第六十一話
アンダーサイド。
それは文字通り『下』の意味を持つ。
位置的な意味なのか、それとも……住人の質を指す言葉なのか――
「ここだ。この扉がアンダーサイドの入り口だ。ここのような目立たない場所に、地下に向かう階段がたくさん存在しているんだよ。まぁ今はもう殆どが閉鎖されて、監視しやすい場所にしか残っていないんだが」
「俺は昔親父に連れて行ってもらって以来だな。別に犯罪者の巣窟って訳じゃないが、表で取引するにはちょっと憚られる品とかが売ってるんだ。媚薬とか」
「びやく……ぽかぽか薬のことね!」
メルトは、実は薬学の知識ならば専門家に匹敵するレベルで修めている。
だが、彼女の認識では『媚薬は身体をぽかぽかさせて熱くさせる薬』でしかないのだ。
実際に自分で調合し、飲んだ結果がそうだったのだから、間違いではないのだが。
「それにしても地下かー……あ、そういうことなのね!」
「ん? 何がそういうことなんだ?」
「あ、こっちの話よ。じゃあ下りてみよっか」
「ああ、だが慎重にな。メルトは……目立つからな。綺麗な髪をしているし」
「だな。正直目を引くぜ」
「やっぱりそうなんだ……じゃあこれ被るね」
すると、メルトはどこからか風呂敷のような布を取り出し、頭にかぶり鼻の下で結び目を作る。
それはまるで、シズマが見たら『まさしく泥棒だ』と言わんばかりの様相だった。
「ぶっ! それじゃもっと目立つだろ! ほら、こうして……三角巾にすればいいだろ」
「そうだな。少し髪を畳んで中に入れれば……よし」
「出来たー? 今度帽子でも買おうかしら」
ようやくまともな恰好になったメルトを先頭に、地下へと向かう一行。
階段を下ると、そこは独特の空気の漂う、少しだけアウトローな世界が広がっていた。
「わぁ……! なんだか面白いところね!」
「まぁ確かにワクワクはするけどな」
「ふむ……昔来た時より照明の数が増えているな」
地球で言うところの白熱球にも似た、温かな印象を受ける照明がいたるところに設置され、地下とは思えない程の明るさを保つアンダーサイド。
その様相はまるで『祭りの縁日のようだ』と、地球出身人間なら感じるであろう光景。
どこか薄暗くも暖かい、どこか秘密めいていて危うい、そんな空気がそこにはあった。
「フードで顔を隠してる人間だったな? 正直、そういう人間はここには大勢いるが……」
「身長はカッシュより低くて華奢。尻尾がなかったから人かエルフ。足音からして鎧ではない。こんなところかしら?」
「お、流石メルト。その特徴見て探すぞ」
「ローブは真っ黒じゃなくて、少し緑色だったよ」
そうして三人はアンダーサイドの内部を進む。
地上とは違い、活気が溢れているという風ではないが、それでも人の営みを密接に感じる空間。
小声とまではいかないが、聞き取られ難いような声量で交わされるやり取り。
お互いの素性を知ろうとしないよう、視線を合わせないように動く人々。
それら全てが、メルトには新鮮に映っていた。
やがて――
「……たぶんあの人かしら?」
「確かに特徴は当てはまるが……む!?」
「あ! 走り出した!?」
ようやく見つけた目的の人物。
しかし、唐突に駆け出し、アンダーサイドの中でも特に商店が並ぶわけでもない、まるで倉庫のように雑多に資材が投げ出されている路地に逃げ込む人物。
だが、そこまでだった。
メルト達が追い付いた時には既に――
「あれ……? 今こっちに行ったよね?」
「ああ、間違いなく……上にも足場になりそうなものはないが……」
「瓦礫の影とか……っしょ、ダメだ、誰もいねぇ」
瓦礫、廃材が転がる袋小路が広がるだけだった。
上に逃げる場所もなければ、小さな通路が隠れているわけでもない。
瓦礫の影にも人影がない。文字通り忽然と消えてしまっていた。
「おっかしいなぁ……」
「ああ……おかしい。何か仕掛けでもあるのか……?」
その時、メルトはつい先日、自分の家に施されていた仕掛けの数々を思い出す。
『まさか、そういう仕掛けが他の場所にもあったのではないか』と。
ならば今、それを探そうとしても、ほぼ見つけるのは不可能なのではないか、と。
「そこで何をしているのです!」
「……誰も動くな。指一本動かすな」
その時、袋小路の出口から鋭い声が突き刺さる。
振り向けば、そこには騎士とも違う、どこか傭兵めいた装備の一団が、メルト達を閉じ込めるように展開されていた。
「あ、違うんだ! 俺達は怪しいヤツを追いかけていただけで――」
カッシュが慌てて弁解しようと手を挙げ振り返った瞬間だった。
突然、動くなと警告した何者かが、目にも止まらぬスピードで駆け出し、カッシュを完全に地面に抑え込み、背に乗り首にダガーを押し当てていた。
「……動くなと言った」
ただ単的に警告する人物。
が、その攻撃に対して、反射的に動いてしまう人物がいた。
「カッシュを放して!」
そう、メルトが咄嗟に友達を庇うため、拘束した人間に切りかかってしまったのだ。
余裕を持ってメルトの一撃を回避する人物。
だが、メルトの追撃の蹴りや流れるような歩法での接敵に、思わず相手方も応戦してしまう。
互いに小剣、二刀流と一刀流の違いはあるが、互角以上に渡り合う両者。
「カッシュは病み上がりなの! 私達は怪しくないのよ!」
「……怪しい。ここでは見慣れない。お前も怪しい。どこから来た」
淡々と、メルトの相手をする人物が問う。
アンダーサイドは外部からの新顔には目敏い。
見慣れない一団であるメルト達を警戒するのは当然だった。
そして、あまりにも強く、この相手と渡り合うメルトもまた、警戒対象になっていた。
「班長、いったんお引きください。上の連中が来ます」
「……了解」
その戦いを止めるのは、最初に静止の声をかけた男。
するとすぐにリッカが呼んできた街の哨戒をしていた騎士が殺到する。
「その騎士は俺達の仲間が呼んだものなんです。俺達は怪しい人間を追いかけていただけなんです。現在、冒険者ギルドを含む一部のギルドで、アンダーサイド付近の警戒態勢が敷かれています」
「そ、そうなんだ! 本当に俺達は怪しいヤツを追いかけてここまで来ただけなんだよ! 冒険者の証明タグだってほら!」
未だダガーを構え警戒するメルトと、同じく応戦した人物が見つめ合う。
「班長、タグは本物です。私達遠征組はここ最近のリンドブルムを知りません」
「……そう」
集まった騎士にグラントが状況を説明し、最初に静止の声を上げた人物もまた、その事情を聞き、グラントが真実を言っていることを確認したのだった。
「君達の疑いは晴れた。だがアンダーサイドで目立つ行動を取るのは愚かだ。こうなるのは当たり前なのだよ。ここの住人は大きな変化を嫌う。嫌い過ぎて『黙らせる』程度には過激な連中だ」
「……が、今回は謝る」
カッシュを抑え込んだ、メルトと一戦交えた人物が、素直に頭を下げる。
頭を上げると、その人物が被っていたフードが脱げ、その貌が露わになる。
「っ! 今回は俺達も迂闊でした。これで……失礼します。ギルドへの報告が……ありますので」
「お、おい! 俺、首少し切れたんだけどよ! おい待てよグラント」
グラントはカッシュとメルトの腕を掴み、そのままリッカと共に急ぎ地上へと戻る。
メルトだけは、カッシュが怪我を負わされたからと、フードの脱げた人物……その女性を睨みつけていたのだった。
「おいグラントどうしたんだよ」
「絶対に揉め事を起こすべき相手じゃないんだ。大人しく引き下がるしかないんだよ」
「なに、あの人達と何かあったの?」
リッカの疑問に、メルトが少しだけ語調を強めて説明する。
「酷いんだよ! 私達怪しくなんて無いのに、いきなりカッシュのこと地面に抑え込んで、首を切ろうとした! 殺す気だった!」
「実際、マジで死を覚悟したぜ……本当一瞬だったから……俺、もうアンダーサイドには近づかねぇよ絶対……」
一瞬で死を覚悟する程の経験を経て、完全にアンダーサイドにトラウマを持ってしまうカッシュ。
それに対してグラントは――
「いや、今回は運が悪かっただけだ、カッシュ。いやむしろ……運がよかったのかもな」
「どういうことだよ」
「……ここリンドブルムで、決して逆らってはいけない勢力がある。一つは当然、国の騎士団だ」
グラントが、淡々と語りだす。
「もう一つが、つい最近関わったグローリーナイツだ。あそこは騎士団よりもさらに苛烈に取り締まる、対冒険者や傭兵、戦闘職相手に戦うこともあるエキスパートだ」
「ああ、そんくらい俺も知ってる。シュリスさん……凄い迫力だったよな」
「ね。それにすっごく綺麗だった」
「でもあの人アワアワするから私は苦手かな~」
「あわあわ?」
そして、最後にグラントはカッシュに向き直り――
「最後が『探索者ギルド』のクラン『キルクロウラー』の面々だ。カッシュ、お前が殺されかけた相手は……キルクロウラーの攻略班の班長『リヴァーナ』だ。あの人は『十三騎士になるはずだった』人なんだよ」
「な……なるはずだった……?」
「ああ、実際に十三騎士になったのはキルクロウラーの団長だ。だが実力は今のリヴァーナさんが遥かに上だって聞いてる。恐らく、クラン内部の序列が乱れないようにした結果だろうな」
「そんな危なそうな人達に取り押さえられるなんて、カッシュ本当不運だね」
「不運じゃすまねぇよ……マジで寿命縮まったぜ……」
アンダーサイドでの一幕。相手の素性を知り、改めて肝を冷やす一同だった。
が、メルトだけはいまいち理解していない様子だ。
「でもカッシュは怪我をしたよ? 間違いで怪我をさせられたのよ?」
「まぁそうだが……迂闊にあの状況で動くのも悪かったんだろうな。動くなと言われたら動かない。これは大切なことなんだ」
「わりぃ……つい気が動転しちまって」
「うー! 謝ってくれたけどさー……カッシュ首大丈夫?」
「ああ、ちょっと皮が切れただけだから問題ないぜ。しっかし十三騎士候補かよ……そりゃ強い訳だ。マジで見えなかったんだぜ? 俺、取り押さえられるまでなんにも感じなかったんだ」
「ああ、俺もだ。メルト……よく戦えたな、あの人と」
数度、打ち合いを演じて見せたメルトに注目が集まる。
「でも、私じゃ勝てないよたぶん。悔しいけど、あのまま戦ってたら絶対負けてた」
「そりゃあ……この国でも上位の人だからな」
「よーし! 私ももっともっと強くなるぞー!」
そうして決意を新たにしたメルトを微笑ましく見守りながら、夕日が照らす地上を歩き総合ギルドへ戻る一同だった。
その頃。
日が落ちるのに合わせて香を焚いたシーレは、一人沼地で戦いを繰り広げていた。
沼地一帯を覆う結界にアンデッドは全て沼地に閉じ込められ、そして同時にその結界の中で香を焚き、アンデッドの対応をしながら大型の鳥と思われる魔物を待ち構えていた。
「光の付与はやはりアンデッドには効きますね」
足場の悪い沼地の中、シーレは足場の悪さを感じさせない速度で、光り輝くナイフで数多のスケルトン、所謂動くガイコツを切り刻んでいた。
乾いた音と共に沼地に崩れるスケルトン。
すると、そこから立ち上る青白い光が、他のガイコツや魔物の死体に取り付き、再びアンデッドとしてシーレの前に立ちふさがる。
「ダイブコンドルの死体を放置していたのがアダになりましたか……は!」
空を飛ぶアンデッドとなり、再びシーレ目掛けて空中からダイブしてくる鳥のアンデッド。
それらを警戒しながらスケルトンを切り刻み、流れるような動きで、空中へと回避しながら、弓を構え、迫る鳥を撃ち落としていく。
まさに一騎当千の活躍、数十を超えるアンデッドを相手に、完全に対応してみせていた。
「……やはり想像以上に動けますね」
再び地に落ちる無数の鳥。
そして今度は、立ち上る霊体と思われる青白い影を――
【ブライトネスサークル】
光の陣地を形成し自身の攻撃に強力な浄化能力を付与
アンデッド属性の相手を完全に倒すことが可能
陣地外では効果を発揮しない
スキルを駆使し、今度こそアンデッドを完全に浄化、香の効果が表れるのを待つシーレ。
やがて、周囲を取り囲むアンデッドを殲滅、一息吐いたところに――
「……この距離からあの大きさですか……全力で行く必要がありますね……」
沈みきる直前、ひと際輝く夕日の光を覆い隠すように、黒い影が現れる。
まだかなり遠くにいるはずなのに、夕日を隠す大きすぎる影。
シーレは、今度は手に複数の矢を取るのではなく、ただ一本の矢のみを取り出し、構える。
「この世界で……最上級の技を放つのは全員を含めてこれが初めてですね」
シーレは祈るように、一本の矢を両手で握り、顔の前で祈りを捧げる。
それはまるで、騎士が己の剣に誓いを立てるかのような、どこか神聖な儀式のようにも見えた。
その一矢は光を帯び、肥大し、光矢を弓に番い、構える。
「『宵の明星“神魔落とし”』」
技の名と共に放たれた光り輝く極大の一矢が、迫りくる暗闇を貫いた――
三三>>―(´・ω・`)→
(´・ω:;.:… 三三>>―――→
(´:;….::;.:. :::;.. …..




