第八十三話
結局、あの二人組はレティにギルド本部に連行され、この日はその場で解散となった。
くぅ……メルトがなんだか嬉しそうなのでなにも言えない!
「かっこよかったね! スマートって言うのよ、ああいうの!」
「ええ、そうですね。しかし何故、あの時私を呼んだのですか? レティさんが解決したのではないでしょうか?」
「……レティちゃん、あの二人のこと半殺しにしちゃうと思ったのよね。さすがに可哀そうじゃないかしら?」
「……なるほど。ただ、リンドブルムは比較的治安が良い方ですが、ああいう輩が少なからずいます。話し合いで解決出来れば良いのですが、中には実力行使、身体に教え込まないと学習しない輩もいるでしょう。時には、厳しい対応が必要になることもあります」
ここは日本じゃないのだから。平気で向こうも犯罪紛いの行為をしてくるのだから。
簡単に人を殺せる力を誰しもが持っている可能性がある世界なのだから。
メルトは強い。けれども、人の悪意に対する耐性がまだ少ないのだ。
「うーん……分かった。そうね……レティちゃんみたいに動く人がいるっていうことは、必要だっていうことなんだよね?」
「そういうことです。メルトさん、鎧を買いたかったのではないですか?」
「あ、そうなんだー! でも、やっぱり自分の身体のサイズ計ってもらってオーダーメイドをしないと、気に入ったものって中々見つからないみたいなの。私はこれが欲しかったんだけどね」
そう言うと、メルトはかなり豪華な、そして胸が大きい人向けの軽鎧を指し示す。
さっき言ってたヤツだな……うん、これは合わない。
「胸のところに詰め物したらダメかしら?」
「それですと、咄嗟に動く時に邪魔になる可能性がありますね。軽鎧とはいえそれなりに重量があります。今度、オーダーメイドを受注してくれる武具屋を探した方が良いでしょうね」
「そっかー。ところで、本当に胸って揉まれると成長するのかしら?」
「しません」
さっきのチンピラ連中、やっぱり処分した方がよかったか。
家に戻り、早速このリンドブルムでよく演奏されている楽曲に目を通していく。
やはり格式高い曲調、まるでオペラのように感情を表出させる、バロック音楽に似た、上流階級の集まりで演奏するような曲だと感じた。
が、そもそもそれがトレンドならば、求められているのもそういった曲なのだろうと、素直にそれらの曲も弾けるように練習を繰り返す。
「これはバイオリンの曲なのね?」
「ええ、そのようです。バイオリンを当日持参して、ピアノの曲と合わせて演奏しようかと」
「なるほどなるほど……ねぇねぇ、ハッシュ……じゃなくて、シズマの世界の音楽も聴かせて?」
一緒に帰宅していたメルトのリクエストに応える為、祝勝会で演奏しても問題なさそうな地球の音楽を考えてみる。
祝勝会にクラスメイトが参加しているとは思えないが、一応一曲披露するのは考えておこうか。
バイオリンソロだと伴奏がないからなぁ、まぁBGMとしてなら丁度いいか。
なら、ソロでも味わい深い曲、バイオリンでも人気の高い『G線上のアリア』とかどうだ。
早速演奏してみると――
「ん~こういうの優雅って言うのね、きっと。いろいろあるのね~」
「そうして少しずつ音楽に触れて理解を深めていくのは、きっとメルトさんの成長にも繋がるかと思います。どうやら、この調子ならば私の目的、役目も早々に達せられそうです。あまり長い間、こうしてここに立つことはないでしょうが、それでも少しでも多くメルトさんの中に思い出を残せるよう、尽くしたいと思っていますよ」
俺じゃない。今のは、ハッシュの言葉だ。
……自我を、俺の為に抑えてくれていたのか、ハッシュ。
ありがとう。俺の我儘にも近い考えに付き合ってくれて――
そうして、毎日少しずつ演奏楽曲数や楽器の種類を増やしつつも、譜面起こしをして過ごした結果、今日、この祝勝会で演奏をすれば、もうその段階で【リズムステップ】を習得出来る段階まで来ることが出来た。
一応、ストリートでバイオリンを弾いたりもしていたのだが、そちらは補助効果の発動ではなく、地球の楽曲をクラスメイトに届け、炙り出すのが主目的だった。
が、この試みは失敗。おそらくクラスメイトは自由に外に出られる状態ではなかったのだろう。
まぁ逃亡中の身だろうし当たり前ではあるけれど。それでもやらないよりはマシだ。
「昨日は会場のセッティングにご協力頂き、感謝致しますぞハッシュ殿」
「いえいえ、より良く音楽に触れられるよう、工夫を凝らすのは音楽の徒である私の役目ですので、どうぞお気遣いなく。ふふ、それにしても想像よりも多く人が集まったようですね?」
ピジョン商会の祝勝会。その会場として選ばれた大きな倉庫では、コンテナを楽器を中心に広がるように配置し、ある種の反響板の役割をするようにしてある。
無論、その効果は微々たるものだが、やらないよりは良い。
同様に窓も可能な限り厚い板で塞ぎ、音を楽しめるように工夫を凝らしてある。
そして実際に会場に足を運んでくれた客の数が、想像よりも多かった。
従業員はもちろんのこと、その家族や、関わりのある他の商会の代表や、グローリーナイツの面々まで出席している。
ざっと見ても三〇〇人近い人間がここに集まっていた。
……あと料理を提供してるの、料理人ギルドの人達ですね……お疲れ様です。
「では、そろそろ皆さんに挨拶をしませんとな。ハッシュ殿、ご紹介の必要はありますか?」
「いえ、あくまで私はこの祝勝会に色を添えるだけの役目。どうか気にせず、肩ひじ張らず、歓談を楽しんでください。その裏を支えるのが今日の私ですから」
「……あれほどの腕を持ちながら、謙虚でいらっしゃいますな……分かりました、ではそのように」
檀上に商会長が上がると、歓談を始めていた一同が静まり、注目が集まる。
「今日はようこそお出で下さいました! この度、我々ピジョン商会は新たな拠点に身を移し、そしてありがたいお話ですが、いくつかの貴族の方々からお仕事の依頼を受けることにもなり、更にはかの有名なクラン、グローリーナイツの備品管理を任せてもらうことになりました! これも、ひとえに我が商会に至宝『深海の瞳』を託してくれた冒険者のセイム氏、そしてこれまで我々を支えて下さった他商会の皆々様、私をいつも助けてくれる従業員の皆様に、その従業員を支えてくれているご家族の皆様のお陰に他なりません!」
商会長の演説が終わると、本格的に立食パーティが始まった。
料理人ギルドから取り寄せたであろう大量の料理が運び込まれる。
どうやら隣の倉庫で簡易的なキッチンも用意されているらしく、一部の料理は温め直しや、ドリンクの提供の為にスタッフも待機しているらしい。
随分と予算をかけているな商会長……料理人ギルドへの依頼ってかなり高額らしいのに。
「やはり緊張してしまいますな、大勢の前で話すと言うのは」
「お察しします。私も音楽の奴隷として立つことに抵抗はありませんが、この口で話せと言われてしまえば、恐らく習いたての楽器のようにたどたどしい語りになってしまうでしょうね」
嘘つけ! 俺は『お察しします。俺も人前で話すのは苦手です』って言ったつもりなのに、流暢にポエりやがって!
「ではそろそろ私は演奏の方に移りたいと思います」
「ええ、よろしくお願いします、ハッシュ殿」
さて、やはりというか、微塵も緊張していないハッシュ。
先程まで商会長が立っていた檀上に移動し、そこに置かれているピアノの前に着席する。
既に調律は済ませてあるし、昨日試奏も済ませてある。
多少、会場の注目が集まりつつあるが、ここはあえてあまり目立たない、始まりの音が賑やかではない曲で、あくまで場に色を添える印象で演奏を開始する。
恐らく、この世界の人間の耳にも馴染み深い、この都市で手に入れた楽譜の曲だ。
安定して弾ける程度には慣れている。そして、格式が高い曲ではあるが、和やかなこの場に合う程度には崩して演奏する。
まだ、この曲では補助効果は発生しない。もう少し場が温まってからでないと、地球の名曲達では浮いてしまうのだ。
が、次に演奏する曲はもう決めてある。ゲーム時代にも存在し、既に一度メルトに聴かせて補助効果を発生させた実績のある『ラプソディ・イン・ブルー』だ。
「……ふぅ」
一曲目、この世界の楽曲を演奏し終えると、集中して聞いていてくれたであろう来場者がチラホラと拍手を送ってくれた。
む……シュリスさんも出席していたのか。いつも鎧の印象があるけれど、今日は私服、ロングワンピースのような出で立ちだった。
ま、流石にこういう催しでガチなドレスは着てこないよな。
「さて、次は……」
次の楽曲を演奏しようとした時だった。
檀上に上がる一人の人物が現れる。
「貴方、楽師だったのね。ここに置いてあるバイオリン、貴方の物かしら?」
「……ええ、私の私物で御座います、レディ」
それは、まさかのレティだった。
豪華ではないが、カジュアルなドレスを纏うレティが、どういう訳が檀上に上がり、近くの席に置かれていた俺のバイオリンを手にしていたのだった。
「……良い品ね。でも銘が刻まれていない。誰の作かしら」
「製作者は不明ですね、ですが旅先で偶然見つけ、今の貴女のように惹かれ、購入に至りました」
「なるほど。ねぇ、ここにある楽譜は全部弾けると思って良いのかしら?」
するとレティは、譜面台に置かれている、先日譲ってもらった楽譜をめくり問いかけて来た。
「もちろんです、レディ。なにかリクエストがあればお応え致しますよ」
「そう……なら、この曲をピアノで弾いてもらえるかしら? 私が伴奏するわ。このバイオリン、是非弾いてみたいの。堅苦しい催しではないと聞いているもの、それくらい良いでしょう?」
ちょっと大丈夫か? と一瞬思ったけれども、すぐに『是非! 是非!』という歓喜の感情が襲い掛かって来た。うん、そうだよな、仕方ない。
「もちろんです。一時の間、私に貴女のパートナーを務めさせて頂くことをお許し頂けるのならば、それは至上の喜びに御座います。何曲でもお供しますよ」
「そ、そう……じゃあ『ノースリブルの雪化粧』を演奏して頂戴。合わせるわ」
この世界の楽曲名を言われ、それを承諾する。
レティ……バイオリン弾けるのか。流石貴族のお嬢様だ。
あ、メルトが近くに来た。楽しそうでなによりです。
そうして演奏が始まる。
異なる楽器の伴奏が入ると、やはり音楽はぐっと深みを増し、表現の幅が広がる。
パート分けなどは知らないが、それでもレティの演奏がすんなりとこちらのピアノの主旋律に綺麗に重なり、演奏は順調に進んで行く。
飛び入りで加わるだけはあり、そつなく演奏をこなすレティは、確かにこうしているとただの貴族令嬢にしか見えない。
……顔面ぶん殴ってすんませんでした。
やがて演奏が終わる。先に終わったピアノの音に合わせ、余韻を持たせたバイオリンの最終音が重なりつつも残り、ゆっくりと消える。
そこで、ようやく先程とは比較にならない拍手が檀上に向けられるのだった。
「見事なお手前でした、レディ。そのバイオリンも、貴女のような美しい奏者の手に委ねられ、さぞや喜んでいることでしょう」
「お上手ね。貴方の演奏も素晴らしかったわ。まだ若そうだけれど、その技巧は本物ね」
「恐悦至極」
「それに腕も立つようね。先日の件、忘れていないわ」
「その節は途中で貴女に託すような真似をして申し訳ありませんでした。ですが、貴女がかの『グローリーナイツ』であることは聞き及んでいましたので」
「メルトさんの知り合いなの?」
「ええ、というよりもセイムの友人です。今はセイムに代わり、持ち家の留守を守っております」
「そう……不思議な人よね、セイムさん」
それはそう。
経歴が謎過ぎるし交友関係も端から見たらおかしいもんな。
「お邪魔したわね。貴方の演奏、楽しみにしているわ」
「ありがとうございます。では引き続き、ご歓談をお楽しみください」
檀上を降りたレティに、メルトが近づき楽しそうに語りかける。
シュリスさんもそこに加わり、何やら興味深そうにこちらを見つめて来た。
会釈だけしておきます……。
さて、じゃあいよいよ次は『ラプソディ・イン・ブルー』を弾かせて頂きます。
これでこの会場にいる全員、いや周囲に音が聞こえた全員、補助効果発動だ!
「見事だったよレティ。私なんて、家にいた頃の淑女教育なんてサボってばかりだったよ」
「いえ、そんな。団長には剣があるじゃないですか」
「レティちゃん上手だったわ! 私、ハッシュに一度だけあの楽器触らせてもらったんだけど、教えて貰ってもちゃんと音が出なかったもん!」
「メルトさん、今はあの人と一緒に暮らしているんですか?」
「そうだよ、セイムが戻って来るまでいてくれるんだー」
「……危機感が少ないのか、信頼しているのか……」
「ふむ。セイムさんの友人であるみたいだけれど……彼の身内に手を出すような人間はどうなるか、知れ渡っているのかもしれないね?」
メルトとレティ、シュリスが集まり、ハッシュについて語る。
元々、シュリスは今日、この催しに出席すればセイムと話せるかもしれない、と参加したのであったが、その目論見は外れる形となってしまった。
が、セイムの友人だという楽師の演奏を耳にし、それでも来た甲斐があったと感じ始めていた。
「メルトくん、セイムさんが戻ってくるのがいつ頃になるか知らないかな?」
「え? うーん……どうだろうなぁ。わかんない! もしかしたらハッシュなら知ってるかも?」
「ふむ、そうなのか」
「団長、あの男……セイムさんに何か用事があるんですか?」
「いやね、ちょっと聞きたいことがあったんだ。聞けずじまいだったからね」
何やらセイムを待つ理由がある様子。
が、それも会場に流れる、新たな演奏に一時中断、会話よりも演奏に集中するのだった。
新鮮だったのだろう。楽しく、人に寄り添うような、肩ひじを張らない音楽というのは。
先の演奏にも負けない程の拍手に包まれながら、地球の音楽が来場者に受け入れられたのだった。
無論、こちらの目からは、全員の身体が青いオーラに包まれ、補助効果を受けていることが確認出来る。つまり、少なく見積もって三〇〇人もの人間が、補助効果を受けたという計算だ。
まだ条件達成には人数が圧倒的にたりない。が、『別の補助効果』で上書きすればカウントされるのだ。という訳で他のピアノの曲……『剣の舞』を演奏させて頂きます。
ピアノソロで演奏するような曲でもなければ、さらにこの場には少々アグレッシブな曲調だけれども、温まったこの会場の空気ならばいけるだろう。
そうして、少々テンポが速く、客を驚かせるような曲を弾き終え、そこで一度こちらも休憩を挟むのだった。




