第二百十四話
「こんな時間によく来たね、疲れただろうに……」
「夜分遅くに申し訳ありません。三人で一部屋、滞在は……そうですね、まずは五日間でお願いします」
「いいんだよ、元々滅多にお客さんなんて外から来ないんだ。張り合いがあって助かるくらいだよ」
宿に到着し、馬車を預け部屋に案内される。
一泊三〇〇〇リクス、三人で九〇〇〇リクスと、中々のお値段にも思えるが、こんなにも辺境で人があまり寄り付かない村となると、外貨を得るために多少割高になるのも仕方ないのだろう。
が、逆にダンジョンがあるのに人があまり寄り付かないとはどういうことなのだろうか?
案内された部屋にて、そのことについて相談してみる。
「純粋にこの村に来るのに時間が掛かることと、もしかしたらダンジョンそのものにあまり旨味がないのかもしれませんね。出土品がそこまで良いものではない、なども考えられます」
「そっかー……確かにエビの魔物も出てこないだろうし、大きいエビは食べられないかも」
「ははは……確かに水棲の魔物は出ないだろうね。今夜は早く寝て、明日ギルドに行ってみようか」
静かな村。潮騒も聞こえない、近くの森から時折、フクロウか何かの鳴き声が聞こえてくるだけの、深い森の中にある村の宿。
これ以上ないくらい、熟睡しやすそうな環境だな――
翌朝、改めて宿の主人に挨拶をすることにした。
昨晩はかなり遅い時間に急遽お邪魔した形になってしまったので、改めて滞在日程についての話や、宿の詳細を聞いておかなければ。
「おはよう。昨夜は五日と聞いていたけれど、延長する予定があるのかい?」
「そうですね、私達はこの村の近くにあるダンジョンに挑みに来たので、攻略が長引けば、滞在日数もかさむかと思われます」
「なるほど、これは珍しいね。この村のダンジョンはあまり人気がなくてね……最後までクリアしようとする人間なんて、余程の物好きしかいないのさ。じゃあとりあえず、日程は五日のまま。料金は昨日払った金額で、朝食がつくからね。お風呂は共同浴場が村にあるから、この宿に泊まってる証の札を見せれば、いつでも無料で入れるからね」
「なるほど、助かります。では朝食はここで頂けるんですね?」
「もちろん。あまり上等なものではないけど、食べて行っておくれ」
想像以上に至れり尽くせりというか、共同浴場が無料というのは、中々良いのではないだろうか?
俺達はそのまま、一階の食堂に向かい、朝食として焼き立ての丸パンを一人一つに、野菜のスープと、スクランブルエッグに牛乳というメニューを出してもらった。
「木の実が練り込んであるパンね! いい香りがする!」
「スープも美味しいですね……人参の甘さが引き立っています」
「む……確かにパンもスープも美味しいね」
ザ・朝食、といったメニューを頂きながら、この村のダンジョンが不人気だという話を改めて知らされ、どういうことなのかと意見を言い合う。
やはり『労力に見合わない報酬』なのではないかという結論に至ったのだが、実際はどうなのだろうか。
朝食を食べ終えた俺達は、恐らくこの村の探索者ギルドも村の出入り口付近にあるだろうと、早朝の村をのんびりと歩きながらそこを目指す。
森の木々の葉が、朝露でキラキラと輝いて見える村の周囲の光景は、なんだかとても爽快な気分にしてくれた。
吸い込む空気も程よく湿気を含んでいて、木々の香りが胸をいっぱいに膨らませる。
非常に良い朝だと、良い目覚めだと思わせてくれる、そんな村だ。
「静かねー? 村のみんなはまだ起きてこないのかしら?」
「ちらほらと森に向かう人はいるね。斧を持っているし、シーレの予想通り林業で生計を立てているのかもしれないね」
「そうみたいですね。あ、ありましたよ。『ムールダーム探索者ギルド』だそうです」
小さな村のギルドだけあり、ギルドの建物も、普通の一軒家よりも少し大きい程度だった。
見たところ人で賑わっている気配もないが、これは時間によるのだろうか?
早速ギルドに足を踏み入れると、やはり中は閑散としており、職員すら見当たらなかった。
「すみませーん! どなたかいらっしゃいませんかー?」
代表として俺が受付の向こうに声をかけると、奥の方から『はーい』という、どこか眠そうな声が聞こえてきた。
やはりまだ、出向くには時間が早すぎたのかもしれない。リンドブルムではギルドは二四時間ずっと開いていたし、ここも建物そのものは開いていたのだが、悪いことをしてしまっただろうか?
「はいはい、どんな御用でしょうか」
「すみません、我々は外部からこの村のダンジョンに挑みに来た者なのですが」
「あらま! 本当に!?」
出てきたのは、いかにも『話好きそうなおばちゃん』といった風貌の女性の受付だった。
反応から見るに、この村のダンジョンに挑みに来る人間というのは、本当に珍しいのだろう。
「ええと、ランクは……赤銅が一人なのね。なら、この村で依頼をいくつか受けてもらうことになるのだけど、いいかしら? もちろん、白銀だけでダンジョンに挑むこともできるのだけど……」
受付の女性の声が、若干『白銀だけで』の辺りでトーンが落ちたような気がした。
……何か、達成してもらいたい依頼があるのだろうか?
「もちろん構いませんよ、依頼を受けることは。この辺りの状況を見るためにも、お手伝いできることがあればお申し付けください」
「本当!? じゃあ、ちょっと今ここの支部長がいないのだけれど、とりあえず掲示板に張ってある依頼、達成できそうなものがあったら達成してもらえないかしら……?」
「ええと、具体的にどれだけ達成すればダンジョンに挑めるのか、決まりってあるんですかね?」
「それが、こっちの推量次第なのよね。支部長が判断を下すのだけど……見ての通り依頼を受けに来る人なんて滅多にいないから、緊急性の少ない依頼だけれど、大量に溜まっちゃってるのよ……」
そう言われて掲示板の方を振り返る。
確かに、掲示板を埋め尽くさんばかりの張り紙が大量に張り出されていた。
「メルトとシーレは先に掲示板の依頼を吟味してくれる? 俺は手続きを済ませるから」
「分かりました。幾つかピックアップしておきますね」
「私もまとめて達成できそうなの集めておくねー」
二人にそうお願いし、受付で書類にサインをする。
この村で依頼達成に従事し、ダンジョン探索の許可を得るという契約書だ。
無論、こちらからいつでも破棄できる契約書なので、ずっとこき使われることもない。
そもそも、そんなことをする村なら……相応の報復くらいする。
「では、いくつか依頼を見繕ったら受注します。ちょっと待っていてくださいね」
「本当に助かるわ。最後に探索者や冒険者が来たのは半年くらい前だったから」
「……ここのダンジョンってどうしてそんなに人気がないんですか?」
もうずっと気になっていた。ここまで人気がないとなると、相応の理由があるはずなのだ。
ただ美味しくないだけにしても、一応ダンジョンをクリアすれば、コアか何かは手に入るはずなのだ。それなのにここまで人気がないとなると、他の理由もあるのではと思っていたのだが――
「仕方ないのさ、人気がないのも。ここにダンジョンが発生してから一八年、誰も最深部まで到達できていないんだよ。それだけ攻略が難しいのさ。それなのにダンジョンで現れる魔物はそれほど良いものを落とさないし、何か特別な素材が採れることもないみたいでね。無駄に攻略に日数も物資も必要になるからって、誰も挑まなくなったんだよ」
「難易度が高かったんですか……」
「そう、この辺りは他にダンジョンも少ないからねぇ。きっと、禁域ダンジョンの影響を強く受けちまってるんだろうねぇ」
ふむ、禁域ダンジョンの影響……? ダンジョンの仕組み的な話だろうか?
これは、どこかで資料を調べたりした方がいいかもしれない。
一応、この受付の女性にも、それがどういう意味なのか訊ねてみると――
「よく分からないのだけど、そう言われてるのさ。この国の多くのダンジョンは、巨大な三つのダンジョン、それぞれの力が溢れて、中小のダンジョンを誕生させてるって話だよ」
「へー、貴重なお話、ありがとうございました。では依頼の吟味をしてきますね」
ふむふむ……もしかしたら、ダスターフィル大陸の天然の大ダンジョン、あれらも放置していたら、いつかはこの国みたいに、中小のダンジョンが生まれていたのかもしれないな。
だとすると、この大陸のダンジョンはよほど大昔から存在しているのだろう。
「お待たせ。何か良さそうな依頼はあったかい?」
「うーんと、たぶんずっと張りっぱなしだったから、今の時期は採れないものの採取依頼とかあったわねー。それを除外して、今の時期も採れそうな採取依頼をまとめておいたよー」
「私は主に一般の方では対処が難しそうな依頼に絞ってまとめておきました。飛行系の魔物や鳥の討伐、狩猟の依頼や、調査関係の依頼がメインですね」
二人はどうやら、この村の周囲の広大な森、そこで行える依頼をまとめてくれていたようだ。
その数は全部で一七件。確かに相当依頼が溜まっているのだろう。
「たぶん森を探索したら、採取依頼は一日か二日で全部集められると思うんだけど、達成出来てないってことは、たぶん森で採れる場所が危険、魔物とかが出るってことじゃないかしら?」
「魔物の巣の調査依頼や、討伐依頼も出ていますし……村が襲われる心配もありますね」
「もしかしたら、外部にも依頼を出しているのかもね、この村って。どうやらこの国、遠隔での通信手段もあるみたいだし」
先程受付で話している最中に目に留まったのだが、どうにも昔の地球にあった電話に似た装置が、受付内部に設置されていたのだ。
だとすると、何かしらの方法で遠隔通信可能な仕組み、インフラが整っているのだろう。
魔法的な仕組みなのか、それとも電波を使いこなしているのかは分からないが。
「じゃあ、まずは森の中の探索に行こう? なんだかここまで大きな森、ワクワクしちゃうなー。故郷の森に少し似ているからかも? きっと、春の恵みがいっぱい採れるわね!」
「そうですね、見たところ山菜の採取依頼が多いみたいですし、私達の分も幾つか確保しましょう」
「おー、いいねそれ。沢山採れたら宿の方にも差し入れしたら、喜ばれるかもね」
俺達は依頼を正式に受注した後、早速村の奥から森へ入っていく。
今日も良く晴れているというのに、それほど明るく感じないのは、きっと背の高い沢山の木に囲まれているからだろう。
まだ朝だというのに、既に薄っすらと暗くなっている森。
けれども、不思議と不気味だとか、恐いだとか、そういった感情は湧いてこなかった。
静寂と、落ち着き。まるで、明るすぎる光から人を守ってくれているような。
どこか優しさが含まれた薄闇の中に、俺達は向かっていった。
「なんだか凄く不思議な感じがするわねー? この森、たぶんそんなに歴史、古くないわ」
「ふむ……メルトの言わんとしていることは分かります。まるで大きな木々が生えて、その後から他の植物が生えてきたような……中間の大きさの木が見当たらないんですよね。それに蔦のような植物が成長している様子もありません」
「うん、本来なら一緒に育ったりする植物が少ないの、凄く。それにこの木そのものも、少し不自然だわ。妙に表皮が柔らかいというか、古くないというか……硬いは硬いの、でも見合っていないっていうのかなぁ……難しいわ」
森の中に入ってから、シーレとメルトは難しい顔をして植物を調べ始めていた。
どうにもここの植生、植物に疑問があるらしく、どこか不自然だという。
俺の目からは何も感じないのだが、森生活の長いメルトや、学者であるシーレには違和感が見て取れるのだろう。
「……もしかして、この森そのものがダンジョンの影響で急成長しているとか?」
「そうかも! そっか、ダンジョンの影響……それなら変な森なのも納得ねー」
「なるほど、ヤシャ島周辺の海底の変化や、レンディアの土地が枯れていた件と同じ、と」
「枯れるんじゃなくて、過剰に成長するって形の影響が存在するのかは分からないけどさ」
「ダンジョンは確か一八年前に発生したという話ですし、森の様子が変わった時期と一致しているのか、後で村の人に聞いたらいいかもしれませんね」
俺達は、この肥沃過ぎる森の中、目的の採取物を集めたり、狩猟や討伐に明け暮れるのだった。
いっぱい働いた分、きっと共同浴場の風呂は気持ちいいだろうなぁ。




