第五十五話
翌日、俺とメルトはピジョン商会には向かわず、直接森の中の一軒家を訪れていた。
走って移動したら、何分で冒険者の巣窟から家まで掛かるのか試してみたかったのだ。
「ふぅ……! 冒険者の巣窟から南門までって結構かかるね! 街の中は乗合馬車使いましょ!」
「そうだなぁ……」
俺もメルトも、常人以上の速度で移動が出来る。それこそ、馬車よりも早く移動が出来るのだが、それはあくまで最高速度の話。
人通りの多い道には馬車が優先的に走行可能なスペースがあるが、人にはそんなものはない。
だから人通りの多い道を直接走ると、かえって時間が掛かるし疲れてしまうのだ。
「巣窟から家まで大体一時間か。巣窟から南門までほぼ一本道なのに割とかかるなぁ」
「このリンドブルムって、とっても大きいのね! 走ってみて実感したわ! 今度街の周りをぐるっと一周してみるね」
「そりゃ時間がかかりそうだね」
家の庭で語り合い時間を潰す。まだ、家の鍵は開いていないのだ。
すると、少し離れた所から馬車の音が聞こえてきた。商会長さんが到着したのだろう。
少し待つと、小道から商会長さんと――コクリさんがやって来た。
「やぁセイムさんにメルトちゃん。最近よく会うね」
「ははは……そっちが手回ししてるんじゃないですか」
「まぁね。この家、私の先任の研究院院長の別宅なんだ。だから研究院で管理していてね。ここを売りに出すか否かは私が判断するんだ。ま、売却を女王に進言したのは私なんだけどね」
「シュリスさんから俺が家を求めているって聞いたんですね」
「そういうこと。なら、出来るだけ王家の目が届き易い場所に『セイムさんを置いておきたい』というこちらの考えも分かってくれるだろう?」
コクリさんは、悪びれる様子もなく、けれども油断ない表情でそう言い切った。
……そうだな、その選択は正しいし、実際その目論見通り俺はここを選んだ。
「さて、じゃあピジョン商会の会長さん。鍵を渡してくれるかな?」
「は、はい! どうぞコクリ・マーヤ様」
「ふむ……よし、複製された形跡はないね。君は良い商人みたいだ」
「も、勿論です!」
え、この人恐い。何か罠でも仕掛けていたのだろうか。
「では大金貨一二〇〇枚を頂けるかな? 正確には九六〇枚。残りは商会に支払ってくれるかな?」
「どうぞ、あらかじめ分けておきました」
俺は小さな樽型のアタッシュケースを二つ、コクリさんに手渡す。
俺達が早くこの家に着いていたのは、アイテムを取り出すところを見られない為でもあった。
そして商会長には残りの大金貨の入ったさらに小ぶりな樽型のケースを手渡す。
……この世界のお金用のケースって全部樽型だな。しかも木製じゃなくて金属製だし。
何か由来でもあるのだろうか?
「ん、中身は後で確認するよ?」
「どうぞどうぞ」
「私はセイムさんを信用していますからな、きっとこの中には二四〇枚入っているのでしょう」
「はは、信用第一ってやつですよ」
まぁ実はこっそりオマケとして、銭湯のチラシとその代金を入れてあるんですけどね。
裸の付き合い、そしてある程度砕けた儲け話は銭湯だって相場は決まっている。
「さてさて、じゃあ商会長さんには戻って書類を作ってもらわないとね。実は研究院がここを売りに出すと聞きつけた貴族の何人かが、なんとかしてここを買おうと躍起になっていたんだ。正式に売却済みだという書類をこちらに提出してもらいたいんだ、黙らせる為にも」
「なんと! では私は急ぎ商会に戻りたいと思います。コクリ様は如何なさいますか?」
「私は一応、この家の詳しい仕様を二人に伝えるよ。先に戻っていて構わないよ」
そう言って商会長さんが早足で戻るのを見送る。
そうか……もう競合する購入相手が存在していたのか……。
「……ま、帰らせるための方便なんだけどね。セイムさん、家に入ろう」
「な……了解」
どうやら、まだ油断は出来ないようだ。
家の中に通される。
いや、もう俺達の家なのだが。
「はい、じゃあこの鍵を受け取ってくれるかな。一見普通の鍵に見えるでしょう?」
そう言って手渡されたのは、やや大きめのウォード錠と呼ばれるタイプの鍵だった。
まぁこの世界の鍵はほぼこれなんだろうけど。
「少々複雑な細工をしてあるよね? 防犯の一環だよ。でも――」
「あ、魔法の紋章になってる」
その時、横で見ていたメルトが何かに気が付いたように途中で声を上げる。
「っと、正解だよメルトちゃん。君は魔術師だったのかな?」
「ううん、違うよ。でも知ってる、本で見た紋章だね」
「そう、その鍵は魔法の発動もするの。この家は通常、見えない結界で守られている。この鍵でそれを解除して同時に鍵も開ける、研究院院長らしい防犯装置というわけ」
「なるほど……こういう仕掛けがまだこの家にあるんですね?」
「そう。だから商会長を帰らせたんだ。防犯に関することを他人に知らせる訳にはいかないからね」
なるほど。いくら売却を任せた相手でも教えられないことがある、と。
「その鍵を持ってこっちに来てくれるかな? 隣の部屋」
「あ、ピアノのあるお部屋ね! また触りたいなー」
「終わったら好きなだけ弾くといいよメルトちゃん」
隣の部屋のサンルームにコクリさんが向かうと、窓ガラスの一角を指差す。
「そこに鍵を翳すんだよ。ほら、鍵の形のレリーフが彫られているでしょう?」
「こうですか?」
すると、窓ガラスにうっすらと光の丸が表示された。
小さい丸が、徐々に移動していき、窓から消えていく。
……なんだ、これは。
「家の周囲の人間を感知、表示してるんだ。その鍵のレリーフがこの家の位置。そして離れて行った光の丸が商会長かな? これで、家の周囲の人間を察知出来るんだ。まぁここを狙う人間なんて普通はいないけどね。ただ来客を察知して、驚かすことも出来る。先任はそうやって来客をサプライズでお出迎えして楽しんでいたよ」
「へー! 素敵な人が住んでいたのね! 人が来るのが分かるなら……予め淹れ立てのお茶も用意出来るし、ノックされる前にドアを開けて『わ!』って出来るわね!」
「ははは、確かに! セイムさん、彼女楽しい子だね」
同意します。
「まぁ他にも色々細かい仕掛けがあるね。たとえばお風呂」
「あ、はだかんぼ覗かれちゃうお風呂ね! どうにか出来ないのかしら? 少し恥ずかしいわ」
「もちろんだよ。あそこは湯船がお湯で満たされると、外からはただの温室、植物が育っているように見えるんだったかな。ただし、お湯じゃないとだめ、水だと発動しないみたいだよ」
「へー! セイム、これで安心ね!」
「はは、確かに。へぇ……面白い家だな……」
「他にも何かあるかもしれないけれど、残念ながら全てを解き明かした訳じゃないんだ。今説明を出来るのはこれくらい……かな?」
そう言って、コクリさんは次に家の二階へと向かう。
「後は間取りの説明だけして私は帰るよ。案内するからおいで」
「そういえば二階はまだ行ってませんでしたね」
「二階があるって素敵ねー」
確かになんだかお得感があるというか、土地の有効活用というか。
「ここが寝室。ベッドはかなり大きいから、二人で一緒に寝たりも出来るよ」
「おお! いいわね、一緒に寝ようセイム」
「寝ません。コクリさんの冗談だよ、今のは」
「えー。尻尾抱っこして眠れるよ? 温かいよ?」
羞恥心不在系少女メルト。
コクリさんも予想外の反応にぽかんとしてるじゃないか。
「ま、まぁ寝室と言うか客間が幾つかあるよ。家具は備え付けられているけど、必要なら自分で購入してもらえるかな」
「ああ、それくらいなら問題ないですよ」
「それとこっち……廊下の突きあたり、天井に四角い線が見えるだろう? あそこが屋根裏への入り口だよ。確か物置に専用の梯子があるから、それで登れるはずだよ。掃除はしていないけど、そこまで汚れてはいないかな。たぶん、第二の物置として使っていたんだと思うよ」
ほうほう、屋根裏部屋か。ちょっと浪漫あるな、それ。
「登りたい! 梯子梯子……」
「こらこら、後にしなさい」
「はーい。なんだか楽しい家ねー?」
「そうだね、そう思ってくれて建てた人間も喜んでいるんじゃないかな」
一通り案内を終わらせ、玄関へと向かうコクリさん。
「さて……これで私は帰るけれど、私が……女王が何を言いたいかは、セイムさんなら分かってくれていると思う。どうか、この国の為に協力して欲しいんだ」
「運用についてはこっちでも慎重に考えるつもりです。俺一人ではなく、仲間『達』と相談して」
「なるほど……了解。答えが決まったら、すぐにでも会いに来て欲しい。では、失礼するね、セイムさん、メルトちゃん」
「うん、またねコクリちゃん!」
「ちゃん……はは、確かに私は若く見えるからね? そう呼んでくれていいよ」
マジか。この人見た目は二十代にしか見えないけど、実はもっと……?
「コクリさん、俺は少し他の仲間と相談する為に、少しの間街を離れます。大丈夫ですか?」
「ふむ。分かった、許可しよう。ただし情報は極秘、出来るだけ漏らさないようにしてほしい。女王も君を信用して託したんだ。くれぐれも国外への流出が起きないようにして欲しい。まぁ無論、国外への全ての経路は既に警戒済みだけれど」
「なるほど、了解です」
目が、笑っていなかった。恐らく本気で俺が国外に情報を持ち逃げしようものなら、命の保証はしないのだろう。
「あ、そうだ。合鍵ってやっぱり作れないんですよね、これ。出来ればメルトと俺の分で一本ずつ持っておきたかったのですが」
「ああ、それならスペアキーがあるよ。確かキッチンの戸棚にしまってあるはずだよ」
「良かった、俺からはもう何もありません。メルトは?」
「あ、じゃあえっと……あのピアノって貰っていいのよね……?」
「うん、いいよ。気に入った?」
「なんだか綺麗な音がするわ!」
「ん、そっか。この家にある品は全部二人の物だよ、気兼ねなく弾いて良いからね。もし調律が必要ならリンドブルムの楽器屋に頼むと良いよ」
そう最後に伝えるコクリさんの表情からは、すっかり険が消えていた。
メルト……恐るべし。
「ではでは、これで失礼するね」
そうして彼女を見送ると、すぐさまサンルームで彼女の反応が去っていくのを確認する。
……警戒するに越したことはない相手だ。
「さてと……メルト、また俺は別人に変わるよ、大丈夫?」
「あ! ピアノが弾ける人になるのかしら!?」
すると、メルトが満面の笑みで、ワクワクと言った様子で訊ねてきた。
が――
「それはまた今度かな。凄く……大切な用事があるんだ」
「むむ……真剣なお話ね。聞かせてちょうだい」
「うん、実はダンジョンコアについてなんだ。このダンジョンコアをどう扱うか、それに関する資料を女王陛下から貰ったんだ。だから、それについて考えたい。なら、俺よりも『頭の良い人』で考えた方が良いからね。また、シーレに交代するつもりなんだ」
正直、リスクはある。明確に『シズマという自我を塗りつぶしかねない』程、人格が別れているのだ、シーレは。
やはり彼女の強さが起因しているのだろう。無論、女性であることも理由の一つなのだろうが。
だがそれを差し引いても、この重要な局面で彼女の頭脳を使わない手はない。
「シーレになるのね! 久しぶりねー」
「そ。と言う訳で……交代」
そうして俺はメニューを表示させ、シーレと交代するのだった――
脳が、これまでの記憶を清算する。
軽い頭痛に襲われるも、それに耐え考えを纏めていく。
私達キャラクターの記憶は、交代した瞬間にシズマを介して共有されるのだろうか?
シレントでの立ち回り。セイムでの立ち回り。そして私のここからの立ち回り。
私に求められている役割を理解し、脳の処理が終わる。
「……お久しぶりです、メルト」
目を開けると、私の顔を覗き込んでいたメルトの可愛い顔が飛び込んできた。
「シーレ! 久しぶり! 見て見て! ここ! ここが私達のお家だよ!」
「ええ、知っていますよ。へぇ……実際に見るととても素敵な家ですね……」
「ねー! セイムは一緒に寝てくれないみたいだけど、シーレは一緒に寝ようね! おっきいベッドがあるのよ!」
「ふふ、分かりました。さて、では本題に入る前に……」
アイテムボックスに収納している、ダンジョンコアについての情報がまとめられた書類。
それを取り出す前に、私は『セイムも忘れている重要な用事』を済まそうと提案する。
「メルト、一緒にはむす亭に行きましょう? しっかりと『今日で宿を引き払うことにしました』とあいさつに行きませんと。セイムまで忘れているなんて……余程浮かれていたのでしょうね?」
「あ! そうだった! そっかー、セイム、お別れ言いそびれちゃったねー」
「ね。うっかりさんですね」
そうして、私はサンルームで周囲に人がいないことを確認し、リンドブルムへと向かうのだった。
(´・ω・`)シーレさん再登場。




