第二百二十話
巨木の洞を抜けると、ここに来て初めて風景に変化が現れた。
秋の終わり、曇り空。どこか哀愁と寂しさを感じさせる風景が続くこのダンジョンだったが、洞を抜けるとそこは、空が茜色に染まりつつある風景に様変わりしていた。
相変わらず、枯葉の積もる開けた空間と、その周囲を囲むように広がる森。
その木々ですら、紅葉を疎らに残すだけの寂しい光景。
なのに、夕暮れの光が、寂しさを、切なさを、哀愁をさらに加速させていた。
「二人とも、どうやら次のフロアに到着した――」
後ろからやってくるはずの二人へ振り返る。
だが、そこには巨木も洞もなにもない、ただ森だけが広がっていた。
「……バラバラに向かわせおいて、今度は別々に転送する、か。本当に性格の悪いダンジョンだな」
どうやら、ここからは一人で行動しないといけないようだ。
さて……じゃあどうしようかな……。
風もなく、木の葉が揺れる音もしない。
完全なる静寂に包まれた、寂しい空間。
だが幸いにして、このフロアでは『一人でいると無性に寂しく不安になる』という、一種の精神汚染のような力は働いていないようだった。
夕暮れが永遠に続くと思われる茜色の森の中、当てもなく、正解の方向なんて意識もせず、ただ歩き始める。
念のため、パンくずを落としながら、ただ真っすぐに。
カサカサと、パリパリと、枯葉を、落ち葉を踏む音だけが聞こえる、そんな一人での探索。
それからどれくらい時間が経ったのか。
メニュー画面には時計の機能も付いているが、これは地球にいた時の時間でしかないので、先に確認しておいて、それで後から見て『どれくらい時間が経過したか』を知るくらいしか使えない。
だが、今回はそれだけでも十分助かるのだし、このフロアに来てすぐに確認しておくべきだった。
「体感三〇分くらい歩いたか。森を抜ける気配もなし。変に森がループしてる様子も……なし」
後ろを振り向けば、地面にぽつぽつと俺が落としたパンくずが、真っすぐに続いている。
少なくともこの森そのものが不思議な地形……ということはないようだ。
ただ、それも今ここから見える範囲では……の話だが。
これは、ただ別々に転送されただけなのか?
それとも、既になんらかのギミックに囚われた状態で、ここからは一人で何か条件を達成しないといけないのか?
個人的には、後者だと思う。ただ別々に転送するだけなんて、あまりにも芸がない。
このダンジョン、かなり意地悪なギミックをふんだんに用意している印象だ。
念のため、ここからは一人での問題解決能力を求められると仮定して動くべきだ。
「無理に合流を目指しても、そもそも合流できない仕組みの可能性もある、かもな」
なら、俺はここからこの夕暮れの森の中で、違和感のある何かを見つけ、謎を解かなければならないのだろう。
手始めに、今通って来た道を振り返り、落としてきた目印が途切れていたり、不自然な方向転換をしていないかを確認することにした。
真っすぐ進んでいるつもりでも、なんらかのギミックで右折させられたりしていないか、どこか特定のポイントに近づけないようにされていないか、一度落としたパンくずを辿り、確認をしてみることに。
「……今のところは多少のブレはあっても真っすぐだよな」
そう確認しながらパンくずを辿る。
黄と赤と茶。秋を思わせる天然色の絨毯の中に混じる異物を追いかける。
下を向きながらの移動は、少しだけ気分が滅入るけれども。
ふと視線を上げ、この先にも続いていくパンくずの痕跡に目をやると、少しだけ違和感を覚えた。
それは、もしかしたら勘違いかもしれない微かなもの。
けれども確かに、ようやく明確な『規則性』を感じさせる、小さな違和感。
「……大きく弧を描いているな。つまり弧の向かう方向の逆に何かある……?」
もしかしたら、何らかの答えがあるかもしれない。
弧と反対側に向かい、新たにパンくずを落としながら進んでみることに。
よかった、食料をいっぱい持ってきていて。
引き返し、方向を変えて新たなパンくずのラインを引き直すこと五回。
ようやくパンくずのラインが共通して『向かわせたくない場所』が特定できた。
全ての弧の始まりを確認し、五本のライン全てが『向かわせたがらない方角』。
その方角を見据え、真っすぐに歩き出す。
勝手に曲がりだすことがないように、今度は後ろ歩きで、確認しながらパンくずを落とす。
そうして慎重に真っすぐに、俺を向かわせたがらない方向に進んで行くと、ついに――
「なるほど、ここに入り口……いや、この場合は出口があったのか」
巨木の洞、ゲートの役目をしているいつもの巨木が現れた。
ここに辿り着き、階層を抜けたら、別れた二人と合流できるのかもしれない。
一瞬、この場所で二人を待つという選択肢が脳裏をよぎるが、それでも先に進むことを選ぶ。
そうして巨木の洞を潜り抜けると――いよいよ、ダンジョンの様相が明確に変化したことを、一瞬で理解させられた。
空が、夜に変わっていた。
だがそれはただの夜ではなく、ここが異界なのだと分からせるような、不思議で、ありえなくて、ただそれでも、どうしようもなく『美しい』と感じてしまう、そんな光景。
「……早く、二人もここに来ないかな」
思わず、口から出たのはそんな言葉。
見せたいのだ、この空を。星が、月が、見えないはずの惑星が、映像でしか見たことのない現象が、全て空に出揃っていた。
「……せっかく夜になったんだし、野営の準備だけでもしておくかな」
このフロアでも、もしかしたら不思議な、悪辣なギミックが牙を剥くのかもしれない。
ただそれでも、なんだか俺はこの場所で、焚火をしたり、食事をしたり、星を見ながら何かを語ったり。そんな『ありがちだけど、憧れるひと時』を過ごしたいと、そう思った。
焚火に使えそうな枯葉と枝を集め終え、野営道具一式を設置し終えたところで、木の洞からシーレが出て来た。
俺と同じく、このフロアに広がる、圧倒的なスケールと情報量の星空に、言葉を失っている様子。
その驚く顔が、夜空の光に見惚れている表情が、凄く印象的だった。
「おかえり、シーレ」
「シズマ、大丈夫でしたか? 個別に謎解きをさせられたようですが……メルトはまだですか?」
「そうだね、まだだよ。シーレはどういう謎解きをさせられたんだい?」
どうやら俺達はそれぞれ別なフロアに飛ばされたようであった。
だが、挑んだフロアの仕組みは同じだったらしく、彼女も方向感覚を狂わせられる森の中で、出入り口である巨木を探すことになったそうだ。
「私は結局、弓で強力な攻撃を放ち、一直線上の全てを薙ぎ払って移動を繰り返して、方向感覚が狂わせられる余地がないように探索して辿り着きましたよ」
「力技が過ぎる……! でもそれでいけたんだ。結構融通が利くギミックだったんだね」
「シズマはどうやって突破したんですか?」
俺はヘンゼルとグレーテル方式で場所を特定して、最終的に後ろ向きで確認しながらまっすぐ進んで辿り着いたことを説明する。
「……私よりも賢い方法で突破されて少し嫉妬しました」
「ははは、実はそういう夢を見たんだよね」
パンくずを拾いながら先に進むメルトの夢について話すと、シーレがクスクスと笑う。
集めた薪や落ち葉に火をつけながら、椅子に座り二人でメルトを待つ。
「早く来ると良いですね、メルト。この空を見たらどう思うでしょうか」
「まるでプラネタリウムというか、全部乗せというか……凄いね、オーロラの一種なのかな?」
「恐らくはオーロラの一種でしょう。ですが少々見え方が自然ではありませんし……この距離からあの大きさの惑星が見えるはずもありません。まるで……この場所が宇宙に凄く近い場所のような、そんな見え方ですね。なんにしても、貴重な光景です」
「うん、そうだね。それにここは夜だから、野営をするならここがいいかなって思ったんだ。この空を眺めながら、焚火を囲んでコーヒーでも飲みながらさ」
「ロマンですね? でも、私も同じ気持ちです。メルト……無事に突破できるでしょうか」
ある意味では、一番謎解きに向いていなさそうではある。
だが知識の多さや、森への対処に関しては随一だと思っている。
ちゃんとここに辿り着けると思うのだが――
「わー! わー! わー! 星があんなにいっぱい! 二人はまだかしら!」
するとその時、すぐ横の巨木からメルトが飛び出してきた。
この星空に、思いきりはしゃいでいる姿が可愛らしくて、シーレと二人笑ってしまう。
巨木の真横にいた俺達は、メルトに向かい声をかける。
「メルト―、こっちこっち」
「あ! シズマ! シーレ! もう来てたのね!」
「メルトもいらっしゃい。今日はここで野営をしましょう」
「わーい! すっごい星空ね! 私、こんなの見たことないわ!」
それは、俺も同じだ。
こんな幻想的な風景、作り物でしか俺は知らない。
でも、今実際に頭上に広がっているのだ。
大きく、青くすら感じられる満月。
オーロラの仲間だろうか、青く、時折紫に輝く光のモヤ。
埋め尽くさんばかりの高密度の星。
名前は分からないけど、うっすらと見える大小さまざまな大きな惑星。
どれも、現実感がないくらい、神秘的な光景だった。
吸い込まれるような星空ではない。これはただただ『圧倒される情報量の空』だ。
「コーヒー飲める? メルト」
「苦い黒いお湯! 私あれ苦手ー」
「ミルクとお砂糖を入れたら美味しいですよ?」
「そうなの? じゃあ……お願いしようかしら?」
焚火で沸騰させたお湯に、直接砕いたコーヒー豆を入れて煮だす。
ちゃんとしたコーヒーを淹れる道具は、残念ながら野営道具として持ってきていないのだ。
煮出したら、それを漉し布とザルを通して鍋に移す。
それをマグカップに注ぎ、それぞれの好みに合うように他のものを入れる。
シーレには、角砂糖を三つ入れたものを。
メルトには、角砂糖四つにミルクを入れたものを。
俺は、黒糖を一かけら入れたものを。
よく、黒糖を入れることを不思議がられたっけ、家の人間に。
確か、ネトゲで誰かに勧められたんだっけ……もう誰だか覚えていないけど。
『酸味少な目の豆に、あえて精製した砂糖ではなく黒砂糖を入れて飲むのが好きなんだ』とか言っていたな。名前は憶えていないけれど、新規プレイヤーだったのを覚えている。
「懐かしいなぁ……確かサービス終了するネトゲのプレイヤーだっけ」
ネトゲは、いつか終わる。だからそこでゲームそのものを引退する人もいれば、他の作品に移住する人もいる。
そうなれば、手塩にかけたキャラクターも、思い出も、全て消えてしまうのだ。
それを俺は悲しいと、寂しいと、いつか訪れる別れを恐れたりもしたけれど。
「ふふ、今度私も試してみましょうか、黒糖コーヒー」
「あまーい! これなら美味しく飲めるわねー」
「はは、気に入ってくれてよかった。シーレはおかわりどうする?」
「んー、眠れなくなりそうなのでこの一杯だけでいいですよ、私は」
けれども、今、この世界に俺のキャラクター達がいる。
俺の中に大勢の仲間が。目の前にシーレが。そして、今は離れているけれど、俺達の家を守るセイムがいる。
俺は、恵まれているんだろうな。
黒糖コーヒーのあの人は、終わり行く世界で、何を考えていたんだろうか。
ふと、思った。
「飲んだら寝ようか。一応、バスも出せるけどどうする?」
「今夜はテントにしましょう? 私が敵を探知するフィールドで周囲を囲みますから」
「あ、ならテントは木の洞の中に設置したらいいんじゃないかしら?」
ふむ、なるほど。たぶん洞の中は、一番の安全地帯だろうな。
少なくとも、前の階層から魔物が襲ってくるのも考え難いのだし。
そうして、俺達はこの巨大な洞の中にテントを張り、念のため全方向をシーレの技で守ってもらいながら、ダンジョン探索一日目を終えるべく、三人で川の字で眠るのだった。
……俺、真ん中じゃない方が良いのではないでしょうか!
翌朝……という表現が使えるのか分からないが、テントの中で目を覚ます。
動けない。身体が、腕がまったく動かない。
……まさか、空が夜だったのは、こちらが眠るように仕向けるための罠だったのだろうか。
眠ることで、何か動きを封じるギミックが発動したのだろうか?
「……違った」
腕を抱きしめられ、片足にシーレの足が絡みついていた。
そして反対も同じ。メルトに全く同じ体勢で身体を拘束されていた。
抱き枕扱いである。
「二人とも起きてくれー。ほらほら」
身体をゆすると、釣られて二人も揺れる。
そうしてようやく目覚めた二人が、眠たそうに身体を起こし――
「うー……まだ外は暗いわよー……」
「まだ夜ですよ……」
「昨日、洞の中にテント立てたでしょ? だから暗いんだよ。もう六時間も寝ているよ、俺達」
今回は、しっかり寝る前にメニュー画面の時間を見ておいたので、それから六時間経過していたので間違いないです。六時間も寝たら上等でしょう。
「なるほど……そういえばそうでした……」
「うん……あ、本当だ。洞の外の方、明るくなってるわねー? 外に出てみましょう?」
「え?」
あれ? 洞の外も夜のはずなのに、確かにテント越しに、外の明かりが見える。
俺もメルトに続き外に出てみると、確かに昨日は神秘的な星空が広がっていたはずなのに、今は雲一つない、澄み渡る青空が、高く高く続いている。
「これは……もしかして次の階層に来られたのか……?」
「もしかしたら、洞の中で一晩過ごすのが正解だったのかもしれませんね……」
「あ、だから夜だったのね! そっか……不思議な夜空だったもんね! あれが仕掛け、謎だったのよきっと」
なるほど、その可能性はあるな。
結構、悪辣なギミックの多いダンジョンだと思っていたけれど、今回は素直に……良いギミックだったと思う。
まるで、ここまで来られた俺達を労うかのような、そんなひと時だった。
……まぁ、こういう場所で息抜きできる場所を過ぎると、その先には最終ボスが待ち受けていたりするんですけどね……?




