二百四十三話
そこは、ダンジョンの中という印象はなかった。
転送装置……というよりも、紋章と呼ぶべき場所に足を踏み入れた俺達は、次の瞬間には、どこか大きな建物の中、その廊下に立たされていた。
人工ダンジョンの中でも、どこか建物の中のような内装の階層があったが、ここはそれの比ではない広さだった。
例えるなら、どこか巨大な宮殿の中の通路に、唐突に置き去りにされたような、そんな印象。
ここをどこかの城の中だと仮定するなら、文化レベル的には、俺の知る城、レンディアの王城と比べても大差はない。
中世というよりも近代に近い、だがそこはかとなく格式高い、バロック調にも似た内装。
豪華絢爛な城の中のような、そんな通路がどこまでも続いていた。
「ひろーい! ここってダンジョンの中なのよね? お城の中よりも更に広いわ!」
「確かにこれは……まるで巨大な城の中のような……」
「ここ、本当に魔物とか敵が出るのか……? なんかそんな気配がしないんだけど」
ダンジョン内の景色、内装の話だけではない。空気が、違うのだ。
閉鎖された空間や、どこに魔物が潜み、いつ襲われるのか分からない、そういった緊張感や閉塞感のような、独特の空気を感じられないのだ。
俺達は、まずはここがどういうダンジョンなのかを探る為に、道なりに進んでいく。
靴音が反響する程の静寂。嫌な臭いなどもしない、本当に上質な空間を思わせる、仄かに鼻孔をくすぐる真新しい家具の木の香り。
時折、飾られた花瓶からの花の香も混じり、本当に『城の中』なのではないかと錯覚する。
「……埒があきませんね。ここまで何も起きないと、むしろ対処に困ります。そろそろマップを表示させて抜けてしまいましょうか」
「そうだね。じゃあ……俺がやるよ」
「ここ、空気の流れも感じないし、妙に音が近くで反響するというか、遠くに他の探索者さんもいるはずなのに、その音も聞こえてこないし、たぶんそういう『感覚を狂わせる場所』だと思うわ」
「確かに言われてみれば……俺達の出す音以外、まったくしない」
「なるほど、何かしらの効果が自分達の周囲にかけられているのか、それともフロアそのものに仕掛けがされているのか。不気味な場所ですし、この状況で魔物に襲われるのはあまり好ましくありません。マップを使い早めに通り抜けましょう」
確かに、過去に『周囲に何もいないと思ったのに突然魔物が現れるダンジョン』だって存在したのだ。ここに似たような仕掛けがあり、突然敵や罠が現れる可能性だってある。
普通じゃない空間なら、長居は無用だ。俺はすぐさまダンジョン内でのみ発動できる魔法を使い、メニューにマップを表示させる。
「何気に……このマッピング魔法も反則だよな……通じない場所もたまにあるけど」
「そうですね。シズマ、先頭はお任せしますね」
そうして、静寂の城の中を進んでいく。
美しい調度品。時折飾られる甲冑。天井を飾るシャンデリアに、ときおり天井に直接描かれている美しい天井画。
もし、ここがダンジョンでなければ、ゆっくりと見て回りたい、そんな場所だ。
すると――
『――が――るから早――』
『どうせ――ここ――』
『とりあえ――の不気――』
突然、前方から微かに誰か人間の声が聞こえてきた。
それは、少し不思議な感覚だった。
遠くにいるわけではない。むしろ、すぐ近くにいるかのような距離から聞こえてきているのに、上手く伝わってこないのだ。
だがしかし、前方には誰もいない。ただ何もない空間から、何かに遮られたような、くぐもった話し声が聞こえてくるという現象。
その不可思議な現象に、警戒を強め、三人とも武器を構える。
「……何も見えない。でも、ここから先にいる」
「そのようですね。察するに……このフロアのギミックは、人間の周辺に効果が表れるようなものなのでしょう。そして、恐らくそれは向こうも同じ。この話し声も、向こうに聞こえているかもしれません」
「そうなの!? じゃあ……おーい! 誰かいるのー? 今から先に進むよー! 攻撃しちゃ嫌よー?」
突然、メルトが前方の何もない空間に向かい、大きな声で呼びかけ始めたではないか。
こらこら……相手が危険人物かもしれないのにこちらの存在を知らせるなんて……。
急ぎメルトの口に手を当て静かにさせる。
「んー! むー!」
「メルト、シー」
「むー? ぷはっ! 分かった……シーね、シー」
この子は……何をするか分からない怖さがあるなぁ……可愛いから叱れないけど。
シーレもなんだか微笑ましそうな表情を浮かべているし。
『――だ!? 今声――』
『きっと――、警戒――』
『詠唱――する』
あ、どうやら向こうも臨戦態勢に入ってしまったようだ。
断片的に聞こえた言葉に警戒の色が混じるのが分かる。
俺は、もしかしたら攻撃されるのかもしれないと分かっていながら、静かに前方の何もない空間、一見するとただの城の回廊にしか見えない道を進む。
「“フレイムブロワー”」
「たぁ!!」
「シッ!」
三歩程前に進んだ瞬間、はっきりと声が聞こえたと思ったら、すぐさま目の前に火炎が放射され、同時に槍が突き出され、剣を振るう女性が迫ってきた。
それを、右足のミドルキックの風圧で炎を消し飛ばし、同時に剣で周囲を薙ぎ払い、迫り来る槍と剣を一瞬で弾き飛ばす。
「失礼。攻撃が迫って来たから反撃させてもらったよ。いや悪いね、こっちが不用意に声をかけたらから警戒させてしまったかな」
あらかじめ、こうなる可能性を予期していたので、問題なく攻撃を全て防ぐことが出来た。
見れば、炎を放ったのは、俺より若干年上らしい長髪の男性、そして槍を突き出していたのは、まるでシレントのような筋骨隆々の男性、最後に剣を持ったまま弾き飛ばされていたのは、メルトと同じくらいの年の頃と思われる若い女の子だった。
「っ! 何者だ!」
「いや、同業。たぶんこのダンジョンのこのフロア、自分達の周辺以外の感覚を遮断する仕掛けがされているみたいだ。こういう同士討ちとか、ありえないくらいの静寂さで不安にさせたりする仕掛けなんじゃないかな? いや悪かったね、前に人がいても、こっちからじゃ見えないみたいでさ」
こちらの素性を明かし、考えを述べても、警戒を解く様子がない相手。
そもそも、このダンジョンの第一層がこういう仕掛けなのは、知られていないのだろうか?
もしかして日替わり……? 内部の仕掛けが頻繁に変わるのか……?
もっと事前にダンジョンの情報を仕入れておくべきだった。
「そんな仕掛け、聞いたことがない。お前が嘘をついている可能性だってあるわ」
「そうだな。そのような大規模な仕組みが最初の階層で現れるなんて聞いたことがない。だったら『探索者のふりをした階層主が徘徊している階層』の方がシンプルで分かりやすい」
「そも、俺達の初撃を簡単にお前のような若造がしのぎ切ったことに違和感がある。油断したな?」
なんだこいつら! まるでこっちの提示する可能性を考慮しないな!?
三人は再び武器を構え、こちらに敵意を示してくる。
それはポーズなどではなく、明確な『殺意』も込められていた。
引き絞られる身体が、槍を構える。
大男の筋肉が軋む音すらしそうな程、隆起する肉体。
もう一人の男も、構えた杖の先に赤い光が集まっていく。
紅一点の彼女もまた、剣を腰溜めに構え、踏み込もうとしている足にゆっくりと力が込められていくのが見て取れる。
「……流石に人の話を聞かなさすぎじゃない。ちょっとイラついてきたんだけど」
俺は、武器を構えることなく、この『一定範囲外の五感を探知できなくなる仕掛け』の範囲外にいるであろうシーレに声をかける。
「シーレ、三人と交戦する羽目になりそう。準備して」
『――捕捉し――ます』
次の瞬間、俺の背後から三本の光の筋が飛来し、臨戦態勢だった三人の眉間を貫いていった。
……なるほど、これは『スウーンアロー』か。
対象を昏倒、もしくは混乱状態に陥らせる、非殺傷系の攻撃。つまり状態異常付与専用攻撃だ。
目の前の三人が、床に倒れ伏し、完全に動きを止めた。
それと同時に、隣にシーレとメルトが現れた。
「凄いね、範囲外から攻撃を当てられるなんて」
「話し声が聞こえていましたからね。メルトが狙いの微調整を指示してくれました」
「へへー! 私の耳、距離が近ければ近いほど、繊細な聞き分けが出来るんだー!」
そう言いながら、自慢の狐耳をピコピコと動かす。
思えば、この狐耳って……たぶん『耳というより一種のセンサー』なんだろうな。
いや、勿論音は聞こえているのだろうが、日常生活では『人間と同じ耳』の方をメインに使っているみたいだし。
無論、並行して狐耳も使っているのだとは思うが。
「メルト、顔の横の方の耳って塞いだらどうなるの?」
「えー? 『ヒトミミ』を塞ぐと、少し話し難くなっちゃうわよー?」
「ヒトミミっていうのか……」
「頭の上の耳は長距離の音を聞き分けたり、近くの音の反射っていうの? それを調べるのよ。だから人と話す時に使うと、少し疲れちゃうの」
今明かされる! 四つ耳の秘密! なるほど、用途と距離によって使い分け……というより、役割を完全に分けることが出来るのか。便利だな、獣人って。
「ところで、この三人はどうしますか? 道の真ん中に放置していては、他の探索者に何かされてしまうかもしれませんよ?」
「俺としてはそのまま心無い探索者に身ぐるみ剥がされてもいいんじゃないかって思ってるけど」
「ダメだよー! 道の端っこにどかしておこう?」
「えー……じゃあ、はい」
床に転がる三人の身体を、容赦なく道の端に向かい蹴り飛ばす。
鈍い音をさせながら、滑るように床を移動し、壁に激突する音が微かに聞こえてきた。
どうやら、この道の左右の壁は、この面倒な五感を鈍らせるギミックの範囲外のようだ。
これなら、後続の探索者に何かされることもないだろうな。
「こら! シズマ、弱い者いじめはいけないのよ?」
「一方的に殺されかけたので、本来ならこっちが殺しても問題なかったんだけどさ」
「ふむ……シズマ、随分と荒んでいますね? 気を張っていたのでしょう。ここからは私が先頭を務めますよ」
確かに、若干気が立っている。これはたぶん『話が通じない人間』という存在を、俺が極端に嫌っているからなのだろう。
いや、『自分が正しいと思い込み平気で相手の言い分を無視する人間』と言った方がしっくりくるな。
そこに相手を納得させる理論がない、自分だけを納得させる理論もどきで動く人間が嫌いなのだ。
かつてのクラスメイト達のような。
「ふぅ……じゃあ先に進もうか。あいつらの反応を見るに、このフロアの仕掛けってセオリーから外れているみたいだし、出来るだけ手早くここを抜けてしまおうか」
「そうね、私ここって嫌いよ。自慢の耳がほとんど効果を発揮しないもの」
「でもピコピコ動いて可愛いので、私には効果抜群ですよ」
などと言いながら、シーレがメルトの頭を撫でる。
少し、その光景に心が温かくなる。癒される。
「シーレの耳もたまに動くけどね! えい」
「わ!」
「ほらほら、じゃれ合ってないで進むよ、二人とも。しっかし本当……厄介なダンジョンだなぁ」
互いの耳を掴む二人に苦笑いを浮かべ、先を促す。
そうして、今度はシーレが先頭を務める中、俺達はこの、巨大な城を思わせる回廊を進んで行き、ついに『巨大な扉』の目の前に到達したのであった。
「シズマ、やはりこのダンジョンは『かなりシステマチック』みたいですね」
「本当だ。看板が空中に表示されてる」
「わー……どうやって浮かんでいるのかしら? 見えない糸?」
巨大な扉。レンディアの王城の謁見の間を彷彿とさせるその扉の前、空中にそれは浮かんでいた。
どう見ても看板にしか見えず、実際にその看板には『こう』綴られていた。
『現在、レイド戦が行われています。途中参加可能 5/10』
それは、地球で様々なゲームを触ってきた人間には、なじみの深い文言だった。
つまりこの扉の先で、既に五人が協力して、何やら強敵に挑んでいるということだ。
そして、そこに途中参加することが可能だということを知らせている。
「……この世界に、何か『特定のルールを持ち込み支配している存在』がいるのでしょうかね」
「なるほど、どういう可能性もあるのか……」
シーレの言葉にハッとする。俺は、この世界を管理する上位存在でもいるのかと思っていたが、シーレとしては『外から何かを持ち込んだ存在がいる』という考え方なのか。
なるほど、そっちの方が都合がいいな『いつか敵対する時がきた時』は。
相手を『管理者』ではなく『侵略者』と仮定した方が、心理的には楽だ。
「今は考えるのを止そうか、それについては。これ、どうする? 助太刀に行く?」
「お助けするのね? 行こう行こう!」
「そうですね、ここで待つのも時間の無駄ですし」
きっと、これが本当にゲームなら『横殴り』やら『乱入』やらで、トラブルの原因にもなるかもしれないな。
そんな、懐かしのネトゲ文化を思い出しながら、俺達はこの巨大な扉を開いたのであった。




