の瞬間、杖の先から小粒の火球が飛び出し、スライムへと向かう。
が、どうやら威力が乏しいのか『ジュウ』という音と共に、火球がスライムの体表にぶつかり消えてしまった。
貫通力がない、あのくらいの規模の魔法だとダメージを与えるのが難しいのか……。
「く……! 野犬ならこれで怯むのに……」
「気を付けてください、射程は短いですが、触手状に身体を伸ばしてきますから!」
「了解!」
学生の女の子は、なおも諦めずに小粒の炎を繰り出す。
しかし今度は一発ではなく、まるでマシンガンのように素早く連射し始めた。
無数の『ジュウ』という音と共に、僅かではあるがグリーンゲルの体表が蒸発、攻撃がコアに近づいてきているのが分かる。
だが次の瞬間、女生徒は炎を打ち出しながら接敵、そのまま薄くなった体表目掛けて杖を思いっきり差し込み、内部のコアを杖で叩き壊そうとした。
が、驚いたことにコアが体内を素早く移動し、その一撃が外れる。
そしてそのまま女生徒の身体が半分以上ゲルに飲み込まれたところで――
「そこまで」
バスカーが宣言と同時にゲルに網を投擲、そのまま強く引っ張ると、網がゲルの身体の中を通り抜け、その網にコアが引っ掛かり外に出てきてしまった。
それを素早くバスカーは踏み砕くと、まるで糸の切れたマリオネットのように、今の今まで蠢いていたゲルが沈黙、そのまま流れ出るように床に広がり、ただの液体になってしまったのだった。
「惜しかったですね。ゲルのコアは体内に限り、俊敏に移動できるんです。焦らずにもう少し魔法を放ちづづければ、身体を切断、逃げ回る範囲を狭めることも出来たかと思います。元々スライムは炎の魔法と相性が悪いんです、効きがあまりよくないんです」
「……はい、分かりました」
「ですが、今のように簡単な道具でも対処出来てしまう魔物なので、事前準備さえ怠らなければ楽に倒せる相手です。あまり気を落とさないでくださいね」
そうして、最初の挑戦者の番が終わる。
その後も様々な人間がそれぞれの武器で挑むのだが、思ったよりも苦戦している人間が多かった。
ビジュアルから、雑魚モンスターだという先入観があったのだが、確かに斬撃や炎の魔法が効き難く、コアが狙い難いとなると普通に面倒な相手だ。
が、中には自分の上着を脱ぎ、網のようにしてコアを捕縛、強引に倒す人間も現れた。
これにはバスカーも満面の笑顔で『そうです、探索者は手段を選ばない。今ある道具でダンジョンを生き抜く為に知恵を絞るんです』と、嬉しそうに褒めていた。
そして――
「じゃあ次は私やるねー!」
いよいよ、メルトの番が回って来た。
バスカーが紋章を起動させると、すぐに再びグリーンゲルが現れた。
相変わらずの緑の水まんじゅう。果たしてメルトは――
「えいや!」
次の瞬間、メルトの身体がゲルの向こう側に移動していた。
今、まさか通り抜けざまに切ったのか……?
ゆっくりとゲルの身体が上下で切断され横にズレていく。
無論、内部で動き回るはずのコアまでもが。
「どうかしら!」
「ははは……やっぱりメルトさんに実戦訓練は必要なかったみたいですね」
「コアが動くより速く切ったの!」
それが出来たら苦労しません。
他の参加者達も、メルトの攻略法に目を真ん丸にしていた。
うーん……今の俺には同じような攻略法は無理かな。
流石にあそこまでの剣速は『まだ』出せない。
「では最後の挑戦者ですね? あ……向こうで横になっている方は大丈夫でしょうか?」
「起きたら戦わせたら良いと思いますけど、終わっても起きないようなら外に連れて行ってあげましょう」
「そうですね、本調子じゃないのに戦わせるのも事故の元ですからね」
本調子じゃなくしたのは俺なんだけどさ。
あれって正当防衛に入る? ここって誰が何に攻撃したのか分かっちゃうんだよな?
やべぇ……。
「あーすみませんダスカーさん。ここでも自分が何に攻撃したのか、ギルドに把握されているんですかね? ちょっと攻略の為に色々やってみようかなって思ってるんですけど」
嘘吐いて確認!
「ああ、ここはダンジョンの中ですけど、講習用に隔離された場所なのでとくに記録されていないですよ。何するつもりだったんですか?」
「いやぁ、誰か脅して倒させようかなーなんて……冗談ですよ?」
「手段を選ばないにしても限度がありますよ……」
周囲から笑いが起こる。すんません。
「ふむ……斬撃というか狭い範囲の攻撃はあまり効果がない、か」
一つ思いついたので実行してみよう。
なんかこの姿になってからこんなんばっかりだけど。
俺はゲルに向かい歩み寄り、次の瞬間、ゲルが触手を伸ばすより速くハイキックをお見舞いした。
剣よりは接触範囲の広い蹴りでの攻撃。当然、斬撃とは違い、体表に炸裂した蹴りはゲルの身体を激しく揺らし、その衝撃に身体の一部がはじけ飛んだ。
その一瞬の隙を突き、身体の一部がはじけ飛び動きが鈍くなったコアに、すかさず持っていた剣を突き出した。
ガツンと、固い手応えと共にコアが砕け散る。
すると一瞬遅れてゲルが液状化した。
「よし、クリア。打撃ならたぶん妨害できると思ったんですよ。蹴りには自信があるんで」
「なるほど、それも正解です。ゲルは打撃や強い衝撃に弱いんです。よく、気が付きましたね」
そういう特性、ゲームだと割とメジャーなので……試してみてよかった。
そうして無事に俺がゲルを倒すと、今日の講習会はこれでお開きとなった。
あの倒れてる子はバスカーが連れて帰るらしい。
「では、あちらの紋章から帰還してください。他の階層から帰還する人とかち合うと、中々発動しないこともありますので、紋章の中でじっとしていてくださいね」
よかった。転送事故とかは置きそうにない仕組みのようだ。
そうして、初日の講習会は無事に終わり、次々に参加者が帰還していったのだった。
「じゃあ次は私ね」
「メルト、戻ったら俺のこと待たずに家に帰って良いからね」
「え? なになに?」
「ちょっとバスカーさんにお話があるから」
俺はちょっと思いついたことがあるので。
例の貴族を背負い、こちらに戻って来たバスカーに訊ねる。
「すみません、このフロアって今日はもう使わないんですか?」
「ええ、今日はもう講習会はありませんからね」
「じゃあ、さっきのゲルを呼び出す紋章って、俺でも使えたりします?」
「ええ、可能ですよ。少々魔力を使いますが」
「なるほどなるほど……じゃあもう少しここに残ってゲルを倒していってもいいですかね?」
「む……まさか訓練、成長の器を強化するつもりですか? ゲルはあまり強い魔物ではないので、そこまでして稼いでも非効率ですよ? 何か珍しい品を落とすわけでもありませんし」
「やー検証も兼ねているんです、許可してもらえませんかね?」
「ふむ……まぁ禁止はされていませんからね。ただ使い過ぎて魔力の欠乏などは起こさないように気を付けてくださいね?」
よっしゃ! 許可してもらった!
これでやってみたいことが出来る……!
メルトには申し訳ないけれども!
「バスカーさん、戻ってまだメルトがいたら、俺はもう少し自主練するから先に戻っていて欲しいって伝言をお願い出来ませんか?」
「そういえばメルトさんと一緒に行動しているんでしたね。分かりました、伝えておきます」
そうして、バスカーも貴族をおぶり紋章の中に消えていく。
残るは俺一人、このだだっ広いフロアに俺一人だけだ。
「いやいやいや……いわば俺は初期レベル、そして目の前には無限に敵が湧く紋章。魔力を回復する手段も潤沢にあれば、さらに俺のスタミナはまったく減らないときた」
俺の装備している剣は【取得経験値+20%】。
なら……目立たないように装備していた、ただの服にしか見えない装備をすべて変更する。
【あずき色のスリーラインジャージ上】
【あずき色のスリーラインジャージ下】
【超足シューズ直線でも差を付けろ】
外では目立って装備出来ない、ジャージと靴を装備する。
いや、靴だけならいつでも装備出来るな。
よかった、まだ誰にも装備させてない稼ぎ用の防具持ってて。
お察しの通り、これらは全て『取得経験値上昇効果付き』だ。
そして色物装備であるが故に、その効果は剣よりも大きい。
なんと、それぞれ『取得経験値+50%』の効果が付いている。
効果は加算の為、これで合計『取得経験値+170%』だ。
そしてダメ押しに――
「そうか……あくまで俺は『心得』を取得してるだけで実際に盗賊のジョブじゃないもんな」
セイムの持つ盗賊の副次効果、つまりアクセサリー装備枠が+2。
だが、残念ながら俺はアクセサリーを装備しても一つしか効果を得られないようだ。
ステータス画面で確認したから間違いない。が、それでも十分だ。
俺は最後に、アクセサリーとしてある物を装備する。
『根性のハチマキ』
『装備効果により取得経験値が+150%以上の時、装備者にMP自然回復効果を付与』
『また装備者が倒れない限り経験値上昇効果が+1%乗算される』
『この効果は一〇分毎に数字が1加算され死亡時に消失する』
はい、これです。一〇分で1%乗算されます、加算じゃありません。
一〇分経過したら1%乗算が2%乗算に強化されます。
が、それでもそこまで大きな効果はなかったのだ、ゲーム時代は。
なにせ、エリア毎にモンスター一体から手に入る経験値の最大値が決まっていたのだから。
それでも美味しい効果ではあるが、最序盤でしか使えない。それくらいこの装備が弱いのである。
そして最大値が設定してある為、序盤のダンジョンに篭ってもすぐに旨味がなくなってしまう。
が、この世界はどうなる? エリア毎に経験値の限界なんてないですよね?
もうあれですよ、三〇〇年くらい狩り続けてたら最強になっちゃいますよ。
流石にそこまではしないけども。
「……食料はたっぷりあるし【美食家】が二回くらい切れるまでやるかな」
さぁ、今から一〇時間程、お付き合い頂きましょうか。