第八十六話
「メルトさん、ただいま戻りました」
「おかえりー! 今日は遅くなるかもって聞いていたから、屋台でご飯買って来たんだー」
「なるほど、そうでしたか。……そうですね、最後に私が頂いても良いでしょうかね」
「最後?」
「ええ、久しぶりにセイムに戻ろうかと。いやはや、実に偶然なのですが……私の目的が全て今日で達成出来てしまったのですよ」
「そっかぁ……じゃあ次にハッシュになるまでに、もう少しバイオリン、上手になっておくわ! 私もう、ドレミファソラシドが弾けるようになったのよ?」
「おお! それは凄い上達速度ですね!? では最後にお聞かせ願えますでしょうか」
「うん、食べたら聞かせてあげるね」
家に戻ると、既に帰宅していたメルトとハッシュが会話を交わす。
半分俺、そして半分はハッシュの気持ちだ。
本当に音楽を愛しているのだと、ひしひしと伝わってくる。
メルトが買ってきた腸詰の串焼き、どう見ても『マルメターノ』にしか見えないソレを、パンに挟んで頂く。
……ハーブ強めで肉汁もたっぷり、普通にかなり美味しいぞこれ……!
「私これ気に入ってるんだー」
「ええ、美味しいですねこれ」
「じゃあ、隣の部屋で弾くね」
メルトの奏でる、まだ少しだけ音が震えるドレミファソラシド。
それでも、ついこの間まで黒板を引っ掻くような音しか出せなかったとは思えないほどの上達ぶりに、メルトの非凡さが伺い知れる。
「ふぅ……今はこれだけだけど、楽譜の読み方を覚えたら何か弾けるように頑張るわ!」
「なるほど、でしたらこれをお渡ししておきますね」
俺は聞きながら記した簡単な楽譜、セイムで弾いた『きらきら星』と、シーレが弾いた『パフ』を記したそれをメルトに手渡す。
「おー? これを弾けるようになっておくね」
「是非、頑張ってください」
そうして、俺はメニュー画面の項目を選び、カーソルをハッシュからセイムに移動した。
光に包まれ、若干背が縮む。
思考に変化は見られない、俺のまま、俺らしく動けるキャラクター。
セイムの姿に戻り、今日の出来事をもう一度思い返す。
「……今すぐ、動くべきか」
まだ日が暮れたばかり。
明日まで待つべきか、それとも今すぐ向かうべきか。
「セイム久しぶり! んー! やっぱり一番長く一緒にいた所為かしら? 凄くしっくりくるね!」
「おっとっと」
メルトが抱き着いてくるが、ちょっと恥ずかしかったりします。
ううむ……精神がまだ幼い……! 見た目は今日久々に見た元クラスメイト達と大差ないのに。
「メルト、今から王宮に行こうかと思うんだけど、どうかな?」
「え? お城に行くの?」
「そ。メルトにも一緒に来て欲しいんだけど良いかな?」
「私も行けるの!? 行きたいわ! 実は近くまで見に行ったことがあるの! 門番さんにあまり近づいたらダメだよって注意されたけど、お水はかけられなかったから、いい門番さんだと思うわ」
むしろそれでゴルダみたいな対応されたら一瞬でこの国見限るわ!
こんな可愛い子がお城の見学に来たら、ついつい中に入れたくなっちゃうわ! むしろその門番さんがしっかり職務を全うしたことを賞賛したいくらいです。
「それで、メルトには少しだけ頼みごとをすると思うんだけど、簡単なことだから安心して欲しい」
「むむ……なんだか責任重大な予感がするわ! 頑張る!」
「大丈夫、本当に簡単なお願いだから。ただ……そうだね、メルトの協力が絶対に必要かな」
「私にしか出来ないことなの?」
「うん。メルトは、この世界でただ一人の俺、セイムの家族として認知されている。だから、メルトにしかお願い出来ないことをするんだ」
「なるほど……私、少し何をお願いするのか分かったかも」
すると、メルトは自分の推理を語ってくれた。
「セイムは、ここ最近ずっと、色んな姿になって力を蓄えてきていたわ。本来の自分、シズマを強くするために。だから……シズマとして活動する為の最後の仕上げとして、私にシズマの姿を偉い人に紹介してもらいたい……違うかしら?」
……マジか。
全て、完璧に俺の考えを見抜いたのか、メルトは。
「でもどうして急にそうしようと思ったのかは分かんないけど……何か、緊急事態なのよね?」
「メルト、やっぱり君はすごーく賢い子だと思う。全部正解だよ」
「やった! 賞品は川のエビのから揚げで良いよ! コーラと一緒に食べたいわ!」
「はははは、いいねそれ! よし、約束する。川エビのから揚げ程度なら、セイラに変わるまでもなく作れるからね」
「ふふ、楽しみねー! 私、古くなった服でエビを捕まえる罠を作ってあるんだー!」
マジでか。唐揚げ量産する気まんまんじゃないか。
そうして、日も落ち星が輝き始める最中、二人で王宮へと向かうのだった。
「お疲れ様です。既にお話が通っているかと思うのですが、冒険者のセイムが登城したとお知らせ願い出来ませんでしょうか。こちらは連れで家族のメルトです」
既に時刻は夜、謁見も政務も終わっていてもおかしくない時間の来訪。
当然、門番も歓迎という訳にもいかず――
「話は聞いていますが、出来れば日を改めた方が――」
「火急の要件だと知らせてください。冗談ではなく、国を左右しかねない話です」
「……確かに、どんな状況でも知らせるようには言われていますが……分かりました」
国の恐らく上層、貴族の中でもそれなりのポジションに収まっているであろう侯爵が、ゴルダと繋がっている可能性が極めて高いと判明したのだ。
明日まで待ってなんていられない。ここからはスピード勝負だ。
少しすると、門番が送った伝令が城の中から戻って来た。
「すぐに中に通すようお達しが出たみたいです。中に入って問題ありません。ただし武器だけはここで預からせて頂きます」
「メルト、渡してくれるかい?」
「分かった! はい、どうぞ。なくさないでね!」
「はは、この間のお嬢さんか。そうか、この人の連れだったんだな。中に入れてよかったね」
「うん! 凄いわ、こんなに大きな建物初めて見たもの」
どうやら、メルトが以前話した門番さんだったようだ。確かにいい門番さんだな!
俺達は城の中を進み、今回は謁見の間でなく応接間……それも、国賓を招くような城の奥まった場所の部屋に通された。
「待たせてしまったか、セイム」
部屋で待っていると、真っ先に現れたのは女王陛下その人だった。
すぐさま立ち上がり、頭を下げる。
「このような時間に突然の来訪、申し訳ございません」
「良い、それを許可したのは私だ。しかし……火急の要件とはどういうことか説明してくれるか? ダンジョンコアの使い道についての是非に動きがあっただけとは思えない」
「……女王陛下、今この部屋の様子を探っている人間はいますか?」
「いる。外にクレスが、そして魔導具でコクリが監視している」
「その二人で良かった。特に……今回はクレスさんが必要なんです」
騎士団長という立場の意見も必要だ。
そして、恐らく宰相としての側面も持ち合わせていそうなコクリさんも。
「そうか。クレス、入れ。くれぐれも失礼のないようにな」
『は! 失礼致します!』
前回の出来事を思い出させるように、釘を刺しながらクレスさんを入室させる女王。
そして、このやり取りを見ていたであろうコクリさんも、少し遅れてやって来たのだった。
「わ、人が沢山増えたわ……! コクリちゃんはこの間ぶりねー?」
「ふふ、久しぶりだねメルトちゃん。それにセイムさんも」
「ふむ、察するにセイムの相方、といったところか」
「そうよ、家族なの! 初めまして、メルトって言います」
「ふむ、メルトだな。私はクレス・ヴェールと言う。この国の騎士団長だ」
「へー! 団長様なのね! カッコいいわ!」
「……そうだろうそうだろう」
メルトが増えた人間に興味を示すので、その流れで自己紹介が始まる。
さて、じゃあ本題に入ろう。
「女王陛下。多少、失礼かとも思いましたが、私が本隊に戻っている間、こちらの人員を何人か交代でこの都市に送り込み、情報を探らせていました」
「ほう? 情報とはどんな情報だ?」
「……オークションでの一件、その情報です。私はゴルダからの間者、異世界から召喚された勇者である可能性を示唆していましたが、そのことは既にお耳に入っているかと思います」
「ああ、すでにシュリスや他の者からも聞いている。まさか?」
「……居場所と、手引きしたこの国の貴族を特定しました」
すぐに報告する。相手が強大である以上、少しの遅れが勝負の分かれ目になるかもしれない。
「な……それは本当かセイム。我々騎士団も貴族街は重点的に捜査していたが、一体どうやって」
「まぁ……いろんな業種の仲間が自分達にはついている、とだけ。女王陛下、単刀直入に言います。ゴルダからの襲撃者を囲っているのは『オールヘウス侯爵』です」
今日見た光景をそのまま告げる。
まさか、あの状況でオールヘウス侯爵が無関係だとは言わないだろう。
「……誠か?」
「はい。仲間の一人が本日の昼餐会に客人として潜入、そこで直接襲撃者と遭遇、会話をしたそうです」
「襲撃者だと何故分かったのだ?」
ここだ。ここで、俺は以前言った『魔獣と化した人間から情報を引き出すのに、自分より適任がいる』と、ほのめかした時のことを持ち出す。
「我々の旅団では、ゴルダ国により召喚された集団のうち、その集団から早期に離脱した人間を一人、保護しています。その者達の人種や服装、その他情報を我々は既に持っているのです」
「な!? ゴルダの人間を匿っているだと!?」
「落ち着いてください。保護した人間は、ゴルダ国に召喚された後、すぐにゴルダから離反、一人逃亡をしていた青年です。なにやら……その時から既にゴルダに不穏なものを感じ取り、なおかつ他の召喚者とは早い段階で決別していたそうです」
「……その者、信用出来るのか?」
「少なくとも、自分は『誰よりも信用出来る』と感じました」
俺は、俺を信じる。この選択が、この道が、正しい場所に続いているのだと。
「……分かった。お前が火急の用だと言い駆けつけたのも納得出来る。確かにオールヘウスがゴルダとの内通者であるのなら……手は出来るだけ早く打つ必要があるな」
「ええ、そう考え、予定を繰り上げて帰還しました」
「ふーん、つまりセイムさんは、今日仕入れた情報を聞いてすぐに駆け付けられる場所にいたんだね? やっぱり監視して探っておきたかったかな?」
「コクリさん……予めそれはダメだって言ったでしょう?」
「ふふ、そうだったね。うん、冗談だよ」
どこまで冗談なのやら……。
「女王、今すぐ動くことは流石に難しいですよね?」
「ああ、そうだ。しかしそれを見越して早急に知らせてくれたのだろう? クレス、貴族達への根回しにはどれくらい掛かる」
女王は既に、この情報は正しいものだとした上で動くことを決めたようだ。
クレスさんもコクリさんも、既にその表情から疑心や驚きは消え、ただ女王の指示を待つ家臣の顔となっていた。
「貴族街上層一体を完全に封鎖、他の家の完全閉鎖となると、早くて五日程かと」
「それ以外の怪しい箇所、東西南北の街門の閉鎖や監視も含めますと、今から手配をしても最短で二日。クレス団長の働きに合わせ門の封鎖時間を最低限にしなければ、最悪敵に気取られます」
「そうか。すぐに手配せよクレス」
女王がそう最終決定下す。が、そこに待ったをかける。
「もう一つ! 恐らく、オールヘウス邸への踏み込み、取り押さえるおつもりなのでしょうが、召喚された人間達が敵として立ち向かってくる可能性があります。そしてその者達は、先に捕縛した存在と同様に魔獣と化す可能性もありましょう。貴族街の上層で、そんな魔物が一度に現れるリスクがあるのは危険です。無論、他の騎士ならいざ知らず、クレスさんならば打ち倒すことは可能でしょう。直接魔物ともクレスさんとも戦った俺が断言します、恐らく隠れている人員五名、全員が魔物に変化しても、クレスさんなら打ち倒すことは可能です。ですが、仮に魔獣と化した後に逃走されては、対応しきれない可能性もあります」
「ぬ……確かにそれはありえる話であるが……そうか、そんなに私の強さを買ってくれたか」
あ、少しデレた。やっぱりこの人可愛いぞ。
「私がこれまで手合わせした人間の中では間違いなく最強でした、クレスさんは」
「そ、そうか……」
とりあえずデレさせときましょ。
「確かに貴族街で魔獣騒ぎを起こすのは少々問題だな。セイム、何か案があるのか?」
「……敵対したゴルダの人員を、説得出来るかもしれない存在を、一緒に突入させるのです」
俺の、エゴだ。
それらしい理由を並べてはいるが、これは俺の我儘だ。
「こちらで保護している、異世界から召喚された存在。名を『シズマ』と言います。彼を……突入の際に同行させてあげてください」
俺が、あいつらの前に立ちはだかる為に。
もしも抵抗、敵対するのであれば、俺の手で決着をつける為に。
「……危険はないのだな? その者、シズマとやらが向こうに再び寝返ることはないと、言い切れるのだな?」
「……今回だけは、私の命を賭けましょう。シズマは、連中に対する最終兵器になり得ます」
女王の瞳を強く見つめる。その覚悟があると、その確信があると。
そして、俺の目的であり、ケジメを付ける為に、ここだけは譲れないと。
「……荒事になるのは確定事項だ。シズマとやらは戦えるのか?」
「現在、我々の旅団で彼を鍛えています。流石、異世界より召喚されただけはあり、その成長速度は計り知れません。可能ならば、シズマに人工ダンジョンの通行許可を与えてください。準備が整うまでの期間、最短五日だけでも……彼は俺に匹敵する強さに至れると確信しています。無論、本来の目的は召喚者同士で話をさせ、説得することではありますが」
短い時間で、集中的に育成、強さを求めるなら。
近場でかつ、魔物を大量に狩れるであろうダンジョンの通行許可を得るのは絶対条件だ。
五日、その五日の間だけで、俺はどこまで……どこまで強くなれるのか。
「……そのシズマとやらと一度会わせてもらいた。直接、その者と話してみたい」
これで、この為に――
「可能です。しかし現在、私は少々無理をしてこの場に赴いております。本隊に戻り次第、シズマはメルトに引き渡し、彼女にここまで案内させたいのですが、問題ありませんか?」
「そうか、ダンジョンコアの件がそちらでも長引いているか。いや……其方がこの国に根を下ろしたことについて……か?」
「……お察し頂き感謝します」
「分かった。メルトよ、そのシズマとやらの案内、其方に頼めるか?」
先程から静かに事の成り行きを見守っていたメルトが、会話がこの流れになるのを待っていたのだろう、特に慌てた様子もなく、自身満々に――
「任せてちょうだい! ……じゃなくて、お任せください! シズマとは顔を会わせたこともあるから、しっかり案内出来ます!」
「ふ、そうか。クレス、そのシズマとやらが来たら、お前の目からも成長の器、セイムに匹敵する可能性があるか、見極めてやれ」
「了解しました」
え! 嘘まじで!?
「ま、まだ基本しか教えていないので、どうかお手柔らかに……」
「いや、この緊急事態に飛び込もうとしている以上、厳しく見させてもらう。たとえ相手の説得に必要だとしても、お前から預かる客人だ。命の危険がないようにしっかりと見極めさせてもらう」
「りょ、了解」
「ふふ……そうか、お前に匹敵する可能性のある器か……召喚された存在の伝説は私も知っている。実に、楽しみだ」
そうして、俺は目論見通りシズマとしての自分と女王とを繋ぐ準備を済ませ……いよいよ元クラスメイトと相対する為の、最後の下準備に必要な条件も満たしたのであった。
……いろんな意味で覚悟を決めないと……。