第七十話
翌日、料理人ギルドの本部にやって来た俺は、そのまま先日試験に使われた厨房に案内された。
そこにはコックコートこそ着ていないが、恐らく料理人と思われる人間が既に八人待機しており、本部長に連れられる形で俺もそこに合流する。
「集まったな。先に紹介しておく、今回新たに料理人ギルドに所属したセイラだ。安心しろ、こいつは試験を余裕で突破した上で、私の舌も、職人達の舌も唸らせた。本物だ」
「初めまして、セイラです」
訝しむ者、見定める者、期待する者。
それぞれ様々な視線を向けてくる。
あと何人か明らかに別な場所を見ている。
「集まって貰ったのは他でもない。来週末に開かれる『術法研究学園』の『学園祭』についてだ。今年度は我々料理人ギルドに、催しの一つとして来場客に料理を振舞って欲しいという依頼が舞い込んだ。学園の性質上、来客の多くは貴族や上流階級に関わる人間だ。次の依頼、仕事にも繋がる大きなチャンスとも言える。皆には、学園祭で提供する料理について意見を出し合ってもらいたい」
なるほど、それで料理人の増員を求めていた訳か。
……これは、上手くすれば一挙に『料理実行回数』と『料理を食べた回数』を稼げるかもしれない。それどころかメニュー次第で『料理の効果発動回数』だって稼げそうだ。
「ふむ、料理の提供は屋台か? それとも学園の厨房、食堂を借りられるのか?」
「厨房と食堂を自由に使って良いと言われている。それを踏まえ、考えてみてくれ」
「でしたら、我々が研究している新たな技法や料理を、全力で作り披露するのはどうでしょう?」
「確かに俺達の腕を見せるまたとないチャンスだ」
なるほど、そういう考え方も出来るのか。
しかし学園祭に来てまで肩ひじ張った料理を食べるだろうか? もっと学生の催し、非日常を優先するべきではないのだろうか?
「職人通りの脇にある屋台街、あの場所の料理を俺達が再現、提供するというのはどうでしょう? ああいった場所の料理を貴族方が食べる機会は少ないでしょうし」
「ふむ……回転率の良さや新鮮さも多少はあるだろうが……あの場所はそれなりに学園の生徒も見かけるぞ? 親だけでなく、生徒にも喜んでもらいたいではないか」
「そうだね、私も屋台メニューの再現は考えてみた。それでもあの催しの主役はあくまで生徒。私達の次の仕事に繋げるという考えも大事だけれど、優先度的には生徒を喜ばせることが第一だね」
本部長の言葉に、一部の料理人が罰が悪そうに照れ笑いを浮かべる。
そうだな、俺だって学園祭で美味しい物を食べたいけれど、そこでフレンチのフルコースなんて出されても、正直喜べるとは思えない。
屋台メニュー……か。
「セイラ。貴女はあちこちを旅してきたんだろう? 何か案はあるかい?」
「私ですか? 私も屋台メニュー、手軽に食べられる料理というのは賛成です。学生が良く通うということは、親しみあるということでもありますから。しかし新鮮さが足りない。なら、新鮮な、この国ではあまり馴染みのない料理を屋台で手軽に食べられるような形態にして販売するのはどうでしょう? 厨房を借りられるのなら、それなりに手間のかかる料理でも作れそうですし」
……一つ、思いついたことがある。
これは料理についての思い付き……だけではない。
セイラが仮にシーレのようこの身体の所有権を持っていたら……あまり良い顔はしない考えだ。
「一度、この料理が本当にリンドブルムで知られていないか、屋台街という場所でリサーチして参ります。その結果次第で材料……この場合は特殊な香辛料ですね。それらを揃えて戻ってきます。試作をしますので、皆さんの考えの参考にしてもらえたら、と思います」
「ほう、気になるな。皆、どうだろう? ここで考えている間、一人くらい外でリサーチするのも有効ではないか? もしかすれば、この街にない新たな刺激を得られるかもしれない」
「俺は構わねぇよ。お手並み拝見だ」
「確かに旅をしてきたという貴女の知る料理には興味がありますね。どのみち今の流行を探る必要がありますし、行ってみると良いのでは?」
他の面々からも許可を貰い、早速俺は噂の屋台街へと向かうことにした。
……まさかこんな場所で『屋台街』なんて単語を聞くなんてな。
料理人ギルドを出て職人通りを散策して歩く。
恐らく中央方面にはないだろうと、更に奥まった場所、中層に向かう坂道までやって来た。
するとそこで、坂道の途中に見覚えのある銀色のモフモフ尻尾が歩いているのを見つけた。
「メルト? おーいメルト―!」
「うん? あ! セイラ! セイラ―、どうしたのー?」
やはりメルトだったようだ。振り返りざまにこちらに駆け寄って来た。
下り坂を走ると危ないぞ……! よし、受け止めてあげよう。
「わぷ! クッションが大きくて助かったわ!」
「だーれがクッションだ」
「本当に大きいわ……ぐりぐり」
「くすぐったいからやめなさい。それで、どうしてここに?」
するとその時、メルトの後ろから、一人の老人がこちらに歩み寄って来た。
「メルトさんのご友人の方ですかな?」
見事な刺繍で縁取りされた、深紅のローブに身を包む老人。
白い長いひげを蓄え、まさに『賢者』や『大魔法使い』といった様相の、風格ある老人だ。
「突然失礼しました。メルトの家の留守を預かっている、セイラと申します」
「なるほど、そうでしたか。私は――」
「このおじいちゃんはね、錬金術ギルドの偉い錬金術師さんなのよ」
「こら、人の自己紹介に割り込むんじゃありません」
「あ、ごめんなさいニールおじいちゃん」
「いえいえ、構いませんよ。ニールソン・スプレイマーと申します。紹介された通り、錬金術ギルドの責任者をしております」
「なるほど、そうだったんですね。ではもしや、メルトを錬金術ギルドにスカウトした……ということでしょうか?」
もしやギルドの本部がこの先にあり、そこで試験でもして採用するか決めるのだろうか?
「いえ、そうではありません。メルトさんにはある『実験』を見せてもらうことになり、その解説の為に錬金術ギルドの本部にお越し頂いている最中なのですよ」
「なるほど……」
悪い人には見えない。しかしこっちにメルトもいるのなら、丁度いいかもしれないな。
「すみません、その実験の後で良いので、メルトをお借りすることは出来ないでしょうか?」
「ええ、それは構いませんよ。ふむ……メルトさん、この女性は信頼している方、ということでよろしいのでしょうか?」
すると、ニールソンは不躾にメルトにそう訊ねた。
「もちろんよ! セイラは家族も同然、大事なお友達よ」
「なるほど、それでしたらセイラさんも実験に同行しませんか? 実験が済み次第、メルトさんと何か用事を済ませることも出来るでしょう?」
「良いんですか? そうですね……」
……これはアリだ。
錬金術、恐らく薬師と同じく、ある程度薬の材料にも、無論植物にも精通しているはず。
そこの総本山なら、これから俺が探すべき材料にも心当たりがあるかもしれない。
「一緒に行きます。私もメルトの実験には興味がありますから」
「セイラも来るのね! じゃあ一緒に行きましょ、錬金術ギルド! どんなところか楽しみねー?」
「そうだなぁ、確かに気になるね」
ニールソンさんに連れられ、中層に続く坂道の更に脇道に逸れ進んで行くと、建物……というよりは大きな塔が見えてきた。
こう言っては何だが、今まで見たどの建物よりも『ファンタジーしてる』って印象を受けた。
「おっきー……凄く高いわ! 頂上まで登れるかしら、壁伝いに」
「絶対にやらないように」
「はーい」
スパイダーメ!(ルト)。
しかし登るなんて発想が出るのか……。
ニールソンさんに続き塔に入ると、正面に見える受付の女性が立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「おかえりなさいませ長。そちらが件の女性でしょうか?」
「ただいま戻りました。いえ、彼女ではなくこちらのお嬢さんが実験をしてくれる、知識の主です」
「なるほど、失礼しました。私は錬金術ギルドの受付をしている者です」
「こんにちは、メルトって言います。実験をしに来ました」
「あ、自分はただの付き添いです。この子の保護者のようなものだと思ってください」
やはり相当権力のある人、慕われている人、尊敬されている人なのだろう。
周囲を通りかかる他の人間が皆、ニールソンさんに頭を下げていた。
そんな人がメルトに頼みに来るなんて……彼女の知識は並大抵の価値ではないのだろう。
「第四研究室は空いていますか?」
「はい、既に準備が整っています。他にも、今回の件を報告した『エルダ』さんも待機しています」
「それは良かった。ではメルトさん、セイラさん。少々階段を上りますがお付き合いください」
塔をゆっくりとした速度で、階段を使って上って行く。
塔に沿った螺旋階段ではないんだ、と思ったけれども、この塔ってそもそもかなり広いし、この内周に沿うように螺旋階段なんて作ったら、一体どれだけ歩かされることになるやら。
「本当なら昇降機を使いたいところなのですが、少し前に実験の影響を受け、動力となる魔力結晶の魔力が失われてしまいまして。今、代わりの結晶を取り寄せている最中なのです」
「でも良い運動になるよ? ちょっとくらい平気よ、私」
「ふふ、確かにその通りですね。私達は研究室に閉じこもりがちですからね、こういう機会でもないとあまり運動はしないのです。良い機会を貰った……ということにしておきましょう」
物腰が丁寧で、優しさが溢れた人間だ、と感じた。
そりゃみんなに慕われる訳だ。
そうして目的の階に到着し、その第四研究室へ向かう。
一つの扉の前でニールソンさんが立ち止まると、静かにノックをする。
「エルダさん、開けてもよろしいですか?」
『ニールソン術長ですか? どうぞ』
返って来た声は、少し落ち着いた女性のものだった。
「エルダさん、情報の主をお連れしましたよ。実験を披露してくださるそうです」
ニールソンさんの言葉に、すぐさまエルダと呼ばれた女性はメルトに駆け寄り手を握る。
「貴女ね! 初めまして、私の名前は『エルダ・エリア』よ。早速だけど、セッカ草の実の代用についての実験、見せてもらえるかしら?」
「うん、いいよ。あ、私はメルトです、よろしくね」
「ええ、よろしくねメルトさん」
そうして、メルトは既に用意されていた、赤く小さな木の実が山積みにされた籠と、様々な実験機材の前に移動するのだった。
「――で、皮は面倒だけど全部剥いて、実は潰してザルで越して、種だけ取り除くのよ」
「ふむふむ……ここまではジャム作りのようね」
「ねー! 美味しそうだけどこれ、おいしくないんだよねー」
なんだかほのぼのするやり取りをしながらも、メルトの作業は続いて行く。
「で、たぶんエルダさんは、この実をそのまま沢山反応液に入れて、それで調合を始めたと思うんだけど、この状態で魔力を込めると失敗しちゃうの」
「ふむ……皮と種子を取り除くだけなら、私も試したわね。なにか、特殊な工程があるのね?」
「うん。まず果肉だけを反応液でじっくり煮込みます……」
メルトは美味しくないと言っていたが、どことなくアセロラに似た香りが研究室に充満する。
「その間に、皮は皮で、普通のお水で強火で煮るのよ。そうするとお湯が真っ赤になるから」
「皮を水で煮る? 考えもしなかったわ」
メルトの言うように、ビーカーの中のお湯がみるみるうちに深紅に染まり、色水を通り越して、まるで血のように濃厚な赤い液体に変貌する。
「果肉の方も反応液に溶け切ったわね? そしたら両方火からおろして……二つを混ぜます」
深紅の液体がさらにドロドロの液体になり、もはやグロいとすら呼べる状態になる。
すると――
「ここが大事よー? 温度が七〇度になったタイミングで、最初に取り除いた種をこの中に入れるの。それで、少しだけ魔力を込めるの。ここでも込めすぎると爆発しちゃうから、慎重にやるのよー? 魔力を込めると、少しだけ赤い色が薄くなるから、それを目安に調整してね」
「なるほど……色素を判別に使い、さらに種を別な触媒として利用するのね……」
「うん、そういうこと。色が薄くなったら、あとは出来るだけ暗くて温度の安定した場所に置いて、二日くらい放置! だから実験の結果が現れるのは明後日なの」
「なるほど、自然に待つのね……セッカ草の実の用法に引っ張られて、同じように使っていたわ、私。それに想像と全然使い方が違った……こりゃ自力じゃ到達出来なかったわー……悔しいけど」
「それじゃあ、実験はこれで終わりなのだけど、ニールおじいちゃん、これでいいかしら?」
すると、大人しく真剣な眼差しで実験を見つめていたニールソンさんが、はっと我に返った。
「はい、とても貴重なものを見せてもらいました。しかしそれにしても……全ての作業、道具の扱いに一切の淀みがありませんでした。火や魔力の調整も一切の無駄がない。メルトさんはどこかで錬金術の修行をしたのでしょうか?」
「殆ど独学だけど、お手本になる家族がいたんだ。でも、詳しい話は秘密よ? シー……よ」
「ははは、了解しました。ではメルトさん、二日後にまたこの場所に来ていただけますか?」
「うん、分かった。じゃあ二日後にまた来るね」
「セイラさん、その時は同席が可能ならどうぞいらして下さい。貴女もとても興味深そうに実験を見つめていた様子。実験の結果が気になるでしょう?」
「はは、さすがお見通しですか。ええ、その時はご一緒させてもらいますよ」
「ふふふ……きっと驚くわよ! ちょっと手間だけど、みんなきっと驚いてくれると思うわ、私」
そうして、メルト先生による実験は無事に終了、何かを爆発させるような事故も起きなかった。
さて、じゃあ今度は俺の用事を済ませようか。
……とりあえず紙とペン、貸してもらえませんか?
(´・ω・`)メルトのアトリエ ~無知無知キツネの錬金術師~




